第23話 僕は、やっぱり彼女が愛しくて、辛い。 ③




 ――数メートル前を行く、彼女の足がピタリと止まる。


 まずいまずい、非常にまずい!!

 せっかく話をうやむやに出来るところまでいったのに、この人が登場するとなれば、きっと彼女が興味を示す。

 そうなるとまたもや話を蒸し返されて、校舎裏であったことが白日のもとに晒されてしまいかねない。ともすれば、幼馴染みという名の暴風がいよいよもって猛りだしてしまう。

 背を向け続ける彼女の方から首筋に妙な冷気を感じながらも、急いで僕は声の主へと顔を向けた。

 190近くあるのではないだろうか。僕の脇腹がやられる原因となった事件。それを解決し、救ってくれたその人は、僕より一回り上の方で、とびっきりの玩具を見つけたような顔をしていた。


 「……さっきはありがとうございました」


 「おう、気にすんな。あのバカ野郎、軽ぅくセッキョーしてやったらもう二度としないってよ。――それよりも、」


 上級生は僕の肩に手を回し、頭突きでもするかのように顔を寄せてきた。


 「――どっちが本命だ? 」


 ニヤニヤと、イタズラを見つけたぞといわんばかりである。

 何の話だろうと思ったが、あぁ、さっきの校舎裏の女子の事を言っているのか。


 「やるじゃねぇか色男。なるほど、お前みたいなのが女子にはモテんだなぁ」


 空いた手で僕の胸を雑に叩く。きっと手加減しているのだろうけど、力が有り余っているのだろう。思わずむせてしまう。

 わるいわるいと、先輩はガハハと笑った。


 「まぁ、見りゃわかるか。あんなイチャイチャしてんだもんな、あそこにいるカワイ子ちゃんがお前の彼女なんだろ? 」


 先ほども行き交う生徒に勘違いされたが、やっぱり周りからはそう見えるのだろう。この先輩も御多分に漏れず、あの距離感は友人ではない、恋仲でなければありえないと、そう言いたいのだろう。でも、


 「……だと、良いんですけどね」


 胸の中にどんよりとモヤがかかる。つい今し方、あらためて彼女との悲恋にヘコんだばかりなのだから、タイミングが悪い。

 きっと面白い話でも聞きたいのだろうけど、申し訳ない。ニヤつく先輩には悪いが、僕はもうこいつにフラれているのだ。それこそぐぅの音も出ないほど、完膚なきまでに。


 「んだよ、歯切れ悪ぃな。ったく、まだ告白してないってオチか? 」


 ――しました。


 「あのなぁ、あんだけの美人、モタモタしてっと別の男に持ってかれるぞ? 」


 ――明日、その別の男に彼女は告白します。


 「男ならよ、こう、恥ずかしいとか考えねぇでバシッと愛の言葉を決めれば良いのよ! 」


 ――決めました。そしてキレられました。危うく幼馴染みの縁を切られるところで

した。


 先輩はきっと、心からのアドバイスをしてくれているのだろう。見てくれは厳ついが、校舎裏での助太刀の件もあるし、この面倒見の良さからもわかるとおり、好人物だということは理解できる。

 だけど、その抜き身のアドバイスは、優しさという破壊力を持って、僕の心に極太の言葉の矢となり突き刺さる。

 なんせ、今までの彼女との日常も今日限り。時間にして、あと24時間もないだろう。

 日付が変わり、彼女が行動に移せば、きっとこの関係が今まで通りといかない事は火を見るよりも明らか。

 彼女の告白が上手くいかなければ、なんて考えもするが、見てくれ一つとっても、どこに出しても恥ずかしくない幼馴染みである。こいつのフラれる姿なんて、どうやっても想像なんて出来やしない。

 そもそも、アイツが悲しむ姿を見るなんてゴメンだ。ボロボロに傷ついた泣き顔なんて、死んでも見たくない。でも、そう気丈に振る舞ったところで、今までのように隣にいてほしいというのも本音なわけで。

