幕間13

 ……その後は、「大変だった」の一言に尽きる。


 あの悪夢のようなクルーズ船から脱出して、私達を乗せたヘリは鋼和市内にある陸上競技場のグラウンドに着陸した。

 そして、獅子堂家の黒服たちが沢山現れては、黒沢と安藤さん、彼らからナディアと呼ばれていた少女が大型の高級車に乗せられてどこかへと連れて行かれた。

 恐らくは獅子堂家専属の医療機関だろう。

 黒沢は神経接続している御自慢の義手が壊された上に、頭を強く打ち付けて意識を失っているから精密検査と治療を受けることだろう。

 安藤さんも全身に多数の銃創が刻まれているから修理が必要だ。

 あの褐色肌の少女は……付き添いとか護衛だろうか? 獅子堂の関係者であることは間違いないだろうが、あんな年端もいかない女の子が凄腕の狙撃手とは今更ながら驚きだ。何やらクロガネ探偵事務所の二人と深い関係があったようだけど……下手につついて藪蛇だったじゃ済まされそうにないから今回はスルーしよう。今回は。


 そして私はというと、出嶋と呼ばれていたアンドロイド端末が手配していた車に乗って獅子堂の屋敷に連れて行かれた。護衛として新倉と呼ばれていた剣士も随伴している。

 移動中の車内で、今回の事件に関わった二人は黒沢とどんな関係か訊ねたところ、


「――昔馴染みの友達さ」


 と、何とも胡散臭い表情を浮かべた出嶋がそう答えた。

 新倉が何とも微妙な表情を浮かべて出嶋を睨んでいたのを憶えている。

 適当にはぐらかされた感は否めないが、仮にその言葉が真実だとして、何とも物騒で変な連中を友達にしているな、黒沢の奴は。



 ***


 屋敷に着くや否や、事前に事のあらましを聞いていたのか親父殿――大手セキュリティ会社『ガーデン・オブ・ガーディGOGアン』本社長の獅子堂晃司が出迎えてくれた。

 実際に会うのは本当に久しぶりだっただけに、今回の一件で物凄く心配された。

 いや、本当に心配かけて申し訳ない。


 さて。

 親父殿が言うには、今回のHPLが関連した怪物騒動には私を含め、黒沢も安藤さんも最初から関与していないこととなった。美術館にあった監視カメラの映像等はすでに獅子堂の関係者によって回収され、生存者である清水刑事やリチャード・アルバ氏にも厳重な箝口令を命じたという。


 結果的に、今回の【宵闇の貴婦人】と呼ばれるブラックダイヤモンドを狙った怪盗〈幻影紳士〉の犯行予告に、国際指名手配中の過激派強盗団が便乗して現場に居合わせた警備員や警察官を多数殺害した凄惨なテロ事件として世間に公表されるそうだ。


 そして〈サイバーマーメイド・日乃本ナナ〉が、例のクルーズ船をテロ組織の拠点として断定し、国防法に則った独自の判断でイージス艦に搭載されたミサイルを発射し、テロリストを撃滅したというシナリオだ。


 ……正直に言ってありがたい話だ。


 当初、警察側は怪盗を強盗殺人の容疑者として捜査する方針だったとも聞かされていたのである。探偵としてあるまじきことだが、一時的とはいえ得体の知れない怪物を相手に共闘して生き永らえたのだから、少なからず怪盗の肩を持ってしまうのは仕方のないことだ。


 ところで、その怪盗だが。

 ヘリが鋼和市に到着したと同時に一瞬で姿を眩ませやがった。

 いかにも神出鬼没な怪盗らしい退場だと、不覚にも感心してしまうくらいに。


 肝心の探偵VS怪盗の結果だが、結局は【宵闇の貴婦人】は永遠に失われたのだから、両者痛み分けだろう。報酬は妥当なところで、自身の命といったところか。



 ***


 その後は……


「ちゃんとご飯を食べているのか?」

「変な男に捕まっていないか?」

「いい加減結婚して穏やかな生活を送らないか?」

「見合い写真をいくつか用意しているのだが、興味はないか?」


 ……といった感じで、今回の一件で何かと過度に心配した親父殿を宥めたりして適当に話を切り上げて屋敷を出た。

「はぁ……」

 大きな溜め息を一つ。

 娘のことを想ってのことなのだろうが、流石に鬱陶しいし煩わしい。

 最終的に政略結婚の話に持ち込むのだから、本当にうんざりだ。

「……帰ろ」

 しばらく実家には戻らないと心に決める。

 帰るにしても屋敷にある高級車では目立つので、AI制御の無人タクシーを手配して貰った。

 ちなみに運賃は親父殿にツケておく。

 大した額もない端金はしたがねだろうが、ささやかな嫌がらせだ。ザマミロ。



 ***


「…………」

 揺れるタクシーの中、ぼんやりと窓から後ろに流れる景色を眺める。

 気付けば日は高く昇っている、随分と時間が経過していた。

 あの壮絶な脱出劇から何も口にしていないことに今更気付く。

 空腹を感じるが、疲れ過ぎて全然食欲がない。

 今は食事よりも帰って寝たい。

 ……今、何時だろ?

