第19話 父と娘

 剣を失った俺は、こちらの世界へ転移後、最大の窮地に陥った。


 魔法のみでこの化け物を倒せないことは明らかだ。

 ここは素直に、降伏を申し出るか?


 ――いや、おそらくそれは認められない。

 司会者はデスマッチ、と言っていた。

 観客も、最初からどちらかが死ぬ前提のこの戦いを望んでいる。


 俺は、嵌められたのだ……この魔獣に八つ裂きにされ、金持ちの観客は興奮し、ラプトンのこの闘技場はまたその名を広め、金が流れ込む。

 ミリアは支援者を失い、劇団ラージュはいかがわしい演出の路線に変更される。

 そして彼女自身のスポンサーに、あの男が成り代わるつもりなのだ。


 俺は、バカだ。

 まんまと奴の策略に、嵌まってしまったではないか。


 ……いや。

 そんなことがあってなるものか。

 ミリアの夢を叶えると、決めたのだ。

 俺はあの娘の、父親代わりだ。

 あんな初老の薄汚い、金の亡者に奪われてなるものか――。


 俺は再度、残っている魔力を左手に集めて、「紫電」の三連撃を放った。

 口に残っていた剣の破片を吐き捨てたオーガーウルフは、再びその電撃を浴びてほんの一瞬、硬直した。


 その隙を逃さず、魔獣の背後に回り込み、ジャンプしてその太い首に腕を絡めて、締め上げた。

 途端に苦しみ出す、体長三メートル超の化け物。

 意外な展開に、場内は沸き上がる。


 あの鋭い爪は、背後に貼り付いた俺の体には長すぎて当てられない。

 そこを冷静に見極めた俺の作戦だ……というか、それしか勝機を見いだせなかった。


 もがき、苦しむ魔獣。

 チラリと見えた観客席では、ミリアがわずかに希望を持った表情で、そしてラプトンが顔をゆがめているのが分かった。


 このまま、こいつの弱点を責め続けて倒せるか……と考えた次の瞬間、俺の体は魔獣ごと宙を舞った。

 オーガーウルフは、後方に身を投げ出すように飛び上がったのだ。

 ヤバい、と直感したときにはもう遅く、俺の体は3メートル以上の高さから地面に叩きつけられ、さらにその上に魔獣の巨躯がのしかかってきた。



 ――意識が遠のくのを感じた。

 不意に、視界が広がった。

 あれだけ騒がしかった闘技場だったのに、何も音が聞こえない。

 そして、なぜか全てがモノトーンに見えた。


 全身に激痛が走っている。

 すぐ横で、魔獣が身もだえている……俺に首を絞められて喉をやられたことと、あとは、後方に倒れたことで後頭部を打ったのかもしれない。

 それでも、俺に比べれば大したダメージではないだろう。


 その俺の推測通り、魔獣オーガーウルフは、ごくゆっくりと立ち上がった。

 そしてじろりと、倒れている俺を見下した。

 その目は、怒りに満ちている。


 右腕を振り上げた。

 ゆっくりと、それを倒れている俺の左胸めがけて振り下ろしてくる。


 ああ、こいつは、俺をなぶるように殺すつもりか。

 一瞬で心臓を突き殺してくれれば楽なのに、わざとゆっくりと爪を貫通させるつもりなのか。

 いや、いくら何でも、それでは遅すぎる。

 俺も激痛をこらえながら、身をよじらせた。


 ……変だな、俺もゆっくりにしか動けない。

 あれだけダメージを受けたのだから、当然か。

 間に合うか……ぎりぎり、なんとか躱せそうだな……。


 いや……ほんのわずか、奴の爪が俺の左腕をかすったか。

 まあ、これぐらいどうってことない。


 ……すげえな、魔獣の爪、根元まで土にめり込んだ。

 なんだ、この獣、驚いた顔してやがる。

 そんなトロい攻撃じゃ、俺に当たるわけないだろう……。


 う、きたねえ……ヨダレ垂らしやがった。

 これもゆっくり落ちてくる……これなら躱せるな。

 うん? ……どうして、自由落下してくるはずの奴のヨダレが、こんなにゆっくりなんだ?


