第5話 望まぬ聖女の異世界召喚 その2


 周囲には白い長衣を着た男女が。慎重に僕は見回す。

 百人近くがコスプレ衣装で立っている? なんなの、これ?


 彼らは皆、笑顔で手を叩いている。日本では聞き慣れない、古典ラテン語らしき言語で僕を賞賛しているのだった。


 なんなの、これ。再度思う。理解が追いつかない。

 アレだろうか。SANチェックのお時間というサムシング?

 ただの誕生会ではつまらないと、姉たちが仕組んだサプライズかも?

 まあ、特にコダマ姉さんなら、本当にやりかねないのだけれど。


 しかし仮にそうだとして、ピアノ演奏している僕を、グランドピアノごとどうやってこちらに気づかせず移動せしめたのだろうか。


 デビ〇ト・カッ〇ーフィールド的なイリュージョニストでも雇ったとか?

 ひょっとして、驚く僕の顔を別室で録画していたりしない?


 いや、いや。待て。落ち着こう。まだ焦る時間ではない。

 というよりも――。

 さっきから手のひらにじっとりと汗が滲んでいる。

 これは凶兆。嫌な予感がしてならない。


 今し方言ったように、姉たちならその程度、普通にやってこなせるだろう。

 事実、手品の、特にイリュージョン系は金さえ積めばいかなる奇跡的な現象も実現可能とまで言われている。

 なるほど。手の込んだイベントだと受け止めれば別に驚くことでもない。


 しかし、これは。

 どうにも現実味に満ち満ちて、嘘の側面が窺えない。


 月桂樹を模した金冠を頭に被った、ウール製トーガをチュニックに巻いた偉丈夫。年嵩は三十路過ぎの男性が、感極まった表情でこちらにやってくる。

 髪は短く丁寧に刈り込み、まるで古代ギリシア・ローマ時代の典型的な男性像のようにも見えなくもない。


 その後ろに、これまた金細工の冠をつけた、トーガ姿の女性――こちらの年齢は良くわからない。おそらくは三十路に入るかどうかだろう。

 どことなくオリエンタルな雰囲気。目元に特徴のある化粧アイラインを施した、結構な美人。彼女は月桂樹の冠の偉丈夫と並び立つのだった。


『見ての通りや。すべて注文通り、一切の子細のたがいもなく、お前さんらが望む聖女をんでやったで』


 声だけが、無暗に高い漂白の天井に響いた。


 すると、冠をつけた男女を始め、周りのすべての人たちが一瞬で真顔になり、粛々とその場に跪くのだった。

 それは言語でありながらすべてに等しく理解できるよう意思伝達されたかのような。自分でもどう表現すべきか惑う話、そう、タイムラグなしの完璧な同時通訳で自己の意思を聴衆に伝えてきている、と言えば感覚的にお分かりになられようか。


 僕は声の元を辿って上を向く。

 高い天井の、その中空には異様にまばゆい何かの塊がいた。

 やけに強い照明だと思っていたら、全然違っていた。


 いわんや頭上から光である。屋外ならばまず太陽。次に考え付くのは球場などにあるナイター設備か。あれも強烈な光源だ。

 しかし、屋内でこの不自然な明るさはどうだ。


 目を、向けていられない。眩し過ぎる。

 しかも今気づいたのだが、そんな光の中、某身体は子供で頭は大人の死神探偵漫画に出てくる犯人役みたいな黒い人型のようなモノが立っているのだった。


 ハンザワ=サン? と呟きかけて止める。

 違うし! と、異次元の果てからツッコミを受けた気がした。


『太陽と同じで今の俺を直に見たら目ぇやられるで。可愛いレオナちゃん』


 誰なのこいつ。僕はいぶかった。僕はエセ関西弁に顔をしかめる。


『キミはここオリエントスターク王国の、グナエウス国王の切なる要請によって喚び出された救国の黒き聖女やで』


 光る不審人物は勝手なことを言い出した。


『今回は白の聖女ではどうにも不向きでな、装備を持たせたらあれも戦略レベルで強いんやけど、所詮は単独行動に能力特化された脳筋やねん。となれば後衛支援型というか、いわゆる参謀タイプを起用するしかない。キミほどのクセモノをぶのはこの世界如きでは正直もったいないが、まあ細かいことは気にすんな』


 へえ、男の僕が聖女。なるほど、わけが分からない。どうして『男』で『聖女』なのか。言語の崩壊を感じざるを得ない。


『言うてキミは歴代の聖女にして別格なんやで、うっふふ、俺のお気に入りやもん。なぜって昨晩、とうとうやらかしたやんけ。何をって、わからん? じゃあわかるまで、むしろ、聖女に加えて俺の代行者として教皇の称号も付与しとこ。キミの言葉は俺の言葉。この地上における神威代行者やで』


 教皇とは日本では近年になって統一された僧侶の称号では?


