血の滴らない焼肉

「焼肉、ですか?」


 そうケータイ越しに聞き返すと、見えはしないが多分。先輩は脳天気な顔をにこにこと微笑ませながら朗々と、


「うん、そうだよ! 年末……つまり、明日ね。予定空いてるよね?」

「まあ、空いてますよ」

「うちの家さ、いつもは年末に焼肉食べるんだけど……両親は今海外だし、妹は友達の家に泊まるし……友達も予定が埋まっていて。つまり、その……」


 元気だったのは最初だけで、すぐに言葉に詰まっていった。

 まあ、年末の恒例行事をしたいが、一人焼肉は嫌だし折角なら彼女である私を誘いたいという考えなんだろうけれど、


「普通、年末って蕎麦とか食べません?」

「あはは……と、とにかく。僕が奢るから、ね?」


 意地悪にからかってもいいけど、流石にそれは先輩がかわいそうだ。割と切迫した声色だし、あと……


「はい、わかりました。クリスマスの日は私に付き合ってもらいましたから、まあそれくらいはいいですよ? それに━━」

「ありがとう小夜ちゃん! 時間は後で送っとくから、じゃ!」

「あっ…………」


 さっさと切られた。やっぱり先輩はこう……女の子の扱いが下手だ。名崎先輩は女の子みたいなヒトなのに、その辺がもうどうしようもなく下手だ。


 そもそも年末にカップルが焼肉屋で食べるなんて少し違う気がする。……いや。ファミレスなら文句を言わなかったのだろうか? 高い店に奮発して連れてかれても……うん。多分、何かしら文句が浮かんでたかな。背伸びしているところを見れたら、嬉しくなれたけど。


 ……愚痴りたかったけど、先輩との食事が楽しみなのは事実だったのでスマホを投げるのはやめた。




 そして、翌日の31日。

 窓を見れば……薄く青黒い空から、白雪が深々と降り積もっていた。


 どうせ焼肉をするんだし、臭いついてもいいラフな格好に上着でいいかと思ったけど……やっぱりデートっぽい事をするならもうちょっと気を使った格好にしてくればよかった。先輩は全くもって普通の格好だった。

 

「じゃあ、何頼もうか?」


 その言葉に、前もって用意していた言葉を並べる。


「適当な野菜と、2人前の肉を適当に持ってこさせましょう。カルビとか、ロース肉とか……あ、ついでにホルモン……そうですね。ハツとかレバーを一人前で」

「…………」

「……何です?」

「いや、バシバシ決めるねーって。よく来るの? 焼肉」

「はい、焼肉ぐらい。普通に知ってますから」

「そっかあ……」


 別に、ほぼ初めての事だからどうすればいいのかわからないので予習したとか。そんな事はない。ない。一応文化祭の後に少しは……ほぼ他人の焼いた肉を取ってるだけだけどやったし。

 ただ段取りが立たないで恥晒したり……何が美味しいのかとか、そういうのがわからないままやるのが嫌なだけだ。だから予習をしてきた。


 ……先輩がにやにやしだした。かわいいけど何か心に形容し難い想念が渦巻いているのがわかる。この後食べてやろうか。



 そして、まあ。頼んでからしばらく文芸部としての話━━新作小説とか、来年の活動はどうするかとか。そういう話をしまして。


「お待たせしましたー」


 烏龍茶が届いて少しの後、野菜と肉が届く。あとご飯も。ここまでは調べた通り……肉は確か表30秒、裏15秒程度。だったっけ。


 トングで慎重に取って網の上に乗せる。……肉の焼ける音が響いて、脂が下に落ちていく。

 それが網下の火に包まれ、煙が少し立ち昇り…………それらしい匂いが、してきた。


「ふふ、やっぱり焼肉は誰かとやらないとねー」


 先輩は随分と手慣れた手付きで野菜も肉も纏めてどんどん置いていく。やはり焼肉玄人なだけはあるキビキビとした動作だ。


「そこのカルビ。焼き上がったよ」

「じゃあ……いただきます」


 焼き上がったお肉……カルビはバラ肉だったはず。を箸で摘んで……。


「あ……美味しい……」


 クドくない程度に柔らかく、熱い脂肪分が口の中でとろけ、噛むたびにしっかりとしたタレの味わいが広がっていく。それに……思っていたよりも香ばしさがある。


「もしかして、煙のおかげですか?」

「うん。網焼きだと下に落ちる脂のおかげで少し燻されるから、香ばしくて比較的さっぱりした味わいになるはずだよ」


 なるほど。網焼きと鉄板とかで焼く場合にはそんな違いがあるのか。

 そして先輩は肉を移してはひっくり返し、私の皿に乗せてくる。


「小夜ちゃんも遠慮しないで、どんどん食べてってね」

「あ、はい!」


 お肉を食べるほど、箸が進んでいく。濃い味付けだから野菜やご飯と食べると甘味としょっぱさが程よく合って……それに、先輩がどんどん焼いてくれるから、歯止めが効かなくなってしまう。


