第4話 望まぬ聖女の異世界召喚 その1


 今や実質的に――、

 世界各国の経済と軍事と政治を握る桐生一族に、真なる友などいない。

 王者に聖域はなく、手に配すべきは駒。

 友がいるとして何になろう。

 お前たちよ、王の一族として強くあれ。

 団結せよ。決して裏切るな。敵は、無数にいるぞ!


 現桐生グループ総帥、桐生善右衛門の有難いお言葉である。


 要するに、僕には友だちがいない。ボッチである。


 いや、総帥たる祖父の言葉を引き合いに言い訳をしているわけではない。

 わけではない、と思うのだけれども。


 一族内でさえ、とある事件を経てからというもの、僕は孤立気味になっていた。どう言えばいいか、畏れられている。なので誕生日のお祝いも、内々にする。


 ボッチ。良く言えば孤高。誰にもまつろわぬ者。

 悪く言えば周囲から浮いた人。パッシブレビテーション。


 話に沿って、次期総帥に最も近い人物に、桐生葵きりうあおいという女性がいる。


 彼女は善右衛門の妾腹の子だった。が、あまりにも美しく、あまりにも優秀、あまりにも王としての立場に適性を持つがゆえに、実力主義の祖父は他の血族を差し置いて彼女を次代の総帥候補として選んだのだった。


 そしてそんな彼女には、ちゃんと二人の友人がいた。


 もちろんこれには理由がある。彼女がまだ桐生を名乗る以前からの、と言えばお分かりになられるだろうか。

 つまりは損得抜きの、本来的な友情を育んだ友がいたわけだ。


 羨ましい。生まれもっての桐生である僕には、とうてい得難い存在である。


 さて、姉たちが祝ってくれる誕生会も宴もたけなわとなった、五月連休ゴールデンウィークの夕刻。


 まだ未成年なので僕はアルコールを呑まないが、代わりに三人の姉たちはしこたま痛飲していた。汚い表現になるけれど、ゲロ呑みである。他に呑むものがあろうに、彼女らが好むのはアードベックという銘柄であった。


 好きな人はとことん好き、嫌いな人は見るのも嫌。

 そんな極端に癖の強いウイスキーだった。


 この酒、正露丸の匂いそっくりなのである。

 つまるところ超クサイ。

 正露丸のフタを開け、スンスンと嗅いでウッとくるあの感じ。


 結婚適齢期に焦りが出ているのに、あまり変なものを呑むものではありませんよ。余計なお世話かもしれないけれど。


 先に触れたように三姉妹は痛飲の末、酔っぱらってべろんべろんである。

 昼間からこんなで大丈夫かと思われそうだが、彼女たちに限っては、それに関しては平気なのだった。プラント化させ、身体に仕込んだ簡易キュア恒常性レッサーナノマシンコンディションを働かせば、三十秒でアルコール成分を全分解、素面に戻る。


「むっはぁー。レオナちゃーん、なんか弾いてぇ」


 一番上のコダマ姉さんが言う。

 すると二番目の姉、ヒカリ姉さんがすかさず口を挟む。


「どうせなら超絶技巧系が良いなぁー。ラフマニノフいっとくー?」


 簡単に言ってくれる。僕の腕前では、アレを弾く前に指の準備体操的に別な曲をいくつか弾かねばならない。

 すると三番目のノゾミ姉さんが一応の助け舟を出してくれた。


「宇宙人が地球寄ってく? みたいなノリで言わないのー。ラララ無人くーん?」

「そのネタなんだっけー。わたしまだ生まれてないからわかんないー」

「あっはははっ、わたしもわっかんないよー」

「おいこら嘘つくなー。わたしら全員同日日に生まれてるでしょうにー」


 酔っ払いが三人である。性質が悪いのである。

 逃げたいなぁと思いつつも本日の主賓は自分なので逃げられない。

 そうこうしているうちに、曲目が決まったようだった。


「「「とりあえずショパンで」」」


 何その居酒屋に行ってとりあえずビール的な注文の仕方は。

 草葉の陰でショパンが怒り心頭になっていそうだ。本当にすみません。何分酔っ払いの前後不覚放言ですので、どうかご勘弁を。

 しかも偉大なる作曲家の、氏のピアノ曲は基本的に超絶技巧揃いではないか。

 面倒くさすぎてアルコールを呑んでもないのに吐きそうだ。


「じゃあまず比較的簡単と言われる『革命』で!」

「うおおっ、殿っ、謀反でござるぞ!」

「敵は本能寺に在りなのね!」


 確かに明智光秀が起こしたとされる謀反は、その後を踏まえれば革命に似たものではあるけれど。ちなみに黒幕は、羽柴秀吉・秀長の極悪兄弟。

 でも、それ、ショパンと全然関係ありませんよね? 単に呑み過ぎですよね?


