14.探偵VS怪盗②

 二週間後、ある日の昼下がりに藤原優利はとある小さな映画館に足を運んでいた。

 鋼和市の南区は別名レトロ区と呼ばれていることもあり、どこか懐かしい古き良き時代の雰囲気が魅力的なミニシアターだ。

 この映画館では最近上映されている映画は基本的に取り扱っておらず、昔の古い映画が週替わりにリバイバル上映されていることで有名であり、一部のマニアには人気のスポットとなっている。

「とはいえ、やっぱり平日はガラガラだな」

 上映中の映画のパンフレットが収まった棚に飲み物の自動販売機、そして観葉植物が置かれてある受付ホールには他に客は居ない。居るとすれば、チケットやポップコーン、映画グッズや記念メダルなどを販売する年配の従業員くらいだ。

 ちなみに今日はメンズデーでもなければレディースデーでもないので、客足の少なさに拍車を掛けている気がする。ほぼ貸し切りに近い。

 さて、とPIDで時刻を確認。

 間もなく待ち合わせの時間だが、少しばかり早く着いてしまったようだ。

「あれ? 先に着いていたんだ」

 そう思っていたら、待ち合わせの相手がやってきた。

「お疲れ様です。今来たところですよ」

 デートでお馴染みの台詞に、我ながら苦笑する。

 相手が銀子であれば、少しはそれらしい雰囲気が出ると思うだけに残念だ。

「普段なら学校があるのに、呼び出してしまって本当に申し訳ない。話の内容が内容だから、時間と場所を考えると今日ここでするのがベストだと思ったんだ」

「何やらシリアスですね。今日のサボりに見合う内容であれば許してあげますよ」

 そうか、と苦笑した相手は早速チケット代を奢ってくれた。

 そして目当ての作品が上映されるシアタールームに揃って足を運ぶ。

 ……本当に貸し切り状態だ。

 観客は自分たち二人しか居ないため、館内中央のスクリーンが一番見やすい席を陣取る。

 やがて上映時間を知らせるブザーが鳴り響き、照明が徐々に落ちてくる。

 二人揃ってPIDの電源を落とした。

 映画館において携帯端末の電源を切るのは基本的なマナーだ。

 そして相手は、掛けていた眼鏡を外して専用のケースに収める。

 確かその眼鏡は、通信・録画機能も備えた特注品だったか。

 暗くなった館内。

 白く巨大なスクリーンに映写機から投影された映像が流れる。

 スピーカーからは自宅のテレビとは比べ物にならない迫力ある音響が飛び出す。

 本編が始まる前に、最新映画の予告CMが流れた。

 気になる作品は……今のところない。


 そんな中で。


「早速だけど、単刀直入に本題に入らせて貰おうか」


 ――隣の席に座ったクロガネこと黒沢鉄哉の声が、するりと耳に入った。


「藤原くん、君が怪盗〈幻影紳士〉なんだろ?」



 ***


 ……ああ、なるほど。


 クロガネが放ったその一言に、優利はようやく今日この場所に呼び出された意図を察した。

 平日で観客の少ない、マイナーなミニシアター。

 館内では自然に通信端末の電源も切る上に、映画の音響もあって周囲から聞き耳を立てられることもない。

 現に、右隣に座るクロガネがサプレッサーを装着した拳銃が握られており、その銃口をこちらに向けている。

 人気のない映画館。密談だけでなく、暗殺にも適したロケーション設定だ。


「……随分とまぁ、物騒な物を向けて突拍子もないことを訊きますね。その根拠は?」

「怪盗騒ぎの前にあったドッペルゲンガー事件を憶えているか?」

「ええ」


「あの事件が解決した直後に、そちらの女社長から松村彩子のカルテを送り付けたことに関する文句と苦情の連絡が来た」


 ……何やってんの、銀子さん。


「その時に白野にも言っておいたが、俺はそこまでやっていない」


 でしょうね。松村さん関連は基本的にクロガネサイドはノータッチだったし。


「清水刑事から詐欺師の青葉信子とグルだった出目治の供述をまとめた調書内容を聞いたところ、出目が逮捕される直前に出目と瓜二つな『ドッペルゲンガー』が現れて病院から松村彩子のカルテを回収、出目の自宅にあった端末から更なる証拠までも奪っていったらしい。あまりにも現実離れした内容だけに、錯乱した出目治の妄想かと最初は思ったよ。

