第16話 せいいを見せろ

 胃袋をギュッと掴まれたような感覚のまま僕と田野さんは屋上へと向かっている。

 田野さんとの予行練習であんなことがあったから水着の女子に囲まれても平静を保てると思っていたけど、陽キャの女子だと考えたら不安と緊張に襲われた。


「やっぱりさ、男が一人だけっていうのはマズいと思うんだ」


「そんなことないよ。水泳部の子達だって人目見れば道玄坂どうげんざかくんが人畜無害な男子だってわかってくれる」


「……田野さんの中でもフォローのつもりなんだろうけど結構傷付いてるからね僕」


「わたしはすごく褒めてるよ。道玄坂どうげんざかくんと一緒なら安心できるし」


「え?」


 まるで告白のような言葉に胸がキュンと高鳴った。立場が逆でもときめいてしまったものは仕方がない。


「安心っていうのは何もされない。恐くないって意味だからね」


「う、うん。もちろんわかってるよ」


 田野さんの言動には何度も振り回されているんだ。体が勝手に反応してしまうことはあっても数秒経てばちゃんと冷静さを取り戻せる。僕はちゃんと学習できるタイプなんだぞ。


「でも、油断させておいて実はケダモノに……みたいのは絶対にダメだよ。ボランティア部どころか学校に居られなくなっちゃうから」


「しないしない! 力だって水泳部の方が強いだろうし、一人じゃ逆にボコボコにされちゃうよ」


「みんなが居るところならね。だけど一対一になったら? わたしは常に道玄坂どうげんざかくんを監視するからそのつもりで」


「僕ってそんなに信用ない?」


「クラスメイトのお母さんにすぐ土下座するような男子は信用できません」


「うぅ……あれは混乱してたからなんだよぅ」


 お互いにあの日の出来事を全然水に流せていない。それくらい強烈な記憶だと思うし、二人だけの秘密ができたみたいでちょっとドキドキする。恋愛ゲームなら意外にも好感度が上がってるタイプのイベントだった。


 田野さんと話しているうちに少し胃の周りが軽くなり、ずっと監視してもらえるならかえって安心かなとも思えてきた。


「ちっすちっす! ボランティア部の子かな?」


 背後から聞こえた声はそれだけで陽キャとわかるくらい明瞭でテンションが高い。もし街中だったら無視して逃げるタイプの声だ。


 横に立つその人とは目線の高さが一緒だから身長は僕と同じくらい。それなのになぜか大きく見えるのはオーラのせいだと思う。高い位置で結んだサイドテールはいかにもクラスの中心に居そうな雰囲気を醸し出していた。


「はい。ボランティア部の田野と」


「田野さん。下の名前は?」


「あ、美咲みさきです」


美咲みさきちゃん。いいねいいね。可愛い名前だね。うちが可愛がってあげるね」


 明らかに田野さんは僕に自己紹介を振ったにも関わらず、それを遮り田野さんを下の名前で呼ぶ圧倒的な距離の詰めっぷり。部長さんとは違うタイプの男子嫌いであることはすぐに判断できた。


「あの……僕はボランティア部の見習いみたいな道玄坂どうげんざかと言います」


「あそ。それで美咲みさきちゃんはどんな水着を持ってきてくれたのかな? 女子しかいないから全裸でもいいけど、美咲みさきちゃんは恥じらいの心を持ってそうだから難しいかな? うふふふふ」


 一応反応はしてもらえたけど、これなら無視の方がまだマシだ。『女子しかいないから』と僕を睨みつけながら言うあたり、存在を認識した上でハブこうとしているのが見え見えだった。


「えーっと、水泳部の部長さんですか?」


「ああ、ごめんごめん。うちは佐渡さど永未えいみ美咲みさきちゃんの言う通り水泳部の部長だよ。麗奈からうちの話は聞いているのかな」


「去年までは同じクラスだったと……」


 田野さんにしては珍しく天然を発動せず、とても当たり障りのない情報を口にした。僕に土下座されても聖女の微笑みで返してくれた田野さんが今は困惑してるんだから、水泳部の部長はなかなかにドギツいキャラをしている。


「ところで麗奈は? 麗奈に手伝ってもらうために男子部員とは話し合いの上で円満退部してもらったのに」


「部長は都合が悪くて来られなくて……その代わり、男手おとこでとして道玄坂どうげんざかくんと来たんですけど」


「はあああああああ!?」


 佐渡さど先輩は血走った眼をクワッと見開いて僕の方を見る。ボランティア部の部長さんは完全に男子を恐がっている様子だったのに対し、佐渡さど先輩は殺意を全身から放っている。