 ……そうか、俺の思考が、極端に早くなっているのか。

 だから全てが、スローモーションに見えるのか。

 こんなこと、前もあったな……そうだ、大型トラックに轢かれそうになった女の子を助けようとしたときだ。


 人間、死にそうになったときに、全てがゆっくりに見えるというが……やっぱり、俺、今また死にかけているんだな……。

 トラックの時は、女の子は助けられたが、俺は轢かれて死んでしまって、この世界に飛ばされたんだったな……。


 こちらで死ぬと、もう魂は二度と復活しないらしい。

 あのときと違って、大分体を鍛えているから、このまま戦い続ければなんとかなるか……。

 いや、大分ダメージを受けているから、この化け物には勝てない……。


 ……だめだ、俺が死んだら、ミリアはどうなる?

 裸で陵辱される舞台に立つのか?

 あの金の亡者のラプトンに、その体を弄ばれるのか?

 冗談じゃない……ミリアは、俺の娘だ!


 魔獣の、次の攻撃が来た。

 あれだけ速いと思ったが、今の俺から見ればハエが止まりそうなぐらいにゆっくりだ。

 俺もその分、体がなかなか動かないが、なんとか身をよじらせられる……。


 よし、避けた。

 体が、鉛のように重い……けど、なんとか立ち上がったぞ……。

 魔獣め、驚いていやがる……くそ、剣があれば、今の状態なら突き立てられたんだがな……。


 じゃあ、仕方がない……殴るか。

 また右の爪が襲ってきたな……よし、これを躱して、カウンターをみぞおちにたたき込む……おっと、魔力を乗せなきゃいけないな。


 思い出す、あのなんとかっていう、三ツ星になったばかりのハンターと決闘デュエルしたときのことを。

 あいつ、若いのに、体に魔力を纏わせる「魔気功」なんか発動させてたな……。


 俺も、たまに成功することがあったはず……よし、上手くいった。

 このままこいつのみぞおちを貫く……ちっ、さすがにそこまでは無理だった。

 けど、なかなかの手応えだ。


 でけえ体のくせに、体がくの字に曲がりやがった。

 目の前に、奴の顔が降りてきたな……なんて牙だ、これで俺の剣をかみ砕いたのか……。


 丈夫そうだが、横から思いっきり殴ったらどうなるかな……。

 おお、さすが頑丈だ、折れはしないか……けど、顔が思いっきり横向きになったな……さらに腰砕けになってやがる。


 効いているのか……なら、今度は左拳で殴ってやる……たっぷり魔力を乗せて、と……よし、また手応えバッチリだ。

 ……しぶてえなあ……まだ持ちこたえるのか……。


 やべえ、魔力がなくなった……。

 所詮、魔道剣士の魔力総量なんて、この程度か……。


 うん? ……どこかから、魔力が流れ込んでくるぞ?

 それに、体の痛みも、いつの間にか和らいでる……まるで治癒魔法をかけられたみたいだ……どこから、この魔力や魔法がやってくるんだ?


 ……視界が全部モノトーンなのに、一カ所だけ、金色に光っている……。

 あそこから、俺の体に強力な魔力が流れ込んでくる……。


 ミリア、か……すげえな……役者の才能の他に、癒やしや魔力付与……治癒術士の才能もあったのか。おまえ、冒険者になれるぜ……。

 だから、そんな顔するなって……。


『……ハヤトさん……どうして、そこまでして戦うの?』


 なんだ、これ……ミリアの声が、魔力と一緒に流れ込んでくる……。


『おまえのことを守るために、決まってるじゃないか……』


『そんな……私とハヤトさんは、パパ活で知り合っただけなのに……』


『……たしかに、出会いはそうだったかもしれないが、もう俺たちの絆は普通の親子以上になっているだろう?』


『そんな……私は、ハヤトさんに、なんにもしてあげられていないのに……』


『そばに居てくれてた……ひとりぼっちで寂しい思いをしていた俺の心を、癒してくれた……恋人として接してくれたこともあった……俺にとってミリアは、娘であり、彼女であり……世界で一番、愛すべき対象だ……』


