第51話 僕は、それでも幼馴染みの前で、カッコよくありたい。 完




 ――その日の晩、僕は多分、初めて色々と考えたんだと思う。


 今までのこと、これからのこと、課題が難しいというのもあったけど、それよりも難解な事柄が、生きていく上ではたくさんある事を思い知った。

 それを考えはじめるとどうしても僕には足りないものが多すぎて。

 もし僕が、結局のところ夢物語ではあるけれど、何かの物語で主人公をやっているのなら、きっと今なんかよりもはるかに見てくれは良いだろうし、才能に溢れ、特段手こずることも無く、やることなすこと上手くいく。そんな、そこに居るだけで周りの注目を集める完璧少年的な役柄を与えてもらえたのかもしれない。

 だけど、現実は厳しいばかり。

 僕は唯一、彼女に出会えたことだけは運が良かったと言い切れるけど、逆に言えば、それで一生分の運を使い果たしているとも言えるわけで。

 所詮はその程度の、一山いくらの有象無象なひとり。

 人間、自分の手で持てる範囲のわずかな事柄しか対処できないんだなと、あらためて思い知った夜だった。

 それでも、うんうんと山のような課題に悩み、不確かな未来に悩み、ちっぽけな自分に悩み、いろいろと悩み、そして、自分なりに納得して次の日の朝――今に至るわけだけど、


 「――昨日の晩に、さんざん謝っただろう? 」


 僕としては、深夜にまで及ぶ彼女からのメッセージ攻撃の際、きちんと詫びたのだから、その時に謝罪は終えているはずだと考えていた。だけど、目の前の彼女は、どうにも納得いっていないようで。


 「途中で無視したじゃない! 」


 プリプリと腹を立てて、まったく朝から元気なヤツめ。……でもまぁ、無視をした。このことについて、それは否定しない。

 だけどさ、こちらにだって言い分くらいはある。昨日の晩にあれだけ謝ったのだから、それでも納得いかなかったのであれば、どうぞ気の済むようになんなりと言って欲しかった。もちろん自分の口で。顔を合わせたくないのなら電話をかけてほしかった。そして、こちらからの電話を取って欲しかった。

 その時まさに、嵐のような課題の海へと漕ぎ出していたのだから、ピコンピコンと、次から次にメッセージを送られても、そりゃあ、はじめから片手間なわけで、なおかつ途中で無視してしまうのも許してもらいたい。

 それこそ律儀に返信していたら、間違いなく我が艦は課題の海に沈没していただろう。

 その点、電話なら明確に謝罪の言葉を、それこそ直に伝える事が出来たし、こんな後腐れも発生しなかったのではないだろうか。

 だから、せっかく僕からも電話をかけたのにさ。――出なかったそっちにも非があるというわけで、正確にいうとあれは無視ではない。一種のダメージコントロールである。


 「すまん、課題で手がいっぱいで」


 一応は謝っておくけれど、


 「はぁ? それならそうと、ちゃんと言いなさいよ! 」


 そんな勢いでまくし立てられると、……うわ、面倒くさ。なんて、イヤな感情が顔を出してしまう。


 「急に返信しなくなるから、あれ? どうしたのかな? って心配したんだからね! 」


 そもそも課題なんて1時間もあれば全部終わるでしょ。大体アンタはいつも――云々と、そうは言われても、学力の差もあれば、そもそもの課題量も違うのだから、まったく同じようにはいかないさ。

 八つ当たりするかのようにガタガタと戸を揺する姿に溜息が出そうになるが、でもまぁ、そんな姿も、可愛いな。なんて、我ながら今考えるところはソコでは無いだろうと溜息の代わりに、思わず吹き出してしまった。


 「なに笑ってんのよ! 」


 アタシは今怒ってるんだからね!

 ゴメンゴメンと言った、そんな僕の軽い態度が気に入らないようで、彼女の怒りはもうしばらく続きそうだ。

 だけど、今は平日の朝。そこまで時間があるわけでも無い。つい先日も、全力疾走で校門をくぐったのだから、今日もまたとなれば、そう何度もギリギリでは先生方の覚えも悪くなる。

 どうしようかと悩んでいると、やはり、こういうときにこの姉妹はやってくれる。


 「――重いのは体重だけにしなよ」


 吐き捨てるような残酷な一言のあと、『どーん』と言いながら、アイツの横をすり抜けて、セーラー姿の妹が僕に抱きついてきたのだ。


 「あっ!! 」


 と叫んだ彼女の声をBGMに、そのまま妹を抱きかかえ、勢いが付いていたので、くるりと一回り。

 朝から元気なヤツだ。宙ぶらりんのまま、姉に負けないほどのお日様のような笑顔を貼り付け、僕と同じ目線で、妹はおはようと一言。


 「あぁっ! ずるい! なんでよもうっ! ずるい! 」


 ――アタシには無理だって言ったくせに!