「美味しいかい?」

「はい、とっても!」

「いやー、よかったよかった。じゃ、僕もっと……」

 

 そういうと、先輩は小皿にタレを入れ……て…………。


「あ……!! せ、先輩! そのタレは使わないでください、多分にんにくが入ってますから!!」


 鼻に響く厭な臭いに気付けたのは、幸運だった。必死に私は先輩に、その愚か極まりない行為を止めさせて……先輩は。少しよくわかってないみたいな顔をして、


「え……あ、ああ……うん。わかったよ。えーっと……こっちは多分入ってないし、塩でも多分いいかな?」


 ……危ないところだった。この後の事を考えたらにんにくの残り香がある先輩なんて全くの台無しだ。単に口に臭いがつくという点でもダメなのに、全く先輩は無用心にも程がある。

 焼肉の先達として少し頼れるような雰囲気を出してはいたが、やっぱり先輩は先輩だ。警戒は怠らないようにしよう。


 ……そして。ここからはちゃんとボロを出さないようにしないと。



「じゃ、次はこのお肉を…………先輩!? このお肉上に塩とネギが乗っています!? どうやって焼けばいいんですか!!?」

「あ、タンはね……」


「…………!? 先輩、ご飯の上にお肉を乗せてもいいんですか?」

「いや、普通でしょ」


「ジンギスカン……羊? 羊肉ですか……いや、別に羊が悪いってわけではないですけど……めーめーなく羊ですよ?」

「食べないなら僕が食べるけど」

「食べますが。美味しいです」



 ━━ようやく、焼肉のなんたるかを理解した気がする。

 おそらく焼肉とは……本来奪い合いの死戦なのだろう。他者の焼いた肉を横取り、相手に奪われないように美味しい肉を育てる。だが、しかし。


「結構食べるんだね小夜ちゃん」


 この人はなんかこう、あまり食べれなくなったから他人に食べ勧める老人のような……私に与える姿勢を取っている。

 そういえば文化祭のときも殆ど焼く側に回っていたっけ。根っからの奉仕体質なんだろうか。


 そして意外とお肉が美味しいのもあって━━なんか、殆ど私が食べてばっかみたいになっていた。む、む、む。これでは最初の目的が達成できない、のでは?


 そう思った私は、そろそろ夢中になるのをやめて肉を焼く方に回ろうとする。

 今腹7分目って感じだし……いくら先輩の食が細いからって。殆ど女の子みたいな体つきだからって。私よりは食べるだろう。


「あれ、ところで……最初の方に来たレバーだいぶ残ってるけど、食べないの?」

「あ、それ先輩のためのやつです」

「僕?」

「はい。少し前に貧血で倒れたじゃないですか。復調のためにもレバーとか鉄分多いですし、先輩が食べるべきですよ」


 そう。あの後すぐに思いついた事━━肉は食べすぎると血をどろどろさせて悪いけど、鉄分のない血は味気なさすぎる。そしてレバーとかを押し付ければいい感じになるはず。

 と、いうのが当初のプランだった。……焼肉に夢中で忘れていたけど。



 ……なぜか先輩は引きつった顔をして。


「白瀬くん。この後君はどうするつもりだい?」


 あ、やばい。少し怒ってる。うまくごまかさなきゃ。


「え、えーっと。先輩の家に行って、テレビでも見ながら一緒に年越しを祝って…………」

「ああよかった。普通の過ごし方だ。


 流石に君も新年早々に吸血とかしないよね?」

「あ、あはは。嫌だなあ先輩、クリスマスにあんなに吸ったんですよ? そんな、まさか。あはは」

 

 沈黙が、部屋に重く広がる。

 …………あの日調子に乗って、あと先輩がめっちゃいじらしい態度とって可愛かったから、後先考えず吸血しまくって。夏休みのあの日を超えて、今までにないくらい怒られたのが6日前。

 いや、でも。新年の特別な日なんだから、少し吸うくらいは、


「よーし、帰るときにスーパーいこっか。夜食ににんにく料理でも食べたくなってきたし」

「ひっ!? や、やめてください先輩! にんにく食べた後の血ってめっちゃ不味いんですよ!! ……………あ」


 にこにこ先輩が笑っている。

 そして肉をタレにつけて、おいしそうに頬張っている。動作はとっても愛らしいけれど…………怖い。とっても、怖い。


「これを食べ終わったら除夜の鐘でも聞いてこようか。煩悩とか晴れると思うよ」

「はい………………」

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