 ミリアから受け取った魔力を上乗せし、さらに魔獣の顔面を殴る。

 顎が割れる手応えを感じ、血が飛ぶ。

 それでも、まだこいつは倒れない。

 しかし、それでかえって、こいつのでかい頭は、俺の正面に在り続けてくれた。


『……私は、どうすればいいの? 何もできない……』


『……もう十分、尽くしてくれている……自分で分からないのか? おまえから、ずいぶん魔力が俺に流れ込んできている……俺はただ、それを拳に乗せて、このケダモノを殴りつけているだけだ……』


 さらに一発、もう一発。

 ようやく、この魔獣の牙が一本折れた。


『でも、でも……私のせいで、こんなことになって……私のせいで傷ついて……』


『……それがどうした?』


『だって……死んじゃうかもしれないのに……』


『……父親が自分の娘のために命を賭けるのは、あたりまえだろう? それにどのみち、こいつを倒さなきゃ、俺は死ぬ……』


 魔獣は、大きなダメージを受けてよろけながらも、まだその爪を振り下ろす。

 しかし今の俺にはスローに見える。

 大口を開けて噛みついてもくるが、それをなんとか体をずらして避ける……だが、ガクンと自分の膝が折れるのが分かった。


 俺もまた、限界が近い……いや、とうに限界なんて超えていたのかもしれない。


『……気軽に始めたパパ活で、こんなことになるなんて……私、本当に……どうしたらいいの?』


 ミリアの声が、頭の中に響き続ける。


『……応援してくれ……』


『……えっ?』


『娘のために戦っている俺を、応援してくれ……それだけで十分だ……』


 自分の残り少ない魔力と、ミリアから受け取った魔力を全身の筋肉に注ぎ込み、無理矢理体を動かし、魔獣を殴り続ける……しかし、それももうあと一、二発で尽き果てると悟っていた。


『……うん、分かった。パパ、頑張って……パパ、勝って!』


 たった一言、頭の中に直接届いたミリアのその言葉で、俺の全身に力がみなぎるのが分かった。


「うおおおおぉぉーっ!」


 その力の全てを纏わせ、左腕で化け物の顎を下から突き上げ、飛び上がり、今度は右腕に全体重と全魔力を込めて、魔獣の頭頂部を上から殴り、地面に叩きつけた。


 メキャッという頭蓋の砕ける感触、次いで脳を突き破る感触が、腕に伝わってきた。

 魔獣オーガーウルフは、全身をビクビクッと二、三回痙攣させたあと、ピクリとも動かなくなった。


 ――俺は魔獣の頭から、右腕を引き抜いた。


 世界は、元の色を取り戻していた。

 闘技場は、静まりかえっていた。

 観客は皆、信じられないものを目の当たりにした、といった表情だ。


 貴賓席に座るラプトンの顔は、引きつり、青ざめていた。

 俺はその方向に、血まみれの右拳を差し出した。

 そしてこう叫んでやった。


「俺の娘を泣かせる奴ぁ、誰だろうが、殴り殺してやるっ!」


 その言葉を勝利宣言と認識したのか、観客達が、総立ちで歓声を上げ、そして拍手の雨が降り注いだ。


 ……ミリアの姿が、見えない。

 さっきまで、あの辺りに居たのに……。


 そう思って、客先の一点を見つめていると、その方向の下部の扉が開いて、担架を持った男達、そのすぐ後ろから金色に輝く少女が飛びだしてきて、男達を追い抜き、真っ先に俺に駆け寄ってきた。


「ハヤトさん、大丈夫ですか?」


 ミリアが、俺にそう声をかける。


「……もっと気安く声をかけてくれ……親子、だろう?」

 ミリアは、また涙を溢れさせた。


「……パパ、ありがとう……大丈夫?」


「……ああ、平気だよ……でも、ちょっとだけ疲れたから、休む……」


 俺はそれだけ言った後に、意識を失った。

 愛する娘の腕の中で――。

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