 その光景を前にして、どこかの幼馴染みがよりいっそう元気に叫んだ。

そうは言っても不意打ち気味に飛びかかってきたのだから受け止めるくらいはするだろう。

 でも確かにそうだと、頭によぎった疑念は一つ。


 ……確かに軽い。


 姉妹で背丈はそう変わらないけれど、コイツは驚くほどに軽く、周りに比べ確かに細身ではあるが、それでも兄(自称)としては、想定外の軽量さに心配してしまう。


 「ちゃんと食べてるか? 」


 この家族に限って、まさか妹だけ食べさせてもらえないなんて、まちがってもそんな事は無いだろうから、もし、無理なダイエットとかなら、今すぐやめろよ。男女問わず、それで身体を悪くするという話を幾度となく聞いたことがある。

 それとも、女子の身体は男のそれと比べてある程度軽く作られているのだろうか。いや、話を蒸し返すようだが、例の幼馴染みからは、これまでにそれ相応の重量を感じてきたが、――っと、この話は危険だな。今はやめておこう。

 どちらにしても、適正な体重ってものがあるだろうし、病気やケガに繋がるぐらいなら、痩せてない方がマシだ。


 「アタシ、太らない体質みたいでさ」


 誰かさんは昨日の晩に体重計とケンカしてたけど、大変よねぇ。

 なんて、これ見よがしに勝ち誇った表情でアイツの方を見るもんだから、思うところがあるのだろうね。言い返せない彼女は真っ赤な顔のままいよいよパンパンに頬を膨らませ始めた。

 朝からケンカはやめてくれよと思ったけれど、ここ数日の出来事のあとだからかな。いつもと変わらない光景に、やっぱり嬉しさを覚えてしまう。

 僕が笑うと、


 「兄ちゃんはさ、アタシが病気すると悲しい? 」


 抱かれたままの妹が、鼻が当たりそうな距離でイタズラっぽく聞いてくるもんだから、――そりゃそうだ。僕はアイツの目を見て言ってやったね、


 「大切なお前が苦しい思いをするんだ。当然だろ」


 僕はお前を本当の妹だと思って今まで接してきたんだから、もし、お前に何かあったとすれば、なぜ気づいてあげられなかったんだろうと、責任を感じて塞ぎ込む自信すらある。

 なんて、照れくさいから全部を口に出しては言わないけれど、


 「っ! 」


 僕のはにかんだ顔に何か思うところがあったのだろうか。

 妹は、何かを言いかけて、ぐっと口を真一文字に結んだと思うと、


 「お姉ちゃん!! 」


 もう一度強く抱きついてきた。そして、勢いよく姉の方に目線を飛ばし、


 「ちょうだい!! 」


 「――ふざけんなっ!! 」


 あれだけ頑なにここから動かないと言ってくせにな。勢いよく飛び出して、アイツは妹を引き剥がしにかかった。妹も、負けまいと腕に力を入れ、僕にしがみつく。


 「いいじゃん! だって兄ちゃんとケンカしたんでしょ! 」


 「して……なくもないけど、それとこれとは話が別よ! 」


 「兄ちゃんだって、こんな束縛のキツい重い女やめといたが良いって! 」


 「だ、誰が! アタシはそんなんじゃないもん!! 」


 やるとかやらないとか、僕はふたりが欲しがるようなものは何も持っていないけれど、彼女がようやく玄関から出てくれたのだ、わいわいと、賑やかな朝の風景。僕は未だに妹を抱えたまま、ヨロリと一歩あるき出す。


