第28話 キスしてください

 最後にこのヤリ部屋に入ったのは一か月ほど前。

 田野たのさんを呼び出して、ヤラせてくださいと土下座で頼んだ時以来だ。


 本当にヤリ部屋として使われているのか怪しいくらい何も変わっていない。

 こんな空き教室でヤるやつらは絶対に掃除とかしないという偏見を持っているので、ここまで何も変化がないということは本当はヤリ部屋じゃないのかもしれない。


 それでも先生の目が届かない教室というのは独特の雰囲気があって、ヤリ部屋だと言われたら信じてしまう自分もいる。


「久しぶりだね。ここに来るね」


「うん。まさか僕がボランティア部に入るなんて思わなかった」


「ふふ。わたしも。土下座されるなんて思わなかったよ」


 今こうして同じ部活に所属して笑って話せているのが本当に奇跡だと思う。

 普通、ヤラせてくれなんて頼んだら他の女子にも噂が広まってクラスどころか学校から白い目で見られて高校生活が終わる。


 相手が田野たのさんだったから無事で済んでいる。

 田野たのさんは頼んだらヤラせてくれる尻軽女ではないし、天然で土下座の意味を曲解されてしまったけど川瀬の人選はあながち間違いではなかったように思う。


 僕がこんなに女子と話せるきっかけを作ったのは悪ノリとはい川瀬だ。


「不思議だよね。この教室だけずっと鍵が開いてるの」


「先生も鍵を失くしてたりして」


「そうかも。どのみち改装してドアも変わるもんね」


 談笑しながら田野たのさんは教室の前方に積み上げられた机の一つにそっと手を置いた。


「ねえ、道元坂どうげんざかくん」


「ん?」


「もしもわたしが土下座でお願いしたら、何でも叶えてくれる?」


「何でもは難しいかな。全財産くれって言われても困っちゃう」


「そんな難しいことはお願いしないよ。それに道玄坂くんの全財産っていくら?」


「え、えーっと……今は二万円くらいかな」


「ふふ。それじゃあわたしがカツアゲしたみたいじゃない」


 田野たのさんが住む高級マンションを思い出すと自分の全財産の少なさが恥ずかしくなった。まだ高校生だからと心の中で言い訳をした。


「それで田野たのさんは僕にどんなお願いをするの? 机くらいなら土下座しなくても運ぶよ」


「机くらいならわたしだって運べるよ。中身は空だからなおさら」


 言いながら田野たのさんは机を軽々と持ち上げた。普段からごみ拾いや掃除をしている分、僕よりも腕力や体力があるかもしれない。

 

