6 伊吹はアイの死を受け入れられない

「来たぞ。俺の能力は大ざっぱだ。

 混戦になるとフォローしきれないからな。

 くれぐれも無茶はするなよ。

 とにかく隠れていろ」


 伊吹は「ええ」と短く返事をし、

 水の刀を体の脇に抱えて玄関横の茂みに身を潜めた。


「ねえ。隠れているの分かる?」


「いや。津久井たちは俺ほど鼻が利かん。

 俺やアイーシャの気配を察知することは出来ても、

 お前を見つけることはできないはずだ。

 しばらくそこで傍観していろ。

 俺と戦ったときみたいな無茶はするなよ。

 奴らが俺みたいに加減をするとは思うな」


「無茶するな、無茶するな。

 何度も言われなくても分かってるわよ。

 無茶はしない。

 その代わり貴方が死にそうになっても助けにいかないわ。

 私はアイさんを助けるためだけに行動する」


「ああ。それでいい。いいか。くれぐれも無茶はするなよ。

 お前は自分で思っている以上に、無茶で無謀で無鉄砲だ」


「あのね。

 それ以上、心配するようなら貴方のことママって呼ぶわよ」


「分かった。もう喋るな」


「ええ…佐天」


 伊吹は「私は地蔵よ」と自らに言い聞かせて身動きを止め、

 植え込みの隙間から駐車場を窺う。


 駐車場の電灯と病院から漏れる明かりがあるとはいえ、

 距離が開いているのではっきりとはしない。


 運転席から池上らしき男が、助手席から桧山らしき男が降りた。


 伊吹はアイの姿を探し求めて身を乗りだし、枝葉の間に顔を潜り込ませる。


 薄墨色の駐車場に、ボウッと火が灯った。

 輪入道の力を持つ、桧山の拳だ。


「べたべたと気持ち悪い気配が待ち構えていると思えば、

 やっぱりお前か蛇ヤロウ。

 なんでお前がここにいるんだぁ?」


 桧山が首を回しながら歩み出てくる。

 児童養護施設の近所やデパートで関と戦っただけあって、

 ふたりの間には因縁深いものがあるのだろう。


 桧山が両の拳を打ち付け合うたびに、火の粉が舞い上がる。


 傍らに、デパートで伊吹たちを襲った優男が並ぶ。


「ん~。不思議ですね。関君。

 どうして我々の目的地がここだと気付いたのです?」


「ああ、池上さん。もう演技はいいです。

 貴方が流してくれた情報のおかげで、待ちかまえることが出来ました。

 よくそいつ等に気づかれずに連絡してくれましたね。

 裏切り者への制裁は俺に任せて、あなたは下がってください」


「はあ? 何を言っているんですかあ?」


「どういうことだ池上!

 てめえ、裏切ったのか!」


 遠くからでも、桧山と池上が身構えて警戒しあったのが分かる。


 関の策略だったのだろうが、それ以上は上手くいかなかった。


 車の後部座席から津久井が降りると、ふたりの間に割って立つ。


「桧山、池上。落ち着け。

 出まかせにきまっているでしょう」


 先のふたりと違い、伊吹は暗がりでもはっきりと津久井の顔を識別できた。


 イレーヌが殺される夢は夜だ。


 暗闇から這い出てくる不愉快な気配は誤認のしようがない。


 何度も、何度も夢に見た。

 血で錆びたナイフのように、鋭く、鈍い、顔だ。


「関。仲間割れを誘いたいのは分かるが無駄だ。

 彼らは私を裏切らないよ」


 右腕が大蛇に変貌する関という強烈な個性を目の当たりにしていなければ、伊吹は津久井のことを蛇野郎と名づけただろう。


 それほどに津久井の気配は不気味で湿っている。


 明滅する電灯と桧山の頬が照らしだす、津久井の輪郭に、

 伊吹は水の刀を叩きこみたい衝動が湧きあがり、武器を強く握りしめる。


 津久井は右腕に縫いぐるみを抱えている。


 いや、アイだ。


 ライオンの着ぐるみを着たアイが意識を失ってぐったりとしている。


(アイさん!)


