第6話 望まぬ聖女の異世界召喚 その3


 僕の中の精神抑制が功を期したのではない。

 あろうことか、イヌセンパイが、僕の身体を乗っ取ったのだ。


『あかんで。それをやらかすとキミの身が危ない。さすがに看過できん』


 脳内に直に響いてくる。

 まるで癇癪を起こしかけた幼い弟妹を諭すように、優しくも厳しく。


 いや、耐えがたきを耐えつつも、彼らが求めるスピーチくらいはできる。


 ここだけの話、かなり危なっかしかったのは否定できないけれども。

 釈明させてもらえば、男女のホルモンバランスがいまいち不安定なところが自分にはある。それは精神的に脆弱な部分があるということ。

 男なのに女を演ずる一種の副作用といったところか。望んで女の子になりたい男だったら、もっと安定していただろうに。


 とき悪く、イヌセンパイが身体を乗っ取ったタイミングが奇跡的なほどに絶妙だった。まあ、アレは邪神とはいえ神だからそれも当然かもしれないが。


 何を言っているのかというと――、

 壇上に立たされた僕は静かな苛立ちにて想いを逡巡し、スピーチをしようとしては話さず、さすれば眼下の愚衆が不審気にざわめき、それでもなお話さず、やがてはしんと黙ってこちらへと一心に注目した瞬間でもあったのだった。


 奇しくもかのドイツ第三帝国総統、アドルフ・ヒトラーが取った演説手法をそっくりそのまま真似た形になっていたのだ。


 そして、僕の身体を操るイヌセンパイは、静かに語り始めた。


『わたくし、キリウ・レオナは嘆いています。この国に置かれた惨状を。


 北の魔王、パテク・フィリップ三世は私的理由にて魔族魔物魔獣で構成する大軍団を擁し、この美しき国、オリエントスターク王国に宣戦布告をしてきました。


 その数、三十万。一方、われらは国防臨時編成軍にてその数、十万。


 攻者三倍の法則。ただしそれは対人の防衛戦ならばいざ知らず、あなた方も知っての通り魔族は個々において人族よりも圧倒的に強力です。

 現状を鑑みれば、三倍の数的戦力差は絶望に近い。このままでは婿探しと言うけったいな宣戦理由で国は蹂躙され、男たちは殺され、女子供は間違いなく凌辱を、加えてあなた方の財はすべて略奪されるでしょう。


 ですが、この国にはひときわ大きな希望があります。輝ける星オリエント・スターが。


 古来より三度に渡り――、

 異世界より召喚されし聖女伝説はよくご存知のことでしょう。


 三度行なわれた聖女召喚でやってきたのは、いずれも白の聖女でした。

 彼女らは単騎にて、その恐るべき武力にて戦闘を得意とする者。

 武器を持ち、魔を滅ぼす美しき勇士たち。


 百二十年前に起きた異界の神に支配された悪意なるドルアルガの塔の変事。

 かの塔は魔性の誘蛾灯の如く異形の怪物を呼び寄せ、王国を滅ぼさんと猛毒の瘴気を振りまきました。しかも六十階建てのかの塔を制するにはその性質上、軍団の投入は不適でした。巨大な塔とはいえ、実質は区画された屋内戦闘ですから。


 三百五十年前に起きた、狂える闇の創造神スコトスが引き起こせし、地下深く広がる深淵のローグ大迷宮事変。

 三か月以内に最深部に達しなければ、迷宮を守護する地平を喰らう蛇が王国を丸のみにすると、かの神は嘲りそして消えた。入口の、地獄門を潜れば迷宮は常に変化を起こし軍の機能を霧散させる。兵站が滞っては軍は無力化してしまう。


 五百年前。始まりの聖女召喚は、共和制から王国への転換期に行なわれました。

 転換期というのは国体の重大案件であるため、異世界人であるわたくしが当時の内情を軽々けいけいに語るつもりはありません。

 ただ、記録によると西の魔王たるオーディマー=ピゲルクが単騎にて共和国を滅ぼさんとしたとのこと。初代聖女は魔王を撃退し、荒れた国土から肥えた土地へ国民を導き、以後の指導者として自らの系譜とする新王を任命しました。