 僕たちは誕生日パーティに使っていたサンルームを出て廊下を抜け、完全防音のピアノルームへと向かう。

 姉たちの怪しい足取りはまるでホラー映画のゾンビのようで大変危なっかしい。

 と言って一人の手を取ると残りの二人が心配になる。

 なので、三人を縦に並べて僕を先頭に、長女次女三女と順に両肩を掴んだ変則ムカデ競争染みた格好で移動する。


 部屋に着いたらソファーに一人ずつゆっくりと座らせる。まるで介護人である。

 たしか今日は、僕の誕生日を祝ってくれていた気がするのだけれども。

 はて、なぜにこうなったのやら。


「ちょっと姉さんたち、尋常でなく正露丸くさいよ」

「むはぁー。この香りが良いのよ。偉い人にはわからんのですよ。むっはぁーっ」

「だからやめてってば。しようがないなぁー」


「レオナちゃんも成人したらお姉ちゃんたちと一緒に呑もうねー?」

「成人初めの酒がこんな癖の強いウイスキーとか、やめてくださいね?」


「お勧めはやっぱりアードベックー。あとはラフロイグとタリスカーかなー」

「それ全部、癖の強いものばかりですよね? 本当にやめてくださいね?」


 僕はすぐ傍で控えているであろう使用人のカスミに、アルコール口臭対応の消臭スプレーを念入りに撒くよう命じた。


 彼女は僕の影。


 頼んでもないのにメイド服を着込み、普段は気配を完全に断って僕の身の回りを甲斐甲斐しく世話をする。それはボディガード的な意味合いも含まれている。

 今回も彼女は、はい、と思っていたより間近で返事をして命令通りに消臭スプレーを噴霧した。ぷしゅー、ぷしゅしゅー。


 場のセッティングは一先ず整ったと強引に決めつけて、僕はグランドピアノの座席に腰を下ろす。大屋根と鍵盤は既に開かれている。カスミが先んじていた。


 軽く、左手の指を順に何度も動かしておく。あっ、と思い出して左手首につけていた自動式腕時計をカスミに預ける。


 ちなみにこの時計、ヨルグ=ソートス(YOLG=SOТHOТH)というブランド名を持つ桐生自社製品で、機械式にして年時差がほぼ零という異常な精度から、とある魔術教団では最極の空虚たる外なる神『ヨグ=ソトース』の祝福を受けているとまで囁かれるマニア垂涎の高級品でもあった。最低価格、一千万円より。


 中でも僕の持つWD――ワールド・ドミニオンは桐生一族でも秘匿されたごく一部の血族だけが持つ曰く付きで、銘が示す通り、世界の支配者の意味が込められている。にもこの春、僕は、これを所有する資格を得てしまっていた。


