第27話 ちゅーいしてください

 理科や音楽以外では使われない第一校舎の廊下は薄暗い。他の教室に明かりが灯っていないのもあって一か所でも蛍光灯が切れると不気味さが増す。

 この怪しさがヤリ部屋の魅力を引き立てているのかもしれない。


「蛍光灯の交換はボクに任せたまえ。ケダモノの手を借りずとも田野たのちゃんが引き受けた依頼を解決してみせよう」


 部長さんは新しい蛍光灯を肩に担ぎなら爽やかな笑みを浮かべる。そこに小柄な田野たのさんが並ぶと付き合いたてのカップルみたいでなぜかモヤモヤした。


「いくら部長でも台がないと届かないですよ」


 そう言って田野たのさんが僕を一瞥いちべつした。


「もしかして僕に台になれと……?」


 田野たのさんは無言で頷き、部長さんの顔は引きつった。

 大嫌いな僕を踏み台にするということは、靴越しとは言え足で背中に触れることになる。


「何もケダモノを踏み台にすることはない。理科室かどこかから机を拝借して」


「放課後は先生がカギを掛けてますよ」


「だったら第二校舎から……ボクなら余裕さ」


「まあまあ部長。せっかくだから道玄坂くんに踏み台になってもらいましょうよ。ね?」


田野たのさんの中ではもう決定事項なんだね」


 張り付いたような笑顔の向こう側から冷たいオーラを感じる。陽キャのノリよりも遥かに威圧感があり、逆らったら後が恐そうだ。


「わ、わかった。僕が踏み台になる。どうするかは部長さん次第だ」


「さすが道玄坂くん。ボランティア部の鑑だね。部長もそう思いませんか?」


「鑑は田野たのちゃんだよ! こいつはボクに踏まれたい変態なんだ。もしボクがスカートだったら中を覗き込んでいたね」


「よっぽど首が長いか柔らかくない限り中は見れないと思いますよ」


「そういう問題じゃない。心意気の問題だ!」


 部長さんはスラックスだし、田野たのさんの言う通り足元で馬の状態になっていたら頭上なんて確認できない。それでも部長さんにしてみれば台になっている男は信用できないらしい。


「じゃあ反対に部長さんが踏み台になって僕が上に……なんて」


「恐ろしいことを言うなキミは! ボクの動きを封じてその隙に凌辱するつもりなんだろう。この誰もいない第一校舎で」


「僕は部長さんの妄想力の方が恐ろしいですよ」


 見張りじゃないけど田野たのさんだっているんだから、助けを求めればいつだって僕を突き出せる。さらっと凌辱という単語を口に出せる女子高生の方がよっぽど危ないやつだと思う。


