第14話 なかは温かい

 僕らは無言でお風呂場の汚れに向き合い続けた。もっとも本当に汚れと戦っているのは田野たのさんだけで、僕はすでにピカピカの浴槽をさらに磨いているに過ぎない。

 田野たのさんがタイルの隙間を納得いくまで掃除し終わらなければ僕はこのままピカピカの浴槽を磨き続けることになるのだ。地味に辛い。


「そっちはどう?」


「も、もうちょっと……かな」


 どうにも歯切れの悪い返答にどうしても疑いの目を向けたくなった。だけどここはグッと堪える。本当にまだ納得していないだけかもしれない。再び浴槽をこすることを数分、僕はまた田野たのさんに声を掛ける。


「そろそろどう?」


「もうちょい! 本当に」


 自分の発言を裏付けるように歯ブラシでタイルをこするシャカシャカという音はさっきよりも大きくなっている。あくまでもここは田野たのさんの家なわけだし、住人の気が済むようにやらせるのが礼儀というものだ。


 さらに数分。僕はもはや自分の手を止めていた。動いている時はそうでもなかったけど、さすがに少し体が冷えてきた。


「さすがにもう終わったかな?」


「う……うん」


「それはよかった。ごめんね。あんまり役に立てなくて。あとは泡を流して終わり?」


「待って! シャワーはわたしがするから、道玄坂どうげんざかくんはそのまま」


「あ、うん」


 胸を隠しながらシャワーヘッドを掴むとお湯を浴室全体に掛け始めた。一瞬、洗剤の匂いがむわっと立ち込めたけど、それも少しずつ流されていく。浴室の温度も上がってきて良い感じだ。やっぱり綺麗なお風呂と言うのは気持ちが良い。


「そんなにじっと見られると恥ずかしいよ」


「ごめん!」

 

 完全に無意識だった。田野たのさんのむちむちとした体を当然のように観察していた。彼氏じゃないんだからこれは怒られても仕方がない。いくら水着姿に慣れるためと言ってもジロジロ見るのはよくないよな。


 田野たのさんのからの指摘を受け、僕はくるりとひるがえり壁を見つめた。背後で水着姿の女の子がシャワーを使っている。音だけでシチュエーションを想像すれば全裸でもおかしくない。


道玄坂どうげんざかくんそのままね。何があってもそのまま」


「え? それはいいけど」


 浴室のドアが開く音がした。そのままと言われて了承した以上、ここから動くわけにもいかない。訳もわからず浴槽の中で立ち尽くしているとお湯が流入してきた。栓をしていないのでお湯はそのまま流れ去っていく。


「えいっ!」


「うわっ!」


 背後からお湯を浴びせられて思わず声が出た。


「先にこっちの泡を流さないとね。綺麗になったら栓をして」


「待って待って。何が始まってるの?」


「ここはお風呂だよ?」


「うん。知ってる」


「お掃除を手伝ってくれたお礼に温まってもらおうと思って」


「ありがとう! あとは自分でやるから田野たのさんは上がって」


「さっき水着に慣れろって言ったのは道玄坂どうげんざかくんだよ」


「……まさか」


 僕が壁を見ているのをいいことに田野たのさんは着々と浴槽内の泡を洗い流していく。それと同時にさっきまで冷えていた体も確実に温まっていった。


「もういいかな。栓しちゃっていいよ」


 ついさっき逃げないと約束してしまった手前、僕は田野たのさんの指示に従うしかない。掃除は掃除、水着は水着という計画だったというわけだ。


 うっすとお湯が溜まった浴槽の中で滑られないように移動して、僕は栓をハメた。少しずつ水面が高くなって足が気持ち良い。


「一緒にお風呂に入ったらさ、プールも平気かなって思ったんだ」


 田野たのさんが言うと同時に水面が揺れる。高さを増したお湯の中に彼女が入ってきた証拠だ。


「べ、別に一緒に入ることはないんじゃないかな。ほら、お互いに水着姿を見せ合って、ゆっくり一人ずつ温まるとか」


「そしたら道玄坂どうげんざかくんとお母さんが二人きりになっちゃうもん」


「だから何もしないって!」


 少なくとも僕にそんな度胸はない。お母さんの方から誘ってきたらどうなるかわからないけど……それは僕のせいじゃないからセーフ!


「座ろう。そうしないと寒いよ」


「……わかりました」


 ちゃぷっと音を立てながら僕らは体育座りをした。なんとなくお互いに浴槽の端と端に座る。高校生二人がお互いに足を伸ばせるくらいの広さなのに、田野たのさんの太ももからお尻にかけてのラインがよく見える。勇気を出して少し手を伸ばせば触れることもできる距離。ほぼ裸みたいな状態の男女が向かい合っているのに何も起きない。


 きっと僕と田野たのさんだから成立している状況だ。陽キャなら間違いなくおっぱじめてるね。お湯のおかげで裸でも寒くないのは評価点が高い。そう考えると浴室は最高のヤリ部屋じゃないか。


