第15話 シスの……





 社長、いるかな。

 恐る恐るドアを叩く。


「失礼します……」

 中に入ると、本……ではなく、書類に目を通している社長がいた。


「社長……実にお恥ずかしいのですが、アイデアが浮かばなくてですね……」


 書類を見ていた社長は、シスを見ると書類をデスクの端に置き、『教える? コツ』と言って、透き通った瞳をこちらに向けている。


「はい!」


『……こっちに来て』と、シスを大きな机に招く。


「はい」 


『で、シスは今どういう服をデザインしたいわけ?』


そうだ。私は、どういう服を作りたいんだ? 可愛い服? お洒落な服? いや……。


『分からないです……』

 社長は、ソファの背もたれにもたれ付き、『まず、そこから考えてみたら? ゴールがないとスタート出来ないし。…思いついたら、また来て』と言って立ち上がり、スーツを整える。


「はい……分かりました」

 そう言って立ち上がり、社長室を出た。


 会社を出た時も、電車に乗っている時も、ずっと考えているのはどういうデザインにしたいか。シスは不気味に光っている月を見て立ち止まる。黒い雲が月に重なり、瞬く間に月が姿を消してしまった。すると、


『シス?』 


その声に反応して後ろを振り返る。そこに立っていたのは、ふんわりとした茶髪の短い髪、甘く優しい目の男性。私の……唯一の……


「……ジンホ」

 元カレだった。


 私の最初の、そんなに長くは続かなかった彼氏、パク・ジンホ。もう会うことはないだろうって思っていたけど……。まさかこんな所で会うなんて。


『久しぶりだね、シス』 

 そういって、シスの方に近づいて来るジンホ。


「あ~、そうだね……」と、引きつりながらも笑顔を作る。

 こんな歳にもなって、付き合っていた時の自分とは少し変わった私を見られることが恥ずかしい。でも、もう会わないだろう。こんな偶然、もう二度とないだろうから。


『シス、家ここから近いの?』


ここからは、シスが住んでいるマンションが見える程、近い所である。


「近いけど……ジンホは?」


『俺も近いんだー』

 ジンホは無邪気に微笑んだ。変わっていない、この笑顔。笑うと目じりにシワができるクシャッとした笑顔。この笑顔が、私は大好きだった。また好きになりそう……いや、駄目だ!


「じゃあ、私やることがあるので……」 


『あ、そう? ……じゃ、じゃあね』


 ペコリと一瞬お辞儀をし、スタスタと自分のマンションへと小走りで向かった。  

 ジンホも、ここに近くに住んでるんだ。今まで会わなかったのか奇跡。はぁ、気を付けないと……。またいつ会うか分からないし……。


ジンホの事に気を取られて、デザインの事を考えるのを忘れていた。「ダメダメ!」と、自分の頬を叩き、気持ちを入れ替えた。





 ハニ部長がパチパチと手を叩いてみんなの注目を集める。「みんな、集まって~!」と言ってみんなを大きな会議用デスクに集合させた。


『最新情報が入ったわよ』 

 そうして大きな机に資料をずらっと並べた。


『ここには、パステル、チェック、花柄……ドットとかがあるけど、どれがいいかな』


 デザイナーの仕事は、ただデザインを考えるだけでなく、次にどういう服が流行るかなど、流行の最先端にたち服を考えなければいけない。今は、来年に流行りそうなデザインを一緒に考えているのだ。


『私的には……花柄が流行る気がするけどね』とハニ部長が言った。


「私もそう思います」と言う人もいれば、反対意見もある。中々意見がまとまらないのが一番困るが、今回はすんなり決まった。


『じゃあ、花柄に決まりね。みんなも花柄中心にデザインを考えて頂戴』


はーい、と言ってみんな自分のデスクに戻る。


 花柄かぁ~。どういうふうにデザインしよう……。あ! 花柄ってかわいい。かわいいってゆるふわ。ゆるふわのデザイン、いいな。そうだ、社長のところに行こう。



 


 ガチャッと扉を開けると、そこには目当ての人の姿はなかった。


「あれ……社長?」 

 中に入り、社長の姿を探す。回りを見渡しても、だだっ広い部屋にはあの人の姿はない。社長のデスクに近づくシス。倒れている……ってわけでもないか……。諦めてまた来ることにしよう、と思いながら後ろを振り返る。


「うわあ!!」 

 あまりの驚きに、持っていた資料をぶん投げてしまった、前に居る人に向かって。


『い……たい……』と、その人は手を目に当てている。


「あ! すいません! 社長、目……大丈夫ですか……?」


『ああ……大丈夫』


 一体いつ来たのだろう。足音も無かったから全然気づかなかったよ。


社長は自分にぶつかって床に落ちた資料を拾い上げ、シスに「はい」と手渡した。


「すみません、有難う御座います。……社長いないのかと思いました」


『僕はずっといた』 

 そういって社長のデスクに向かった。


「そうで……すよね。あ、また、指導してもらいに来ました」


『ん、で? 決まった? どういうデザインにしたいか』


「……ゆるふわ」


『は?』

 社長のイケメンな顔には似合わない程、力の籠っていない目がシスの方を向いた。あ……ダメなパターン? ゆるふわって駄目なのね。じゃあ……何だろう、どう答えれば正解なの?


