第11話 ハック・VS・スラッシュ

 十分な車間距離をとってハイヤーを追う。緩やかな勾配の坂を上って片側3車線の橋を渡って隅田川を越える。コールガールを呼んだら思わぬ事態に発展したあげく警察に拘束された運の悪い男の後頭部が遠目に見えた。座席に薄い頭をひっかけてぐったりしている──無理もない。


 でかい建物が乱立する区画。企業ビル/病院/タワーマンション/新聞社/ホテルのいずれにも繋がっている都道──行き先になりそうなものは無数にある。


「どこに向かってるんでしょうね」恵三が言った。「そうだ、羽瀬川さん。さっきの男性がどういう方がご存じですか?」


 つるし上げを食らっているような顔で羽瀬川がスーツのパンツを握りしめる。


「ええと、えと、すいません……お客様の詳しい事情は知らされていなくて……それに、知っていたとしても、その、個人情報なので……すいません」

「そりゃ、そうですよね」


 恵三が追及をあっさり諦めると、羽瀬川は見てわかるほど胸をなでおろした。


 運転席の弥永が言った。「羽瀬川さんのお店の料金を支払えるということは、仮にそれが自費だとしたらかなりの高給取りですね」


 恵三がやや驚いた顔を向けると、羽瀬川がフラップポケットから紙切れを取り出して恐る恐る差し出してきた。四つ折りにされた店のチラシ──上から下まで流し読む。


 フラ・ダ・リ=どんな望みでも/偽りの真実の愛/男も女も/幅広いプレイ。並べ立てられている言葉はどれも薄っぺらいが、紙の手触りは安っぽくなかった。一番下に書かれた料金プラン──恵三は数字を二度見して、思わずうなった。一番低い料金でも前の仕事の一か月分の給料が飛ぶ。


「高級コールガールってやつですか。初めて見た」

「あの、その、その……佐藤さんも、どっ、どうですか? うちで働いているみなさんはほんとに美人だし、あっ、もちろん可愛い子もいて、リピーターもたくさんで──」


 目線が逃げ回っている羽瀬川の笑み。将来の顧客かもしれない男に対する精一杯の営業スマイル。恵三はYESともNOとも言わずに曖昧に頷いた。


「もしくは、会社側が支払っているのかも」弥永が言った。車は架線橋の下を通り抜ける。「他社からの接待。それか自社の報酬。いずれにしろ中小ではなさそうですね」

 恵三はもう一度値段を見て、チラシをポケットに突っ込んだ。「大した福利厚生じゃないですか。なかなか羨ましい話だ」

 田中が大げさに首を振った。「そこは嘆かわしいというべきだな。目的のために手段を選ばない姿勢は大抵ろくな結末を──」


 対向車線を走っていたトラックが、なんの前触れもなくハンドルを右に切った。オレンジのセンターラインを越えて──ゆったりと前を走っていたハイヤーにぶち当たる。


 あまりにも突然の出来事──車内の誰もがあっけにとられていた。鼻っ面に巨大な質量がぶち当たったシーマが宙を舞う。


 弥永が片手で急ハンドルを切ってサイドブレーキを上げる。横滑りするフィアットの中で彼女は叫んだ。「誰か、救助を!」


 真っ先に動いたのは羽瀬川だった。恵三が気づいた時には既にドアを開けて車外へ飛び出していた。引き絞った弦から射出されたかのようなスピード。


 彼女の左手首は外れ、何か棒状のものが突き出している。


 羽瀬川がそれを右手で握って引き抜いた。左前腕から取り出した棒──さらにその中から半回転して出現する格納式のブレード。羽瀬川が空中のシーマに向かって飛びあがる。下から上へと振りぬかれるブレード──ルーフ部分が半分斬り飛ばされる。


 ワンテンポ遅れてやってきたレトリバーがシーマの車体に取りついた。天井部分にできた大穴から首を突っ込み、血を流して失神していた男の襟を咥えて車内から引きずり出す。空中で体勢を整えて着地──下になって男の体を受け止める。


