新たなる槍海覇王の新たなる悩み

「——っはははははははぁ!! 弟子の名声で飲む酒は美味いこと美味いこと!!」


「たまに感謝してみたらこれだよっ!?」


 もう何杯目か分からない一杯を豪快に一気飲みしたシンフォに、リンフーは失望の意を込めて突っ込みを入れた。


 陽がすっかり暮れた夜。シンフォとリンフーら師弟は、チウシンとリーフォンも引き連れて、南の大通り沿いに建つ飯店で祝勝会を開いていた。四角い卓の両側に、師弟同士、幼馴染同士で二人ずつ座っている。


 決勝戦終了後、表彰式ならびに閉会式が行われ、今年の【槍海大擂台そうかいだいらいたい】は粛々と幕を閉じた。


 その後、リンフーはシンフォと合流。最初は師弟二人とリーフォンの三人だったが、途中でチウシンの姿も見たシンフォが声をかけ、こうして連れてきたというわけだ。


 卓上には、普段なら食べないような豪勢な食事と、強烈な酒精を誇る北国の酒の入った甕が置かれている。シンフォはその酒甕を手に取り、酒杯になみなみと注いで煽る。


「ほらほら! 君達も遠慮せずに食いたまえ! 飲みたまえ! 私と新たな【槍海覇王そうかいはおう】殿の奢りだ!」

 

 すでに出来上がっている——いつもかもしれないが——シンフォが、向かい側の席に座るチウシンとリーフォンに赤い笑顔でそう促す。


 幼馴染同士の二人はやや遠慮がちに、卓上の料理に手をつけていた。


「君らはもう成人しているんだろう? 飯ばっかりじゃなくて、酒も飲んだらどうだい!? キツいが美味いぞ、その酒は!」


「いや、わたし、そのお酒はちょっと……」


「俺も苦手でして……」


「ほう? 何ともったいない。では私がいただいてしまうからな!」


 そう言って、シンフォは再び酒杯へ注いで一気に飲み干した。


 店内の内装はそれなりに豪勢で、普段のリンフーならば品を頼むどころか、足を踏み入れることすらはばかられる高い店であった。


 そんな店で飯がこうして食えているのは、シンフォの言う通り「【槍海覇王】の奢り」であった。


「それにしても、初めて見るなぁ。それがかの有名な【覇王印はおういん】か」


 シンフォが再び空になった酒杯へ注ぎつつ、リンフーの左手甲へ視線を移した。


 手甲の白っぽい素肌には、「槍海覇王」という文字が独特の書体で書かれていた。


 これは【覇王印】。この都を治める貴族【シア一族】のみが持つ印を優勝者の左手甲に押すことで、本物の【槍海覇王】であるという証明証とする。ちなみにこの印には特殊な塗料が使われており、一度押したら専用の薬を使わない限り、何をしても一年間は消えることがない。


 リンフーは表彰式の時さっそく、闘技場に上がってきたシア一族の現当主に押印された。左手甲に刻まれたそれを天高く掲げた瞬間、割れんばかりの拍手喝采がリンフーを包み込んだ。


 こうして名実ともに【槍海覇王】となったリンフーは、さっそくこの【覇王印】の権能を行使した。——【槍海覇王】は、この【槍海商都】内における一部店舗にて、大幅な値引きをしてもらえるという特権がある。その値引きのおかげで、こうして豪勢な飯を食えているわけである。


 とはいえ、


「ちょっとシンフォさん、飲み過ぎだよ! もう何杯目だよ!? 控えろってば!」


「ぐっぐっぐっ……ぷはっ! これが飲まずにいられるかい!? 私が手塩にかけて育てた大事な愛弟子が【槍海覇王】だよ、【槍海覇王】! あーなんとめでたい! こんな子の師匠になれて私は鼻が天空まで伸びそうだよ!」