 僕は一体何をどうしたいのか。どうなって欲しいのか。それは、ただのワガママなのではないのだろうか。もう、訳がわからなくなってきた。

 自分自身、昨日一晩かけて、この気持ちにはある程度整理をつけたつもりではいた。いたけれど、――今日の朝、そしてついさっき。

 触れ合った身体から伝わる体温と、こちらに合わせ、コロコロと変わるその愛らしい表情に、――もしかすると、はっきりフラれたせいなのかもしれない。

 僕の腕を抱いてくれた彼女。

 僕の問いかけに、楽しげに答えを返す彼女。

 僕の目を見て、大輪の笑顔を咲かせる彼女。

 今までよりも、彼女の一挙手一投足に胸を高鳴らせ、同時に狂おしいほど胸を痛めているのだから、始末に負えない。

 以前よりも、より一層彼女の魅力に心をわしづかみにされてしまったようで、本当に、たちが悪い。

 何度、彼女を抱きしめてしまいそうになったことか。何度、涙が溢れそうになったことか。

 でも、コイツの事を考えれば、僕の行動の全ては邪魔にしかならない。

 そんな、身勝手で独りよがりな気持ちの悪い自問自答を繰り返し、悶々とうなり続けているのだ。

 でもそれも、あと一日もない。

 僕の『いつも』から大好きなあの子が姿を消す。そのタイムリミットがもう明日と迫っているのだから。

 僕は、やっぱり泣きそうなほど辛くて、気が狂いそうなほどに苦しくてしかたがない。


 ……少しの沈黙の後、先輩も黙りこくる僕から何か感じたのだろう。


 「って、お前まさかよ……あぁ、まじか。その……スマン……」


 言いよどみ、どんな顔をして良いものかと悩む先輩に、僕は何も言わずに首を振った。その時見せた精一杯の笑顔には、きっと悔しさや悲しさが滲んでいることだろう。


 「で、でもよ。女子ってそういうものなのか? 好きでもないヤツにそんなベタベタ出来んのかよ? 」


 不意打ち気味に来たこの重苦しい空気には、流石の先輩も戸惑っているようで、信じられないと言いたげな、どこか焦った声だった。


 「……たぶん、友人として接しているんです」


 そう。それが男と女の友情に対する考え方の違いだと、僕は昨日一晩かけて結論づけたのだ。

 教室の女子同士のスキンシップを見ていればわかる。あんな気軽に抱きついたりだとか、男子同士では間違ってもやらないだろう? でも女子同士なら違うのだ。


 「な、ならさ、あのよ、例えばだぞ。例えば仮に、帰るとき手を繋ぐのは――友情か? 」


 なにか思うところでもあるのだろうか。急に何を言いだすかと思えばそんなこと、僕に言わせれば、こう答えるよりほかにない。


 「……手を握るとか、ははは。毎回のように腕を組まれて、僕は勘違いしましたよ」


 だから、向こうは女性同士の延長線でじゃれてきているのだ。

 確かに相手側も、異性だという認識が甘いのは問題だと思う。だが、それだけ近しい間柄だという証明でもある。重要なのは、それが友情なのか愛情なのか。そこを勘違いして暴走した結果が今の僕ですが、何か?

 死んだ目の乾いた笑いを前にして、先輩は声にならない声を出すと、顔に手を当てて天を仰いだ。だが、すぐに自分の頬を数回叩くと、意を決したような顔で、


 「じ、じゃぁ、ことあるごとに特定の男にちょっかいをかけてくる、というか、世話を焼くのはどうだ」


 「世間一般的に、好きな子に意地悪なおせっかいするのは、男子の方なのでは」


 小学生の時、そういうバカなヤツは星の数ほどいた。彼女が本気で嫌がって、助けを求めてきたのは一度や二度じゃなかったのだから辟易したもんだ。


 「で、でもよ」


 「もう高校生ですからね。女子の大半が、それで愛情表現をすると考えるのは難しくないですか? 」


 男子は高校生になってもバカで汚いクソガキだけど、女子は精神的に早熟だと聞いたことがある。もっと計算高く行動しそうだし、何よりもそんな彼女たちが、好きな人に嫌われるような事を進んでしないと思う。


