第11話 ハメて

道玄坂どうげんざかくんにそんなことはできないと思うけど、覗いたらダメだよ?」


「覗かないって」


 田野たのさんの微妙な言い回しにダメージを受けつつ僕は試着室から目を逸らした。

 『そんなことしない』と『そんなことはできない』

現象としては同じだけど僕に対する評価を如実に表している。

 男として見られてないってこんなに辛いことだったんだな。そもそも女子と接点がなさすぎて知らなかった。


 カーテンの一枚の向こう側で田野たのさんが着替えていると想像するとどうにも落ち着かないので、仕方なく売り場の方に視線を移す。

 こっちはこっちで見るからに陽キャな女の子達が水着を選んでいた。

 僕は一切なにもしていないのに罪悪感を覚えてしまうのはなぜなんだろう。


 時折僕に向けられる視線には警戒心が込められていてチクチクと突き刺さる。


「ちょっと大胆なの選んだかも」


 そんな独り言がかすかに耳に入る。田野たのさんはワンピースタイプのものをいくつか選んで試着室に入っていった。

 落ち着いた花柄だったり、しっとりとしたグレーのものだったり、田野たのさんらしいチョイスだと思う。僕が口を挟むのもおこがましいと思い黙って付き合っていたら、すぐに試着室に入ってしまったというわけだ。


 正直な感想としてはそんなに大胆なデザインはなかったと思う。本人がいざ実態に着てみたら大胆だと感じてしまったのだろう。スク水しか持っていない田野たのさんが自分で選んだ水着をどんな風に着こなすのか、そしてふわふわボディがどこまで露わになるのか、想像しただけでムズムズが止まらない。


道玄坂どうげんざかくん、ちゃんといるよね?」


「いるよ。良いの選べそう?」


「こ、これからだよ。道玄坂どうげんざかくんに選んでもらうんだから」


「僕の意見よりも自分のセンスを信じた方がいいと思うよ」


「でもでも、人から見て恥ずかしくない恰好かどうかを判断してほしいし」


 これまでの発言から田野たのさんは自分の体型を気にしているようだ。大体の女子がいつもダイエットの話をしているから彼女も類に漏れずということだろう。

 特に田野たのさんはふわふわボディだから人一倍気にしているのかもしれない。姿は見えないけどもじもじと思い悩む姿が想像できた。


道玄坂どうげんざかくん、何があっても驚かないでね?」


「驚くって、何に?」


「もう! 言わせないでよ。お肉だよ。お・に・く。普段は制服で隠れてるものが見えちゃうから」


「カーテンの中からライオンが出るわけじゃないんでしょ? 田野たのさんは田野たのさんなんだから大丈夫だよ」


「うぅ……信じてるからね」


 まさか僕の方からカーテンを開けるわけにもいかず、僕はその時を今か今かと待ち続ける。きっと心の準備をしてるんだろうなと考えているうちに時間はどんどん進んでいった。


「あの……田野たのさん?」


「なあに? 早く開けてよ」


「僕が開けるの!?」


「だって、わたしから水着姿を晒すなんて恥ずかしすぎるよ」


「誘ったのは田野たのさんなんだけどな……」


 僕を男として見てないし覗かれる心配もしてないのに、いざ水着姿を見せるとなると恥ずかしいらしい。女心って本当によくわからない。

 これが恋愛ゲームなら選択肢のどれかに正解があるからいつかは正しい道を選べるのに、たった一度のチャンスで具体的な選択肢も与えられないとか人生は難しすぎる。ゲームバランス崩壊してるだろ。


「さっきからずっとドキドキしてるんだよ? いつカーテンが開くんだろうって。道玄坂どうげんざかくんが焦らすから、わたし……」


「ご、ごめん! すぐ開けるから」


 シャーっと勢いよくカーテンを開けると、両腕でお腹を隠す田野たのさんの姿があった。別にお腹が出ているわけじゃないし、むしろぷにっとしていて可愛らしい。

 花柄のワンピースは彼女の優しさをそのまま体現しているようだ。そして何より、お腹を隠す腕が結果的に胸を寄せる形になっていて非常にエロい。


 もしスク水だったら胸の部分がぴっちぴちになって、おっぱいの形がよくわかったかもしれない。そんな過激な姿を不意打ちで見たら本当にプール掃除どころではない。


「黙ってないで感想を教えてよ」


 田野たのさんの体はお風呂上りのように全身が火照っている。それがより一層色気を引き立てていた。僕は唾をごくりと飲み込み、たった一言をひねり出すのが精いっぱいだった。


「すごく似合ってる」


 これ以上の言葉出てこなかった。女子の水着を選ぶなんて初めてだし、水着のこともよくわからない。いて他に感想を出すなら『エロい』しか思い浮かばない。

 さすがに天然の田野たのさんでもこんなことを言われたら訴訟も辞さないと考えしっかりと思い止まった。


道玄坂どうげんざかくん、語彙力が貧困だよ」


「仕方ないだろ。こんなの初めてなんだから」


「わたしだって初めてだよお。もう、次いくね」


 田野たのさんはカーテンを勢いよく締めてしまった。店内BGMが一瞬止まり、それと同時に水着を脱ぐ時に特有のパチンという音が耳に入った。

 まだ見たことのない、水着姿よりも肌色の面積が増えた状態を否が応でも想像してしまう。あの花柄を取り除いたら田野たのさんは完全に全裸だ。

 