 ……後日、美術館で怪盗の変身能力を目の当たりにするまでは」


 ――いつの間にかCMが終わり、映画本編が始まっていた。


 チケットに表示されていた作品タイトルを思い出す。

 タイトルは確か、『ジョン・ウィック』だったか。

 キアヌ・リーヴス演じる伝説の殺し屋が活躍する、相当古いアクション映画だ。


青葉信子結婚詐欺師出目治整形外科医が作り出した松村彩子身代わりとは別のドッペルゲンガー。そして変身能力であらゆる人物の顔に化ける怪盗。両者が同一人物だと仮定すれば、全てが繋がるんだよ」


 ――そして、クロガネは怪盗=藤原優利を前提に自身の推理を披露する。


 白野銀子は後継者争いを始める獅子堂家から独立するため、有能な探偵になろうとしていた。

 銀子のために動く優利が怪盗であるならば、ドッペルゲンガー事件から連なる【宵闇の貴婦人】の件も辻褄が合う。

 探偵助手として銀子を支える傍ら、変身能力を使って銀子が有利になる証拠や情報を提供し、探偵の宿敵ともいえる怪盗を演じることで白野探偵社の世俗的認知度を上げようとしていたのだ。

 わざわざ獅子堂家御用達の『ガーデン・オブ・ガーディアン』製のセキュリティが施された鋼和美術館で怪盗行為を行った理由は、『GOG』は銀子の実父である晃司が運営しているからだろう。嫌でも銀子愛娘の存在は晃司も知ることになる。

 探偵助手であり怪盗でもある優利が上手く立ち回って銀子を活躍させれば、晃司も彼女の選択を認めてくれるだろうという打算があったからだ。

 つまり。

 獅子堂家の関係者で内情を把握している者。

 銀子の元使用人でもあり、彼女の安全と名誉を最優先で考える者。

 変身能力と高い戦闘技術を併せ持つ、特殊潜入工作員顔負けの実力者。

 白野探偵社の探偵助手にして怪盗〈幻影紳士〉。


「そしてもう一つ」

 クロガネは一拍置いて、告げた。


「獅子堂家直属の特殊部隊ゼロナンバーにおいて、潜入工作に特化した『I』のコードを持つ〈インディアゼロ/イリュージョン〉……それが君の正体だ」


「すごいな……」

 失礼ながら、正直クロガネのことを探偵ではなく荒事処理専門の戦闘員として見ていた。だが、その認識は訂正せざるを得ない。

 素直に感心すると、「では?」と改めて訊ねてきたクロガネに頷いて見せる。


「その通り。ボクが〈幻影紳士〉で、〈インディアゼロ/イリュージョン〉だ」


 船上で共闘した時のように口調を素にしてクロガネの推理を概ね認めたところで、気になったことを訊ねる。

「ボクもゼロナンバーであることは、〈ドールメーカー〉から聞いたのか?」

「いや、ほぼ勘だ。俺が現役だった頃からインディアゼロに関する情報は特に少なかったし。潜入特化だから仕方ないと言えば仕方ないし、せいぜい変身能力持ちだという噂を聞き齧った程度。今回のドッペルゲンガーや怪盗絡みで、もしかして藤原君は……って思っただけ」

「うーん、墓穴を掘ってしまったかな?」

「それ以前に、〈幻影紳士〉と〈イリュージョン幻影〉はあからさま過ぎるんだよ」

 ですよね(笑)。

 流石に安直すぎるとは自分でも思ってましたよ。

 ていうか今更だけど、ゼロナンバーのコードネーム自体が実直すぎる。

 〈アサシン〉とか〈スナイパー〉とか正体隠す気ゼロだろ、ゼロナンバーだけに。

「まぁ、最初に感じた違和感は白野の苦情からだったがな」肩を竦めるクロガネ。

 だいたい銀子さんのせいか。

 彼女には悪気はない上に、こちらも裏事情があるから責められない。

「まさかドンピシャだったとは……ていうか、やっぱり出嶋の奴は知っていやがったか。今思えば共闘の際、怪盗をすんなりチームに入れては装備も気前よく貸していたから、何かおかしいとは思っていたんだ」