「や、めでたく思ってくれるのは嬉しいけどさ、もうちょっと加減ってものをだな……」


「あーうるさい! そんな無粋なことばっかり言う口はこうだっ!」


「わむふっ!? ふもっ、ふもー!?」


 リンフーの口元が、顔面ごとシンフォの巨大な双丘の谷間に引き寄せられた。反則的な柔和さで顔面を包み込まれ、恥ずかしさのあまり頭が沸騰しそうになる。


「ぷはっ…………もぅ、シンフォさん! 人前なんだからコレも控えてくれって!」


 窒息を覚悟したところでおっぱい攻撃から脱出したリンフーは、今なお赤みの残った顔のまま上ずった声で非難した。


 シンフォは酒気で火照った顔に意地悪な微笑を浮かべ、


「えー? 嬉しいくせにー。家ではハフハフ唸りながら顔ねじ込んでくるくせにぃ」


「してないよ! 出鱈目デタラメを言うなー!!」


「う、うわぁ……リンフーってば、やっぱり進んでるんだぁ……」


「英雄色を好む、ですか……勉強になります、兄者」


「うがぁぁぁーーーーーーーー!!!」


 誰も収拾をつけてくれないこの状況に、とうとうリンフーはヤケになって叫んだ。


 周囲の客人はひそひそと話しながら、遠巻きから様子を伺っていた。


 新たな【槍海覇王】は女の乳が大好物——そんな噂が一部で知れ渡るのであった。








 結局、その宴はシンフォが酔い潰れて眠ってしまったことを機に、徐々に勢いを弱めていき、終わった。


 帰り道が真逆であるリーフォンとは途中で別れ、リンフーとシンフォ、そしてチウシンの三人で一緒に歩くことになった。


 けれど、シンフォはリンフーに背負われたまま気持ち良さそうに爆睡しているため、実質的には二人きりであった。……ちなみに【麻手ましゅ】を打たれた左腕はすでに麻痺の術力が消えて自然回復しており、普通に動かせるし使える。


「悪いな、今日はシンフォさんが強引に引っ張り込んだりして……」


「ううん、いいの。リンフーとシンフォさんのやりとりを見てて、楽しかったから」


 詫びるリンフーに対して、チウシンはクスクスと笑って答える。


「けどさ……リーフォンはともかく、チウシンを誘うのは考えるべきだったかもしれない」


「なにー? わたしと一緒はそんなに嫌?」


「そうじゃないって。その……ボクは勝者で、お前は敗者なわけだし」


 勝者からの施しなど、敗者にとっては恥の上塗りなのではないか。


 リンフーの言いたいことを察したチウシンは、「あー、なるほど」と納得したような声を出してから、


「別に気にしなくていいよ? わたし、それほど悔しくないもん。むしろ、今回の敗北を、後々の教訓にできるから、得した気分なんだよ?」


「教訓? たとえば?」


「そうだねー……リンフーのあのすごい蹴り上げに吹っ飛ばされちゃった時とか。リンフーを場外に蹴り落としてやろうっていう気持ちばっかり強まって、攻撃が単調になっちゃったからさ」


 リンフーは思い出す。「すごい蹴り上げ」とは【升閃脚しょうせんきゃく】のことだ。命中率が高いとはいえない技だが、チウシンが単純な直線軌道の蹴りで来ると予想できたからこそ当てられた。