たぶん土下座しても見せてもらえない聖域。むしろその聖域に直前まで足を踏み入れられたことが人生の奇跡だと思う。

あの光景をしっかりと脳裏に焼き付けておこう。プール掃除はあるけど、こんなにじっくりと女の子の水着姿を合法的に見られるのは人生で最後かもしれない。

二次元に人生を捧げたとしても、本物を知っているかどうかの差は大きい。美麗なイラストに今日の記憶を重ね合わせれば、僕の目の前には美少女が存在することになるんだ。


「あうっ!」


「どうしたの!?」


「ご、ごめん。なんでも……なくはないけど。大丈夫。自分でどうにかできるから」


 突然大声を上げたので心配になったけど、本人がそう言うなら信じるしかない。万が一にも着替え中に試着室に飛び込んだらそれこそ事案になってしまう。田野たのさんが許しても世間が許さないだろう。

 僕みたいな陰キャがアウェイにいれば真っ先に疑われる。世界はそういう風にできてるんだ。


 ほら、すでに何人かの視線が試着室とその前にいる僕に向けられている。もし事件が起きれば確実に僕が犯人に仕立てられてしまうだろう。

 無実のオタクを犯罪者にするのはいつだってパリピ女なんだ。少しはオタクに優しい二次元美少女達を見習ってほしいものである。


道玄坂どうげんざかくん、ちょっとお願いがあるんだけど」


「なに? 店員さん呼んでくる?」


「それは最終手段。あのね……ハメてほしいの」


「ハメ!?」


 反射的に自分の口を押えた。完全に不審者を見る目に変わっている。僕が店員さんを呼ぶ前に、他の人が店員さんを呼んできそうな雰囲気だ。


 試着室でハメるとかハメないとか、どこでもヤっちゃう脳みそが下半身に付いたヤバいカップルと誤解されてしまう。童貞なのにヤリチンだと勘違いされるのは非常に心外だ。


「あのね。他の水着はサイズが小さくて入らなかったの。だから一回着替えてサイズ違いを選ぼうと思ったんだけど……」


 それなら店員さんを呼ぶのが一番だ。僕が水着を持ってウロウロするのは勘弁なので田野たのさんが何と言おうと僕は店員さんの手を借りるぞ。


「ホックがね……ハマらないの」


「え、さっきまで付けてたやつの?」


「うん……」


 今にも泣きそうな声で田野たのさんは返事をした。それこそ店員さんを呼んできた方がいい気がする。


「カーテンの隙間から手を入れて、うまい具合にホックをハメてもらえないかな?」


「無理無理無理! 一度もやったことないんだよ!」


「引っ張ってハメてくれるだけでいいから」


「だからそれが想像も付かないんだよう」


 半泣きの田野たのさんの声を聞いていると助けたい気持ちは湧いてくる。だけど、それ以上に自分が泣きたくて仕方がない。

 ブラのホックって初体験の時に絶対に手こずるらしいじゃん。さらに僕は女子に免疫のない陰キャだ。田野たのさんに肌に触れてしまうかもと考えるだけで興奮と緊張で手が震えてしまう。


「さすがにノーブラは無理だよ。お願い道玄坂どうげんざかくん」


「店員さんじゃダメなの?」


「ブラのホックもハメられなくなったデブ女って思われたくないもん」


「そんな風に思わないよ。僕なんて失敗する可能性の方が高いんだしさ」


「ダメだったら最終手段で呼んでもらうけど、今は道玄坂どうげんざかくんに賭けたい」


 ものすごく頼りにされてるけど、これって男として見てないから頼んでるってことなんだよな。カーテンの向こうには上半身ほぼ裸みたいな田野たのさんがいて、彼女の方からブラのホックをハメてとお願いされている。


 土下座しても勘違いされてヤることはできなかった。だけど今は、田野たのさんの方から誘っている。この経験はきっと今後の二次元ライフに活かせるはず!


「わかった。ダメそうならすぐに店員さんに助けを求めるからね」


「ありがとう」


「お礼は成功してからにしてね……いや、ちょっと待って。試着室に手を突っ込むのも周りから見たら相当危なくない? 僕、通報されちゃうよ」


「そんなことはないよ。道玄坂どうげんざかくんは痴漢をするような度胸はなさそうだし、わたしがちゃんと事情を説明するから大丈夫」


「さりげなくバカにしてるでしょ! 女の店員さん呼んでくるからちょっと待ってて」


「え? 道玄坂どうげんざかくん! お願い、ハメて!」


 田野たのさんの叫びに店内がザワつく。絶対にあの試着室の中に痴女がいると思われてるぞ。無自覚にエロ方面に誤解する発言をするのは本当に止めてほしい。

 いつ通報されてもおかしくない状況なのに、僕の頭の中は田野たのさんをハメる妄想でいっぱいになっていた。


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