第18話 練習の成果

 自分の白くてヒョロい体と水泳部のみなさんの鍛えられた体を比べると情けなくなってくる。

 一人で男子更衣室で着替えているとだんだん冷静さを取り戻してきて、自分のした行為がとんでもないことだったと実感し始めていた。いくら佐渡さど先輩の同意を得たとはいえみんなが見てる前で女子の足を舐めるって相当な変態行為だ。


「ごほん。いろいろあったけど今年はボランティア部が手伝ってくれることになった。美咲みさきちゃんと、ど……道玄坂どうげんざか……くん。よろしく」


「はい!」


「あ、はい」


 元気よく田野さんに対して僕はコミュ障丸出しの返事をしてしまった。だって顔を赤くして体をもじもじさせて、しかも急に名前で呼ばれたら驚くだろ?

 まるで男子を外敵のように扱っていた人と同一人物とは思えない変貌ぶりだ。無理して誠意を見せたかいはあったらしい。


永未えいみさま、別に男子がいなくても大丈夫です」


「そうです。絶対この男よりあたし達の方が力もあります」


「私は永未えいみさまの体を洗いたいです」


 態度が一変した佐渡さど先輩とは対照的に水泳部員のみなさんからの僕に対する風当たりは一層強くなっていた。みんな胸元を腕で隠してるし、目つきが完全に犯罪者を見る時のそれだ。


 もし彼女達の手元にスマホがあったら即通報されてもおかしくない。そんな空気が屋上を包み込んでいた。


「みんな安心して。道玄坂どうげんざかくんは他の男子とは違う。もしみんなが嫌なら、うちと道玄坂どうげんざかくんが一緒に掃除して、他のみんなは別の場所でも」


「「「それはダメです!!」」」


 水泳部員の気持ちが一つになった。ちょいちょい自己主張が強い変態発言をしていた子の声も重なっていたので、よほど佐渡さど先輩と一緒に掃除をしたいらしい。


「平気で足を舐めるような男ですよ。次は別の所を舐めさせろと迫ってくるかもしれません」


「逆にひん剥いてあたしらの力を見せつけてやりましょう!」


「私も舐めたいです」


 次々と反対の声と欲望の声が上がる。たしかにこんな雰囲気じゃいくら陽キャ男子でもいたたまれないだろうな。僕みたいな底辺クズでも毎日罵られたら精神的にくるものがある。


「あの、ちょっといいですか?」


 ヒートアップする水泳部のみなさんを恐る恐る制止したのは田野さんだった。マスコット的な助っ人である田野さんの声を彼女達はちゃんと耳を貸す。


道玄坂どうげんざかくんが佐渡さど先輩に手を出す度胸があるように見えますか? さっきも言いましたが、道玄坂どうげんざかくんは土下座が得意なだけなんです。だけど、わたしにもごみ拾いをさせてほしいと土下座をするくらいやる時はやる人なんです。何かする前には土下座をしてお願いする。だから急に変なことはしないとわたしが保証します」


 田野さんの擁護を聞いた水泳部のみなさんは僕をまじまじと見つめる。たぶんヘタレなのは外見で判断されてるだろうし、土下座が得意と言われても信用に値しない。むしろ簡単に頭を下げる男だと思われていそうだ。


「それに道玄坂どうげんざかくんはわたしと一緒にプール掃除の練習もしてきたんです。みなさんとわたしと比べるなんておこがましいですけど、水着の女の子と一緒に掃除をしても変な気は起こしません」


「た、田野さん!?」


 水泳部のみなさんがざわつく。プール掃除の練習と言われてもピンとこないだろうし、それが変な気を起こさないことが結び付かないと思う。ただただ頭の中に憶測が生まれるだけだ。


美咲みさきちゃん、練習っていうのはどういう……」


「二人で水着になって、うちのお風呂を掃除してもらいました」


「んな!? 地味で奥手そうに見えてそんな大胆なことを?」


「この水着も道玄坂どうげんざかくんと一緒に買いにいったんです。水泳部のみなさんの水着姿を見ても動じないように練習も兼ねて。わたしとみなさんじゃ比べ物にならないですけど」


