第10話 抑制できない衝動

「NPOや資産家を相手にしてるかと思えば、今度は風俗店のスタッフのフォローですか。あの羽瀬川さんって方とは親しいんですか?」


 恵三はフィアットの後部座席に乗り込んだ。弥永が運転席へ──その役割にこだわりがあるのか譲ろうとしない。


「彼女だけでなく、会社とも。やはり接客業というのはトラブルが絶えないようでして、仲裁、保釈、減刑などを扱っています」

「いわゆる、お得意様ってやつですか」

 助手席で雇い主を守る構えのレトリバーが吠える。「じつは羽瀬川氏には人手が足りない時にこちらの仕事を度々手伝ってもらっている。普段の態度からは想像もつかない仕事ぶりだぞ」


 弥永がイグニッションスイッチのボタンを押した。フィアットの車体に電気が静かに行き渡る。


「何か、気になることでも?」

「あると言えばあるし、ないと言えばないですね」


 車はまだ発進しない──羽瀬川を送る約束をしている。恵三は続けた。


「俺が配送中に見かけた軍用のものと似た多目的デバイスを使った殺人事件と、それから間を置かずして起きた今回の事件、似通った部分がある。昨日の刑事に聞いた話じゃ一件目の方の被害者は俺と面識があったらしい。で、ボスはそんな俺にコンタクトを取ってきて、ついでに二件目の事件の関係者と顔見知りときてる。どうにも腑に落ちない。ついでに言えば、さっきの面会でその話を聞いてもあなたは特に驚いた風ではなかった。こういうことが起こるって予想してたんですか?」

「あくまで予感めいたもので、確証ではありませんでしたが。私の網に引っかかったのは──半分偶然、といったところですね」

 返答は肯定。「2つの事件は関係しているんですね?」

「そう睨んでいます」

「その言い方だと、裏で糸を引いているわけではないように聞こえますね」


 一瞬間をおいて弥永が笑った。


「……そんなに間抜けな質問でした?」

「ああすいません、意表を突かれたもので。いやあ、そうですかー、傍目にはそう見えちゃいますか」

「まあ、思わせぶりなところとか、訳知り顔なところなんか……いえ、それはいいんですが、俺が気にしてるのはそのとばっちりで俺の手が後ろに回らないかってことです」

「佐藤さん」


 弥永の声には真摯な響きがあった。恵三はもぞもぞとシートの腰の位置を直した。


「私はこの事件を解決に導きたい、本気でそう思っています。多分、未然に防ぐという形になるかと思いますが」

 つまり、また事件が起きるということ──恵三は両手を上げた。「だったら、俺から言うことは特にありません」

 弥永がちらりと後部座席を振り返る。「私の知っている情報、佐藤さんの知らない事情、そういうものは気になりません?」


 まったく気にならないわけではない──だが、腹の内を明かすことは、ある意味では人前で裸になるより勇気が要る。


「喋りたくなったら聞きますよ。あなたが俺の戦場を用意してくれるなら、今のところはそれで結構です」


 過去が欠けた恵三は今や軍属のパイロットという属性でしか構成されていない。趣味もなければ、アルコールやドラッグでの気晴らしもいまいちしっくりこない。他の手段で無聊を慰めることができなかった。どうにもならない衝動──ばれたら首になることを承知で勤務中に犯罪行為に走るくらい愚かしい自分。歯止めが効かない。


 弥永がどこかに電話をかけた。恵三たちにも通話が共有される。


『いま朝のミーティング中なんだが、後にできないのか?』


 応答したのは高良刑事だった。弥永が相手の事情を無視して口を開く。


「先日、というより今日ですが、7-10-11で起こった事件についてご存じですか? 駅の近くです」

『管轄内で一日何件の事件が起きると思ってるんだ。すこし待て……傷害事件? モーテルの部屋の内装が、クマでも暴れたみたいになってるな。それで、これがどうかしたのか?』

