第2話:三年受け持ち年

桜も新芽を覗かせ始める新学期。

受け持ちのクラスは持ち上がりでいよいよ三年になった。

当校の三年は文系、理系、混合のクラスに分かれる。

おれが担当したのは混合のクラスだった。

見知った顔は三分の一程。あぁまた顔と名前の覚え直しか……と落胆するのはよしておく。

毎年そんなことを思っていてはキリがない。

歴史に残る名だたる人物たちを覚えるように、おれは生徒の名前と顔を一致させていった。

「白井せーんせ!」

新学期初日はホームルームのみ。教室を出て廊下を歩いていると、背後からおれを追い掛けてきた高音のユニゾン。ゆっくりと振り向けば、三人の女子生徒。どの顔もこの三年間面倒を見てきた顔だった。

「三年間白井先生皆勤賞ー! 凄くないっ?」

「凄い、のかなぁ」

「運命だよ運命! あたしたち白井先生が学年で一番好きだからめっちゃ嬉しくてー!」

「あはは、ありがとう」

僅かに肩を竦めて目を細める。

「皆白井先生のこと変な先生って云うけど、実際はマトモだしねー」

「実際って……つまりパッと見は変って思ってるんじゃないか」

呆れたように云えば、女子生徒たちは顔を見合わせて、だってぇ! と賑やかに笑った。

「国語教師なのに白衣着てるし」

「頭ピンクだし」

「やる気なさそうだし」

「最後のは失礼だな」

わざとらしく唇を尖らせたら、拗ねないでよーと女子生徒たちはおれの肩やら腕やらを叩いた。

「何にせよ、最後の一年もよろしくお願いしまーす」

ぺこりと揃って頭を下げられて吐息が揺れる。

「こっちこそ、よろしく」

柔らかな声で云い、じゃあ、と踵を返したおれは国語準備室へと足を踏み出した。

渡り廊下を歩いていると、左右に張られた窓ガラスに自分の姿が薄く映り込む。

裾の長い白衣。淡いピンク色の髪の毛。変人教師と呼ばれる所以。

(髪の毛……伸びたな……)

肩に掛かりそうな毛先を摘んで視界の端に入れる。

新年度に合わせて切るつもりでいたのに、春休みは新年度の準備に追われて終わってしまったのだ。

(パッと見は変人、ねぇ……)

まぁ、そんなことは初任の頃から云われていたことだから今更何とも思わないけれど。

(好奇の目なんてどうでも良いし)

ふっと息を吐いて、おれは一瞬止めた歩みを再開した。

今年度、国語科の教師の入れ替えはなかった。

面子が変わると空気も変わって暫しの探り合いが始まるから、入れ替わりがないのは幸いだ。

「改めて、今年もよろしくお願いします」

国語科の中では一番若輩の身。穏やかに頭を下げれば年嵩の教師陣は鷹揚に笑った。

国語科の教師陣の中に熱血漢がいないのもこれまた幸い。

空き時間はのんびり茶を啜りながら好きな古典現代文学の話をすることを楽しみとするような空気が有難い。

暑苦しいのは好きじゃない。面倒くさい。

話が通じない人間を相手にすること程時間の無駄だと思うことはない。

自分のデスクに向かって朝一番に配られた三学年全クラスの時間割を眺める。

例年通り。二年生全クラスの現代文と三年生の選択科目の現代文が自分の受け持ちだった。

(三年は受験対策として……二年は何するかな……)

個人的には純文学オンリーで一年を終わらせたいものだが、それでは趣味に偏っていると云われてしまう。

正直あまり好きではないが論文の要約なども組み込まなくては。

(教科書ベースに、何か資料も探さなきゃな……)

「それにしても白井くん、机の上、相変わらずだねぇ」

からからと笑う声は右手側の本のタワーの向こうから聞こえた。

「えーと、ははは、済みません……中々片付けられなくて」

「いや、気持ちは分かるよ。一度置いた本は同じ場所にないと落ち着かないもんだ」

「そうなんです……家でもこんな様子なので……」

「白井くんもそろそろ結婚とか考える年じゃないの?」

今度は向かいから年配の女性の声。

「いやぁ、でも相手が……」

「選り好みしてるんだろう?」

「そんなことありませんよ」

暢気なのは良いのだが、こういった話題になると少々閉口してしまう。

「僕はいつも振られるばっかりですから」

ははっと笑って席を立った。

給湯スペースでマグカップにインスタントコーヒーを落とし、ケトルのスイッチを入れる。

シンクを後ろ手に天井を見上げてふぅと溜息。

(新年度、か……)

だからといって、特別何が変わる訳でもないだろう。

この時のおれはぼんやりとそう思っていた。

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