「そんなことない。美咲みさきちゃんは素敵だよ」


 佐渡さど先輩が王子様のように田野さんの顎を掴んで言った。あごクイというやつである。さっき僕みたいは陰キャに足を舐められて悶えていたとは思えない。


永未えいみさま、やっぱりこの男は危険です! 頼りなさそうなヒョロガリ陰キャは油断させるためで、中身はとんでもヤリチンです!」


「あたしらも足を舐めますからどうか目を覚ましてください」


永未えいみさまの膜は私が守る」


 彼女達の中ですっかり僕の評価が変わりヤリチンになってしまった。童貞なのにヤリチン扱いという地獄みたいな展開だ。それに、ここにいる女子はみんな可愛いのに処女っぽい? なんか意外だ。川瀬に話したら信じてもらえるだろうか。


道玄坂どうげんざかくんはわたしが見張りますから、それではダメでしょうか?」


「まあ、そこまで言うなら」


「待って! この子と二人きりにするのも危ない」


「なら、逆にみんなで囲んじゃおっか?」


「それいいかも。もし変なことしたらあたしらでボコっちゃお」


 彼女達の笑顔が悪いものに変わる。これが二次元の世界ならめちゃくちゃおいしい展開だ。僕の粗末な息子では到底持ち堪えられない。


「それじゃあ!」


「いいよ。プール掃除に参加させてあげる。その代わりこき使ってやるからな」


「あたしらの方が強いってわからせてやろうよ」


「「「さんせー!!」」」


 たださえ恐い陽キャが群れを成すとどうにもならないことを示す良い例だ。

 こんなテンションになると僕なんかが何を言っても耳を傾けてすらくれない。僕は水泳部監視のもと、ボロ雑巾のように使い捨てられるんだ。


「よかった。これなら水泳部のみんなに道玄坂どうげんざかくんの頑張りを見てもらえるね」


「そうだね……僕は過労死するかもしれないけど」


「ふふ。大丈夫だよ。練習の成果ちゃんと見せてね?」


「うん。善処するよ」


 練習と言っても僕はピカピカの浴槽をスポンジで磨いただけ。あとは田野さんのおっぱいに押し潰されて逃げるように帰宅した。あれ? 練習の成果って何を見せればいいんだ?


「よし! それなら美咲みさきちゃんと、ど……道玄坂どうげんざかくんはうちの近くで。部長としてしっかりレクチャーしないとな。うんうん」


「ええ! ズルい」


「一年生もレクチャーしてほしいです」


「手取り足取りレクチャー……ぐぬぬ」


 佐渡さど先輩の一言が再び水泳部のみなさんに火を付けた。この人、本当に女子人気が高いんだな。ボランティア部の部長さんとも良いコンビになりそうなのに、どうしてあんなに苦手意識を持ってるんだろう。


「ええい! こうなったら」


「わっ!」


「ひゃっ!」


 佐渡さど先輩は僕と田野さんの手を取りプールサイドを駆けた。と、言ってもここは屋上。出入口は一つしかなく、しかも佐渡さど先輩はそことは反対側に走った。

 

「なんとなく逃げたけど逃げ道がない!」


「おおおおお落ち着いてください」


 時折王子様みたいな一面を見せる佐渡さど先輩の手は男子とは全然違ってとても柔らかで、ギュッと力強く握られているはずなのに不思議と痛みもない。一生このままでも幸せだと思えるくらいの幸福感が手から全身へと広がっていく。


 女の子と手を繋ぐのはこれで二度目で、田野さんとは違うギャップの柔らかさに僕の脳みそはとろけかけていた。


「ほら、まずはブラシを持って」


 フェンスに立てかけられていたブラシを強引に握らされ、もはや既成事実を作られたような状態になってしまった。限られた掃除道具を僕らが持ってしまった以上、僕らが掃除に取り掛かるしかない。


