第21話 僕は、やっぱり彼女が愛しくて、辛い。 ①




 委員会の活動を終え下駄箱に向かうと、茜色だった空は少しだけ遠くに紫が混ざり始めていた。

 もう4月だというのに、日が落ちると一気に肌寒くなる。いつもより風が冷たく感じるのは、先ほどの諍いが原因かも知れない。

 さすがにぐったりした。本当に酷い目にあった。

 初めて会った人間に対し、突発的に頭にきたとはいえど、あれほどまで簡単に暴力が振るえるものだろうか。スキンシップなどではない過剰な暴力に、殴られ、蹴られた部位は涙が出そうなほどに痛む。

 あまりにもボロボロな身体の状態に、半ばサボるようにして委員会活動を抜けてしまったが、やっぱり保健室に寄ったほうが賢明だったろうか。

 でも、明らかに危害を加えられたとわかるケガでは、保健室の先生は黙っていないだろうし、僕もこう見えて男だ。一方的にボコボコにされたなんて恥ずかしくて言えるわけがない。

 これは、ある種の泣き寝入りかなと、そう思う。

 でも、マンガやアニメじゃあるまいし、苛烈に人を攻撃できる人間はまともではないだろう。しかも、明らかに暴力を振るった側に非があるというのにだ。

 いつもなら、あの手の人間とはあまり関わり合いにならないように立ち回るのだけど。……でも、今回ばかりはそうも言えなくて。

 それは、どう見ても無理矢理だった。

 委員会活動の途中、ふと目にした光景は胸くその悪いもので、一人の女子が力尽くで校舎裏に引っ張られていくというとんでもないものだった。

 とっさに辺りを見回して助力を願ったが、いつもは生徒でごった返しているはずなのに、こんな時に限って残念なことに猫の子一匹おらず、もたもたしている間に何かが起きてしまっては駄目だと、僕は駆けだした。

 あんな泣きそうな女の子を見て、我関せずと知らんぷりできる男なんてそうはいないだろう。ただ、鼻息荒く乗り込んでみたモノの、結果としては見事なまでの返り討ち。あの大柄の上級生が現れなかったらどうなっていたことか、ほとほと自分の無力さを痛感してしまう。


 「なーに、難しい顔してるのよ」


 きっと、気づかないうちに苦い顔をしていたんだろう。僕の手を握り、支えにしながらローファーのつま先で床を鳴らすと、我が幼なじみはそう一言。

 こちらの表情に何かを察したのか、おもむろに目の前に立ちはだかり、


 「景気の悪い顔してるとね、幸せが逃げちゃうらしいわよ? 」


 笑えと言わんばかりに、僕の両頬を引っ張って遊び始めたのだ。こちらも負けじと、黙って彼女の両頬を軽く押しつぶす。

 下駄箱の入り口で、お互いの頬をいじってじゃれ合うふたり組。端から見れば、なにか怪しげなまじないの一種に見えるかも知れない。

 ほら、さっき一生懸命お前に声かけていた男子なんて、すれ違いざまに殺し屋のような表情をしていたぞ。「……家でやれや、クソが」なんてボソリと言っていたが、人によっては意味不明すぎて不快に感じるようだ。

 確かに、突発的なその行為に意味があるのかはわからない。だが、少しでも僕の気を晴らそうとしているのなら、大正解だ。


 「どう。元気出た? 」


 自分でもわからないうちに、顔がほころんだのかもしれない。

 彼女は満足げに僕の手を自分の頬に押しつけて、まるでひなたぼっこをする猫のような顔をするのだ。形の良い目を嬉しそうに細める、そんな顔を見て、いつまでもへそを曲げ続けられる僕ではない。


 ――今日こそは先に帰ったもんだと思っていたんだけどな。


 散々だった委員会活動を抜け、心身共に疲れ切った僕を出迎えてくれたのは他でもない幼馴染みの女の子だった。

 はじめは、遠く昇降口の所にどこかで見たような子がいるなと思った程度だった。両手で鞄を持ち、どれくらいその場所で待っていたのだろう。愁いを含んだ表情と、誰かを待っているような佇まいは、差し込む橙色の光を浴びて、キラキラと輝いて見えた。

 それは、外履きへと履き替える生徒たちの目を釘付けにしてしまうほどで。

 そして僕は、その姿に心当たりがありすぎて、――笑みがこぼれた。

 まぎれもない、それは僕の大好きな幼馴染みだったのだから。

 もちろんすぐに声をかけようとしたのだが、世の中には空気の読めないヤツというのはどこにでもいる。

 ちょうど今、どこかの男子生徒が彼女に声をかけたのだ。当の幼馴染みは、困ったように愛想笑いを見せている。何を話しているかまではわからないが、遠慮がちに何かを断るようなそぶりが見て取れる。だが、男の方もなかなかに食い下がるようで。

 まぁ、こんなに可愛い子がいるんだ。お近づきになろうと努力するのは、男子高校生としては健全な訳で。なにせ自慢の幼馴染みだ。この男の見る目もたいしたものだと思う。

 だけど、さっきの最低男の件も相まって、こちらとしてはアイツが困っているのを1ミリたりとも見過ごせようもなく。

 僕はわざとらしく、周りに聞こえるよう彼女の名を読んだ。

 名字ではなく下の名を、もちろん敬称なんてつけるはずもなく、フランクに呼び捨てた。

 お前の彼女でもないくせに、ただの幼馴染み風情が偉そうに。と、笑いたければ笑え。我ながら独占欲の強い奴めと嫌気がさしている所だからな、その言葉は甘んじて受けよう。

 だけどな、僕と目が合うや、瞳を星のように輝かせ、はにかんだ顔で小さく手を振るもんだから、昨日あれだけ完膚なきまでにフラれはしたが、やっぱり僕はコイツのことが好きなのだと胸が熱くなる。

 この瞬間に、今まで以上に惚れ直したのは言うまでもない事だろう。――でも、


 「アンタの手っていつも温かいわね」


 ……でも、そんな彼女は明日、僕の知らない誰かに告白する。


 今、僕の頬に手を当てて、嬉しそうに微笑む彼女は、こんな冴えない男ではなく、別の誰かに熱く恋をしているのだ。


 「お前の手はいつも冷たいな」


 泣きそうな、僕の心情ほどでは無いけれど。


 「あら。手の冷たい人は心が温かいのよ? 」


 「なら僕はさぞかし冷血な人間だろうな」


 情けなくも僕が少し拗ねたような態度をとると、


 「わかってないわね」


 はんっと、彼女は鼻を鳴らす。


 「アタシが温かくなれば良いの。それに、誰にでも温かい人間なんて不気味だわ」


 八方美人は嫌われるのよ。いつか勘違いする子が出てきても知らないから。

 彼女はそう言うと、イタズラが見つかった小学生のように、にひひと笑った。



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