舐めさせてください!

第15話 水に流そう

 田野たのさんと二人でお風呂掃除をしてから数日。教室で言葉を交わすことなければメッセージを送ることもない。まるでこれまでの出来事が夢だったみたいだ。

 だけど夢じゃない証拠はいくつかあって、田野たのさんは陽キャ女子とも話すようになっていた。さらに僕のスマホにはしっかり田野たのさんのIDが登録されている。

 水着を買いに行く時の待ち合わせ場所や時間を決めたやり取りも残っていた。


「んふふふ。道玄坂どうげんざか氏がまた童貞臭くなってわいは嬉しいですぞ」


「僕はずっと童貞だよ」


「いやいや、休み明けは女の匂いを感じましたし」


「女の匂いって……川瀬かわせのくせに」


「でゅふふふふ。最近はJKの匂いも通販で買えるのですぞ」


 言動は気持ち悪いのに勘が鋭くて内心ドキドキしていた。週明けはちょうど田野たのさんのおっぱいで押し潰された翌日だ。女子が近付くと灰になるクセに童貞周辺の女情報に敏感なのが恐ろしい。


「今週に入ってから美咲みさきちゃんと話していないようですが早くも倦怠期ですかな?」


「僕らは付き合ってもいないよ。ボランティア部に正式入部するにはプール掃除をちゃんとこなさないとダメだから半分保留みたいになってる」


「プール……掃除?」


「そ。ちなみに今日な。晴れてよかったよ」


 水着を入れたバッグにチラリと視線を送るとこの前のことが鮮明に思い出される。

 田野たのさんの家から帰った時、濡れた水着をどう説明するか悩んだけど隙を付いて洗濯機の中に放り込むことができた。プール掃除で使う前に一度洗っておきたかったと言って一応は納得してもらえている。


 いくらすぐに濡れるとは言っても一週間近く濡れたまま放置した水着を着たくはなかった。この水着同様、田野たのさんがあの日のことを水に流してくれると助かる。


「プール掃除は水泳部もいるのですかな?」


「うん。なんか男子がいなくなって人手が足りないとかでボランティア部に救援要請が入ったんだってさ」


「おぬしまさか、ハーレム展開に突入する気ではあるまいな!?」


「まあ落ち着け。シチュエーションだけならそう思っても仕方ない。でもな、運動部の陽キャ女子が僕みたいな地味で冴えない陰キャを相手にすると思うか?」


「わかっとらん。わかっとらんよ道玄坂どうげんざか氏。おぬしはきっと逆レイプされる。丸裸にされて貧相な男根を水泳部の引き締まった肉体で弄ばれるのであるよ」


「誰が貧相じゃ」


 比べたことはないからわからないけど平均くらいはある……はずだ。それにまだ成長の見込みだってあるし。


川瀬かわせ。もう少し現実を見よう。そんな展開は二次元だけだ。三次元では絶対に起こらない。陰キャがモテるのは二次元だけなんだ」


「わいらでも性欲の捌け口くらいにはなれるんですぞ! 嫁は二次元であるが、せっかくならこのぶら下がっているモノも使いたいではないか」


「お前は灰になって使い物にならないだろ」


「んふふふ。わいの貞操は守られましたな。将来は大賢者になること間違いなしですぞ」


 ふん! と鼻息を鳴らしデカい顔をテカらせる川瀬かわせ。僕もここまで振り切れれば楽に生きられるのかもしれないな。微妙に三次元の可能性を感じてしまって川瀬かわせほど思いきれない自分は、一般人でもオタクでもない中途半端な存在だ。


 案外、川瀬かわせみたいなキモを極めたオタクがあっさり結婚したりするんだよな。世の中は本当によくわからない。


「とにかく僕も貞操は守ら……おい。どうした」


 さっきまで下品なワードも何個も発していたイキり陰キャが灰になっていた。このクラスに、いや、この学年で川瀬かわせにあえて近付く女子はいない。用事があれば僕を経由するという謎のルールがあると噂で聞いたくらいだ。


 そうなると答えは一つ。川瀬かわせにではなく僕に用事がある女子だ。思い当たるのはただ一人。全身がもちもちでぷにぷにのマシュマロみたいな体の持ち主。

 若干の気まずさを感じつつ、僕は思い切って振り返った。


「えへへ。お話するの久しぶりだね」


「プール掃除が終わるまで僕は部員じゃないし、そんなもんだよ」


 毎日顔を見ていたはずなのに、こうして近くで見ると少し瘦せた気がした。全体的にほんわかと丸い雰囲気は残しつつ、女の子として洗練されたような。端的に言えばより可愛くなっていた。