「どうする? ハシゴは使う?」


「僕は平気です。田野さんは」


「わたしも。一回座ってからなら降りられます」


「さすが美咲みさきちゃん。それに道玄坂どうげんざかくんも見かけによらず……やるじゃん」


「どうも……」


 田野さんにはイケメン王子風に、僕にはツンデレが垣間見せるデレで対応するという器用さを披露する佐渡さど先輩。

 足を舐めてからこの人の様子がおかしくて、最初の印象とは違う意味で恐怖を覚えている。


「ブラシを使う時はこう、脇を……」


「ふえっ!?」


 佐渡さど先輩はおもむろに背後から僕の腕を掴み、競泳水着越しのほぼ生おっぱいを押し当ててきた。田野さんほどのサイズはないけどボディラインから大きさは手に取るようにわかるせいで背中に当たる感触が生々しい。


「あの……佐渡さど先輩」


「んふ?」


「僕はもう平気なのでブラシを掛けます。端からやっていけばいいですか?」


「みんなが監視したいみたいだから中央の排水溝をやってもらおうかな。美咲みさきちゃんもお願いするよ」


 ダメだ。胸が当たってますって言えなかった。指摘したら何をされるかわからないし、放置しておけばこの幸せがまだ続くという誘惑に勝てなかった!

 まさか顔だけじゃなくて背中でもおっぱいと触れ合えるなんて。とてもラッキーなことだけど運を使い果たして童貞を捨てるチャンスは消えてしまったんじゃないか? 


「さすが道玄坂どうげんざかくん、練習の成果がちゃんと出てるね?」


「そ、そうかな。ははは。あの……佐渡さど先輩。この体勢だとブラシを使い難いんですけど」


 田野さんの表情は笑っているのに視線が恐い。ちゃんと掃除しろという圧力を笑顔の向こう側から感じる。練習の成果が出てるっていうのは風呂掃除ではなく、そのあとの出来事に掛かっているに違いない。


 二度目のおっぱいだから耐えられた。初めてだったら逃げ出していた。だからこれは田野さんのお陰だ。それなのになんでちょっと怒ってるんですか?

 僕はブラシ掛けをヤル気に溢れているのに佐渡さど先輩がそれを妨害してるだけなんです!


「あの男……永未えいみさまとあんなに密着して」


永未えいみさま! あたしブラシの使い方わかりませ~ん」


「くそっ! 私の股間にブラシ(意味深)が生えていれば……!」


 僕、田野さん、佐渡さど先輩の三人を監視する水泳部のみなさんからは様々な感想が漏れていた。佐渡さど先輩はそれを全く気にすることなく僕の体に張り付いたままだ。

 もしかして、このままだとちゃんと掃除したことにならなくてボランティア部に入れないのでは?


 結局、佐渡さど先輩を除く女子のみなさんから敵意を向けられたまま時間が過ぎていき、僕はろくにブラシを掛けられないままプールを後にした。


「田野さんごめん!」


 一足先においとまさせてもらった僕と田野さん。屋上から降りる階段の踊り場で即土下座をして謝罪した。


「なんで謝るの? 練習の成果(笑)ちゃんと出てたと思うよ」


 正直、怒鳴られたり泣かれたりする方が楽だった。聖女の笑みの向こう側にドス黒い怒りの炎が見えてこっちが泣きたくなった。


「ほんと、人のせいにしたらダメなんだけど佐渡さど先輩が離れてくれなくて」


「うんうん。わかってるよ。道玄坂どうげんざかくんはあんな状況でも紳士ですごいヘタレだと思った。練習の成果(笑)だね」


「それについては本当に感謝しています」


佐渡さど先輩が部長に何て報告するか次第だけど……道玄坂どうげんざかくんと一緒に部活できないのは寂しい……かな」


「……申し訳ない」


「ごめんね。わたし、先に帰るから。もし入部できたら、その時はまたよろしく」


 僕は正座したまま田野さんの背中を見送った。もっと強気に佐渡さど先輩を拒絶して責務を全うしていればこんなことにならなかった。

 田野さんが勇気を出してあんな大胆な練習をしてくれたのにそれに応えられなかった。ただただ自分が情けなくて腹が立った。

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