 当時は緊急事態で、そこまで考えが至らなかったのは無理もない話だ。

「彼も相変わらず信用薄いね」

「普段から『胡散臭い』って言葉に足が生えたような奴だし」

 本当に日頃の行いは大事である。

「ちなみに藤原くんが怪盗だと思い至った理由の一つに、わざわざ『藤原優利』の顔に化けて魚人と戦ったことも挙げられるんだけど、どう考えてもその理由が解らん。それについて伺っても?」

「特に理由はないよ。強いて言うなら、本気を出す際は使い慣れた顔であった方がやりやすいというか何というか……気分の問題だな」

「……今のその顔が素顔じゃないのか?」

「いや? といっても、、銀子さんと長く付き合っているこの顔を初期設定デフォルトにしている」

 自分でも素顔が解らない? と言わんばかりに眉をひそめたクロガネに、自身の出自を打ち明ける。本当は極秘事項なのだが、彼にとっても他人事ではない上に、少しでも信用を得られていた方が何かと都合が良い。

「ボクは〈シエラゼロ/スナナディアイパー〉と同じく、なんだよ」

 驚愕のあまりクロガネの目が大きく見開かれ、絶句する。



 ***


 次世代ゼロナンバー候補者育成計画、通称〈ネクストゼロプラン〉。


 かつて、とある事件に巻き込まれ記憶と家族を失った幼少時代のクロガネを獅子堂家が引き取り、暗殺者としての英才教育を施した。

 その結果、僅か八歳で鮮烈な暗殺者デビューを果たしたクロガネが後年多大な戦果を上げてしまった経緯が、そもそもの発端となる。


 その前例からクロガネの教官だった一人の男が、身寄りのない子供たちを集めて非公式の専門施設に保護し、次世代のゼロナンバーを育てようという計画を立案。

 それが〈ネクストゼロプラン〉の概要だったが、企画段階で当主である獅子堂光彦が反対し、計画は白紙になった――筈だった。


 結果を出せば誰もが納得するとして、男は秘密裏に計画を実行。

 ナディアをはじめとする戦災孤児や捨て子などの身寄りのない子供たちを表向きは人道的に手厚く保護する一方で、子供たち本人も気付かない繊細かつ緻密な洗脳教育を施したのだ。

 結果的にナディアを含む数名がゼロナンバーの任務に緊急参戦し、多大な戦果をもたらした。

 だが、それがきっかけで真相を知ったクロガネが計画の中枢を担っていたかつての教官を射殺。

 以降、〈ネクストゼロプラン〉は凍結され、ナディア達数名を除いた他の子供たちは光彦の手配で真っ当な施設で健全な教育を受け、一般社会に復帰していったという。


 だが、のちに『藤原優利』と名乗る当時の少年は――


「元々あった特異体質なのか、計画上の洗脳や実験的な薬物投与の副作用がきっかけかは今も解らないが、ボクはあらゆる顔に化ける変身能力に目覚めてしまった。最初の頃は変身のコントロールが上手く出来なくて本当に苦労したよ」


 そういった経緯もあって、のちに狙撃の名手となるナディアを含めた戦闘員候補生とは別の施設に隔離され、何ヶ月もの研究と治療を受けてついに、変身能力を完全に己の制御下に置くことが出来た。


 そこから先は――地獄のような日々の連続だった。


 能力の特性上、潜入工作員として特殊な訓練漬けの毎日。

 来る日も来る日も他国の言語や文化、宗教などを学び、潜入工作から暗殺技術のイロハを叩き込まれた。実際に任務に合わせた人物像の顔に変身して一日を過ごし、次の日にはまた別人に変身して過ごす。


 そんな日々を繰り返していた結果。


 ふと、自分の素顔を忘れてしまったことに気付く。


 どうやっても思い出せない。

 次代候補者とはいえ、ゼロナンバーになることを定められた以上、写真などの自身の記録も全て抹消されていた。


 名前という自分を識別するための大切な記号を失い、自分が何者かですら解らず、誰も何も教えてくれない絶望感と虚無感は、実に耐え難いものだった。


 ――藤原優利と名乗り、獅子堂銀子と出会うまでは。


「とまぁ、色々あって銀子さん……当時の獅子堂銀子お嬢様の護衛を任された時に化けたこの顔と名前を今でも使っているわけだ。もう五年くらい経つから、『藤原優利』という名前も含めて、この顔がボクの素顔ということにしてる」

