平均的な廊下
「見事に巻きこまれたなぁ」
緊張感のせいか、へとへとになった鈴木はため息混じりにそうぼやいた。
とりあえず、鈴木は解放された。いつも問題を起こすのは、あのラガーマン三人衆だ。大崎も、どうせいつものことだ、といった感じなのだろう。
気になるのは、曽良だ。
彼も、帰っていい、と許可をもらったはずなのだが、生徒指導室から出てきたのは鈴木だけだった。振り返ると、大崎になにやら話しかけていた。
これ以上、関わったらどうなることやら。卒業を前に問題を起こすわけにもいかない。そもそも、曽良とは今朝会ったばかりで友達というわけでもない。待つ義理はなかった。鈴木は曽良をおいてさっさとその場をあとにしたのだった。
しかし、なぜだろう。やはり、気になってしまう。
静まり返った廊下に寂しく響いていた足音がぴたりと止む。
「『がっかりイケメン』……か」
ぽつんと突っ立って、鈴木はつぶやいた。
結局、『がっかりイケメン』とはなんなんだろうか。
たしかに、変わっている。それはようく分かった。だが、悪い人だとは思えない。事実、聞きこみをしているときも、悪い噂は聞かなかった。過去に交際経験のある女子からはどうやら評判が悪いらしいが、その理由もはっきりしない。
見た目はもちろん、頭もいい(という話だ)し、運動神経もいい、性格もよさそうだ。なにより、そういった長所をひけらかすようなこともしていない。イケメン特有のいやらしさのようなものが一切感じられないのだ。
いったい、何に『がっかり』するというのだ。鈴木は眉根を寄せて小首を傾げた――そのときだった。
「陛下!」
「うわあ!?」
いきなり、ぽん、と肩を叩かれ、鈴木は文字通り飛び上がった。
「なんだよぉ。人を幽霊みたいに」
「ふ、藤本、くん!?」
ばっと振り返ると、背後に立っていたのは、生徒指導室に残っていたはずの藤本曽良、その人だった。
鈴木はバクバクと騒ぐ胸を押さえ、いぶかしげな表情で曽良を見つめた。
「いつのまに、後ろに……? あ、足音とかさ、たててくれないと困るんですけど」
どういう文句だ。鈴木は自らつっこんだ。
しかし、曽良は特に気にする様子もなく、けろっとして肩を竦める。
「ごめん、ごめん。癖なんだ」
「どんな癖ですか。忍者ですか」
「うそ、俺が!?」
「いや、知りませんよ」
「じゃあ、君は殿だね、殿!」
「ああ、和風ですね――って、俺、関係ないでしょう。いや、だから、原形、全然無いじゃないですか」
「そうだ、そうだ」と曽良はまるで聞く耳を持たず、ポケットに手を突っ込んで何かを取り出した。「これ、渡そうと思って」
鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気で、曽良はポケットから出した手をずいっと鈴木に差し出してきた。
「ほら、殿。あげる」
「だから、なんで殿……」
言いつつ、曽良の手の平に視線を向け、鈴木はぎょっとした。
さあっと血の気がひいて、体が震えだす。
「こ、これは……」
「欲しがってたから、もらってきたんだ」
この世の全ての悪を否定するかのような、純真な笑みだった。窓から差しこむ眩い光と相まって、それは神々しくさえ見える。だからだろう、鈴木は怒鳴りつけることも、それを払いのけることもできなかった。
鈴木の眼球に映りこむ、真ん丸の薄い石のようなもの。本来ならば、布と布とを留め合わせる役目を担った服飾物。しかし、ある一定の条件がそろうと、愛し合う二人の心を赤い糸で留め合わせるアイテムになるという。そのアイテムが、目の前にある。
鈴木の頭は真っ白になっていた。なんてことだ。まさか、生徒指導室に残って大崎に何かを言っていたのは……。
頬を赤らめたゴリラ――もとい、体育教師の顔が浮かんだ。
「あの、ふ……藤本くぅん!」動揺する鈴木の口から、本来、十五歳男子が出せる音域を越えた声が出ていた。「あれは、言葉のあや、というか……どうにか、うまいこと言って、それを先生に返して――」
「クラスの女友達にあげるんでしょう」
さらりと曽良は言った。くすくすと笑いながら。
鈴木は一瞬、なにを言われたのか分からなかった。ぽかんとしていると、
「君のクラスに大崎先生に憧れてる女の子がいて、君は彼女のためにもらおうとしただけ――ってことにしといたから」
涼しげな表情でそう言って、曽良は、ほい、と鈴木に向かってボタンを軽く放った。
「え、わ、うわ……」
あたふたとしながら、鈴木は放物線を描いて落ちてくるボタンを受け止める。それが誰の第二ボタンかを考えれば、バレーの要領で、スマッシュを決めてもよかったのだが……。
卵でも抱くように大事そうに両手の平にそれを乗せ、鈴木は唖然とした表情で曽良を見つめる。
「どういう……」
「ラガーメンのアイディアを拝借しただけだよ。どういたしまして」
あっけらかんと曽良は笑った。
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