 「ちょっと! さっさとコイツ下ろしなさいよ! 」


 もう、こうなればこっちのモノだ。並んで歩く彼女の怒りは、もはや僕ではなく妹に向いている。このままなし崩し的に登校してしまおう。


 「きゃー、兄ちゃん助けて。過去の女が、嫉妬する~」


 なにがそんなにも悔しいのか。その一言に、「もう! もう!! 」と地団駄を踏んで、いよいよアイツが泣きべそをかき始めたから、僕は、これ幸いと妹を下ろした。

 地面に足が付くと、名残惜しそうに妹は僕の顔を見上げてきたけれど、とりあえず言い訳をしておこう。


 「これ以上はコイツが泣いちゃうから」


 本音を言うと、もう腕が限界。自慢の細腕では、いかに軽いと言っても人ひとり何分も抱き上げてはおけない。でも、僕は昨日勉強した。女子に重いは禁句だと言うことを。

 間髪入れず、割り込むように彼女が身体を入れてきて、僕の腕を抱きしめる。威嚇する猫のように鼻息荒く妹を睨みつけ、その目にはうっすら涙を溜めていた。

 その光景を見て、妹が馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


 「あのさぁ、お姉ちゃん」


 「……何よ」


 はっきり言わせてもらうけどさ、と、呆れたような溜息のあと、


 「――アタシ、二号さんまでは認めるわよ」


 勝ち誇った顔で、勝利のVサイン。

 ……なんだそりゃ。またそれかと、僕は首をかしげたのだけど、


 「泣かす! 」


 きっと堪忍袋の緒が切れたんだろうね。もう我慢ならんと走りかけた彼女を押しとどめ、僕に向かってイタズラに投げキッスする妹へ、そんなのいいから早く行けと促す。


 「やだー、お姉ちゃんってば未練タラタラ。ぷふ~っ。元カノざまぁ! 」


 「あ、アンタねぇっ!! 」


 「だから早く行けって! 」


 言うだけ言うと、いってきますと元気に手を振って、妹は駆けだした。

 まったく1号とか2号とか何を言いたいのか未だにわからない。ついでに、なんでコイツがこんなにも腹を立てているのかもつかめない。

 妹の背中は、あっというまに見えなくなる。

 いつもなら、コイツがいるときにあんなにまで絡んでは来ないのだけど、今日は妹の様子がどこか違っていたように思える。

 何か、悩み事でもあるのだろうか。それなら相談してくれれば、できる限りの協力を僕は惜しまないのだけど。まぁ、思い悩んだ様子ではなかったし、悲壮感も感じはしなかった。言えない事もあるだろうし、女の子には秘密があるものだと隣の幼馴染みも、いつか言っていたしな。


 「――ねぇ」


 しばらくは鼻息の荒いままだったけど、ようやく怒りもおさまったのか。彼女は、僕の腕を抱き直すと、問いかけてきた。少し、拗ねたようで、それでいて目の奥に不安が見えるそんな表情で、


 「アタシは、ワガママだし泣き虫だし意地っ張りだけど、イヤなときは言ってね」


 ――なおすから。


 突然そんな顔で、いったい何を言い出すかと思えば、なんだそんなことか。

 らしくない彼女の雰囲気に、僕は、あぁと、合点がいった。要するに、妹から言われたさっきの言葉をコイツなりに反省しているのだろう。

 ワガママ。

 泣き虫。

 意地っ張り。

 そして、束縛する重い女。


 「たぶん、これからもバカみたいにヒドいこと言うと思うし、困らせると思う。昨日みたいにいっぱい迷惑かけると思うけど、でも、アタシはね、」


 メチャクチャなこと言ってると思うけど、と、彼女は前置きする。そのままじっと、僕の顔を見つめ、


 「……アンタにだけは嫌われたくないから」


 僕は、こういうときなんと言えば正解なのだろう。さらりと気の利いた言葉が浮かべば苦労しないのだけど、でも、そうか、そうだよな。別に、長い付き合いの中、今更コイツに体裁を取り繕う必要なんて無いんだ。

 僕は、軽く彼女を抱き寄せた。


 「じゃぁ、メッセージはすぐに返さなくても怒らないか? 」


 「……出来るだけ我慢する」


 「ワガママは全部無視しても良いのか? 」


 「……全部は、ヤだ」


 「泣いても放っておくぞ? 」


 「……せめて、話だけでも聞いてほしい」


 我ながら、意地悪だったかもしれない。僕と向かい合うようにして、むうっと地面に目を落とし、消えそうな声で、彼女は言葉をこぼしていく。

 僕は、はにかんでしまう。


 「――はじめはさ、課題なんて終わりっこないと思ったんだ」


 その言葉に、それが何? と、アイツは顔を上げ、視線同士がぶつかった。


 「でも、目的意識って言うのかな。誰かのために頑張るって、すごいパワーを生み出すんだ」


 もちろん課題を全部終わらせるのに時間はかかったけど、昨日のおばさんの話を聞いて、そして自分で考えて、そしたら、あの数学教諭が言ってたこともなんとなくだけど、理解ができて。だから、


 「いつもどおりで良いよ」


 お前はいつもどおりで良い。――僕は彼女を抱きしめる。朝っぱらから何をやっているのだろうね。きっとコイツも僕の言葉の意味なんてわかりやしないだろう。だけどさ、


 「僕は、そんなお前が大好きなんだから」


 いつもどおりの、今までどおりの、昔から変わらないお前だから、僕は頑張れるんだ。こんな自慢できることなんてひとつも無い、そんな冴えない僕だけど頑張ろうと思えるんだ。そして、頑張りたいんだ。

 これから先、多分僕たちは色々なことで泣いて怒ってケンカして、悲しいことや酷いこと、中には悪いヤツやずるいヤツも居るだろう。そんな、社会の荒波に押しつぶされてしまう場面はそれこそ山のようにあるだろうけど、それでも、僕は大好きな幼馴染みと乗り越えて、そして、ずっと笑っていたい。

 だから、


 「知ってるか? 」


 気持ちの良い青空の下、爽やかな風を感じながら、――僕は、目の前の彼女に言ってやった。


 「男はさ、大好きな子の前では、カッコつけたいんだぜ」


 ――出来れば、ずっと、僕はカッコつけ続けたいな。と、そう思っているのだけど、これはまだ、言わない方が良いかな。


 怒ったような笑ったような、それでいて照れたような、そんな真っ赤な顔のアイツが眩しすぎて、今の僕ではまだ、その言葉は少し、カッコつけすぎているように思えるからさ。







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ずっと大好きだった幼なじみが今度好きな人に告白すると言ったから、僕は涙をこらえてカッコつけるしかなかった。 コカ @N4021GC

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