「……あー、その、何というか、本当に申し訳ない」

 これまでの経歴を話すと、クロガネが本当に申し訳なさそうな表情で謝ってきた。

「別に貴方が謝ることでもないがな。巡り巡って銀子さんと出会えたことに関してはむしろ感謝したいくらいだし、貴方も貴方で壮絶な半生を送ってきたのだろう?」

「そう言って貰えると助かるよ、本当に……」

 そう言ってクロガネは表情を引き締めた。

 すぐに思考精神を切り替えることが出来るのは流石だ。

「さて、藤原くんの素性も割れたところで、改めて個人的に確認したいことがある」

「何だ?」

「美優と同じ学校に、しかも同じクラスに転入してきた真意を問いたい」


 ――例え相手が古巣の元同僚といえど、彼女の身に何かあれば容赦はしない。


 保護者の鋭い眼光とその手に握られた拳銃が、そう物語っている。


 ……これも極秘だが、事ここに至ってはとぼけても仕方がない。

 むしろ、彼には知って貰った方が良いと考え、正直に答えた。

「それは、光彦様からの命令だ」

「ご当主から?」

 獅子堂光彦。

 獅子堂家現当主であり、安藤美優にとっては祖父にあたる存在。そして白野銀子の伯父でもある。

「可能な範囲内で、安藤さんが学校内に居る間の護衛を任されたんだ」

 言うまでもないが、保護者を任されたクロガネは学生でも教師でもないため学校の敷地内に入れない。そこで美優が校内に居る間だけ護衛を命じたのだ。

「……確かに、君の能力なら男子生徒として潜入も容易だけど、ご当主も随分とまぁ過保護だな」

「いや、あんたが言うな」

 心からのツッコミを入れる。

「命令とはいえ、仕事を掛け持ちさせて申し訳ない」

「別に貴方が謝ることでも」

 こうして直に会って話してみて改めて解ったことだが、普通に良い人だな。

 本当に元暗殺者なのか?