「み、みんなに喜んでもらえる服をデザインしたいです!」

 一瞬、部屋中にシスの声が響き渡り、数秒の沈黙が続いた後、『合格』と社長は一言、言葉を放った。そしてまた大きなテーブルにシスを招いた。


「私たちの考えは、花柄が流行るって言うことに決まったんですけど」

 資料を、社長の方に並べる。社長は膝に肘をのせ、頬杖を突きながら見ている。


『花柄……分かった。じゃあ、お前のデザインを描いてみて』


 自分のデザインを描き、描いた後細かく社長に指導された。初めて会って、こっぴどくズタボロに私に言った時の社長とは程遠い、丁寧で少し優しい社長だった。まだ慣れていないから冷たい雰囲気を感じるが、最初の印象よりよっぽど良くて……。シスの心は少しずつだが社長に開いているようだった。







***チェギョンSIDE



 シスは数日ごとだが、社長室に来て僕の指導を受けるようになった。おかげで、最初よりもデザイン力は上がってきているように思う。


 すると、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。シスかな? 期待している自分がいる。ダメだと分かっているのに……。失礼します、と言った後に入って来たのは……シスではなかった。はぁ、とため息を漏らすと僕の方に寄って来た秘書がある男を連れて寄って来た。


『社長、この方が新しくこの会社に入社する、カン・チョウです』


『はい。わたくしカン・チョウです!』


 あ? 何か……見たことがある顔だな。


『この方は、前の面会に居た方です。私は、最初からチョウさんに目を付けていましたが……』


『あ、それは有難う御座います』

 チョウが嬉しそうに笑う。


「何で、こいつがいる。僕はこいつが入るとは聞いていない」


チョウが、え? という顔をしながら秘書を見つめる。


『すみません。私が勝手に。……この頃、退職する人が増えていて、受け入れてくれた方がチョウさんしか……』と秘書が言う。


『わたくし、精一杯頑張りたいと思います!』 

 輝いた眼でこちらを見てくるチョウ。


『優秀ですし、私は大丈夫だと思いますが?』


「はぁ……分かった、よろしく」


『あ! 有難う御座います、頑張ります!』


「不愉快。さっさと行け……秘書もだ」

 僕が、あんな顔の奴を受け入れるなんて。腹の中にいる虫のようなものがずっと動き回っているようで、ムカムカした。


 この感情を抑えようと、僕はあの場所に向かった。木の葉の間から降りそそぐ光、地面がダイヤのように輝いていて、僕を一番落ち着かせる場所、中庭。いつも座っている場所に座ると、この前の記憶が花びらのように降って来た。前、ここで本を読んでいた時。たまたま見たところにシスが立っていて、シスもこっちを向いていて、太陽の光がまるで雪のように落ちていた、あの記憶。


―――社長は、この場所がお好きなんですか?


 確か、そう言って来た。その時のことを思い出すだけで頬が緩む。今日も、あの時と同じように本を読もう。そうすれば気分も良くなるだろうし。手に持っていた本を片手で広げ、ベンチに身を預けながら本を読む。


『この本、良いですよね』

 本を読み始めて早々、誰かが話しかけてきたような気がして、顔を上げる。僕を真っすぐ見つめ、返事の言葉を待っている一人の男がそこにいた。ズキン、と脳内に痛みが急にはしった。その痛みに耐えながら、しっかり目を開き、男を見る。


『これ、俺も読んだことがあるんです。とても興味深いですよね』


「まぁ……」


『お隣、良いですか?』

 そんなこと言われたことが久しぶりで、返事に戸惑った。コクンと頷くと、男は嬉しそうに隣に座った。


『あなたは、ここに働いて何年目ですか?』


何年だっけ。53? 54年? どっちにしろ、言ったら引かれる。見た目は20代なのに、ここに五十何年も働いているなんて馬鹿だと思われる。だから、「7年目」と嘘をついた。すると男は、目を大きく広げ、驚いたようにして笑った。


『先輩だったんですね。若そうだったから、同期かと思いました。軽々しく声をかけてしまってすみません』


「別に」


『あ、もうこんな時間。すみません、失礼します。』と言って、男は去っていった。何を目的に僕に話したかったんだか。最近の若者は、良く分からない。あ、そういえば、さっきの頭の痛みが消えたな。何だったんだ、あの頭が破裂するような痛みは。


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