 伊吹は飛び出しそうになるが太股をつねって堪える。


 確実にアイを救助できるタイミングを待たなければならない。


 下唇を噛み、

 植え込みの隙間に身体を忍び込ませ関たちの会話に意識を集中する。


「しかし、池上の疑問はもっともだ。

 関、何故、ここが分かった」


「組織にはお前の知らない能力者がいるからな。

 お前の狙いは分かっている」


「そうか。

 なら、これが何か分かるかな」


 津久井は見せ付けるように、アイを乱暴に揺らした。


「俺に人形趣味はないから分からないな。

 人形趣味の男に従っている火遊び単細胞が気の毒でならん」


「ああっ」と桧山が凄み、火の粉を散らすのを津久井が手を挙げて制止する。


「関。なるほど、君は確かに戦闘部門の若手ナンバーワンだ。

 会話で我々を揺さぶって少しでも戦力を殺ぐつもりなのだろう。

 だが、それは言いかえれば、

 エースの君とはいえ我々三人を相手にすれば劣勢になると白状しているようなものだぞ」


「悪いな。

 別に動揺を誘おうなんてつもりはなかったんだ。

 単細胞馬鹿が豆腐メンタルだとは知らなくて、つい、

 からかいたくなったんだ」


 桧山が反応して拳に炎を纏わせるのを、再び津久井が制止する。


「関。お前は頭が悪いな。

 想像したまえ。私の目的を知っているのだろう?」


 津久井が突然、傍らに抱きかかえていたアイを手放す。


 小さな身体がコンクリートの地面に落ちるのを見て、

 伊吹は唇を噛み切ってしまった。


 アイは放り捨てられるまま駐車場に倒れる。


 手足を使って身を庇う様子がまるでない。


 薬か能力か何かしらの手段で意識を奪われているのだろう。


 伊吹の口の中いっぱいに苦い血の味が広がる。


 吐き捨てたいのを堪えるのが精いっぱいだ。


 関から武器を受け取っていて良かった。


 伊吹は必ず振るう機会が来ると確信し、

 指先の血が止まってしまうほど強く握りしめる。


 関の表情にも変化があったのか、

 津久井は嬉しそうに声を大きくする。


「必要なものを抜き取った後の処分に困っていたんだよ。

 私にはもう、これは必要ない。

 関、欲しければ持って行け。

 私が欲しかったのは中身だけだ。器に興味はない」


 津久井の言葉が槍の穂先のように遠い間合いからスッと潜り込んできて、

 伊吹の真ん中にある大事な物を貫いた。


 あまりにも切れ味が鋭かったため痛みを感じる間もなく、

 伊吹は唖然と声を漏らす。


「抜き取った……? え?」


 何を?


 いったい、私の娘から、何を抜き取った。


「嘘……でしょ?」


 困惑と放心が混じった思考でも、答えを導くのに長い時間は要らなかった。


 視神経が焼ききれたかと思うほど、伊吹の視界が明滅する。


 ぜいぜいと濁った音が聞こえると思ったら、自身の呼吸だ。


 足場が崩れてしまったかのように、体がぐらぐらと揺れる。


「あ…あ…」


 神経の繋がっていない心臓が、飛び出しかねないほど激しく暴れている。


 伊吹は動悸が激しくなるはずがない体質なのに、

 胸が張り裂けそうで、

 ひりつく喉から乾いた息が漏れる。


 津久井は、また、私から奪うのか!


「来るのが遅いとは思わなかったか?

 私が欲しいのは心臓だけだ。

 心臓を抜き取った後の医療廃棄物に用はない。

 処分の手間が省けてちょうど良い。

 持って帰って着せ替え人形にでもしたらどうだ?」


 津久井が足下に転がっている人形を踏みつけた。


 汚い靴が、ライオンの腹を転がす。

 夜の底となった駐車場で、アイーシャは微塵も動かない。


「ああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 伊吹は完全に我を忘れて、喉が切れそうなほど叫んだ。


 せっかく関が渡してくれた水の刀も取り落としていた。


 両手で植え込みを掻き分けて飛び出すと、

 アイ目がけて暗闇をがむしゃらに走る。

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