5 伊吹は夜の駐車場で待ち構える

 陽が沈み、都会のネオンが膜となり、夜空の星を包み隠した。


 伊吹と関は名東医大付属病院の駐車場に到着し、強行軍を終える。


 伊吹は抱きかかえられていただけだが、

 風や加速の圧力で体力を消耗してしまった。


 伊吹は自分の足で立とうとしたが力が抜けて倒れそうになる。


 関の腕にしがみつこうとしたが、

 どうにも下半身に力が入らずズルズルと腰を落として座り込んでしまった。


「死ぬかと思ったわ……。

 残り少ない寿命が縮んだわ」


「笑えない冗談はよせ」


 病院の正面にある第一駐車場だけでも、

 サッカー場が四つは収まりそうなほどに広い。

 最終受付時間の17時をとっくに過ぎているため、


 車は数台が停まっているだけだ。


 入院患者が乗ってきたか病院関係者の物だろう。


 伊吹は頭がクラクラし、

 まだ自分が高速で移動しているような錯覚とともに吐き気を覚える


「夕食前でよかったわ……」


 もし食後だったら確実に粗相をしている。


 アスファルトの駐車場にへたりこんだまま、

 伊吹は足下に立つ関の太ももをぽこぽこと叩く。


「生意気。生意気! ……生意気よ貴方。

 私と戦った時、いったいどれだけ手加減していたのよ。

 なんなの今の。死ぬかと思ったわ」


「あれはあれで全力でやった。

 いくら、飛行機が速くても、

 陸地で停止した状態からの短距離なら、

 自転車の方が速いし小回りも利くだろ。

 俺とお前の力関係は、そういうものだ」


「それほどの差があると言いたいの!」


「例えなんかに食いつくなよ……。

 違うだろ。

 あー。……そうだ。

 アイーシャを連れて近所に買い物に行くなら自転車がいいってことだ。

 飛行機なんて要らないだろ?」


「アイさんと買い物……?

 ……そう。そうね。

 自転車で買い物……。

 一緒にコロッケを食べたいわ。そうだ。あれを買わなきゃ。

 ほら、あれよ。小さい子が履いているキュッキュッ鳴る靴。

 自転車よりも先に、あれをアイさんに履いてもらいましょう」


「はあ……。

 ようやく面倒くさいやつの扱い方が分かってきたぞ……」


「何か言った?」

 

「何も」


 伊吹が睨み付けると関はさっと視線を逸らした。


「まあいいわ。先回りできたかしら」


「ああ。奴らの気配は感じない。

 もし病院内にいるのなら、この距離なら気づける。

 それに……。

 漠然とだが、遠くから奴らが近づいてきていることは分かる」


「……というか貴方、人が立とうとしているのだから、

 手くらい貸しなさいよ」


「そんな調子で足手まとい以外になれるのか」


「なるわよ。

 これでも中学の三年間、剣道で無敗。

 全国優勝だってしているわよ」


 伊吹が手を借りて立ち上がる際に、関の体幹はほとんど揺れなかった。


「ああ……そうか。

 道理で妙に動きが良かったわけだ」


 関は妙に心ここにあらずというか反応が鈍い。


 周囲の景色をやや呆然としつつ眺めているようだ。


 伊吹も同じように周囲を見渡してみたら、既視感があった。


「そう……。私が夢に見ていたのは、

 私が臓器移植を受けた病院の近くだったのね」


 伊吹にとって名東医大付属病院は心臓移植を受けた場所だ。


 中に入れば一年間の入院生活を送った懐かしい場所として、

 胸にこみ上げるものがあるかもしれない。


 けど、外観には何の愛着も思い出もない。


 入院時は意識不明で救急車に乗っていたのだし、

 退院時に振り返って景色を記憶に刻んだわけでもない。


 だが、関にとって名東医大付属病院の周囲は、

 初恋の相手を護りきれなかった失意の場所だ。


 豪雨に飲み込まれた光景を夢で見ただけの伊吹と違い、

 複雑な心境なのだろう。


「力を合わせて、アイさんを救うわよ。

 貴方の無念も晴れるでしょ」


「だといいがな」


 伊吹の提案でふたりは正面玄関の前に陣取ることにした。


 津久井の車が裏手に回る場合でも、

 いったんは正門を潜ってから敷地内を移動するから先に気づけるはずだ。


 それに、駐車場を戦場にするのなら、

 緊急外来と救急車にさえ注意を払えば、無関係な者を巻き込むこともない。


「アイーシャを奪い返したらお前に渡す。そうしたら逃げろ」


「もちろん、そのつもり。何か武器になる物は無いかしら」


「有るが……。どうするつもりだ」


「万が一に備えるだけよ。

 貴方が負けたら、私が相手をするから」


「危険だ。

 中途半端に力を備えれば、相手の警戒を誘うだけだ。

 俺が敗北する可能性はゼロだが、

 仮に俺が戦闘に参加できない状態に陥ったら、

 その時点でゲームオーバーだ。

 お前は逃げろ」


「貴方の強さは十分、身にしみているわ。

 だから戦いは全面的に貴方に任せる。

 あくまでも保険よ」


 伊吹は一歩も譲らず、関の目をじっと見つめ譲歩を引き出す。


「くどいかもしれないが、

 何度でも言うぞ。くれぐれも無茶はするな」


 しぶしぶといった口調とは裏腹に手品のように大仰な仕草で、

 関は左の掌から水で出来た竹刀を抜き出した。


「……?

 今のどうやったの?」


「どうもなにも、水を操作して武器を作った。

 いったん手から離すと水に戻るからな」


 伊吹は「凄いわね」と素直に目を丸くして驚きを現すしかなかった。


 触った瞬間は液体のような感触なのに、曲げようとすると木刀のように硬い。


「大蛇は気持ち悪いと思ったけど、うん、これは羨ましい。

 ねえ。竹刀くらいの重さに出来る?

 これは重くて少し使いづらいわ」


「まあ、調整は出来るが」


 もう少し軽く、今度は軽すぎ、あと形状を変えてと、

 暫くやり取りしていると思いだすことがあった。


「アイさんをさらった男も水を使っていたわ。

 手錠みたいにして柚美さんを拘束していた」


「ああ。だとするとそいつは池上だ。大学生くらいの男だろ」


「ええ。知ってるの?

 その池上がどういう不思議なことをしたのか説明する必要はない?」


「ああ。ヤツらの能力は、知っている。

 その上で言う。

 俺の方が強いから、お前は無茶を――」


 言葉を切った関の視線を追うと、

 正面の門に車のヘッドライトが侵入してくるのが見えた。

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