十首目 これやこの

 おはようございます。十首目です。


・詠み人:蝉丸


・これやこの 行くもかへるも別れては しるもしらぬも あふ坂の関


・訳:これが、都から東に下って行く人も、東から都へ帰って来た人も、ここで別れてはまた出会い、知る者同士も会えば、見知らぬ同士も出会うと言う、その名も逢坂の関である。


 歌の意味より、調べを楽しむのが本来。反対一組の句を重ねる事によって円滑に歌を展開しているのが特徴。だそうです。


 いいですよねぇ。意味より調子? 拍子を楽しむ歌の方が好きです。


 前出の、奥山にもみじふみわかけ泣くしかの〜も、ですが、解説が無くても意味の分かる歌は好きです。


 ちょっと、話しが逸れますが「歌」は「うったえ」が語源なのではないか? なんて考えた人もいるそうです。今のところ、その意見は退けられているようですが……


 でも、その意見に乗っかって、ならば「和歌」は、訴えを和する歌なのではないかと展開させた人もいるそうです。


 万葉集については、まるで調べていませんが、いわゆる五・七・五・七・七の調子の歌だけではなくて、長歌と言われる類の歌も書かれているそうです。

 長歌の内容がどう言うものだったのか知りませんが、別離や、日々の儚さを読んだ内容の物が多いならば、現世を愁訴してるいると言っても良いかも知れません。(だれに訴えているのかは分かりませんが……)

 和歌はそれらの反歌として発展して行った。

 なんて、それっぽい事を書くと、それっぽく見える不思議。


 でもね、情景やその時々の想いだけで詠んだのではなくて、なにかしら別の歌を素地にして読まれた歌は沢山あると思います。


 この蝉丸さんの歌も、仏家の思想、会者定離、諸行無常がその基盤にあるそうですよ。


 こう言う歌は想像を膨らませ易いので、蝉丸さんの歌を基盤に私も調子に乗って一句作ってみましょう。



・いつのよも 会者定離をはかなんで ひぐらしの夕べに せき日を思う



 蝉丸さんが歌っている訳ですからね。

 ヒグラシかと……私は、その日暮しですからね。

 そんな私が、人生も昔日の方が多くなった頃に、逢坂の関があった遠い昔に想いを馳せる。

 たぶん逢坂の関でも、夏場は夕刻近くにヒグラシが鳴いた事でしょう。

 逢坂の関は夕日に染まって、茜色に染まっていたでしょう。

 長旅で疲れた人達は、どんな気持ちでヒグラシの声を聞きながら、逢坂の関を超えて行ったのでしょう。


 そんな内容です。今は冬ですし、今も逢坂の関は有るかも知れないので、色々と今には合っていませんが。


 ところで、昔の人もこうやって、臆面もなく自分で解説を入れたのでしょうか?


 蝉丸さんも、詳細不明な人です。

 お坊さんは詳細不明な人が多い気がします。

 琵琶の達人だったそうですよ。



 はい。それでは。


「色ない世界の言葉を採り 彩る」


 蝉丸さんは盲目だった説がああります。

 真っ暗な世界から言葉を採って、今もなお楽しませてくれています。





*「学研:実用特選シリーズ 見ながら読む歌の宝典 百人一首」


を参考にしています。


人物については、ネットのサイト等での独自の調査になります。


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