「……自分のこと、よく振り返ってるんだな。ボクなんか決勝戦でどういう動きをしたかなんて、必死すぎてあんまり覚えてないよ」


「ありがとう」


 そう言って微笑むチウシンの横顔を、夜風がさらっと撫でた。彼女の右側頭部に束ねられた茶色の長い髪が、その風と同じ動きを柔らかく刻んだ。


 墨をこぼしたような空。皓皓こうこうたる満月と、その周囲に散りばめられた金剛石の粒のような星々の輝き。


 そんな星空を、チウシンはどこか哀愁を秘めた表情で見上げていた。


「……星って、ずるいよね。人の世界がどれだけ変わっても、星の位置は全然変わらないんだよ」


「そうらしいな。シンフォさんから前に聞いたぞ」


「うん。……ほんと、変わらない。あの頃と、おんなじ空……」


「あの頃?」


 懐かしむような声色で紡がれた代名詞に、リンフーは思わず反応する。


 チウシンはしばらくの沈黙ののち、夜空を羨ましそうに見つめたまま語り始めた。


「わたしね、十つの頃にお母さんを亡くしてるんだ」


「……お袋さんを? 流行り病か何かか?」


「ううん。殺されたの。小さかったわたしを守るために、【求真門きゅうしんもん】の武法士に刺されて」


 リンフーは息を呑む。


 その悲惨な別れ方にも衝撃を受けたが、それと同じくらい【求真門】という単語に反応した。


 宋淵輝ソン・ユァンフイの家族が、【求真門】と関わりを持った出来事……


「まさか、それって【玉芝郷ぎょくしごう】の……?」


「そうだよ。襲ってきたの、【求真門】が。わたしとお母さんは運悪くお父さんと別行動で、私もその当時はまだ武法士として弱かったから……何もできずに殺されそうになった所を、お母さんが庇ってくれたの。お父さんがようやく駆けつけて、【求真門】の連中をメタメタにしたのは、それからすぐのことだよ」


 微笑の弧を作るチウシンの唇が、きゅっと引き締まる。


「……わたしが武法を習い始めたのは、お父さんの型を見て「かっこいい」って思ったのがきっかけだったの。お父さんと同じやり方で修行してれば、いつかお父さんみたいになれるって信じて、言われるまま、技の意味とか深く考えもせずに修行してたの。——でもあの時、わたしは何もできなかった。初めて見る血の流れとか、暴力の喧騒とかに、わたしは怯えて足が動かせなかった。それどころか、武法が使えないお母さんに守られた……」


 その瞳には、何かを悔やみつつも、それを噛み締めて前へ進もうという気概が底光りしているように見えた。


「その時、わたしは思い知ったの。わたしのやってた武法なんて、お父さんの真似事に過ぎないんだって。体系化された武法はたしかにある程度の法則に沿ってやるべきだけど、その雛形にとらわれるばっかりじゃなくて、自分で工夫して、技を磨かないといけないの。でなきゃ、自分のものにはならないの。……だからわたしは【六合刮脚】の伝統を体系通りに受け継ぎつつ、それに甘んじないで独自にいろんな修行法を考えたの。わたしを守ってくれたお母さんの死が無駄にならないよう、強くなるために」


「だから、足で飯を食ったりしてたのか……」


 リンフーはそう納得を示す。奇怪な行動の裏には、そういう悲劇があったのだ。


 わたしも最初は恥ずかしかったけどね、とはにかんで見せるチウシン。


「チウシンはすごいなぁ。そういう確固たる目標というか、気構えみたいなものがあって」


「リンフーには無いの?」


「無い、ってことはないけど……チウシンに比べると、なんだかずいぶん軽く感じるんだよ、自分の武法に対する心構えみたいなものが。ボクの抱いてる信念っていうのは……単なる「憧れ」からなるモノだから、さ」


 そう、「憧れ」だ。武法士達の武勇伝や英雄譚を幼い頃から聞かされ、自分もかくのごとき男になりたい……そんな、幼さがぬぐい切れぬ「憧れ」。


 それに対して、チウシンは実際に肉親の死と立ち合い、その経験を武人として己を高める信念に変えた。


 どうしても、自分にはチウシンの方が、志が高く立派に思えてしまうのだ。


「目的なんて、その時その時で変わるものだと思うよ? わたしだって、最初はお父さんの技がすごいなっていう「憧れ」から武法の修行を始めたわけだし。それが十歳の頃の経験で変わったってだけで、何も特殊なことではないと思うなぁ。だからさ……」


 チウシンは真っ直ぐリンフーを見つめ、まるで弟を優しく諭す姉のような顔と口調で言った。


「いつかリンフーにも、「憧れ」以外の強い信念ができるよ。その信念は場合によっては重荷になるかもしれないけど、それでもリンフーを今以上に強くしてくれるはず。だからあまり悩まないで、ただ自分の流派の修行に専念し続けて。……わたしみたいに、守るべきものを手からこぼし落とさないで済むように、備えて・・・