 繰り返します。

 これまでの聖女召喚でやってきたのは武の誉れ立つ白の聖女たちでした。

 そして、わたくし。

 わたくしは教皇位に座す、黒の聖女。後方支援を得意とする者。


 別に称号で戦うわけではありません。ですが、これを聞いて失望を覚えた方もおられるのではないでしょうか。

 しかし、黒の聖女たるわたくしは、皆さんの前で高らかに宣言をします。


 人に向き不向きがあるように、いくら個の力が強かろうと白の聖女では三十万の魔王軍を相手取れません。

 仮に、吶喊とっかんをかけても軍勢が彼女を呑み込んでしまいます。

 首魁たる魔王の首を狙う斬首作戦も、そこに至るまでの軍の壁があまりに厚すぎて現実的ではありません。


 ですが、わたくしなら魔王軍を倒せます。

 これは非常に大切なことなので、もう一度言います。

 魔王軍を、倒せるのです。


 わたくしが巡らせる策謀が、わたくしが兵士たちに掛ける祝福が、わたくしが教導する調練が、わたくしが構築する城壁が。


 わたくしがしたためる勝利への方程式そのものが。


 実際に戦うのはあなた方です。国民が国難に立ち向かわないで、何が国民か。

 あなた方は無力か。いいえ、無力ではありません。

 あなた方は愚かか。いいえ、愚かではありません。

 戦う力を持ち、考える知恵を持つ。だからこそ、このような美しい国がある。


 確約しましょう。

 想像を絶する優位状況を作り、わたくしたちはこの難事へ臨むと。


 それを用意するのが、黒の聖女たる、わたくしの仕事です。

 そしてすでに準備段階は走り出している!

 魔王の軍勢の動きを聞くに、予測では、半月後の戦闘となるでしょう。


 こう言ってはなんですが、わたくしは非常に楽しみなのです。

 あなた方は賞賛を受けるべき偉大な英雄候補です。


 ええ、そうです。半月後、たくさんの英雄が誕生していることでしょう!』


 導入部はゆっくりと、そして静かに話を進め、現状を説明し、このままでは将来どうなるかを明確にする。

 そして三度の変事と白黒の聖女の違いに触れる。

 やがて話のテンポを上げていく。

 呆れた話術だ。こんなの僕のキャラじゃない。

 あえて言うならば、立てよ国民、といったところか。


 この世界には魔術と魔法があるらしく、拡声器機能を持つ魔道具にてイヌセンパイが操る僕を通し、演説がなされていく。

 最後はあからさまな煽りまで入れて確約と言う名の大宣言をする。

 無責任なと思えど、操られる僕にはどうしようもない。

 ただ、その口八丁に乗せられた市民の熱狂ぶりは凄まじかった。かの第三帝国伍長閣下もご満悦だろうほどに。


 眼下より、波動のような市民の叫び声が聞こえる。

 悲壮感のない、ただし、狂気に満ち満ちた歓声だ。目がイッている。危ない薬でも脳に直接ワンショット撃ち込んだような。


 なぜにそこまで煽る。

 僕にかかるハードルがどんどん高くなるではないか。

 国とは国民に夢を見せる造夢機関の側面を持つ。要は、デカい嘘は、バレにくい。とはいえ、これでは目が覚めたわれにかえったときの反動が怖すぎる。


 いっそ高すぎるハードルなら潜ってしまえれば楽なのに。

 手を挙げて歓声に応じる僕は、しばらくして用意された席に戻った。


 逃げたいなぁと思いつつも、ガッチリ身体をイヌセンパイに奪われているのでどうにもならない。表情筋の動きで予測するに、僕はアルカイックスマイルを湛えた神秘的な聖女を演出しているようだ。所詮人間など、見た目で大半を判断してしまう。聞いたことあるだろう。人は見た目がすべてだと。あれは事実だ。


 やめてくださいイヌセンパイ。この世界の人々に悪質な詐術を弄さないで。


 そうこうしているうちに陽は落ち、やがて、絶賛に次ぐ絶賛、熱狂の渦巻く中で聖女召喚の式典が終了した。

 そうして僕は、イヌセンパイの拘束から、解放された。


 後ほど王都市民たちは、宮殿からの下りモノとしての食事が振る舞われる。


 市民が平時に食べているものより遥かに上質な小麦粉を用いたパン、熱した灰で作るゆで卵+魚醤、肉と野菜のたっぷり入ったシチュー、塩をまぶした魚肉団子の串焼き、チーズ、ぶどう酒、エール、甘味に各種果物など。

 確か帝政ギリシア・ローマ時代でもテルマエふろの他に民衆の心を掴むためのパフォーマンス式典や、それに伴う食事の振舞いなどを度々行なっていたはずだった。なるほど表面上であれ文化文明が似ていれば、政策も似通るらしい。


