第7話 カッチカチ

 ボランティア部の部室は部室棟の三階、その端に位置していた。ちょうどパソコン部の部室の上だ。基本的にパソコン室で活動しているので隣や上にどの部室があるかをあまり気にしていなかった。


 部屋の中から人の気配は感じられない。田野たのさんが言うには部長は他の部の助っ人に入るという形のボランティアをしているらしいので誰もいないのかもしれない。


 田野たのさんはコンコンとノックをして扉を開けてくれた。先に僕が入室するように促してくれる。


「失礼します」


 部長さんに悪い印象を与えてはいけないときちんと挨拶しながら部室に足を踏み入れたものの、予想通り中には誰もいなかった。


「あれ? 部長まだなのかな」


「でも鍵は開いてたよね。さすがに戸締りしてないことはないでしょ?」


「うん。鍵を持ってるのは部長とわたしだけ。お手洗いかも。座って待ってよう」


 部員は田野たのさんと部長の二人だというボランティア部の部室には立派な社長椅子と大きな机、ソファにテーブルとなかなかの充実ぶりだ。部室というよりかは校長室に近い印象を受ける。


 活動内容から考えると大会とかはなさそうなので歴代の先輩方が残した表彰状やトロフィーといった類もない。あるのは掃除道具と各種ユニフォームで、パッと見では何部かわからない。


「勝手に座っていいのかな。僕だけ出直そうか?」


「部員であるわたしが許可してるから大丈夫。もし怒られても土下座しよ?」


田野たのさん、僕が簡単に土下座する男だと思ってるよね」


「違うの?」


 首を傾げながら天使の笑顔でそんな風に言われたら自分は簡単に頭を下げる男だと認めざるを得ない。土下座って本来は身分の上の者がするから意味のある行為なのであって、僕みたいな底辺童貞が頭を下げても何の価値もない。

 田野たのさんがそこに気付いた時、果たして僕はどうやって誠意を見せればいいのだろうか。


「ほら、座って座って」


 田野たのさんはソファに腰掛けると空いたスペースをばんばんと手で叩く。

 ソファは二つあり、田野たのさんの向かい側にも設置されている。たぶん部長さんは社長椅子に座るだろうからこのソファを空けておく必要はない。

 

 僕が田野たのさんのお誘いをスルーして向かい側に座ろうとすると、ばんばんとソファを叩く力を強めた。


「えっと……」


「ほら道玄坂どうげんざかくん、座りなよ。ここに」


「こっちじゃダメ?」


「せっかくだから隣でお話しようよ」


「向き合って話すのもいいんじゃないかな」


「むぅ……手強い」


 いつもクラスメイトに仕事を押し付けられているとは思えない強気な田野たのさんが目の前にいる。これくらいハッキリと意志表示できれば無理もしないで済むだろうに。なんて考えたところで自分にも心当たりのある現象であることに気付いた。

 僕や川瀬かわせも陽キャに対して抵抗できない無力な存在だけど、オタクだけのコミュニティではちょっとイキりがちだ。

 

 これってつまり、田野たのさんは僕を仲間として認めてくれているということ?

 他の男子とは違うみたいなことも言ってたし、もしかしたらワンチャンあるかもしれない。

 まるで二次元のような都合の良い展開に心が舞い上がり、頬が自然と緩んだ。


「わたしが土下座したらここに座ってくれる?」


「そんな! 聖女である田野たのさんにそんなことをさせるわけには。隣に座らせていただきます!」


 人間的に僕より遥か上位の存在ある田野たのさんの土下座はそれはもう効果絶大だ。想像しただけで懇願されたような気持になる。ただ隣に座るだけでそんな大層なことをさせるわけにはいかない。


「失礼します」


 女子の隣に座るなんて小学校以来かもしれない。それだって機械的に決められた席に着いただけだ。こんな風に相手から招かれるのは初めての経験だった。

 

僕はできる限り端に寄って田野たのさんとくっつき過ぎないように配慮する。校則を守った彼女のスカートはしっかりと太ももを守っているので万が一に触れあっても布越しだ。僕だってスラックスを履いているので実際に触れ合うのは布と布。

 

 それでも僕みたいな童貞には刺激が強すぎる。天然なのか計算なのか読めない田野たのさんの行動に対して、今はまだ警戒を解くわけにはいかなかった。


「ごめんごめん。ちょっと助っ人の依頼が来ててさ」


 声の方向を振り返ると綺麗な顔立ちの男子生徒が立っていた。少し長めの髪と中性的な顔立ちは女子でも通用しそうだ。

 川瀬かわせがいたら「この可愛さならおちん〇んをしゃぶれる」とか言い出しかねない。それくらい体の線も細く、僕と同じくスラックスでなければ男子であると確信を持てなかったと思う。


「あ、部長」


 田野たのさんが声を掛けた。男子が苦手と言っていたので僕は勝手にボランティア部の部長を女の先輩だと思い込んでいた。もしかしたらワンチャンあるかもなんて考えていた自分が恥ずかしい。

 聖女である田野たのさんにはそれに相応しい相手がいる。例えば、ボランティア活動の一環として運動部の助っ人をしている美形な部長とかさ!


