第22話 僕は、やっぱり彼女が愛しくて、辛い。 ②




 校門までの道のりを、彼女が僕の腕を抱いて歩いている。鼻歌を歌い、目が合うたびに花が咲いたような笑顔を見せてくれるのだから、心底惚れている手前、それは非常に喜ばしい。

 喜ばしいことなのだが、


 「ぐぅっ」


 脇腹に彼女の肘が当たるたび非常に頼りない声を漏らしてしまう。


 「何、変な声だして? 」


 男のくせに情けない声を上げるもんだから、こちらを向くアイツも、可愛い顔を心配の色で染めた。


 「別になんでもな――」


 「――えいっ」


 いつものことながら、僕の言葉なんて、ちっとも聞いちゃくれないのだろうね。ふざけるように、彼女の人差し指が僕の脇腹を軽く突く。

 平常時ならくすぐったいで済むのだろうけど、予告なしの攻撃は的確に僕の弱点を襲い、身体は悲鳴を上げた。


 「いや、全然、痛くない……です」


 「うそじゃん。めちゃくちゃ痛いって顔が言ってるわよ」


 僕ってヤツは、やはり彼女に隠し事なんて出来ないのだろう。

 このケガの事は、なんとしても隠し通す予定だったのに、右の脇腹が酷く痛んで仕方ないのだ。

 激痛が身体を走る度、歯を食いしばり、どこ吹く風――平気の平左を装う腹づもりだったけど、痛いものは痛い。

 やはり今更だけど、全ての原因であるあの上級生に文句の一つでも言っておくべきだった。

 名誉の負傷といえば格好もつくのだが、結局場を収めたのはあの大きな先輩なのだから、僕のやったことに一体何の意味があったのかわからない。そんなもの自業自得じゃないかと、柄にもなく格好つけてしまったせいだと、そう言われればそれまでなのだけど。

 我ながら無様な幕切れだったと反省している。だからこそ、この事をこいつに知られたくないのだ。

 なんせ、格好良く女の子を助けに行って逆にボコボコにされて帰ってきたとあっては、きっと腹を抱えて笑い転げるに決まっている。息も絶え絶えで僕の顔を指差しながら、どれほど己が格好悪い事をやったのか、理路整然と小一時間かけて嘲笑され続けるだろう。

 額に滲むこの汗は、はたして痛みだけが原因なのか。

 いや、考えなくてもわかる。

 冷や汗とも脂汗ともとれるイヤな汗を滲ませながら、悲しい顔で、少しくらい褒めてくれても良いじゃないかと口ごもる、そんな未来しか見えてこないのだから、決してコイツには知られるわけにはいかないな。

 腹の痛みが余計に増した気がするし、なんだか自分が哀れに思えてきた。

 だがもしも、もしもだぞ。少しでも言い訳させてもらえるのならば、今にも涙を落としそうな子が、強引に校舎裏へ連れて行かれたのを見て、黙っているなんて僕には出来なかった。と、これだけは言わせてもらいたい。

 ただ、いつもならもっと上手くやっただろうし、今日はどうにも勝手が違ったというか、要は、いつも以上にイラついてしまっていた。

 今更言うまでもないが、僕の幼馴染みはモテる。

 ひとたび街へと繰り出せばナンパされっぱなしである。お前先日断られただろうが。そんなヤツさえも日をあらためて再挑戦してくる。そういう子の隣にいるのだから、この手の相手を躱すのは慣れっこなのだけど、昨日の惨劇も手伝ったのだろう。思いどおりに行かない自分の恋愛を、泣きそうな女子生徒に重ねてしまったのかもしれない。

 まったく、あのチャラついた上級生め。力一杯に蹴りつけやがって、骨でも折れていたらどうしてくれるんだ。もしそうなら、校内で起きた暴力事案だからな。いよいよ大問題に発展するかもしれないぞ。こうみえても進学校だし、アンタの退学だってあり得るかもしれないんだからな。