 それは、ともかく。

 市民へのパフォーマンス式典が終われば、次は王家主催の立食式晩餐会だった。

 主賓は、言わずもがなの黒の聖女様――僕だ。


 うわ、もう、アレですよ。アレがアレなのですよ。

 語彙がおかしくなるほどアレですよ。


 げんなりの次はうんざりと来るか。そのコンボはさすがにいただけない。

 と言ってこれは溜め込んだ怒り由来の感情ではなく、元世界を基準にして出された食事が比べようなく拙く、しかもマナー皆無のフリーダム様式だったためだ。


 ああ、ごめん。

 嘘です。


 何がって、怒り状態での不味い食事など、間違いなく火に油ではないか。

 しっかりと溜め込んだ怒気に、容赦のない刺激を加えてくれる。


 せっかくなので、簡潔にどんな様相だったかを書いておくとしよう。


 食事の基本は、大皿からの手掴み。まあ、古代様式としては当然なのだろう。

 そして、最大にして基本のマナーは――、


『大皿より手に取り、口に持って行った料理は、再び大皿に戻してはならない』


 だけだった。


 他に食中の『ゲップ』を推奨していたり『放屁』は我慢せず垂れることなど、何その原始人スタイル、なのである。もちろん元世界基準で見ればこれこそテーブルマナーの祖流であり、やがては優雅さが絡まり気品に至るものなのだが。


 飲料については、まず代表的なものとして生温いエールが挙げられる。

 アルコール度数は低く、泡も申し訳程度しか立っていない。まるで病気の小便だ。これをヒ素対策の磨かれた銀杯で呑む。


 そういえば僕の姉たち曰く、エールは冷やし過ぎない方が良く、十五度前後のものが一番風味を感じられて美味しいとかなんとか。

 だがこの銀杯の『それ』は温すぎるし酸味が強すぎた。せめてもう少し冷えていればまだ呑めたかもしれない。


 他には無駄に甘くおまけに口に変なえぐみを残す水割りの白ぶどう酒か。

 王宮で出されるものでこの程度なら市井一般のぶどう酒はというと、ちょっと考えたくないものがある。アルコール度数はどんな比率で水で割ったかわからないのでなんとも言えない。おそらく水が三で酒が一くらいではないかと思うのだが。


 これも銀杯で呑む。ちなみに元世界では僕は十七歳の未成年に過ぎないが、こちらの世界では数えで十五歳で成人と見なされる。

 なので王の顔を立てるためにも形ばかり飲むふりをしている。唯一味覚としてマシだったのが柑橘系果実酒だった。口にピリピリする銀杯でしかも生温い上にアルコール度数も低い粗悪品だが、それでも控え目な甘みが舌と喉に優しかった。


 晩餐会は立食形式であるため前菜や主菜などは意識されない。

 食事は手掴みで行なわれるのは最初に書いた。


 あらかじめ切り分けられた肉料理、フォアグラみたいな食感の鳥類の肝臓料理、鶏ではなさそうな手羽先を焼いたモノ、猪か豚かはわからないがとにかく豪快な丸焼き、兎料理は高級品で、なんとタコらしきものを炭火焼きにしたものもある。


 どうやら古代ギリシア・ローマ時代と同じく、牛は労働用に区分されているようで料理に出さないらしい。肉が硬くなり過ぎて食用に向かないためだった。面白いのは日本では超高級食材となったウナギが香味焼きとなって鎮座ましましていることか。だが、どれもがあまり美味しくない。これでは食材がもったいない。


 なお、パンは随所に用意されているので適当に千切り、料理と一緒に食べる。


 鮮度面が怖い、生牡蠣や生ウニらしき海産物に魚醤またはレモンのような柑橘果汁をかけて食べる料理などもある。

 基本的に手掴みで食べるためそこかしこに手洗い鉢が用意され、侍女らが手拭き用の布を持って傍に待機している。一応衛生観念はあるらしいが、さて実際にその水や布が清潔なのかは、かなり疑問だ。


 デザートは主に果実類で、ザクロやスモモらしきもの、有毒物としか思えない棘付きどどめ色の実、小麦とミルクとオリーブ風味の油で捏ねて窯で焼き、蜂蜜をかけて食べるフォカッチャみたいな菓子などもあった。


 今は非常事態の戦時であるため、通常なら一晩中行なわれるとされる晩餐会は大体三時間ほどで幕を閉じた。

 そもそもこんな呑気なことをしている場合ではないと思うのだが、しかしそれでも宮殿の諸将、宮廷魔術士、高位文官、あるいは王都の名士たちと顔繋ぎをしておくのは有効な手立てと言えよう。向こうも僕と話をしたいようだったし。


 ちなみにオリエントスターク王国は僕たちの世界で言うアレキサンダー大王の政権方式を取っているため、臣下は全員公務員であり貴族階級は存在しない。


 不味い料理を食べずに済むと割り切って、僕は主賓としての応対に励んだ。


 会の間、オリエントスタークグナエウス国王はずっと上機嫌だった。

 その王妃も同じくだ。二人の王子と王女も、自分たちの立てたシナリオ通りにコトが進んでほっとした様子だった。


 ただ、この王族一家。

 ときおりこめかみを抑える動作が気にかかるが、偏頭痛か何かか。

 少なくとも自分のせいではないのはわかるのだが。

 いや、あれはもしかすると――。


 僕は目を細めた。そして見ない振りをした。

 見ず知らずの他人の体調など、いちいち気にかける必要はないだろうと。

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