 ああ、だから二次元に人生を捧げると心に決めていたのに。すまん川瀬かわせ。これからも友達でいような。そして、絶対に裏切らないたくさんの嫁と幸せな最期を迎えよう。


「紹介するね。こちらがボランティア部の部長。尾佐おさ先輩だよ」


「はじめまして。道玄坂どうげんざかです。田野たのさんと同じクラスです」


 意を決して座ったばかりではあったけど、先輩に対して座ったまま自己紹介をするのはどうかと思いスッと立ち上がった。

 田野たのさんと部長さん、二人きりの愛の城にモブ男がやってきて驚いているのか部長さんは固まってしまっている。安心してください。僕はあなたに何一つ勝てる点がありませんから。


「部長。ぶちょー! うーん。昨日のうちに言っておいたのに」


「言ったって何を?」


「ボランティア部に新しい男子部員が入りますって。既読スルーされちゃったけど」


「……それは、どうやって断ろうか悩んでいたからじゃないかな」


 部長からすれば今年一年この二人きりの部室が存続してくれればそれでいい。残された田野たのさんは可哀想だけど、部長と同じ大学に行くべく勉強に励んでくれればいい。たぶんそんな風に考えていて、それをどう田野たのさんに伝えるべきか悩んでいるうちに今日を迎えてしまったんじゃないかと想像した。


「でも、部員が来ないとボランティア部はなくなっちゃうよ?」


「うーん。それはまあ、来年はそうかもしれないけどさ」


 天然な田野たのさんは部長さんの想いに気付いていないらしい。僕みたいな童貞を勘違いさせやすい彼女がいるときっと気が気じゃないんだろうな。それも土下座してヤラせてくれと頼むようなクソ野郎だ。この一件を彼氏に知られたら絶対にボコボコにされるのでうっかり漏らさないように気を付けなくては。


田野たのさん、これはもしかして入部拒否の合図なんじゃない? 僕の存在にショックを受けて石になってるよ」


「なんか川瀬かわせくんみたいだね」


 クスクスと笑う田野たのさんは彼氏の普段見られない一面を見られて幸せそうだ。

 田野たのさんに恋をしていた自覚はないのにチクチクと胸が痛む。三次元を捨ててからはカップルのイチャイチャを見ても心穏やかにいられたのに……。


「部長。男装しても男子に弱いんじゃ意味ないですよ」


「は?」


 今、男装って言った? 今は石になって美しい彫刻になっているこの人が?

 男装ってことは本当は女子なの?

 発言の主が田野たのさんなだけに混乱は加速していくばかりだ。


「ごめんね。わたしも男子とお話するのあんまり得意じゃないんだけど、部長はわたしよりもひどくて」


「待って! このイケメンが女の子ってマジ?」


「うん。わたしが入部した頃はもっと女の子らしい雰囲気だったんだけど、それだと男子の注目を集めるから男装するって言い出したんだ」


 おもしろい人だよね。と半ば呆れた感じで田野たのさんは付け足した。おもしろいと言えばおもしろいけど、これじゃあまるで……。


「ああ、だから川瀬かわせみたいって」


「そうそう。いつか二人を合わせてみたいって思ってるんだ」


 聖女は微笑みながらわりと鬼畜なことをさらっと言ってのけた。

 見た目はイケメンだけど中身は女子。たしかに川瀬かわせがどうなるのかは気になる。


「あ! 良いこと思い付いた」


 そう言って田野たのさんは石像に近付くと、グイっと背伸びをして耳元でささやいた。


「部長、道玄坂どうげんざかくんは昨日わたしと一緒にごみ拾いをしてくれました。もう部員でいいですよね?」


 男子の存在で石になったから女子の力で石化が解けるわけでもなく、部長さんはいまだに固まっている。

 そんな部長さんの頭にそっと触れた田野たのさんは、まるで人形遊びでもするように首を縦に振らせた。


「うん。これで入部完了だよ」


「ごめん田野たのさん。不安しかないんだけど」


「いざとなったらわたしも一緒に土下座してあげる」


 教室にいる時とは正反対に部長さんにグイグイと攻め込む田野たのさんはとても活き活きとしていて、誰かの役に立ちたいと何でも引き受ける姿ではなく、こっちが本当の田野たのさんなんじゃないかと思ってしまった。

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