 そうなると、お互い後味が悪いのだから今度からは暴力に訴えるのだけはやめて貰いたいものだ。


 ――ちょっと見せなさいよ。


 なんて、唐突に往来のど真ん中で僕のカッターシャツをまくし上げようとするもんだから、その手を「やめろ、痴女」と押さえ込む。


 「だれが痴女よ。良いから見せなさいっての」


 「いや、僕の裸なんて誰も喜ばないから」


 「別に誰も見ちゃいないわよ。ほら、おとなしくなさい」


 「きゃー! だれかー! 」


 「うっさい! 周りが勘違いしたらどうすんのよ! 」


 失礼しちゃうわね。なんて、彼女はふくれっ面のまま、抵抗する僕の腕を払いのけた。そして、


 「……どうしたの、これ」


 真っ赤に腫れた僕の脇腹を見て、可愛い顔を凍り付かせたのだ。

 恐る恐る僕のケガに手を触れるもんだから、またもや痛みが体内を走り、


 「痛って! 触んな、ばか! 」


 「ふぇぇ、アンタこれ、……すごいことになってんじゃないの」


 私は今とても心配しています、いったいどうしたものか。と、その表情は語っていた。


 「え、ちよっと、どうしよう。骨とか内臓とか、問題ないわよね……」


 どうだろう。いきなり血を吐いて転げ回るほどではないが、痛いことは痛い。

 僕は、もう気は済んだろうと、患部に触れないよう、はだけたシャツをズボンに押し込んだ。

 隣では、ゆっくりと眉をつり上げながら、彼女が不機嫌さを隠そうともせず睨みつけてきて、


 「……説明しなさい」


 せっかくの美人が台無しだ。


 「ちょっとぶつけただけだよ」


 「はぁ? 」


 我ながら、苦しい言い訳だ。しかも、勘の良い彼女の事だ。幼馴染み歴も腐れ縁の域に達しているからな、当然、僕の都合の良いように騙されるはずもなく。

 彼女は耳にかかる髪を払うと、僕を断罪するかのように目を細める。


 「……あのさ、アンタがそう言うならそれで良いんだけどね。でも、もしも」


 彼女はそう前置きをすると、一時、黙りこくってしまった。

 いやはや、一体全体どうしたことだ。いつもとは違う幼馴染みの雰囲気が、大いに僕を混乱させる。

 てっきりコイツのことだから、このケガの理由を根掘り葉掘り聞いてきて、いかに僕が駄目なヤツか、笑い混じりで講釈をたれてくると思っていたのだが。

 でも実際は、僕の目を射貫くように見つめ続けており、そのあまりの眼力に、こちらも目を離せそうにない。

 まだ下駄箱のある昇降口から十数メートル。校門まではまだまだ距離がある。そんな場所で、こんな雰囲気を醸し出しているのだから、抜き去る生徒たちから、思い思いの声が風に乗って聞こえてくる。


 『えー、修羅場じゃん。彼女めっちゃ怒ってっけど、うける』


 『美人に悪いヤツはいない。よって、あの男が悪。ざまぁ、男だけ不幸になれ』


 『浮気? 浮気? 』


 『あんな可愛い彼女いるのに浮気とか、一周回ってスゲぇな』


 どうやら聞こえた内容から鑑みるに、僕がクズな浮気男に見えている人がとても多いようだ。

 それについては甚だ遺憾である。

 今まで僕はコイツ一筋だし、これから先も、間違っても他の誰かに心移りなんてしやしない。またどこかで疑われても癪だから、まだまだ言いたいことは山のようにあるが、それよりもまずは、僕とコイツが恋人同士に見えている方々に、心から感謝の言葉を送ろう。

 誰かは知りませんが、そう見えたのならありがとう。つい昨日、玉砕し粉々になった心に染み渡――


 「――ニヤついてんじゃないわよ」


 「はい」


 ドスのきいた声に、彼女の感情が乗っていた。僕を諫めるような声色に、反射的に背筋が伸びたのは仕方のない事で。

 そして、彼女は僕のネクタイをつかみ、引っぱるのと同時に顔を寄せてきた。


 「……何で、アタシが怒っているかはわかるわよね? 」


 僕よりも少しだけ低い位置で、薄い唇が震えている。


 「だから、ぶつけた――」


 「――もし、アタシのお腹に大きなアザが出来てたら、アンタどう思う? 」


 その言葉に、瞬間、息が詰まった。

 そんなもの考えるだけでもゾッとする。コイツがケガするなんて、まさかそんなとんでもない。全身の血が凍るような錯覚に襲われてしまう。

 でもそこで、ようやく僕は彼女の感情を理解した。

 転んだとかぶつけたとか、そういう失敗なら笑いもするし、小馬鹿にもする。だけど、異性とはいえ、小さい頃からずっと仲の良い間柄である。そんな、家族と同じくらい付き合いの長い相手が、腹に大きなアザを作っているのだから、目の前のコイツが、こんな顔するのも当然の話。


 「……心配する」


 そう答えた僕の頬を、彼女はパチンと軽くはたいた。頬に当たる彼女の手のひらから、じんわりと体温が伝わってくる。

 やはりコイツは、僕が誰かに危害を加えられたのだと、薄々感づいているのだろう。

 彼女の目は――どうせ、危ないことしたんでしょう。わかってるんだからね、と――僕を離してくれそうにない。

 昔から、コイツが何も言わずに頬を軽くはたくときは、僕を諫める時と相場が決まっている。

 小気味のいい音はしたが、特段痛くはない。そんなことよりも、彼女が自分を心配してくれているという事実が、僕にとってはとても嬉しくて。


 「次、アンタがまた同じようにケガしてきたら、アタシ、暴れるから」


 「それはダメだよ」


 「あら? どうして? 」


 アタシの勝手でしょ。そう、彼女が試すような声色で聞くもんだから、僕は素直に答えた。


 「心労で僕が倒れる」


 それこそストレスで血を吐いて、そのまま地面に横たわるかもしれない。

 でもこれではっきりとした。やはり今日の事はコイツには内緒にしておくべきだろう。もし、あの上級生がしたことを知ってしまえば、きっとこの幼馴染みのことだ。相手の教室に乗り込んで、見事な報復をかましてくるだろう。

