平均的な生徒指導室

 校舎裏に現れたのは、年中、半袖半ズボンの体育教師、大崎だった。佐藤春香が呼んできてくれたのだ。

 その場にいた、ラガーマン三人衆と、第二ボタンが狙われた藤本曽良、そして見事に巻きこまれた鈴木は、生徒指導室へと連行され、横一列に立たせられた。

 高校受験用の資料がぎっしりつまった本棚が囲む、狭い生徒指導室だ。まもなく高校生になる五人の中学生がずらりと並べられると窮屈で仕方ない。というか、暑苦しい。隣が曽良なのがせめてもの救いだと思った。

 カーテンの隙間から差し込む西日を背にして、一昔前の刑事ドラマさながらに大崎は尋問を始めた。それから、まもなく三十分。事情が事情なだけに、ラガーマン三人組は口を噤んで知らぬふり。まさか、好きな子のために、曽良の第二ボタンを狙っただなんて口が裂けても言えないのだろう。

 肝心の曽良はずっとあさっての方角を見ているし、大崎の説教を聞いてもいないようだ。夢中で何かを目で追っている。キラキラとした眼差しで、いったい、なにを見ているんだか。もはや、鈴木はその視線を追う気にもならなかった。

 まあ、そういう状況だと、自然と教師の標的は気弱そうな生徒――つまり、鈴木になるわけで。


「おい、鈴木」ゴリラ、と裏で呼ばれている大崎。鼻からだいぶ離れたところにある厚い唇を、気に食わない様子でとがらせた。「お前は何か知ってるんだろう。言え。なにがあったんだ? 佐藤はかつあげだと言っていたが?」


 ぎくりと鈴木は体をびくつかせた。曽良をはさんで右に並んでいる不良三人組の視線を感じる。


「いや……」


 こういうときばかり、何の罪もない一般人に負担がかかる。鈴木はげんなりとしながらも、なんとかごまかそうとしていた。


「そのぅ……」


 しかし、ふと気づく。――なぜ、ごまかす必要がある? 

 そうだ、卒業式を目前に、なにを怯えている。正直に言えばいいだけだろう。どうせ、この不良三人組ともあと三日でお別れなのだから。

 両手の拳を握りしめ、鈴木は決意を胸に顔を引き締めた。


「実は、第二ボタンを――」


 大崎の海苔のような眉がぴくりと動く。

 ぴりっとその場に緊張感が走った。

 鈴木は手の平がじっとりと湿っていることに気づく。なんだろうか、この重圧は。急に部屋の中の酸素が薄くなったような気がする。

 ああ、おそろしい。今、右を見るのがおそろしい。


「第二……ボタン……」


 なぜだろうか。喉がしまっていく。

 鈴木の視線は自然と落ちていった。


「第二ボタン……」


 だめだ。言うんだ。ここで言えなきゃ、男じゃない。ここで言えなきゃ、学校のアイドルに告白なんてできっこない。鈴木は自らを奮起させ、ぐっと爪が食い込むほどに拳を強く握りしめた。

 そしてついに! 鈴木は大崎をきっと睨みつけるように見つめ、


「第二ボタン――くださいっ!」


 静まり返った教室に、運動場から漏れ聞こえてくる野球部のかけ声が響いていた。ファイ、オー。ファイ、オー。その声援は、残念ながら鈴木には届かなかったようだ。

 鈴木は泣きそうな表情を浮かべて、唇を噛みしめていた。

 嗚呼、無常。根性はどこからわいてきますか。――鈴木は誰にというわけでもなく訊ねていた。

 大崎の鬼瓦のような顔がわずかにゆがんだ。ポロシャツの第二ボタンを隠すように襟元をつかむ。ほんのりとその頬が赤らんだのは、夕焼けのせいだと信じたいと思った。

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