 部長さんの言う通りたしかにヤバい人だけど、そうなってる原因が部長さんの不在なんだから僕にはどうにもできないし、なんなら悪化させてしまっている。土下座してでも部長さんに来てもらった方がいいんじゃないか。


佐渡さど先輩」


「はは、うちと美咲みさきちゃんの仲じゃないか。永未えいみって呼んで」


「え、永未えいみ先輩。道玄坂どうげんざかくんはタイル掃除とか得意でプール掃除でもお役に立てると思います。変なことはしないとわたしが保証するので」


「うむむむむ。美咲みさきちゃんに頼まれると弱いなあ」


 出会ってまだ数分足らずにも関わらず佐渡さど先輩は田野さんと古くからの知り合いのように振る舞う。この距離の縮め方は陽キャにしか許されない。それも好き勝手に動く陽キャをまとめる陽キャの中の陽キャだ。


 佐渡さど先輩が放つリア充オーラの前では僕の存在なんて簡単に消し炭になってしまう。それくらいただそこにいるだけで眩しい。


「それなら誠意を見せてもらおう。他の部員はもう来てると思うから、みんなの前で。いいね?」


「は、はい」


 誠意ってまさか女子達の前で全裸にさせられて写真を撮られるとか、そういう脅迫系のやつ!? まさか本当に川瀬が言ったような展開になってしまうのか?

 不安と期待が……いや、緊張が僕の中をぐるぐると駆け巡る。


 僕は人前で裸を晒して興奮するタイプではない……はずだ。そもそも女子との接点がなさすぎてそんな経験はないけど。


「お、みんな準備できてるね。おつかれー」


「「「おつかれさまです!」」」


 ドアの向こうには十人程度の水着女子が待ち構えていた。田野さんが選んだようなオシャレ水着ではなく、みんなピチピチの競泳用を身にまとっていた体のラインがよくわかる。

みんな思い思いに準備運動をしたり、掃除用具の準備をしていたのに佐渡さど先輩が声を掛けると一斉に挨拶が帰ってきた。


 黄色い声が綺麗に重なりただ挨拶をしただけにそれだけで一つのコンテンツとして成立するくらいの価値がある。運動部が応援されて力を発揮できる理由がちょっとだけわかった気がした。


「今年はボランティア部が来てくれたよ。美咲みさきちゃん。仲良くしてね」


「「「よろしくお願いします」」」


「は、はい! 精いっぱい頑張ります!」

 

 田野さんは緊張した様子で頭をぺこりと下げる。全体的に丸いフォルムが相まってまるでマスコットキャラクターのようだ。

 可愛い。抱きしめたい。と言った感想の声が漏れ聞こえる。


「で、こっちが童貞坂どうていざかだっけ? なんかオマケみたいなやつ」


道玄坂どうげんざかです!」


 さらっと童貞とか言われて思わず赤面してしまった。完全に童貞の反応である。そんな僕を水泳部の面々はくすくすと笑いながらごみを見るような目で見つめる。

意外だったのは、佐渡さど先輩が道玄坂どうげんざかという苗字を覚えていることだった。

僕という存在に関心がない風を装って道玄坂どうげんざかと認識した上での童貞イジりとは、陽キャはやることがえげつない。


「女子だけのプール掃除に男子が混ざるというのはみんなも不安だと思う。だからこいつの誠意を見せてもらうことにした」


「さすが永未えいみさま!」


「チャンスをお与えになるなんてお優しい」


「心のチンコが勃起した」


 案の定、水泳部は完全に佐渡さど先輩の虜になっていて僕を擁護する声は全く聞こえなかった。あと、一人変なこと言ってる人がいたな? 心のなんだって?


「お前みたいな教室の隅っこにいそうな地味男子がうちらの水泳部に入ってこれたことがまず奇跡なんだ。その幸運に感謝して、自分がうちよりも身分が下であることを確認する必要がある」


 佐渡さど先輩は用具室からパイプ椅子を取り出し腰掛ける。身長のわりに長い脚を組むと一瞬だけスカートの奥に黒い布が見えた。水着……だよな? うん、水着ということにしておこう。そうじゃないといろいろ想像してしまう。


「水泳部の男子共は誰一人できなかった。誠意よりも男だというくだらないプライドが邪魔をしたらしい」


 佐渡さど先輩はゆっくりと靴とソックスを脱ぐ。シーズン前だからかその脚は健康的な白さで、田野さんとは違う肉付きの良さだ。


「ほら、舐めろ」


 初夏の陽気で蒸れた足が僕を挑発するようにクイクイと動く。

 僕はごくりと唾を飲み込んだ。

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