 「……マジか」


 「たぶん、その男子が単純に目につくんだと思います。そういう人を見ると黙っていられないんでしょうね。なので、女子の方は俗に言う委員長タイプってやつじゃないかと」


 優等生とでも言おうか、曲がったことが嫌いな杓子定規な性格なのかも知れない。

 先輩は、アイツ堅物だし、やっぱそうなのかぁ。なんて、ブツブツと顎に手を置いて、考えこんでしまっている。

 そのうち、何かを思い出したのか、頭の上の豆電球を光らせるように、三白眼気味の目をギラリとさせた。


 「……それなら、毎日弁当作ってくれるのは、さすがに好きだろ! な! そうだと言えよ!! 」


 なぜか僕は両肩を捕まれ、ガクガクと前後に揺さぶられているのだが、凶悪な目をよりいっそう血走らせてまで、この人は何をこんなに必死になっているのだろうか。


 「確認しますけど、これ、仮定の話なんですよね? 」


 先輩の必死さに、なにやら私情が交ざっているような気がしてならないのですが。

 詮索するなと言わんばかりに上級生は三角形の瞳をよりいっそう尖らせて、僕を睨みつけてきた。そして、「んな事はどうでもいいじゃねぇか。それよりも、」と前置きすると、


 「毎日、明日は何が食べたいですかとか聞いてくるし、なぁ、これは脈ありだろうが!? 」


 脈が有るとか無いとか、先輩には悪いがそれはいったん置いといて、この話が本当だとすると、はたしてそんな女子、この地球上いるのだろうか?

 もし、本当に存在して、その子が一切の下心なしでやってるとすれば、もはやボランティア精神が服を着て歩いているようなものだろ。そもそも、


 「毎日弁当って、そんなの、もし好きならとっくに告白してきてるでしょ?」


 「……おっしゃるとおりだよ」


 ――なんと酷い顔をするのだろう。


 まるで、知りたくないことを知ってしまった乙女のような、それでいて呆然とした顔で、先輩は、僕の両肩に手を置いたまま寄りかかるようにうなだれた。


 「告白してこないって事は、別の理由があるとしか思えませんよ」


 「……聞いただけだよ、バカヤロー。……わかってたよ、ちくしょう」


 言い返してはくるが、頭を垂れたままで、言葉の端々が震えているように聞こえる。


 「……はぁ、まじか、だよなぁ、はぁ、ヘコむ……」


 やっぱ上手くいかねぇなぁ。小声でぼそぼそと、何を言っているかまでは聞こえてはこないのだけど、ここでやめれば尻切れトンボ。最後に、僕の意見だけは述べておこう。


 「その子、料理の練習でもしてるんじゃないですか? 」


 数をこなせば、それだけ練習にもなりますし。


 「おう、かもしれねぇな。いや、たぶん、そうだろうな……」


 「ちなみに、目の前のアイツは週末の昼に一緒にご飯を食べる仲ですし、たまに作ってくれたりもするんですけど、ははは。見事にフラれ、その、フラれて……」


 あぁ、……マズイ。

 言葉にすると、自分は失恋したのだと再確認してしまう。声に出すと、同時に涙腺が熱くなって、涙をこらえるのに必死な僕は、言葉を濁すしかなくて。


 「あ、す、すいません、ちょっと、スンマセン……」


 そう言いよどむ僕に、はっと、見上げた先輩の顔は、何というのだろう。まるで、長い間同じ戦場を駆け抜けてきた仲間の、壮絶な最後を看取るかのような、そんな切なさを携えているようで、


 「……諦めんな」


 ふと、僕の頭を大きな手がガシガシと乱暴に撫でた。その行為から、先輩の『泣くな』といった想いが伝わってくるようで、これ以上はいけない。本気で涙を見せてしまいそうになる。

 この人とはついさっき初めて会ったというのに、長い間交友のあった、そう、近所の兄ちゃんのような、そんな感覚に陥る。


 「やっぱよぉ、な~んか、お前見てると他人事とは思えないんだよなぁ」


 多分、似てんだよな。ジタバタ足掻いてるトコとかよ。

 そう呟くと、先輩は僕の両肩に手を置き、二三度、辺りを警戒するかのような動きを見せた。さらに前にいる僕の幼馴染みとの距離が充分開いていることを確認し、


 「……あー、あれだ。何というか、お前だけじゃねぇからよ」


 頭突きのような距離感で、そう小声で話し始めた。そして、


 「笑うなよ? 」


 強面を苦々しくゆがめると、「よしっ! 」見るからに気合いを入れて、とんでもないことを言い放った。


 「オレも、惚れた女がいる。ベタ惚れだ。完全にまいっちまってる。ただお前と一緒でやっぱり絶望的みてぇだ」


 肩に置かれた手から力を感じる。いま目の前の上級生は、ウソをついていない証拠だろうか。

 先輩の独白にも似た言葉は続く。


 「そりゃそうだ、オレは鼻つまみもんだからな。しかも、ヒネくれもんときてるからな、こんなヤツを好きになるヤツなんざそうそういねぇ。上手くいかねぇからって、煙草の量は増える一方だ。でもな、」