「部長が乗らないならわたしが交換しますよ」


「それはダメだ! スカートの田野たのちゃんを危険な目に合わせるわけにはいかない。むむむ……田野たのちゃんを守るためだ。さあ、ひざまずけ!」


 語気は強いのに田野たのさんの後ろに隠れる部長さん。威厳はあまりない。

 田野たのさんにうまいこと誘導されているのはちょっと可愛いなって思うけど、童貞をケダモノ扱いするのはいただけない。


 僕だって部長さんと同じように綺麗な体をしてるんだぞ。


「あんまり体力ないですから踏み台としての強度には期待しないでくださいね」


「ハッ! まさかわざと崩れることでボクを突き落としラッキースケベを狙うつもりだな」


「部長さんの運動神経ならうまい具合に避けられると思いますよ」


「さっきも言ったがそういう問題じゃない。キミの下心が問題なんだ」


「どうすれば信用してもらえます?」


「目隠しをして手足をぐるぐるに縛ったら」


「完全に僕を犯罪者扱いじゃないですか!」


 川瀬なら悦びそうなシチュエーションではある。ただ僕はそっちの趣味はないし、今はあくまでもボランティア部の活動中。

 人目の付かない第一校舎だからこそ、うっかり誰かに目撃されるわけにはいかない。


「ふふ。それならちょうどここにガムテープが」


田野たのさん!?」


 使い終わった蛍光灯を段ボールで梱包する時のためかな。そうだと信じたいガムテープをおもむろに取り出した。

 今まで見たどの笑顔よりも楽しそうなのがすごく気になる。


「これも道元坂どうげんざかくんがボランティア部の部員として信用を得るためだよ」


「渋々みたいな顔を作ってるけど口元が笑ってるよ」


「ソ、ソンナコトナイヨ」


 田野たのさんは嘘が苦手なんだと思う。どんなに取り繕ってもそれを隠しきれていない。こんなところも聖女らしいんだけど、その素直さがSっ気として表れている。


 まさか田野たのさんにそんな趣味があったなんて、人は見かけによらない。


「じっとしてないと痛くなっちゃうかも」


 ベリベリとガムテープを引き延ばすと嬉々として僕の顔に当てがう。

 僕は諦めてすっと目を閉じ、田野たのさんに身を委ねた。


「次は四つん這いになって。さすがに肩幅に開いてないと台としての強度が弱くなっちゃうから、床に手足を固定するね」


「え? え?」


 暗闇の世界に放り込まれた僕がいよいよ田野たのさんの指示に従うしかない。


「ほらほら早く」


「う、うん」


「あ、もうちょっと右」


「右? え?」


 目隠しをされてから気付いた。最後に目隠ししてもらえばよかった。いい位置に付けなければ踏み台としての役割を果たすのも難しい。


「道玄坂くんなんだか犬みたい」


「わ……わん」


「やっぱりキミはこういうのが趣味だったんだな! まったく男という生き物は汚らしい」


「違います! 田野たのさんのボケに乗っただけです」


 ちょっとウケるかと思って鳴いたらドン引きされてしまった。やっぱりこういう自虐も陽キャじゃないと本気にされてしまうようだ。

 つくづく陰キャは生きるのが難しい。


「あ、その辺でいいよ。そこで四つん這いになって」


「うん」


 周囲の状況がわからないまま僕は膝を着き、体をしっかり支えるために両手を肩幅に開いた。


「それじゃあ手と足にガムテープを付けるね」


 ベリベリという音がさっきよりも耳に突き刺さる。誘拐された時の気持ちってこんな感じなのかな。

 

よく考えたら剥がす時に絶対に痛いやつじゃん。最初から最後までドMじゃないと務まらない高度なプレイみたいになっている。


「部長もこれで安心ですよね?」


「あ、ああ……」


 部長さんの声から緊張の色が伺える。身動きが取れないとは言え男の背中に乗るんだ。僕の上に立ったまま石になったらどうしよう。


 田野たのさんに誘導されてここまで来たけど、いざ実践となって初めて気が付くことも多い。


 部長さんは上履きを脱いでくれるだろか。できれば柔らかいソックス越しの方が助かる。


「さ、部長」


「…………」


 部長さんの緊張は見えなくても伝わってくる。視界が遮断されたことで他の感覚が敏感になっているみたいだ。


 だからわかる。手足をガムテープで固定されたといっても思いきり腕を動かせば自力でも剥がせそうだった。この辺りが田野たのさんの聖女たる所以だ。


「部長さん注意してくださいね。ヒョロガリ陰キャの踏み台ですから」


「ちゅーしてください!? キミはそんな恰好でなんてことを言ってるんだ! 大人しそうな見た目をして中身はケダモノ。キミみたいなやつが一番恐ろしいんだうわああああ!!!!」


「え!? 部長さん!? どこか遠くへ行ってませんか? 田野たのさん?」


 部長さんの悲鳴が少しずつ遠ざかっていく。内心ではこうなるかなって思っていたけどまさか僕の背中に足を乗せる前に逃げ出すとは。


 あと、絶対に僕は「注意してください」と言った。「ちゅーしてください」に聞き間違えたのは部長さんだから僕は悪くない。そうだよね田野たのさん?


「あはは。部長、すごい勘違いしていったね」


「よかった。田野たのさんは居てくれた。田野たのさんでも僕に乗れば蛍光灯に届きそう?」


「うーん。ちょっと厳しいかな。例の空き教室から机を借りようか」


「最初からそれでよかったじゃん! ああ……なんで忘れてたんだ」


「ふふ。あの教室にわたしを呼び出しのは道玄坂くんなのに」


「うぅ……すぐに思い当っていればこんな格好をしないで済んだのに」


「新しい土下座のスタイルみたいだよ?」


「ははは。田野たのさんの協力がないとできないけどね」


 思い返せば僕が土下座をするのはいつだって田野たのさんの前だ。

これからも土下座をするのは田野たのさん絡みなんだろうな。そんなことを考えながら僕はガムテープを剥がしてもらうのを待った。


 ……あれ?


田野たのさん。いる? おーい。自力よりは手伝ってもらいたいんですけど。ボランティア部に依頼でーす」


 頑張れば剥がせそうと思った手のガムテープも意外と粘着力があって自力では剥がせなかった。

 五分くらいもがいたのち、田野たのさんがクスクス笑いながら助けてくれた。


 僕、絶対に田野たのさんのおもちゃになってる……。

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