第50話 僕は、それでも幼馴染みの前で、カッコよくありたい。 ④




 なんて、僕としては、やっと忙しかった1日が終わる。これでゆっくりできると思っていたのだけれど。やはり今日という日はトラブルてんこ盛りのスペシャルデー。――そうは問屋が卸してはくれないようで。

 まさか、最後にあんなにもドデカい核弾頭が用意されていようとは考えもしなかった。

 アイツを家に送り届けると、玄関先で、またひと悶着。まさに今日という日の総仕上げ、いわゆるラスボス。文字通り、最後のイベントが待っていたのだ。

 相手は、アイツのお母さん。そう、あの一筋縄ではいかないおばさんだ。

 だいたい予想はしていた。昼休みからこっち、彼女があんな無茶苦茶な理由でサボったんだ、体調不良という取って付けたようなウソ八百は、きっとおばさんに一発でブラフだとバレている。


 『……ゲンコツは痛いの』


 目の前を星が瞬くのよ。もうほんの数分で自宅へと行き着く距離で、そう呟いたアイツの顔は、本日一番の青色だった。

 温厚で物腰の柔らかな人なのだけど、喧嘩っ早いこの姉妹の母親なだけあって、手が出るのも早い。

 おてんばだった昔のクセがね、抜けなくて。と、恥ずかしそうにおばさんは言っていた。

 もちろん、悪さをした時限定ではあるのだけど、あの細い腕のどこにそんなパワーを隠しているのか。おばさんのゲンコツは、本当に良い音がするのだ。

 当然、学校から連絡がいっているだろうから、頑張れよ。僕は家が近づくにつれて、いよいよビビり倒すアイツを鼓舞するかのように、肩を叩いたんだ。


 『……一緒に部屋まで来て』


 あわあわと、彼女が目を泳がせながら、まるで放してなるものかと、万力のような力で僕の制服の裾を掴んでくる。


 『ヤだよ』


 ボディガードなら、無理だぞ。僕の筋肉では太刀打ちできやしない、他を当たってくれ。

 それに、


 『僕は、おばさんには逆らわないと、心に決めているから』


 お前がらみで数々の惨劇を目の当たりにしてきたんだ、そのおっかなさも充分承知している。そんな相手を、誰が好き好んで敵に回すというのか。


 『なんでよ! 彼氏でしょ!! 』


 ちゃんと彼女を守りなさいよ! などと、玄関先でのたまいやがるもんだから。まぁ、なんと都合の良いことで。今の今まで散々無視して、更にはやりたい方題してきやがったクセに、そうお前の都合の良い方にばかり、誰が加担してやるもんか。


 『彼女をちゃんと叱る事が出来るのが彼氏だ』


 悪いことは悪い。今日はもう、数学教諭の件など、目一杯甘やかしたからな。これ以上甘やかしては、いよいよお前のためにならないだろう。


 『せめて、アタシを怒らないでって、いっしょにお母さんに頼んでよ』


 『ダメだ。しっかり叱られろ』


 『鬼! 悪魔!! 』


 『誰が悪魔だ』


 『わ~ん! 絶対痛い目にあうじゃん!! お願いだからたすけてよ~っ! 』


 くるりと回れ右、帰ろうとする僕の腰にしがみつくように抱きついて、必死な形相でやいのやいのと暴言をぶつけてき、いよいよ収拾が付かなくなってしまう――そんな時だった。


 『うるさ~いっ!! 』


 件の人物が、ガシャンと勢いよく扉を開けての登場だった。


 『ひぇえっ!! 』


 すり込まれた防衛本能か、鬼が出たと言わんばかりに一目散に逃げだそうとするアイツ。

 だが、やはり相手の方が一枚も二枚も上手。目にもとまらぬ早業で、彼女の襟首をむんずと捕まえて、おばさんはニヤリ。


 『聞いたわよ~♪ 』


 僕の方に向けられたその笑みが、いったい何を意味するのか。怖くて聞けやしないけど、見ると例のアイツはもう逃げられないと、そう観念したのだろう。ずるずると力なく玄関のたたきへと引きずりこまれていく。

 僕はというと、そのままゆっくりと玄関扉が外れ、こちらに向かい倒れてきたもんだから、これまた慣れた動作で丁寧に受け止め、はめ直した。

 もう、ここまでくると後はいつもの流れ。悪さをしたアイツに、もはや逃げるという手段は残されていない。

 おばさんはとっくにアイツの襟首から手を離しているけれど、まさにまな板の鯉。あとは天命に従うほか無い。もう煮るなり焼くなり好きにしろと、生気を失った顔で、アイツは僕の隣に力なく立ち、口もとをひくひくと震わせた。

