第22話 僕の背中

 ひとしきり泣いた上布津じょうふつ部長は、ある程度の距離を保っていればそれなりに田野たのさんと会話のキャッチボールができるようになっていた。


「して、ボランティア部はどんな風に我々パソコン部を手伝ってくれるのかな?」


「わたし達にできることなら何でもです。話を聞いてるとパソコン部のみなさんはすごいから、わたしにできることなんてあるかわからないですけど」


 田野たのさんが言った『なんでも』というキーワードをパソコン部の全員が聞き逃さなかった。腐ったドブみたいな目から獲物を狙う猛獣の目へと変貌する。


「なななななな何でもというのは本当でござるか?」


「は、はい。プログラミングとかは全然無理ですけど」


「そういうのは拙者達の仕事なのでな。安心してくだされ。んふふふふふ」


 田野たのさんが考えるなんでもとパソコン部員が考える何でもにずいぶんと大きな壁があるように感じる。もちろんそのパソコン部員の中には僕も含まれていて、なんでもと言ったらなんでもということだ。


 だけどいきなりヤラせてくださいとお願いしても田野たのさんには通用しないぞ。僕は土下座までして一緒にごみ拾いをすることになったんだ。田野たのさんの天然力をあまり舐めない方がいい。


 僕らクソ童貞の妄想が現実の女の子には通用しないことを思い知るがいい!


「では田野たの氏。拙者達におおおおおお、おっぱ、おっぱ、おおおお!!!」


「え! 大丈夫ですか」


「待って田野たのさん」


 おっぱいと言い掛けたところで倒れたのは三年生の真島まじま先輩。パソコン部員随一の巨乳好きでどうにかしておっぱいの感触を別のモノで再現できないかと常に考えている天才であり変態だ。


 そんな真島まじま先輩はこのチャンスを活かして田野たのさんにおっぱいを見せてもらおうと思ったら、興奮し過ぎて倒れてしまったようだ。


 聖女である田野たのさんは善意で先輩に駆け寄ろうとしたけど僕は咄嗟にそれを止めた。そんな風に優しくしたら真島まじま先輩は絶対に田野たのさんを好きになるし、その前に興奮で天に召される可能性がある。


「で、でも突然倒れて」


「川瀬と同じ現象だからあんまり気にしないで。田野たのさん前に言っていたよね。男子と話すのはあんまり得意じゃないって。僕らパソコン部はその症状がもっと酷いだけなんだ」


「それはそれで心配だよ」


田野たのさんの優しさが僕らを後で地獄に落とすからほどほどにね?」


 奉仕精神に溢れた天然サークルクラッシャーは本当に恐ろしい。これだったらまだ陽キャだらけの運動部でボール拾いでも部室の掃除でもする方がマシだった。元々は校内美化をしていたわけだし。


 しかも田野たのさん自身はこのパソコン部に対して身の危険を感じていないから逃げ出す様子はない。それどころかパソコン部が返り討ちにあってしまっている。


「あああああ、あの、スカートをめく……めくて、んんん!!!」


 入部した際、人生の最期は太ももに首を絞められたいと言っていた一年生の加賀かがは白目を剥いて倒れてしまった。二人目ともなると田野たのさんも対応を心得てくれたみたいで駆け寄る足をすぐに止めた。


道玄坂どうげんざかくん、わたしどうすれば」


「何もしなくて大丈夫。きっとみんな幸せな夢を見てるから。田野たのさんが来てくれただけで僕らにとっては大きな力になってるよ」


「とてもそうとは思えないんだけど」


 田野たのさんの表情が少しずつ曇っていく。だけど本当に安心してほしい。


 挙動不審なオタクが噛み噛みで何か言ったかと思えば勝手に気を失って倒れていく。こんな異常な光景を目にしたら普通はすぐに逃げ出すところを田野たのさんは気遣ってくれている。

 

 女子と接する機会がほぼないパソコン部にとっては貴重なひと時だ。きっと今日の日のことを胸に生きていくに違いない。


「ふ……ふふ。我は諦めぬ。これは千載一遇の好機。例え通報されようとも、我の脳にその景色を刻み込めがいくらでも再生できる」


 倒れていった部員達の無念を晴らさんと上布津じょうふつ部長が立ち上がった。おっぱいとか太ももが関わっていなければめちゃくちゃカッコいい。


「お願いだ。我々に女体の神秘を教えてくれ!」


 部長は勢いよく直角に頭を下げた。僕が今まで見てきたどの謝罪会見よりも潔い頭の下げ方には感動すら覚える。

 それほどまでに上布津じょうふつ部長はリアルなVRを作るために女の子について知りたがっているんだ。その覚悟だけは伝わってくる。


「にょ、女体の神秘というのは……」


 さすがにストレートなワード過ぎて頼まれた田野たのさんは若干引いていた。僕のヤラせてくださいみたいな誤解もできない。単純に女の子の身体について教えてくれと頼まれている。冷静に考えなくても気持ち悪い。


 上布津じょうふつ部長は通報されても構わないみたいだし、本当に通報しても良い気がする。その時はちゃんと田野たのさんに証人になってもらおう。おまわりさん僕は違います。