「ちなみに俺が呼び出してしまったとはいえ、今日の護衛は大丈夫なのか?」

「ボク以外にも護衛は控えているから大丈夫だ。流石に詳しくは話せないが」

「それは当然だろう。それと、潜入に関して白野には何て?」

「クロガネの助手から色々有益な情報を手に入れてきます――と言ったら、すんなりOKを貰ったよ」

「ああ、そう……」と、どこか複雑そうな表情を浮かべるクロガネ。銀子にここまで敵視される理由が解らず困惑している様子が見て取れた。

「彼女のこと、よく解っているんだな」

「伊達に何年も傍に仕えているわけではないからな」

「そうか……今更だが、銃まで向けて悪かった」

「いや?」

 バツが悪そうに拳銃をショルダーホルスターに収めるクロガネ。

 銃まで持ち出したのは、こちらが美優に危害を及ぼすのかと警戒し敵対した際の用心と、本音を引き出すためであろう。

 本当に安藤美優のことを大事に想っている彼に、一種の共感を覚える。

 自分も白野銀子のためならば、どんなことでもやってのける自信があるから。


 ……例えそれが間違いだったとしても。



 ***


 さて。

 藤原優利の正体が判明し、彼が敵ではないと解った今、当初の目的はほぼ達成できた。

 あと訊きたいことといえば……。


「話はここまでだ……と言いたいんだけど、最後に一つだけ」

「何だ?」

「ドッペルゲンガー事件の時、俺の前に現れた赤い日傘を持った女性……あれは君か?」

「赤い日傘……まさかクロガネにも?」

「ああ。君らと別れた後、青葉信子と同じ顔をした女性と遭遇した。その後、一瞬で莉緒お嬢様の顔に化けやがった」

「そんなことが……」

 驚く優利の表情は、とても演技とは思えない。

「……君じゃないんだな?」

「ああ、ボクじゃない。その時間帯なら、ボクは銀子さんと松村さんの二人と一緒に居たし」

「ちなみに、周囲の人間や美優の眼にも映らない存在だった」

「……まさか、本物のドッペルゲンガーだとでも?」

 神妙な表情で仮説を立てる優利。

 仮にそうだとすると、あの時のあの事件にはものドッペルゲンガーが存在していたことになる。


 一人目、整形手術を受けて青葉信子の身代わりになる筈だった松村彩子。

 二人目、出目治が青葉信子の共犯者であることを証明した藤原優利。


 そして三人目、正体不明の赤い日傘を差した女性。


「もしくはHPLの類、か? 何にせよ、今後は規格外の存在に対しても注意が必要だろう」

「……だろうね」

 クロガネの言葉に苦い表情で頷く優利。

 怪異に関わった者は、怪異と遭遇しやすくなる――とは誰の言葉だったか。

 現に邪神と呼ばれる存在と遭遇し、戦ったのだ。

 それ以前にクロガネは。現役のゼロナンバーである優利も、恐らくは似たような経験しているに違いない。

「何かあれば、お互いに連絡を取り合って情報の交換と共有をしよう。銀子さんには悪いけど、あの手の輩はボク一人ではどうにもならん」

「同感だ。お互い、まだ死ねない理由があるしな」


 マナー違反は承知の上でPIDの電源を入れ、お互いの連絡先を交換する。

 頼れる仲間だとはいえ、また新たなゼロナンバーのアドレスが登録されたことに、クロガネは内心うんざりしていた。どんどん暗殺者時代の古巣に立ち戻っている現実に気が滅入る。美優を守るためにも必要なことだと頭では理解しているのだが、どうやら平和に生きることは出来ない運命であるらしい。



「それじゃ、ボクはこの辺で失礼します」

「もう行くのか? まだ途中だけど」

 スクールバッグを片手に席を立った優利に、ちらりと上映中のスクリーンを見やる。せっかくだから余った時間は一緒に映画でも観ようかなと思っていたのだが。

 必要だったとはいえ、チケット代が勿体ない。

「こう見えて優等生なんですよ、ボク。せめて午後の授業は出ておかないと」

 口調を敬語に戻し、『潜入学生兼探偵助手』の仮面を付けた優利が困ったような表情を浮かべた。

「……そうだったな。急に呼び出したりして悪かった」

「話の内容が内容でしたから仕方ありませんが、可能であれば今度からは放課後か学校が休みの時に呼んでください」

「ああ。わざわざ来てくれてありがとう」

「はい、それでは」

 会釈し、踵を返した優利の背中を見送ろうとして、

「そうそう」

 一つ思い出したことがあったので声を掛ける。

「俺につっかかってくるのを止めるよう、白野にそれとなく伝えてくれないか? 『また手柄を奪われた』とか言って絡んでくるの、いい加減うんざりなんだよ」

 優利は肩越しに振り返って苦笑交じりに一言。

「善処します」



 ***


「……藤原くんが頑張ったところで、白野は絶対に納得しないだろうな」

 優利が出て行った扉を眺めながら謎の確信を抱く。銀子にも困ったものだ。

 さて。

 気分を変えよう、映画の続きを観よう。

 館内は自分一人の貸し切りだ――


「――ッ」


 ――瞬時にショルダーホルスターからサプレッサー付きの45口径を抜いて、振り向き様に構える。


「ねぇ、どんな気持ち?」


「……嘘だろ」

 朗らかに訪ねてきたの問いに答えず、ただ力なく呻く。


「館内は自分一人の貸し切りだと思っていたら、いつの間にかも居たことに気付いて今どんな気持ち?」


 先程まで自分と優利が座っていた、館内中央のスクリーンが一番見やすい席を陣取る女性が一人。


 彼女の傍らには、が閉じた状態で座席に掛けられている。


「ああ、もしかして――」


 ソレは整った綺麗な顔を、クロガネがかつて仕えていた大切な女性と瓜二つの顔を、邪悪に歪ませ――嗤う。

 点滅するネオンサインのように、スクリーンから放たれる映画の光に照らされたソレの顔はどこか美しさを感じさせ――そして、圧倒的におぞましかった。


「また【這い寄る混沌ニャルラトホテプ】と相対して絶望しているのかな?」

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