 励ましと警告が同時に含まれたその言葉に、リンフーは神妙な顔でうなずいた。


 一方で、心中では迷っていた。


 チウシンの信念が立派だと思っていても、やはり自分が武法を行う上での根幹となる思いは「憧れ」なのだ。これはまだ変えようがない。


 この凝り固まった価値観が、いつか本当に変わるのだろうか。


 もし変わった時、自分は一体どんな自分になっているのだろう。


 それを考えると、不安すら覚えた。

















 子供であれ大人であれ、老人であれ若者であれ、善人であれ悪人であれ——皆、流れる時間と見上げる空を同じくしている。


 玲瓏れいろうたる満月の下、その青年は南西部の裏通りを急いた歩調で歩いていた。


 肩甲骨の辺りまで伸びた白髪と、それと色調を合わせるかのごとく病的な白さを見せる肌。端正だがどこか暗い妄執を宿しているような、影のあるかんばせ。


 羽織っている白い外套には、撲殺、禁殺、刺殺、斬殺、爆殺、轢殺……あらゆる殺人方法の単語が血のような赤い文字で殴り書きされていた。


「くくくくっ……! 見つけた、見つけたよぉ……!」


 青年は人気のない通りを、すすり笑いしながら歩いていた。


 まるで、ようやく探していた玩具オモチャを見つけたような、その玩具で早く遊びたがっている子供のような、無邪気な笑み。


 脳裏に浮かぶのは、新たな【槍海覇王】の座を手にした美少年。


 彼の使う技の一つ一つに、青年は強烈な既視感を覚えていた。


 その技の数々を思い浮かべるたびに、燃えるような憎しみと、そして歓喜が湧き上がってくる。


「くふっ、くふふふふっ……」


 笑いが止まらない。これほど嬉しいことはなかった。


 この都に来た本来の理由・・・・・など忘れるほど、あの少年に夢中になっていた。いつもなら気を配るはずの周囲への警戒も疎かになるほどだった。


 だからこそ、向かい側から歩いてきた誰かと肩がぶつかった。


「痛えなぁ! 気をつけろこのボケがぁ!」


 ぶつかってきた男は、そう調子はずれな濁声で怒鳴ってきた。


 そいつは顔がうっすら赤らんでいて、酒臭かった。そうとう飲んでいるようだった。


「すみません」


 青年は愛想笑いを浮かべて、形だけの謝罪を示した。


「あぁんっ!? てんめェ、何笑ってっだっるぁぁ!? いてこますぞこんボケぁ!」


 だが男はさらに絡んできた。


 殺したくなるほど耳障りで目障りだったが、青年はなおも愛想笑いを崩さずに、


「いえ、別に馬鹿にしているわけではありませんよ。そういう顔の造作でして」


「俺がどこン武法結社ンいるんか知ってんかるぁぁ!? 俺ぁ今賭けに負けてイラついてんだるぁ! 舐めてっと泣かすぞんならぁ!?」


 酒臭い怒鳴りが、唾液の飛沫とともに飛ぶ。頰に付いた。


 瞬間、青年の胸中の感情が尖った。体が勝手に術力を生み出す。


「おうこらぁ!? なんか言って……」


 それがその男の遺言となった。


 男の額に、錐で開けたような小さな孔が穿たれていた。その孔を通った月光が青年の目にチカリと当たる。


 頭を貫かれて絶命したその男は、自分が死んでいることに遅れて気づいたように崩れ落ち、路上に倒れ伏した。孔からは血が流れ、血溜まりを作り始めていた。


 あっけなくこしらえられた死骸を、青年はその落ち窪んだ黒瞳で無感情に見下ろしていた。


「そっちこそ、僕の背後にいる組織を知ってから喧嘩を売れ、イヌが」


 うつ伏せの死骸を通り過ぎる。まるで大したことでもないかのように。


「僕が属する組織は——【求真門】。いつの日か不死の法を見つけ、やがてこの大陸の神を生み出す組織の名さ」


 誰も返答しないであろう青年の言葉が、冷たい夜気に溶けて消えた。

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