『あー。ここ、キミがいたところと全然ちゃうからその辺は別にええねん。なんやったら法王の称号でもいいんやで。それよか言語機能のチューニングしとこか。基礎を持ってるし、現地で百年生きた人より流暢に読み書き喋れるようしたろ」


 あれ? と僕は再び訝った。

 今更だが、この光の存在にこちらの思考を読まれている?


『せやで? キミの思考、読みまくりやで? ああ、そうそう。光の存在やのうて、俺のことはイヌセンパイって呼んでくれ。可愛い声で、優しくな? なんぼ力弱き神々の守護者とはいえ神様とかNGやで? そんなん、俺、寂しいやんけ』


 僕は動揺を隠すためにも静かに目を閉じた。

 おかしい、単なるイリュージョンのはずが嫌な予感がストップ高だ。

 閉じたまま目元を軽く揉み、いつもの癖でカスミに腕時計を持つよう命じる。


 そう、いつもの癖で。仮に、これがイリュージョンではなく本物なら。

 これがどういう意味を内包するか、お分かりになられるだろうか。


 僕としてもさすがに薄々気づき始めている。

 あまりにもリアリティが溢れすぎている。ドッキリにしては嘘がなさ過ぎる。

 というのも、嘘であるならそろそろこの辺りで『ドッキリ』の看板を持ち、フルフェイスヘルメット被った人が乱入してきても良いはずなのだ。

 ネタが古い? でも、たとえとしては分かりやすいでしょう?

 姉たちが手の込んだサプライズを練っていたのだとしたら、なおさらだ。


 これは、数年前から流行っているライトノベルやマンガによくある展開の一節。

 そんな風に、僕は感じている。何より、嫌な予感が『そうだ』と告げている。


 俺TUEEEE作品は、頭を空っぽにして読む分には最高である。僕は、努力なしにチートでTUEEEEなど、好きになれないが。

 それでも、誰にも迷惑をかけず一時の現実逃避が出来る。書籍も安い。

 しかし、自分自身は、あんなところには堕とされたくないとも思う。


 それが、まさか。そんなことが。有り得ない。

 しかし、この疑問は解明すべきこと。


 僕は、異世界人召喚を、受けたのでは、ないか。


 ゾッとする。そんなことが現実であってたまるものか。ふざけるな!

 単独で知らない場所に放り込まれる恐怖。


 SAN値が。違う。それよりも、もっと重大な問題が。

 感染症問題パンデミックが頭をよぎる。異世界に堕とされたくない理由の一つが、これ。

 あるいは、世界に致命傷を与えかねない重大な問題。

 サイコロを持っていたら、迷わず僕は正気度をチェックしているだろう。


 なぜなら人間の身体は、自らの体細胞と善玉悪玉日和見などの細菌との『混合された超有機体』として構成されているためだからだ。


 内訳、体細胞三〇兆に対して細菌は遥かに多い四〇兆。菌の大半は消化器官内に常駐しているが、少し言いかたを変えよう。つまるところ、それは『細菌の数と種類の分だけ、病気の原因もまた同数分、存在しうる』という証左なのだった。


 仮にここが異世界として、僕にしてみれば軽い風邪でもこの世界ではどう影響するか。感染力は? その症状の程度はどうなるか? 快復できるのか? 

 逆に、この世界の人々には軽い風邪程度の病でも、一切この地の免疫を持たぬ僕にしてみれば、どうなってしまうのか。


 元いた世界でも、少し土地柄が変われば風土病なるものがあるではないか。

 断言する。

 僕の身体は今、この世界に対し、戦略レベルの生物兵器となる可能性がある。


 そもそもこんな得体の知れない世界に、たった一人など。

 自分のような、性的にも精神的にも不安定な存在が。

 これがラノベみたいな世界に堕ちたくない理由の、もう一つ。


 しかし、である。ううむ、これをしかしと反語を入れて良いものなのか。


 そんな一時的狂気の戸惑いをよそに、一切の気配を断ったカスミは耳元ではいと返事をし、恭しく僕の左手首にヨルグ=ソートスの腕時計を取りつけてくれた。


 あれっ、と発作的に思う。

 カスミ、いるの? なぜ? どうして? これ、やっぱりイリュージョン?