 滑らかに動く左手の指に、うん、と一人頷く。

 一曲だけ、最近の流行曲のピアノアレンジを弾く。指の準備体操である。


 そして本番。


 ショパンの『革命』は作曲した最初の練習曲集の、その十二番目の曲だった。

 この曲の特徴は、非常に速いリズムで左手を酷使するところにある。


 一八三〇年代当時のフランスから端を発し、ベルギー、イタリア、ワルシャワと革命の嵐が起きたまさに激動の時期に彼はこの曲を作曲していた。

 ショパンはリストにこの曲を贈り、初めてこれを引いたリストがこれを『革命』と名付けるのだが、なるほど言い得て妙というものだろう。


 出だしからフルスロットルで左手を酷使する。しまったな、更にもう一曲ばかり指の準備体操に弾いておけばよかったかなと思いつつもスルスルと弾いていく。


 ピアノを弾くときの僕の癖は、両眼を閉じてしまうこと。


 楽譜は完全に記憶済み。

 当然、鍵盤など見えなくても指先が覚えている。

 むしろ視覚が入るとイマイチ曲に入り込めないのだった。

 音楽は、耳と肌で感じ取ればいい。


 そうこうしているうちに約二分半の演奏は終わり、僕は閉じた目を開いた。

 するりと振り返る。

 姉たちは、だらしなくソファーに身を預け、大口を開けて爆睡していた。


「この曲で寝られるだなんて……」


 絶句する。

 しかし、その寝顔には幸せそうな表情が混じっているので怒るに怒れない。

 というのは建前で、本音は彼女ら三姉妹の吐く息が悶絶級に正露丸臭いため一度消臭された鼻では近寄りたくないだけだった。


 僕はカスミに命じ、今一度消臭スプレーを噴霧させた。


 姉さんたち、普段は賢くて優しく美人で、まるで高嶺の花のような女性なのに。

 それがこのザマ。酒の趣味が、残念なほどに独特すぎる。


「もう一曲、いかがですか?」


 返事を期待せず僕は姉たちに問いかけて、再び目を閉じて勝手に弾き始める。


 次の曲は同氏のバラード第一番ト短調作品二十三。ショパンの作曲の中でも極めて有名な曲の一つ。昔見た映画の『戦場のピアニスト』でこの曲を弾くシーンがあったことを思い出す。どんなシーンだったかまでは思い出せないけれども。


 曲目の技術的な面を書いてもピアノを弾かない人からすればちっとも面白くないと思われるので、この曲の背後にある物語性に軽く触れるだけにする。


 そもそもショパンのバラードは四曲からなされており、それぞれの曲には、それぞれの文学的な側面を持っていた。


 元ネタに当たる詩はポーランドの詩人ミツキェビチの作品らしいのだが、それ自体はどうでもいい。物語の最終的な悲劇性を予兆させる不吉な低音の『ド』のユニゾンから、まるで語りかけるようなラルゴの序奏が始まるのだった。