「殺人──かどうかは分かりませんが、少なくともそこで暴行が行われました。犯人は多目的用デバイスを操ってそれを行った可能性があります」


 高良の目の色が変わった。


『そういうことか。くそ、こっちの報告書には聴取の内容がまだ反映されてない。どうやってそれを知ったんだ?』

「たまたまです。今はそれは置いておきましょう。被害者の顔、名前、身元は分かりますか?」

『それを知ってどうする?』

「もちろん捜査に協力するためですよ。被害者同士、何か共通点があるのかなと思いまして」


 高良が渋っ面になる。職業倫理と義務感と弥永への不審の間でぐらついている顔。


『……この業務提携の主体はあくまで警察側にある。指揮を執るのはこちらで、指示もこちら側が出す。その要求に答えるかどうかは詳細を吟味してからだ』


 情報提供については感謝する──そう言い残して通話が一方的に切られる。


「あらら。まだ信用しきれてないって感じでしたねえ。私としては100%善意のつもりなんですけど、どうしてこう疑われるんでしょうね?」


 恵三はそっぽを向いた。田中が気の利いたフォローを入れる。


「彼が打算的な人物だということでしょう。だから厚意に裏があると思ってかかる。ひとは他人を自分と似たようなものだと思いがちですから」


 人間を語るレトリバー。弥永は助手席に手を伸ばしてその頭を撫でる。田中はそれを特に嫌がりもせずに受け入れる。


 恵三が眺めていた警察署の正面ドアから、ひどく疲れた様子の羽瀬川が出てきた。隣には冴えない顔つきをした中年男──二人は何やら言葉を交わしている。


 肩を落としているせいで余計にみすぼらしく見える男は羽瀬川に頭を下げた。羽瀬川の方も負けじと頭を下げる。しばらく謝罪合戦を続けたあと、男はフィアットの3台先に駐車していた車に乗りこんだ。車線に出る際に運転席が無人なのが見える──どこぞのハイヤー。


「す、すみません、お待たせしちゃって!」


 羽瀬川が走り寄ってくる。恵三は座る位置をずらして車内に迎え入れた。


「ご自宅でよろしいですか?」弥永がバックミラー越しに話しかける。

「いえ、会社の方でお願いします」

「いいんですか? お疲れでしょう」

 羽瀬川が勢いよく首を振った。「さ、さ、先に、社長にお詫びをしないと……ただでさえ迷惑をおかけしたのに、お金まで出してもらうなんて」


 弥永が苦笑してシフトレバーを1速に入れた。太古の昔に滅びたはずのマニュアル車を操って4車線道路に出る。


 すぐ正面にあった交差点で引っかかる。恵三は何の気なしに聞いた。「そういえば、羽瀬川さん」


 羽瀬川はしばらく呆けたような顔をしたあと、しきりに首を振って左右を見渡した。


「多分、この車内には羽瀬川さんって名前のかたはひとりしかいないと思いますよ」

「あっ、あっ、そうですよね! な、何の御用でしょうか!」

 恵三は飛んでくる唾をさりげなく手でふさいだ。「ああいえ、そんな大した話ではないんですが──さっき、一緒に警察署から出てきた方はお知り合いですか? どうにもしょぼくれた雰囲気の男性です」

 羽瀬川が口元をスーツの袖で拭った。「あの、その、知り合いというか、なんというか……あの男性は面会の時にお話ししたお客さんです。本当に偶然なんですけど、あの方もついさっきまで身柄を拘束されていたみたいなんですよ。助けてくれてありがとうとお礼を言われちゃったんですが、私の方こそご迷惑をおかけして申し訳ないやら情けないやらで──」


 信号が青に切り替わる。ボス、と呼びかけるより早く弥永がアクセルを踏み込んだ。車線をまたぎ、ゆっくりと発進しようとする前の2台の間をすり抜ける。2速をすっ飛ばして3速へ。


「佐藤さん、どんな車種か覚えてます?」

 恵三はフィアットのドライブレコーダーにアクセスして、ついさっき発進した車の映像を拾った。「日産のシーマ。色は黒。いかにもって感じの自動運転です」


 無理な追い越し/背後でクラクション/本人は鼻歌でも歌いそうなほどにこやかな顔で言った。


「羽瀬川さん、ちょっと急用ができたので少し寄り道しますね」

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