 ところがどっこい、微かな希望を踏みにじるのが現実だった。

 現実、これが現実……ッ。提供、某ギャンブル漫画の一条〇也さんである。


 ああ、せやせや、と脳内に直接声が響く。イヌセンパイとやらからだ。


『なんか色々と現状把握に努めているみたいやが、安心してくれ。ここはキミにしてみれば間違いなく異世界。ナイアルラトホテップたる俺が保障する。ほんでキミの身体は防疫済み。それから従者がいないと困るやろ思って、キミのためだけに存在する戦闘メイドの、不可知の元暗殺者レベル1デスも連れてきといたで』


 こっそり、といった感じで脳内に声が入ってくる。

 どうやら神様――否、イヌセンパイとやらは公的なものと私的なものの二種類の万能意思伝達ができるらしい。ちっとも安心できない点を除けば、そこそこ対応してくれているらしい。なんなのこの嫌な神対応。


『そりゃもう、俺、ナイアルラトホテップやし。混沌を司るモノやし。ふひひ』


 ダメだこりゃ。邪神に期待する方が間違いだった。

 良いのか悪いのか自分でもよく分からないけれど、これらの短くてロクでもない会話で逆になんだか冷静になってきた。


 まったく、どうしてこうなった? 僕は目を細めつつもそっとぼやく。


『よし。光量をさげるってか、そろそろステルスしとこか』


 このイヌセンパイとやらは僕に案件を投げっぱなしで消えるつもりらしい。


『大丈夫。質問があれば答えるし。いつもキミの傍にいるで。トイレのときも』


 究極のプライベート空間を侵略するようなマネだけはやめてください。


『レオナちゃんって、小も便座に座って致す派やもんな。トイレ姿、可愛い』


 ちょ、この変態。いつから僕のことを覗き見しているんですか。

 ややもせず、中空で輝いていた光は急激に萎んでふっつりと消えてしまう。

 しん、と広間は静まり返っている。


 立っているのは、僕と、その存在そのものの気配を完璧に消しているので断言ができないが、たぶん僕専属の使用人のカスミの二人だけ。

 で、いきなりの放置プレイとくるか。海外産オープンワールドゲームみたいな扱いだ。自由度が高い=ストーリーは自分で作れ、みたいな。


 困った。ピアノを弾いていて、いつの間にか異世界に放り込まれて。

 果てには聖女だの教皇だのと混乱を誘ってくれる。

 ラノベ主人公のように現状を目を輝かせて喜ぶほど、僕は単純ではない。


「ええと、皆さん。立ち上がってください。何か発言があれば、それも許します」


 すると、どうだろうか。先頭の冠の男女を始め、白のトーガの面々は一斉に立ち上がるではないか。演技ではなく、まったくの自然体。地の姿の彼ら。

 その姿、やはり古代ギリシア・ローマ時代にでもタイムスリップしたかのよう。


「黒の聖女様。われわれはあなた様の御降臨を、切に願い申し上げていましたぞ」


 先頭に立つ月桂樹を模した金冠の男が、にこやかに、僕に、そう言った。


 ――そこから先は大変だった。げんなりの中の、これまたげんなりである。

 まず、初めに。

 ここはサン・ダイアルなる世界なのだそうだ。端的に、異世界である。

 僕は大小多々ある国の内、オリエントスターク王国という日本の時計企業のブランドみたいな名前の国の王に聖女召喚されていた。


 聖女とは、この国の前身であるオリエント共和国からオリエントスターク王国への動乱の変革期に降臨した救国の存在に端を発していた。

 それからというもの、これまでに三度に渡って聖女召喚により国の窮状を救い、王国を良き方向に導いたと伝えられている。


 宗教的な意味合いではなく、国難の際の救い手という意味での聖女である。


 彼女らの召喚は伝統的に国家元首、つまり国王が執り行なうものとされ、儀式には最低でも百年間の陽光と月光を練り込んだ聖晶石なる巨大水晶が必要となる。

 残念ながら僕は召喚時の混乱で確認していないが玉座の後ろ壁に専用の嵌め込み台があり、普段は宮殿中央部にある、王族しか立ち入れぬ聖晶石なる水晶のためだけの尖塔の宝玉台に大切に安置されているのだという。


