世界は君が居るから廻るのだ

烏丸諒介

第1話:過去から現在


「好きです」

頭上の桜の蕾が膨らむより少し前のこと。

学ランのボタンが全部なくなったその人とどうにか二人きりになって、おれは絞り出すような声でその一言を音にした。

少しの沈黙。ややあって、ははっと明るい笑い声。

「お前、趣味悪いなぁ」

ぽん、と、頭に乗せられた手。

「おれはお前にはもったいないよ」

同性だから、とかそういう理由ではなく。

「おれなんかより、お前には良い奴が現れるって」

一人の人間として。自分はおれの相手には相応しくないと云う彼。

そんなことはない。寧ろ逆なくらい。

だっておれは、彼のことを……彼の背中を中高とずっと見てきて。

それで彼を好きだと想い続けてきたのだ。

「お前の気持ちは受け取れないけど、これからは先輩後輩じゃなくて、対等な友達でいよう」

それは残酷なまでに優しい申し出だった。



「…………」

ぼんやりする思考。ガタゴトと揺れる振動が脳みそまでをも揺らす。

(久し振りに見たな……)

甘酸っぱさには欠ける、ほろ苦い記憶。

時を十年巻き戻したその夢を見たのは久し振りだった。

ふぁあ、と欠伸。車窓の向こうはぐずった雲が低く垂れ込めている。何気なく腕時計を見て、苦笑。

(また登校時間だ)

教師たるもの学生より早く学校に着いているべき、とは教頭の古い考え。

別に授業に間に合えば良いじゃないか……と欠伸を噛み殺すおれはドがつく程の低血圧。

お陰で出勤時間はほぼほぼ学生の登校時間と変わらない。

故に熱血教師陣の評判は悪い……が、それでも不真面目な訳ではない極一般的な高校教師だ。

最寄駅で自分が勤める高校の制服姿を眺めながら少し早足に学校へと向かう。

挨拶をされれば人当たり良く挨拶を返しながら。

校門から校舎までは何故か長い林道がある。

先人曰く「哲学の道」というそうだが、何が哲学なのかは判らない。

昨晩の雨を含んだ葉がぽつりぽつりと雫を垂らす銀杏並木を抜けると、厳しい声が鼓膜を打った。

「一体何度云わせれば判るんだ」

「髪の毛を染めちゃいけないって校則は守ってまーす」

「じゃあ何だその明るい髪は」

「地毛ですー」

「毎回同じことを云って逃れられると思っているのか」

「事実だし」

「放課後指導室に来なさい」

「何で」

「元の色に染めてやる」

「だぁかぁらぁ……」

怒気を孕む声に対してうんざりとしたような声を出しているのは制服をラフに着崩した少年。背は男子高校生の標準より大分低い。

教育指導の教師と相対しているその生徒の頭は薄曇の中でも明るい金色だった。

「何度地毛って云えば良いんですか」

「何度染めて来いと云ったら聞くんだ」

あぁ、可哀想に、と思う。

あれは多分本当に地毛だ。

そう思わせるのは、遠目でも判るくらい顔が透けるように白いからだ。きっと元々色素が薄いのだろう。

少し歩幅を大きくしてその生徒の肩に手を乗せる。

「生徒の云うことを信じるのも教師の勤めだと思いますが」

手は生徒の肩に。視線は指導教員に向ければ、流れてきた視線が鋭さを増した。

「白井先生のような教師がいるから生徒が真似をするのでは?」

ちらり、微かに上がった視線はおれの頭髪へ。

「そんなピンク色の頭をして、」

「僕は校長に許可を得ています。それにファッションでこの色にしている訳ではないので」

そう。おれの髪の毛は淡いピンク色。

その理由は追い追い述べるとして、今はこの生徒の話だ。

「少しだけ耳にしたところ何度かこの色で注意されているようですが、地毛であるという事実を認めない理由は何なのでしょう?」

この教師には嫌われているのを知っているから堂々と嫌味を混ぜる。

「こんな色の髪の毛は日本人にあるまじき色でしょう。白井先生?」

「でしたらもし白人とのハーフの生徒がいたらどうですか? そういった場合、金髪が地毛の生徒も存在する可能性もあると思いますが」

理詰めともいえない理詰めをするおれに指導教員は眦を吊り上げたが、甲高い予鈴の音に弾かれるよう、ふいとおれたちから視線を逸らした。

「今日はもう良い」

早く教室に行きたまえ。それに白井先生も教員室へ、と唸り、指導教員は校舎の中へ足早に消えて行った。

「あー、と……?」

下から向けられた視線に気付いて、あ、と肩に置いたままだった手を離す。

「災難だったな。早く教室に行った方が良い」

そう云って一歩踏み出す。

「あー、はい。え、と……ありが、」

「あとそれと、それが地毛ならきちんと校長に申告しておいた方が良いよ。面倒が減るから」

二歩先で金髪の生徒を振り返り、自分の少々収まりの悪いピンク色を摘む。

「僕みたいにね」

ふっ、と笑っておれは担当教科の準備室へ足を向けた。

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