 現在時刻を確認しようと、ポケットからPIDを取り出す。


「………………あ」


 とても重大なことを忘れていた。

 とても大変なことを思い出した。


 何気なく取り出したそのPIDが助手ユーリのものであったことに気付き、慌ててAIに進路変更を命じた。



 ***


「ユーリッ!」

 ドアを破るような勢いのまま、白野探偵社のオフィスに足を踏み入れると。


「あ、銀子さん。おかえりなさい、そんなに慌ててどうしました?」


 飄々としたいつもの表情で、ユーリこと藤原優利ふじわらまさとしが居た。

「……無事、なの?」

「はい」

 穏やかに頷く優利の手の甲や額には、絆創膏が貼られている。

「その絆創膏は?」

「いやぁ、怪盗にロープで簀巻きにされて会社に放置されたものですから、何とか自力で拘束を解こうとアレコレ試してみた名誉の負傷ですよ」

 どこか照れ臭そうに怪我の経緯を語る我が助手。

 とりあえず、大きな怪我とかなくて良かった。

「縄抜けくらい、余裕だって昔聞いたけど?」

「薬か何かで眠らされて芋虫状にぐるぐる巻きにされては、簡単には抜け出せませんって。尿意を催して目が覚めた時、自分が簀巻きにされたのを見た時の絶望感って解ります?」

 うっわ、確かにそれは嫌だな。トイレに行きたくとも行けない状態なのは。

「でもアンタ、ドMだし割と余裕じゃないの?」

「失敬な」

 眉を吊り上げ、珍しく怒った様子でユーリは反論する。

「見ず知らずの野郎にそんなことされて、流石に嬉しくないですよっ」

「じゃあ、私がアンタを簀巻きにしたまま放置するのは?」

「…………」

 そこで真顔で黙るなよ。

「……アリ寄りのアリですね」

「こんの、変態ッ!」

 ポケットから取り出したPIDをユーリの顔面に投げ付けるも、相手は寸でのところでキャッチ。ちくしょう、相変わらず良い反応しやがる。これで怪盗に後れを取るとか……私の助手よりも、あの怪盗の方が一枚上手だったのだろうか?

「あ、取り返してくれたんですか? ありがとうございます」

「いや、怪盗の方から返してくれたっていうか……」

 嬉しそうに自前のPIDをいじるユーリ。

 ……うん、とりあえず、私が写ってる待ち受け画像を消して貰おう。

 そう言おうとして、


「そうそう、結局今回の件はどうなったんですか?」


 言おうとした台詞と共に息を呑んだ。

 脳裏におぞましい怪物たちの姿がよぎる。


「やっとこさ自由になって美術館に行ってみれば規制線が張られて入れなかったわ、人が大勢死んでいたらしいわ、銀子さんやクロガネも居ないわで、結局会社で待機していたんですけど……一体、何があったんです?」

 当然と言えば当然の疑問に私は応えようとして、その口を閉じる。

「……ごめんなさい。私からは何も言えないわ、箝口令が敷かれているから。その内報道されるでしょ」

「えー」

 不満そうな声を上げるユーリに対し、素っ気ないフリを装いつつ背を向ける。

 いくら信頼している助手が相手とはいえ、あんな体験を話したところできっと信じてはくれないだろう。半魚人だの邪神だのと、まったく馬鹿らしい。

「……疲れたから、帰って休むわ」

 ……。

 ……眠れる、だろうか?

 今になってそんな不安が浮かんでくる。

 HPL――それが何の略称か解らないものの、日常のすぐ外側に居る怪物たちの存在を知ってしまった今、これまで感じたことのない恐怖を常に意識して生きていかなくてはならないのだろうか?

 出嶋から聞いた話だが、あの怪物たちは私が獅子堂家の一族だと認識していたからこそ、人間社会を内側から崩壊するための人柱として、怪物の子を孕む存在として私と安藤美優を攫ったのだという。今後も自分たちが狙われる可能性は充分に考えられる。

「……ぁ」

 身体が、震える。

 どうしよう、気付かなければ良かった、こんな馬鹿なこと。

 夜を、闇を、迎えることが怖くて恐くてどうしようもない。

「銀子さん」

「ッ!」

 背中に掛けられた声に振り向く。

 ユーリが、獅子堂家の使用人として仕えていた頃からいつも近くに居た彼が、そこに居た。

 普段の道化じみた雰囲気は鳴りを潜め、ただ静かに、真摯に私のことを見つめている。両腕を抱いて全身を恐怖で震わせながら、今にも泣きそうな情けない顔をした主人である私を前にしても、彼は――私の傍に居てくれる。

 自分が一人じゃないことを認識した途端、震えが止まった。

 心を蝕んでいた恐怖も、僅かに和らいだ気がする。

「……ユーリ」

「はい」

「今晩、泊まっていきなさい。私が眠るまで、傍に居て」

「喜んで」

 恭しく頷いた彼の穏やかな表情を見て、今夜はきっと悪夢は見ないだろうと根拠のない確信を得た。





「ちなみに『傍に居て』とは、ベッドの中まで一緒ですか?」

「調子乗んなッ! アンタは寝袋よ!」

「簀巻きと大して違いがないじゃないですか、それ」

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