 僕の事を手のかかる兄弟のように思っている節があるからな。仇討ちするかのように二、三発キツいのをお見舞いしてきそうだ。

 そうなればあのバカな上級生のことだ、彼女に手を上げることも十分に考えられる。ただそんな事になってみろ。その時、僕は僕でいられる自信がない。

 絶対に今日の事は隠し通そうと心に決めて、ネクタイをつかんだままの彼女の手を両手で包む。


 「危ないことはダメだ」


 ……もしそのせいでお前がケガしたら、僕も暴れるぞ。


 「はぁ? いっつもアタシにばっかり危ないことするなって言うけど、アンタは全然守って――」


 「――好きだからな。仕方ない」


 僕はお前の事が好きなんだから、仕方ない。

 本当に、前後の文脈なんてお構いなしの、我ながらヤバいことを言っている頭のイカれたヤツだと思う。

 でも、僕の気持ちは全て彼女に伝えてある。

 言えと言われれば何度でも言おう。お前に対する、僕の発言も行動もおまえの事が好きだからだ。

 とんだ危ないヤツだよな。ストーカーが考えるような危険思想スレスレの低空飛行である。でも、それ以上の理由を僕は持ち合わせていないのだから仕方が無い。

 きっと、明日の今頃には、新しい誰かがこれから先のお前を守ってくれることだろう。でも、たとえそうだったとしても、僕はきっとこれから先も、ずっとお前の事が好きだから、好きで好きでたまらない、この目の前の幼馴染みのために考え行動するだろうから。

 もちろん迷惑だと思ったんなら言ってくれ。フラれた分際で彼氏気取りかよと、不快に思ったのなら言ってくれ。

 消えろと言われれば、即座に目の前から消えるし、悲しいことだけど、二度と会わないよう努力する。

 これだけは約束する。僕はお前の嫌がることをするつもりはないのだから。


 ――そんな僕の心の声が、少しは届いたのだろうか。


 彼女は、先ほどの僕の発言を飲み込むかのように頷いて、ネクタイを離すと、


 「ふーん、へぇ、そうなんだ……」


 笑っているのか怒っているのか、実にへんちくりんな顔のまんま、手を後ろに組んで、くるり――背を向けた。

 背中まである綺麗な黒髪と、膝裏にかかるスカートが、夕日を纏いながら、ふわりと広がる。


 「……好きだから心配してくれるの? 」


 少しだけ尖らせた口のままチラリと横顔だけを見せて、「うん」と頷く僕を確認すると、


 「なら、今回はこれで許したげる」


 僕の一番好きな表情を見せた。


 ――やめてくれ。僕はごまかすように目線を切った。


 見ていられない。その、彼女のこぼれんばかりの笑みが、まだ塞がっていない僕の心の傷を広げていくのだから。

 あぁ、痛む胸から、ドロドロとしたものが溢れて仕方ない。この痛みに比べれば、脇腹の痛みなどたいしたものではないじゃないか。

 所詮僕なんかには、友愛の笑みしかくれやしないことはわかっている。だけど、それでも、あの笑顔に親愛の情を感じてしまうのは、――きっと僕の弱さだろう。

 それは勘違いなのだと、昨日、嫌というほど思い知ったくせに、僕という奴は、つくづく情けない生き物だ。

 そんな僕の心情などアイツにとって心底興味のないことだろう。我が愛しの幼馴染みは何が嬉しいのやら、鼻歌交じりの上機嫌でステップを踏むかのように先へ先へと歩いて行く。

 だけどあの調子なら、どうやら今回の件はこれで治まりそうだ。

 もとはといえば僕が原因なのだから、エラそうにとやかく言えはしないのだけど、それでも今日のところはなんとかなった気がする。

 これ以上話が拗れると、いよいよ収拾がつかなくなってしまうだろうし、最悪の場合、これをきっかけに、『さよなら。もう会うことはないでしょうね』と、絶縁状をたたきつけられるかもしれない。

 少し大げさかもしれないけれど、何度でも言おう。僕は、コイツに嫌われたくない。この、幼馴染みという場所だけは失いたくないのだ。


 ――だけど、忌々しいことに、災厄というものは『ここぞ』を狙っているもので。


 彼女の後ろ姿をゆっくりと追いかけながら、心の底から安堵していると、その災厄が僕の肩を叩いたのだ。

 『がはは』と笑い声を上げ、


 「おう! なんだ、さっきの可愛いのとは違うの連れてんじゃねぇか! 」



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