「水着、忘れてないよね?」


「もちろん。ここにあるよ」


「よかった。裸でお掃除してもらうところだったよ」


「参加させないっていう選択肢はないんだ?」


 女子だらけのプールでフルチンの陰キャが一人。もしそれが許させるのなら川瀬かわせの言う逆レイプが起こりそうなシチュエーションだ。たまにとんでもないことを口走るから田野たのさんの天然ピンクぶりは侮れない。


「練習の成果、期待してるから」


「う、うん。練習……ね」


 チラリと川瀬かわせの方に目をやるとまだ灰のままだった。一体何を練習したのか問い詰められると面倒臭い。本当のことをありのまま話せば発狂することは目に見えている。


「それでね。練習のことはみんなに内緒に……ね?」


「あんなこと誰にも言えないよ」


 田野たのさんの顔が赤くなった。ほとんどの女子がブラウス姿になる中、彼女は透けブラ対策のベストをしっかりと着ている。ガードが高いからこそ、その奥に眠る大いなる肉感の記憶はしっかりと脳に刻まれていた。


 陽キャ達はもっとすごい行為に及んでいて、僕の体験なんて自慢にもならないかもしれない。だけど周りにいるオタク友達にしてみれば絶対に嫉妬の対象になる。そう断言できるほどの衝撃を僕は受けたんだ。


「あのことは水に流そう。僕が言うのも変な話だけど」


「そ、そうだね。プール掃除だけに。なんて。ふふふ」


「あははははは」


「ふふふふふ」


「水に流すとは、一体何のことですかな」


 灰が少しずつ人間の形を取り戻す。田野たのさんには少し耐性ができたのか回復までの時間が短い。


「プールの汚れをしっかり水に流そうっていう話だ。ね、田野たのさん」


「そうそう。ほら、うちの高校ってプールが屋上でしょ? だから冬の間に汚れがたまって大変なんだって」


 ド天然の田野たのさんもさすがに僕のパスをしっかり受け止めてしっかりとシュートを決めてくれた。


「では、練習とは何のことですかな?」


「練習は練習だよ。プール掃除の」


「ほ……ほほぅ。それは一体いつ、どこで」


川瀬かわせ、無理をするな! もうしばらく灰になってろ!」


「わいは諦めませんぞ。土下座……土下座すればチャンスがある」


 高一の時からの付き合いだけどこんなに必死な川瀬かわせを見るのは初めてだった。女子が近付くと灰になり、離れてからしばらくしないと復活しない。そんな童貞丸出しの男が必死に田野たのさんと会話している。

 ゲスな下心がなければ感動のシーンになってもおかしくないところだ。


「もしかして川瀬かわせくんも土下座するほどボランティア部に入りたいの!?」


 若干引き気味だった田野たのさんの目が輝きだす。自分が性的な目で見られている自覚はないらしい。もっと自信を持って、かつガードを固めてほしい。


「え……あの、わいは……」


「さすがに今日のプール掃除は無理だけど、今度部長に話してみるね。ふふ。嬉しいな。部員が増えればボランティア部は安泰だよ」


「おーい。川瀬かわせ。生きてるかー」


 生命力を使い果たしたのか川瀬かわせは再び灰に戻った。いよいよ生気せいきを感じられない。そんな川瀬かわせ田野たのさんは心配そうに見つめる。


「えっと、また灰になっちゃった?」


「この方がいい。川瀬かわせには早すぎたんだ」


「そっかあ。残念。せっかくボランティア部の部員が増えると思ったのに」


「部長さんに川瀬かわせはキツい。どうなるか興味はあるけど絶対に引き合わせたらいけない二人だよ」


川瀬かわせくんは来年までお預けかな。部長が卒業しても部を存続できるように二人でいっぱい作ろうね」


 田野たのさんの作ろう発言に教室の空気が一瞬ざわついた。彼女はボランティア部としての実績を作ろうと言ったのに、年頃のクラスメイトは子作りと勘違いしたようだ。まったく、どいつもこいつも川瀬かわせのことを言えないじゃないか。


「プール掃除にごみ拾い。あとは他の部の助っ人もできればいいね!」


 僕はできる限りボランティア部の活動であることをアピールするために声を張って叫んだ。教室でこんな大声を出すタイプじゃないのでみんな驚いている。

 童貞を捨てたからキャラ変したんじゃありません。童貞のままだからこうして必死に抗ってるんです。


「ふふ。ヤル気になってくれて嬉しい」


 僕の心の叫びは目の前にいる田野たのさんにすら届いていなかった。田野たのさんと話す度にたださえ狭かった肩身がさらに狭くなっていく。いいんだいいんだ。僕はおっぱいの感触を知れたから。


 こうなればあの思い出は絶対に水に流さない。オタク特有の執着心を見せてやる。この先、一生あのおっぱいの感触を心の支えに生きてやるからな!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る