 きっと次の瞬間には、彼女の脳天に、特大のゲンコツが降り注ぐだろう。さっきはああ言ったけれど、できる限りは庇い立てしてやろうかと――そう思っていたのだけれど。

 当のおばさんは、僕たち二人の顔をじっと見たかと思うと、


 『あんた達、』


 開口一番である。


 『ちゃんと避妊はしてるんでしょうね』


 ……崩れ落ちそうになった。人様の玄関先でなければ、もう疲れたと、もう散々だと泣いていたかもしれない。


 避妊って、思春期まっただ中の健全な高校生を前にして、唐突に何を言い出すのやら。

 隣のアイツは、不意打ちだったからな、もう一瞬で顔を真っ赤に染め上げると、言いたいことも言えないまま、陸に上がった金魚みたいに口をパクパクと動かしていた。

 だめだ、こうなるとこいつは使い物にならない。小学生の頃、僕の飲みかけたジュースをいつものように回し飲みをしていた時、それを同級生の悪ガキにはやし立てられ、まったく同じ状態に陥った。


 『――うわぁ、間接キッスだ! 』


 僕としては、まだ小さかったし、何言ってんだコイツくらいにしか思っていなかったんだけど、彼女が、自分の唇に手を当てて、まるで電熱線のように顔を染め上げたもんだから、大変で。

 だけどあの時は、何言ってんだろうねと、僕が気にしないフリを貫いて、事なきを得たが、今回は、あのおばさんが相手なのだ。

 適当に笑って誤魔化すことも出来そうだけど、ご近所ネットワークもあることだし、下手な言い訳は、尾びれ背びれ胸びれをつけかねない。文字通り大惨事へと繋がるだろう。

 僕は、額に手を当ててため息を一つ。


 『僕たち、別に何もしてないから』


 『え? ナニもしてないの? 』


 『ヤってないわよっ!! 』


 音量を調整する部分が壊れたスピーカーのように、大声でアイツが叫んだ。いつもなら、さっきみたいにうるさいと叱られる場面なのだけど、おばさんは、端っからアイツを相手にはしていないようで、その目は完全に僕をロックオン。


 『昼休みから六限目まで、二人で姿をくらませてたって聞いたわよ? 』


 別に初めてじゃあるまいし、隠さなくていいじゃない。そういうお年頃なんだしね。なんて、おばさんはその顔に悪い笑みを張り付けて、とんでもないことを言い出した。


 『どうせ、うちの子から迫ったんでしょ? 』


 そして、この表情になったおばさんは、もはや無敵。


 『そっちから襲うことはないもんね。うちのバカ娘のこと大切にしてくれているの知ってるから。あれでしょ、こういう女の子のことを今は肉食系って言うのよね。あはは、知ってる? 最近の少女漫画って過激なんだから。あんなのアタシ達の時代なら立派なエロ本よエロ本。確か先月号だったかしら授業をサボって、みたいなシーンがあって。アタシ、今日の学校からの電話で、すぐにピンときちゃったわよ。そんなの毎月欠かさず読んでるもんだから、大胆というかバカというか、昨日の晩といい、今日といい、イヤね~、この子おぼこのフリしてムッツリなんだから、もうほんとスケベでごめんなさいね~』


 まるで息継ぎをしないかのような、そんなマシンガントークが火を噴いたのだから、僕らとしてはたまらない。


 『あは、あはは』


 その間、誤魔化すように笑ってはみたモノの、僕は今、いったいどうすべきなのか。途中からアイツが僕の両耳をガッチリと手で塞いできたもんだから、全部は聞こえなかったんだけど、隣にある彼女の今にも泣きそうな真っ赤な顔と、熱を持った手のひらの震えから大体の内容は理解できた。

 何というか、非常にいたたまれない空気に、心が痛い。

 最後には、『もう無理っ! 』と大声をあげながらアイツが家の中に駆け込んでしまったから、そこから先、彼女がどうなったのかは知らないのだけど、――僕が、家を後にしようとしたとき、おばさんが言ったんだ。