 先輩は僕の肩から手を離すと、そのまま僕の胸をゲンコツで叩いた。少し強めのゲンコツは、僕の脇腹に響いて、顔をゆがめてしまう。

 だけど、僕の目は、先輩から離れることはない。なんせ、その上級生は離れざま、さっきまでの豪快な笑い方ではなく、ニカッと、まるで駄目な弟に手本を見せる兄のように、とても格好良く笑ったのだ。


 「オレは、諦めねぇ。相手にとっちゃ迷惑かも知んねぇけどよ。そう決めた。今決めた。お前が俺の腹を決めさせたんだ。負けるもんかってな。だから、お前も諦めんな」


 本当に、格好いい人だと思う。きっとこういう人が、目の前の困難を軽々と乗り越えていくのだろう。そして、自分の将来を良い方向へと勝ち取っていくのだろう。


 「でも」


 だけど、――僕は先輩ではない。逆立ちしても、目の前のこの人みたいにはなれそうにない。

 ヒトの性根はそう簡単には変わらない。それと一緒で、一度、捻れて潰れて泣き濡れた心は、すぐには元の形には戻らない。


 「彼女は他に好きな人がいるみたいだから」


 僕の口からは、情けない声がこぼれた。先輩の言うことはわかる。慰めてくれていることも、勇気をもらっていることも、その全てが今の僕にとってはありがたい。

 僕も諦めたくはない。彼女の一番になりたい。その一点だけは揺らがない。だけど、でも、それは、結局彼女に迷惑をかけてしまうだろうから。


 ……あれだけやかましかった生徒たちの喧噪も、今は聞こえてこない。


 「僕は、アイツの嫌がることだけはしたくないから、だから……」


 ……聞こえてくるのは、情けない負け犬の遠吠えだけ。


 「――おう。それがどうした」


 僕の消えそうな言葉の後、先輩は大きな溜息をはいた。


 「どうって」


 またそれを、僕の口から言わせるのかよ。


 「――大事な女、横から盗られてテメェはそれで良いのかって話だろ? 良いのかよ、それで」


 「だから、それは」


 違う。良いわけない。でも、そうじゃない。僕は、


 「それとも、そいつらの事を影から覗くのが趣味か、だせぇヤツだな。呆れるわ」


 頭に血が昇る感覚。

 その台詞と、その哀れんだ顔が、的確に僕の触って欲しくないところを掻き毟った。――多分この人は、僕の堪忍袋の位置を知っている。


 「そりゃあ、好かれねぇよ。なんだそりゃ、――気持ち悪りぃ」


 そして、最後の言葉で、ふっと腸が煮えくりかえった。

 案外、怒りの感情は制御弁が緩く作られているのかもしれない。もしくは、怒るきっかけなんて意外とこんなものかもしれない。

 並くらいはあると思っていた感情の器はわりと小ぶりだったみたいで、気づかぬうちに表面張力で耐えていた溜まりに溜まった鬱憤が、ついに溢れ出てしまった。

 はじめてだった。はじめて目の前が真っ赤に染まる。もうどうしても、何があっても僕は止まれない。


 「あ、アンタに何がわかるんだ。小さい頃からずっと好きなんだ、ホントにホントに好きなんだ」


 「おう、わからねぇ。なおさら諦める理由になってねぇからな」


 先輩は、僕の鼻先に指を突きつけてくる。


 「要は、逃げただけだろ。尻尾巻いてな」


 「違うっ!! 」


 鼻で笑う、その小憎たらしい顔に、このやろう。人の胸ぐらをつかんだのは生まれて初めてだった。

 何が『お前と一緒で絶望的』だ。まだ面と向かってフラれていないくせに、僕らの事なんて何も知らないくせに、物知り顔をするな。


 「やる気か、もやし。腰抜けで泣き虫なのは、惚れた奴の前だけってか? 上等じゃねぇか」


 あぁ、やってやる。結果なんて知ったことか。殴られようが蹴られようが、喧嘩はからっきしだが、コイツの顔面に一発でも喰らわせなければ気が済まない。