道玄坂どうげんざかくん、変なこと考えてる」


「考えてない考えてない! 心をにしてた」


 頭の中に浮かんだ妄想を消す意味でも僕は首を全力で横に振った。それでも田野たのさんのジト目は変わらない。また少しお湯が増えてきて、下半身は完全に温まっている。変な意味ではなく。


田野たのさんは水着に慣れた? 僕はもうすっかり。だからそろそろ上がってもいいんじゃないかなって思うんだけど、どうだろう」


「ダメ。ちゃんと練習しないと」


 体育座りのまま田野たのさんは僕をじっと見つめる。もはや逃げ道は完全に塞がれてしまった。この閉塞的な状況で僕らはお湯が溜まっていくのを実感しながら温かい時間を過ごしていく。


「足、伸ばしていい?」


「もちろん。ここは田野たのさんの家だもん」


道玄坂どうげんざかくんも」


「あ、はい」

 

 ゆっくりと遠慮がちに体育座りと解いて足を伸ばす。

 お互いの足と足が触れ合って胸が高鳴るイベントは発生しなかった。だけど、今まで太ももでガードされていた田野たのさんの胸元が露わになる。ぴっちりと肌に張り付いた水着はボディラインを可視化してとてもいやらしい。


「ここから……慣れるから」


 胸くらいの高さまでお湯が溜まった湯船の中を田野たのさんが移動し始めた。肉感的なおっぱいがお湯を押しのける。


「まっ! 田野たのさん何を」


「水泳部の子達は絶対にぺたぺた触ってくると思うんだ。だから道玄坂どうげんざかくん……」


 田野たのさんは僕の手を取り、そのまま自分の肩へと導いた。

 スベスベの肌は触っただけでとても気持ちよくて、緊張と同じくらい快感が脳を介さず全身に広がっていく。


「あわわわわわわわ」


道玄坂どうげんざかくんのも、触るね」


 田野たのさんはさらに体を近付ける。二人の足が交互に並び、前にも後ろにも逃げられない。僕は流れに身を任せるしかなかった。


「男子っぽくないくせに、ちょっとゴツゴツしてる」


「ひゃのさん!?」


 田野たのさんの柔らかな手が僕の右肩に触れている。彼女に導かれた僕の手もどうしていいかわからず田野たのさんの肩に置いたままだ。お互いに左手がフリーだけど抱き合っている状態に近い。


「少しは女子に触られるのに慣れた?」


「じぇ、じぇんぜんです!」


「もう……わたしも恥ずかしいんだよ? そんなんじゃ水泳部の子達に囲まれて何もできなくなっちゃう」


「陽キャは僕みたいなヒョロガリを相手にしないって!」


「でも、お母さんが興味津々だった」


「あれはきっとブラックジョークだから。絶対本気じゃないよ」


 ジト目の田野たのさんの顔が近い。まるで浮気を問い詰められているようだ。そもそも付き合ってないので浮気でも何でもないんだけど。

 今はとにかくお風呂で温まった体から漏れる熱い吐息が僕の理性壊そうとしていることの方が問題だった。


田野たのさん、さすがに僕ももう慣れたよ。予行練習はこれでおしまいにしよう」


「本当? プール掃除の日に水泳部の子達に手を出したらダメだよ? ボランティア部の入部が掛かってるんだから」


「ぜぜせ、絶対大丈夫。ほら、田野たのさんも言ってるじゃない。僕にはそんな度胸ないって」


道玄坂どうげんざかくんからは何もしなくても誘われたら乗っちゃうでしょ? そのための免疫なんだから」


「安心して。陽キャは僕を誘わない」


 自分で言ってて悲しくなったけどこれが事実。僕がよほどお金持ちだったり大物とコネでもない限り陽キャ女子は僕に興味を持たない。

 さらに悲しいことに僕の言葉に納得したのか田野たのさんがゆっくりと立ち上がる。


「わかった。絶対にプーr……わわっ」


「ふえ!?」


 浴槽を磨き過ぎてしまったのか田野たのさんが足を滑らせてしまった。幸いにも右手は僕の肩を掴んでいたから思いきり転倒するということはなかった。ただ……。


ばしゃんっ! 「んむぐ」


 僕の頭は田野たのさんの胸と共にお湯の中にダイブした。中はとても温かいし、柔らかない。まるで全身を田野たのさんに包まれているようだ。ぴっちりとした水着越しでも感じ取れる弾力は童貞に刺激が強すぎる。

 

 お風呂で溺れかけているのに下半身は戦闘態勢に突入していた。存在感が大きくなった我が息子に田野たのさんの足が当たる。もがく度に裏筋うらすじがこすられて非常に気持ち良いと同時にマズい。他人様の家のお風呂で致すわけにはいかん!


「ぼぢふいで!」


 水の中で落ち着いてと訴える。田野たのさんが僕からどいてくれさえくれれば全て解決するんだから。僕は最初で最後かもしれない三次元のおっぱいをこの身で噛み締めていた。


「ご、ごめんね」


「ぜぇ……ぜぇ……大丈夫。免疫も付いたよ」


「もう……ばかっ!」


 そう言い残して田野たのさんは先に浴室から出て行った。さすがに一緒に出るのは気まずくて、僕はしばらく湯船に浸かった。その間、息子はずっと元気なままだった。


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