「女体の柔らかさ、ぬくもり、匂い。全てを知りたい。それをVRに反映できれば最高の二次元美少女が生まれて我々オタクが救われるんだ!」


「あの、つまりわたしは何をすれば」


「可愛いポーズをたくさん見せてください!」


「は?」


 思わず声を上げたのは僕の方だった。田野たのさんはぽかんと上布津じょうふつ部長の頭頂部を眺めている。

この流れは裸を見せろとか触らせろとかそういう展開になるはずだ。だって田野たのさんの口から魔法の言葉である『なんでも』を引き出したんだから。

 

 『なんでも』と来たら『ん?』と返すのがオタクの流儀であり、そこからゲスな妄想を垂れ流すのが最高に楽しい時間だ。


上布津じょうふつ部長、本気で言ってるんですか?」


「本気も本気だよ道玄坂どうげんざかくん。リアルJKの可愛いポーズを間近で見られればVRにリアリティを持たせることができる。そうすればロリでもお姉さんでも男のおとこのこでも理想の二次元美少女を生み出せる!」


「そういう意味じゃありません。田野たのさんがなんでもと言っているのにそんな生温い依頼でいいんですか!?」


「なっ! それはリアルでは超えてないならない一線なんじゃ」


「そうです。でも、二度と訪れないかもしれないチャンスを逃していいんですか。真剣に頼んだら受け入れてもらえるかもしれないじゃないですか」


 僕は熱弁した。普段は教室の隅で大人しくしているけど、オタクだらけの空間でスイッチが入るとつい熱く語ってしまう。きっとこれもオタクの悪いところだと頭ではわかっていても止められない。

 オタクは性格ではなく生き様なんだと思い知らされる瞬間だ。


「部長も、みんな見ててください。これがスクールカーストの最下層を生きるクソゲスオタク童貞の生き様です」


 田野たのさんという存在に圧倒されて灰や石になっていたパソコン部員がざわざわと生気を取り戻す。こうして大勢に注目されると主人公になったみたいで気持ちが良い。体育祭や文化祭で活躍する陽キャもこんな感覚を味わっているのだろうか。

 

 あいつらがウェイウェイ調子に乗るのもわかる気がする。一度味わったら忘れられない高揚感は次の高揚感を求めさせる。僕らが負のループでどんどん二次元にのめり込んでいくのとは反対に、陽キャはこうして様々な経験を積んでいく。


田野たのさん、僕はこれから最低なことをお願いするから、嫌だったら絶対に断ってね。僕なら断りやすいでしょ?」


「え? え?」


「でも通報だけはやめて。あらかじめ田野たのさんに断りを入れた上で最低なお願いをするから。」


「ならお願いしなければいいんじゃ……」


 いまいち状況を飲み込めていない田野たのさんは困惑の色を浮かべて正論で応えた。何から何まで彼女の言う通りだ。

 それでも僕はわずかな可能性に賭けてみたい。一緒に水着を買ったり、お風呂に入ったり、足を舐めたりした仲だ。もしかしたら許可が下りるかもしれない。


 他のパソコン部員ではできない。僕と田野たのさんの関係だからこそ生まれたチャンスを活かしてマウントを取りたい。動機すらも最低な男だけど、これ以上下がるような評判もないから全然気にならなかった。


 僕は当然のように床に膝を着いた。パソコン室は床にカーペットが敷いてあるので膝に優しい。縮れた毛が視界に入ったのは一旦忘れよう。男子しかいないんだからそんなこともある。


道玄坂どうげんざかくんまさか……」


 正座した僕を見下ろして田野たのさんは何かを察したようだ。どんなお願いをされるのかという不安と、またかという呆れが混ざったような、少なくとも好意的な感情は向けられていない。


田野たのさん!」


 両手を床に着けたら準備完了。その時が来る直前まで彼女の目をじっと見つめる。正直、かなり恥ずかしい。だけど、これから口にすることは女子と視線を合わせるよりも恥ずかしい行為だ。こんなところで怯んでなんていられない。


 結局、パソコン部のやつらよりも僕が一番ゲスでケダモノだった。みんなを悪者にして田野たのさんをパソコン部から遠ざけようとしていたんだ。初めて仲良くなった田野たのさんを独り占めしたいみたいな、気持ち悪いオタクの悪癖が出てしまった。


 田野たのさんは僕の彼女じゃない。彼女の意志でパソコン部の手伝いに赴いてくれて、協力しようとしてくれている。そんな田野たのさんには全力でお願いしなければ失礼だ。

 今のパソコン部が本当に求めているもの。真島まじま先輩や加賀かがが道半ばで力尽きてしまったその依頼を僕が届ける!


田野たのさん、裸を見せてください!」


「バカなの!?」


 カーペットにこすりつけた頭がむずがゆい。ちらりと視線を上げると田野たのさんの足先が見えるから逃亡はされてない。こういうところが本当に聖女だと思う。

 周囲から聞こえる感嘆の声が心地良い。これが元からプライドを持っていない男の背中だ。


 女子の裸の代わりにはならないと思うけど、それなりにおもしろいものは提供できたと思う。パソコン部への助っ人はこれで完了ということになりませんか?

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