 こっちの勢いに乗るように、先輩の目の色も攻撃的に変わる。そして、その大きな手のひらが僕の胸ぐらをつかむと同時。


 「――やめなさいっ!! 」


 誰かが僕の頭を、力任せに引っ叩いてきたのだ。

 初めは、何が起きたのかわからなかった。いきなり後頭部に衝撃を受けたと思うと、首だけ振り向いた先には彼女が立っていて、その切れた息と、青ざめた顔は僕の昇った血を瞬時に凍らせた。


 「黙って見てればいきなり喧嘩売るなんて、何考えてんのよ! 」


 手に持った鞄で、数度、僕の背を叩く。その感触から僕の後頭部はコイツから鞄で殴られたのかと推測できた。


 「ちょ、痛い痛い。やめろって」


 「先輩すみません! この男、バカなんです! 」


 でも良いヤツなんです。許してやってください。ほら、アンタも謝んなさい。なんて、幼馴染みは僕を殴打する鞄を止めようとはしない。胸ぐらを先輩につかまれ、後ろから幼馴染みの鞄攻撃を受ける。身動きがとれないとはまさにこのことか。


 「――んだそりゃ、しらけたわ」


 突然の乱入に興が醒めたのか、僕の胸ぐらを先輩は押すように離した。

 よろめく僕の背を、彼女が後ろから抱くように支えてくれた。横目で見えた幼馴染みのその顔は今にも泣きそうで、でも、僕の身体を抱くその腕は、とても力強くて。


 「あー、やってらんねぇ」


 先輩は、面倒くさげに自分の頭をかきむしると、僕の胸をもう一度ゲンコツで軽く叩いた。「あー」とか「えー」とか言葉を探すそぶりを見せると、


 「あのよ。俺は別にバカにしたわけじゃねぇからな」


 ケンカ売ったわけでもねぇ。俺は、こんなだからよ。先輩はそう言うと、少しの間を開けて、またもやニカッと笑った。


 「まぁ、とにかく諦めんな。俺も頑張るからよ」


 その笑顔から今度もまた、元気をもらったように思う。

 先輩は照れくさそうに、つま先や踵で地面を軽く蹴る。そして、ごまかすように背筋を伸ばし大きく肩を回し、首を回して――何かを見つけたように動きを止めた。

 目線の先には昇降口。ちょうど一人の女生徒が出てくる所だった。背の高い、ポニーテールの女子は、まぶしそうに夕日に手をかざしている。

 そのすらりと長い手足には見覚えがある。確か同じ委員会の人だし、それに、クラスの友人たちが騒いでいたあの、


 「スゲぇ美人の先輩? ――ぐえっ」


 ――僕の両脇腹に彼女の腕が絡まるのと、デカい先輩の手のひらに顔面を捕まれるのはほぼ同時だった。


 「なに見惚れてんのよ! 確かに先輩はすっごい美人だけど! 美人だけど!! よりによってこのタイミングで目移りする!? そーいえば思い出したっ! さっき連れてた可愛い子って誰のことよ! その子と何やってたのよ! そんなの浮気じゃん!! あぁもう! ほんと信じらんない!! 」


 「ぐおおおおぁ……」


 「てめぇの相手はそっちだろうが。いいか? 少しでもアイツに粉かけやがったら地獄見せっからな」


 「ぬあぁぁぁ……」


 あぁもうメチャクチャだ。前後からステレオで聞こえてくる言葉は上手く聞き取れないし、そもそも、脇腹の激痛と、ミシリと砕けそうな頭蓋骨。その奇跡の共演に、僕はそれどころではない。

 僕に出来るのは、せいぜい許しを請うことだけ。


 「す、すんませんでしたぁ、勘弁してくださいぃ……」


 すんませーん……。そんな、僕の断末魔にも似た力の無い叫びは、あの夕日へと、山彦のように消えていった。



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