 打ち上げられていたシーマが尻から道路に衝突する。トランクルームがひしゃげて車体の長さが半分に。


 長く黒い線をアスファルト上に残してようやく弥永の運転していた車が停止した。汗が出るほど固く握りしめていたアシストグリップから手を放して恵三はフィアットから降りた。ゴムの焼ける異臭。飛び散ったシーマのガラスでブーツの靴裏がじゃりじゃりと鳴る。


 間一髪で救い出された男の傍に駆け寄って、顔を覗き込みながら弥永が119番に通報した。係員が2回目のコールで出てきた。


『こちら119番消防です。火事ですか? それとも──』

 相手の台詞を遮って弥永が的確に要点を伝える。「救急です。交通事故。被害者の顔に切り傷はありますがそこまで出血していませんし、呼吸もあります。ただ、首がねじれてしまっていて」

 係員が咳ばらいをした。『事故車両は近くにありますか?』

「あります」

『出火はしていますか?』

「していませんが、少し油の臭いが──」


 恵三はトラックに向かった。4tトラックはシーマを弾き飛ばしたあと、街灯をへし折って左手にあった市営グラウンドのフェンスに突っ込んだところで止まっている。幸いにも、グラウンドに利用者はいなかった。


 運転席を覗く──無人。ドライバーは乗っていない自動運転。ロックを外して中に入り、車載のコンピューターにアクセスする。自動運転プログラムの動作不良ではなかった。エラーログには何も記載されていない。


 データのコピーを取って侵入ログを削除。コンテナの側面にペイントされたロゴは何の変哲もない運輸会社のものだった。コンテナのロックを外す。中では野菜やらジャガイモやらが散乱していた。どこからどうみてもただの運送トラックでしかない。


 恵三は弥永たちのところへ戻って、言った。「あのトラック、誰かが乗っ取って、遠隔操作で突っ込ませたみたいですね」


 弥永が両手を腰に当ててため息をついた。事故車両を中心に渋滞が起きはじめている。だんだんと人だかりができて騒がしくなってきた。喧噪。カメラの音。数日前にも見た光景。恵三は被害者の男の方を見た。


「それで、彼は生きてるんです?」

「一応は。素人判断ですが、まあ大丈夫ではないかと。消防には動かさないように言われました」


 恵三たちは事故車が燃え上がってもいいように距離を取っているが、情熱を持て余した一部の野次馬が事故現場を背景に自撮りをSNSにアップロードしている。


「入院生活は地獄でしょうがね。殺されそうになって、警察から解放されたと思ったらこれだ。こいつは昨晩のやり直しってことでいいんですかね?」

「状況を見ればそれが妥当ですね」

「随分アクションが早い犯人だ」


 この事態はすぐに警察の耳にも入るだろう。高良の渋面と罵倒が容易に想像できる──ただし、結果だけ見れば人ひとりの命を救ったともいえる。差し引きでお咎め無しといったところ。


 野次馬たちに怯えてきょろきょろしている羽瀬川に向けて弥永が謝罪した。


「すいません。送り届ける約束だったのに、こんなことになるなんて」

「いえ! き、き、気にしないでください! ふ、普段からお世話になってますし、これくらいは、全然!」

「今度、なにか目に見える形でお礼をさせてください」

「お、お気遣いなくぅ……」


 感謝されているのにどもりながら何度も頭を下げる羽瀬川。恵三は彼女がすっぱりと切断したシーマのルーフと彼女とを見比べた。ひどいイメージの乖離──あれほどのことができるなら普段びくびくしなくてもよさそうなものだが。剣を持った彼女の前に立ったのがもし自分だったら、多分なにもできずに斬り殺されるだろう。


 問題はそこだ。今の自分にはストッピングパワーが無い。恵三は両手を広げて空手であることをアピールしながら言った。


「ボス、ちょっとお願いがあるんですが」

「なんでしょう?」

「装備を用意してもらうことって、できます?」


 弥永は頷いた。


「そのあたりも含めてクライアントと話し合ってみますか」

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