 そして、ここからイヌセンパイのこっそり裏話が続く。


 聖晶石そのものは魔術触媒として確かに国宝級に有効ではある。

 が、この水晶の本来の役目はフェイクに過ぎず、それらしいものをそれらしく見せるための置物であるらしい。

 持ち主とその周りの者たち――つまり王家と、その民草の心の安寧が水晶に与えられた真の目的で、百年に一度しか使えないようにしたのは窮すればいつでも聖女が救ってくれる安易な考えを排除するために、だった。

 なお、タイマーは水晶に電流クオーツを流して得る振動ムーブメントにて換算し、設定した期間が過ぎれば願いに応じるというシステムである。


 イヌセンパイの狙いは間違いなく人類に有益で、しかも神とは思えぬ優しさがあった。元来、神とは無慈悲を表わす。


 が、僕にマジックショーの裏側を見せつけるような真似は、いかがなものか。本当に手品のタネを知ってしまった気分だ。素体が水晶だけにクォーツムーブメントはさぞや正確にときを刻むだろう。浪漫のへったくれもなく、ガッカリである。


 そんな世界の真実を教わりつつ、僕は王宮から流されるまま連れ出された。


 まずは王家一家に周りをがっちり囲まれて、更には数十の完全武装チャリオットに護衛された天蓋付き馬車にて市街を移動する。

 どこへ連れて行くのか。

 それは、競技場らしき石造りのスタジアムへ、だった。


 驚いたのはスタジアムには溢れんばかりの王都市民が詰めかけていたこと。


 グナエウス王曰く、前もって召喚の儀式は市民に広く伝えていたためららしい。

 そして王族専用のテラスにて、演説を――演説? 僕に、何を語れと?


 自分が召喚されるに至った理由、その概要は馬車内で一通り聞いてはいる。


 北の魔王、パテク・フィリップ三世が三十万の軍勢を引き連れてこの国に宣戦布告してきたこと。目的は婿探しであること。

 それで戦争などと意味不明だが、北の魔王国は物理的にも魔力的にも力こそすべてであると考える脳筋国家であるゆえの行動であること。

 これまでに集めた情報から予想される防衛戦は、半月後と見込んでいること。


 ああ、うん。ごめん。やっぱりわけが分からない。

 

 なんで婚活に軍勢が必要なの? バカなの? そんなに結婚したいの?

 つまり僕は、婚活魔王と三十万の魔王軍に対抗するためにばれたと?


 内圧上昇した圧力鍋の如く、ある感情を体内に留めて僕はテラスの壇上に立つ。

 そう。平然としているようで、僕は、怒っている。

 めちゃくちゃ、これ以上なく。


 あえて繰り返す。

 有無を言わせない召喚の挙句、僕は魔王とその軍勢を相手取らされる。


 どう思われますかこの理不尽。

 滾る怒りの正当性、ご理解を頂けるものと信じます。


 眼下には白いチュニカの人、人、人。

 牛の字を三つ合わせればひしめくだが、人が三つ合わされば漢字では何になるのだったか。たしか、ぎん、だったか。

 見ての想像の通り、人の集団を表わす文字である。スタジアムは観客席からアリーナに至るまで王都市民で埋め尽くされている。ふはは、見よ、人がゴミのようだ! 何万人いるのだこれは。恐ろしい。


 口を開きかけて留まる。無茶振りをかけられて更に怒りが募り来る。

 いっそこのクソ野郎どもがと大音声で痛罵し、嫌味で口汚い生粋のフランス人でさえドン引きする暴言を滝のように吐き散らしてしまえれば。

 僕にとってこんな国、どうなろうと微塵も関心がない。


 いや、もちろん、そんな愚かな所業をするつもりなど毛頭ない。

 つもりはないが、やってしまいたい。暴言、吐き散らしたい。

 この二律背反が悩ましくも怒り爆発を誘ってくる。


 繰り返すが、そのような愚かしい所業、決してするつもりはない。


 ないのだが――、


 ああ、もう、本当に! 本当に、もう! 

 国を挙げての怒涛の身勝手さは、どうなのさ!


 周囲に悟られぬよう深呼吸する。と、同時にがくりと全身の力が抜けた。

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