 いつもみたいに優しく微笑み、僕の頭を優しくなでながら。


 『あの子、きっと世界一の幸せ者ね』


 でもね、とおばさんは言葉を続けていく。


 『もし、どうにも我慢できなくなったとしても、それでも、どうにか我慢しなきゃダメよ』


 我慢できなくて、大切な人に死ぬほど苦労させているバカを、アタシは知っているから。

 そう、唇を笑みの形のまま、


 『……アタシの知り合いに、大金持ちのバカ娘がいてね。世間知らずの箱入りで、そんな子に、どうしても結婚したい人が出来たのよ』


 おばさんは、呆れたように溜息をつくと、ポツポツとまるで懺悔するかのように誰か知らない人の話をし始めた。

 急に、どうしたのだろうと訝しんだものの、そのアンニュイな雰囲気が妙に気になってしまって。――なんでも、その子が恋慕した相手は、新聞配達をしていた苦学生。


 『夕刊時にね。はじめは、たまに会話をするだけだったんだけど』


 ――素敵だったんだね。


 僕の問いかけに、おばさんは頬をほころばせた。


 『早くにご両親を亡くして、お祖父さんに育ててもらったって。今は遠くでひとりだけど、学費まで負担をかけたくないって』


 早くじいちゃんに楽させたいんだ。

 そう言った横顔がかっこよかったのよねと、その時にはもうメロメロだったようで。

 えらく熱の籠もったおばさんの人物評価に、薄々気づくところはあったけど、とにもかくにも少女からの猛アタックの末に、晴れて恋仲になったらしい。

 当然、両親はいい顔をしなかった訳で、何でも決められた婚約者もいたっていうんだから本当に上流階級のお嬢さんだったのだろう。


 『なにが婚約者よ。二回りも上のおっさんよ? 合うたびにいやらしい目つきでジロジロと、上から下までなめ回すように見るんだもの。キライでたまらなかったわ。……って彼女が言ってたわ』


 苦々しげに、まるで記憶を振り払うようにおばさんは頭を振った。

 そして、2年ほど経ったある日、いよいよ結婚の話が本格的に動き出したから、ちょうど彼の就職が決まったタイミングでもあったし、


 『その子が18の時、無理矢理、既成事実を作ったのよ』


 要するに、彼を押し倒したのよね。バカよねと、おばさんは自嘲気味に笑った。


 『彼は、きちんとキミの両親に認めてもらおうと、それからだと言ったけど、バカ娘の方が、どうにも我慢できなかったの』


 だって、両親が彼を遠ざけようとしたんだもん。しかも、あろうことかせっかく決まった彼の就職先にまで何かしようとしてたのよ。そんなの黙ってられないわ。アタシの運命の人に何してくれてんのよって話よね。

 それに、……あのとき彼の前ではじめて泣いちゃったの。

 と、ここまで言って、


 『あ。大金持ちのバカ娘の話よ? 』


 僕は、気づかないふりで苦笑い。

 あとはなし崩し的に、あれよあれよという間に勘当と相成ったらしい。眉唾物だったが、その手の人たちは本当に世間体を気にするのだろう。着の身着のままで紙くずを捨てるようにポイだったみたいで。


 『まぁ、そう仕向けたわけだし、半分駆け落ちみたいなもんよね』


 跡継ぎなら優秀な兄様が居たし、こんなことなら少しばっかり金庫の札束をちょろまかしとくべきだったわね。と、おばさんは愉快そうにカラカラと笑った。

 僕は尋ねた。それからどうしたのと。だって、そんな若者が、親の支援もなしに生活していくのは相当な努力が必要だ。まだ高校生の僕にだってわかる。それは、生半可なモノでは無かったはずだ。


 『苦労……は、しなかったかな』


 途中でわずかに言葉が切れたが、でもそうねと、おばさんは遠くを見るような目で頬をかいた。

 彼のおじいさんがとてもいい人だったこと、さらに、隣の夫婦が世間知らずな自分たちをまるで本当の家族のように世話してくれたこと。そして、


 『だって、彼がアタシの分まで全部、今もまだ、苦労してると思うから』 


 だから、と少し反省したような笑みのあと、おばさんは僕の背中を叩いた。


 『というわけで、おばさんは、お隣の男の子を信頼しています』


 あの子があんまりワガママを言うようだったらすぐ言ってね、アタシがひねりつぶすから。と、そう本当に嬉しそうに笑いながら言ってくれたんだ。

 僕はただ、はい。と一言だけ。

 そうだ、確かにそうなんだ。世の中、惚れた腫れただけで生きていけるほど甘くない。それこそ、本当に大切な相手の事を考えるなら、しっかりとした生活を営んでいけるよう、計画し、それに向けて努力していくことが大切なのだ。一瞬の快楽に左右されてはダメだ。漫画やアニメ、ドラマや映画の世界ではないのだから、ひとつのサバ缶をふたりで仲良く分け合いました。そんな美談は、現実の世界では通用しないのだ。

 考え混む僕を、なにやら嬉しそうにそして満足げにおばさんは見つめてきて、


 『男はね、好きな相手の前では格好つけなきゃいけないんだって』


 愛しの彼の口癖なのと、もう一度、照れくさそうに笑った。



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