 昔。十字軍遠征の時代。

 東欧のとある国は十字軍との戦闘に敗れて幼い王子を捕虜に取られてしまう。

 王子、そのとき、まだ七歳の幼年である。

 政治的には敗北国に対し屈従させる意図もあるのだろうが、彼はショタコン的な意味合いをも踏まえて敵方の首領の養子にさせられてしまう。

 やがて元王子は十字軍きっての勇敢な騎士へと成長し、首領の後を継ぐ。

 そうして彼はあらん限りの調略を巡らせて祖国の復興を成功させるが、代償に裏切者として処刑されてしまう。


 これが概要である。多少、僕の悪意も含まれているが、まあ良しとする。


 ゾッとする内容ではあれど曲として弾く分には抒情的で美しかった。僕は目を閉じたまま、囚われの王子が乱暴されている姿を思い浮かべつつ鍵盤を連ねていく。


 彼はまだ男として見られている分、僕よりはマシだった。その尻一つで祖国の復興まで果たした。なんであれ、英雄である。


 ああ、ああ。このやるせない苛立ちはどこからやってくるのか。

 果たして僕は、元の男に戻れるのだろうか。

 逆らえぬ桐生宗家の命令とはいえ、なればこそ、女の姿でいる屈辱の炎はどう鎮火すれば良いのか。今度は、命を含む何を焼き尽くしてやろうか。


 思えば五年前の、わが桐生一族が経営する桐生学園ミスカトニック大学付属中等部学校への進学が確定したあのときからだった。


 当時の僕は十二歳、小学六年生だった。平均的な身体の成長観点からすれば、男としての二次性徴が始まったばかりの歳でもあった。


 桐生宗家の命令で、この日を境に僕は心は男でありながら女に変えられた。

 性別自己同一性障害の人々の、社会的受け入れを強化する一策として、一族からモデルケースを選出するために。


 二次性徴を迎えると男はより男らしく、肉体的には肩幅が広がり筋肉に厚みが生まれ声が野太くなり髭やすね毛、ときには胸毛などの体毛を濃くしていく。

 女性は身体に丸みが生まれ、華奢な肩幅、胸や尻が大きくなり、代わりに腰が締まり気味になる。体毛も多少濃くなるが、男に比べれば遥かにマシだろう。


 カストラート、という呪われた単語を聞いた覚えはないだろうか。

 それは、去勢された少年聖歌隊を意味している。


 変声期前の美しいボーイソプラノの維持を目的として、意図的に睾丸の除去を行なうというものだった。まあ、これについてのコメントは、あえて差し控える。


 僕の発する声は、カストラートの玉無し少年たちと同じ声だ。

 いや、メラニー法とハイトーンボイスを掛け合わせているので彼らよりも高く、そして女性的であった。


 僕の身体は一千万単位の医療用ナノマシンの注入によって性ホルモン分泌の抑制と増大を人為的に調節していた。少し医療方面の突っ込んだ話になるため簡明に書くと、要するに下垂体によるホルモン分泌制御機能を掌握してしまうのだった。


 そうして精巣のライディッヒ細胞や副腎皮質などからアンドロステンジオンを分泌させ、テストステロンとなり、これをエストラジオールへと不可逆転化させる。


 エストラジオールはエストロゲンの一種で女性ホルモンとも呼ばれる。他にも別種の、数千万から億単位のナノマシンを使って体内の整合性を管理させているが書き始めると終わらないので書かない。


 結果、僕の身体は骨格レベルから女性のように華奢なままで、臀部はこれまた女性と同じく丸みを帯びた桃尻に、併せて胸部もどんどん膨らみ、事実、Dカップにまで至っている。これを医学的にはエストロゲンによる男性女性化乳房という。


 男性ホルモン分泌は女性並に低下し、というよりは女性ホルモンに転化させるためペニスは一向に成長せず、睾丸もまた同じ。股間サポーターも必要ないほどで、女性用ショーツを履くだけでわずかな痕跡を残して一物を隠せてしまうのだった。


 一応、大学卒業と共にこの憎らしい身体は新たな命令を書き込んだナノマシンによって本来あるべき身体へ戻すと聞かされてはいる。


 だが、本当に、戻れるのか。


 十二歳の頃に注入し定着したナノマシンによって阻害されるのではないか。

 そもそも、この不自然な状態を身体がすでに自然なものと捉えてしまい、元に戻れないのではないか。不安で仕方がない。


 お姉ちゃん、と僕は曲を弾きつつ目を閉じたまま呟いた。

 コダマ、ヒカリ、ノゾミ。三人の実姉。


 自分としては少々恥ずかしい性根を吐露するに、僕はこういった不安に駆られたときは決まって姉たちに抱きついて甘えていた。

 彼女らは、そんな僕を、快く受け入れてくれる。


 自覚はある。自分が重度に溺れるシスコンであることを。

 お姉ちゃん大好きっ子である。


 両親は当てにならない。年中ほぼ不在だから。

 そんな中、自分には制御し切れない不安にてられたとき、いつも身近にいてくれる姉たちに頼ってしまうのは、自然の成り行きではなかろうか。


 何より僕の身体は、半分、女性なのである。

 かの哲学者ニーチェは言う。精神など肉体の玩具に過ぎないと。

 となれば僕の精神も半分は女性だろう。

 女同士の一次接触コミュニケーションは濃厚だと聞いた覚えがある。

 つまり、僕が姉たちに抱きついてもなんらおかしくはない。


 以上の想念に苛まれながらも僕はショパンのバラード第一番ト短調作品二十三を弾き切った。雑念にまみれた演奏だったけれど、そこそこ弾けたと自負をする。まあ、姉たち三人は泥酔し切ってちっとも聞いてませんけれどね。


 ところが――、


 想定外の、まさに、異常事態が起きた。 

 大喝采。万雷とまでは行かないが、かなりの人数の。


 はっと、僕は目を開けた。

 姉たちの声ではない。もっと男女の混じった――いや、待て。状況が掴めない。


 くるりと、身体ごと、振り返る。


 くまなく白い。まるで塩素漂白でもしたかのような、天井に壁に床。 

 連想するのは現在のギリシアの、白亜の神殿か。いや、あれは元々は極彩色であったと最近の論文を読んだ覚えがあるのだが。


 何やら部屋の奥の方に玉座のようなもの見える。となれば宮殿の謁見の間か。

 ともかく、不明の場所のド真ん中に、僕は、いた。

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