「ははは……田野たのさんは僕がいなくても平気みたいだ」


「そんなことない!」


「え?」


 持ち上げていた机を置いて彼女は僕をじっと見つめる。

 他の女子なら恥ずかしさと緊張ですぐに視線を逸らしてしまうけど、田野たのさんならどうにか耐えられた。


「道玄坂くんって、教室に落ちてるごみをごみ箱に入れるでしょ」


「あー、うん。言われてみれば。あんまり意識したことないけど」


「うん。それがね、なんか良いなって思ったの。自然に人のために何かできるって、わたしとは違うなって」


「いやいや! 僕はたまたまごみ拾いしただけで、毎日やってる田野たのさんの方が立派だよ。部長さんにも頼りにされてるし」


 いつもヘタレヘタレと僕を小バカにする田野たのさんが急に褒めだすからリアクションに困ってしまう。

 押しに弱そうという理由があるにしても、みんなに頼りにされる田野たのさんとクラスの隅で気配を殺してる僕とでは雲泥の差だ。


 最近では田野たのさんはクラスの中心に近付いているし、やっぱり彼女が称賛するように人間ではないと思う。


「そういうのじゃないの。わたしが言うのも変だけど、道玄坂くんはもっと胸を張っていいと思うの。土下座して地面を見るだけじゃなくて、まっすぐに」


「あはは。それはハードルが高そうかな」


「それならさ、わたしが土下座してお願いする」


 田野たのさんは長いスカートをお尻と太ももの間に収まるように手で押さえながら正座をした。

 むっちりとした太ももがさらに強調される。


「ま、待って! これはどういう」


「あの時の仕返しだよ。道玄坂くんが急に正座した時、わたしすっごく驚いたんだから」


 たしかに突然こんな態勢になられるとどう対応していいか困る。

 傍から見たら僕が田野たのさんを脅迫しているみたいだ。


 やっぱり土下座するなら誰もいない第一校舎だと改めて実感する。


「土下座するとさ、相手の顔が見えなくなるよね。だから、わたしでも言える気がするんだ」


「いやいやいや! 田野たのさんは僕に土下座をするような人じゃないって。こういうのは僕みたいな下劣な人間がすることだよ」


「……道元坂どうげんざかくんにはもう少し自信を持ってほしい。そうでないとわたしが……」


 途中まで言い掛けて田野たのさんは口をつぐんだ。

 ちょっとムスっとした表情で上目遣いをする姿はお預けをくらった犬みたいで可愛らしい。


「いくよ。道玄坂くん。ちゃんと聞いててね」


 ごくりと唾を飲んで頷いた。

 田野たのさんが土下座をしてまで僕に何を頼むのか想像できず、緊張と不安に襲われる。


「恥ずかしいから一回しか言わないから」


「う、うん」


 床に手を着きゆっくりと頭を下げる。同時におさげも重力に従った。

 勝手に自分よりも上位の存在と思っている田野たのさんが頭を下げている。

 このシチュエーションが妙に僕の心をくすぐった。


「キス……してください」


「ほえ?」


「……一回しか言わないっていったじゃん」


「えーっと」


 雑踏に紛れたわけでも小声で言ったわけでもない。

 僕の耳がおかしくなっていなければ間違いなく田野たのさんは「キスしてください」と言った。


 田野たのさんは、僕に、キスして、ほしい。


 そういうお願いである。


「まずは顔を上げて話をしようか」


「恥ずかしくて無理! 土下座って便利だね。頭を下げ続けても違和感ないもん」


「僕だって恥ずかしいよ!」


 鏡はないけど自分の顔が真っ赤に燃えているのがわかる。

 田野たのさんの白い首筋だって負けないくらいに熱を帯びている。


「よし。わかった。田野たのさんがそのつもりなら僕だって」


 会話というのは同じ土俵に立たねばならない。

 僕も田野たのさんと同じように床に正座して床に手を着いた。


「僕が自分に自信を持てるようになったらキスしてください! 今は無理です」


 女の子にキスを求められるという絶好のチャンスを僕は自ら土下座して棒に振った。

 だってキスってどういう風にしたらいいかわからないんだもん。

 舌は……舌はどうすればいいの?


 一回検索する時間を与えてほしい。リアル女子とのキスは自分と無縁だと考えてたから予備知識が全くない。参考意見をくれる友達も周りにいないしな!


「わわわ、わかりました。その時はお願いします」


 なぜか敬語で返されてしまった。

 頭を上げたいけど、田野たのさんの顔を見るのが気まずくてそれができない。


 チラリとだけ視線を上げると彼女も頭を下げ続けていた。

 こうなると何かきっかけがない限り硬直状態が続く。


 ただ、僕にはその一手が思い浮かばず土下座を続けることしかできない。


「ねえ田野たのさん」


「なに?」


「いっせーのでお互いに頭を上げない?」


「いいよ。ズルはなしね」


田野たのさんこそ」


「だって道玄坂くんヘタレだし」


「言ったな。僕が自信を持ったら田野たのさんにキスしちゃうんだけど」


「……いいよ」

 

「……っ!」


 不意打ちに胸の鼓動が高鳴る。

 

「あのさ、田野たのさんは僕のこと好きなの?」


「それがわからないから道玄坂くんはヘタレ。まだキスはダメ」


「あ、はい」


 残念がる自分と、ちょっと安心した自分がいて、それが僕のヘタレたる所以だと思った。

 たぶん田野たのさんは僕を好きなんだけど、素直にそれを口にできない。っていうかそういうのは僕の方から言わないとダメなんだよな。うん。


「とりあえず今は頭を上げよう。蛍光灯を交換しなきゃだし」


「そうだね。合図はわたしがするから。いくよ。せーのっ!」


 僕が思い浮かべていた合図と少し違う掛け声だったので反応が少し遅れてしまった。顔を上げるとそこには笑顔の田野たのさんがいて、今まで意識したことのない唇に視線が移ってしまう。


「やっぱり道元坂どうげんざかくんはヘタレだ」


「違うって。田野たのさんの合図が」


「はいはい。言い訳はあとで聞いてあげるから。わたしじゃ届かないから道元坂どうげんざかくん、頼りにしてるよ」


「うん。任せて」


 田野たのさん一人でも机を持ちあげられるのはわかっているけど、何となく手を差し伸べたくなった。

 二人で運ぶとめちゃくちゃ軽い。田野たのさんと二人で過ごす日々はこんな感じになるのかな。

 そんな風に考えると、ひんやりとした床に冷やされた頭がほんの少し熱くなった。

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土下座して頼んだらヤラせてくれた くにすらのに @knsrnn

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