第三章 最低の英雄
贖罪の人生
人の縁とは、予期せぬ形で再び繋がり合うものである。
ただし、それが必ずしも良いものであるという保証はない。
「彼女」は、それを身を以て知ることになった。
その日も、「彼女」はある武法士と決闘をし、バラバラの肉片に変えて殺傷した。
それだけならば、まだいつも通りかもしれなかった。
だが、その武法士が「親友」の夫であった場合、話は変わってくる。
奴隷同然の身の上に堕ちていた幼い頃。家畜用の荷車に一緒に揺られながら、肩を寄せ合い希望の未来を語り合った、たった一人の親友。
別れ際、「いつかまた会おう」という願いを込めて「彼女」が差し出した
顔は老いているが、数十年の時を経ても、「親友」の面影が見て取れた。
「あなた…………? い……いや…………いやあああああああああああああああ!?」
老いた親友は、聞く者の心臓を強く握るような悲鳴を上げた。
「あなた、あなた、あなた」としきりに繰り返しながら、半狂乱のありさまで武法士の肉片をかき集める。しかし細かく砕けた肉の欠片は急いた手つきでは掬いにくく、ボロボロと手から何度もおぼれ落ちる。
そんな様子を、「彼女」は呆然と見下ろしていた。
大きくなったら、素敵な旦那さんを見つけて、子供をたくさん作って、幸せに暮らすの。そうして、わたしを捨てたお母さん達を見返してやるんだ——親友はかつて、そんな願いを語っていた。
数十年見ぬ間に、親友は見事にその願いを叶えていた。「あなた」という呼称からして、この肉片の山こそが「素敵な旦那さん」なのだろう。
そんな幸福を、自分は一拳のもとに壊したのだ。
「彼女」の放った凶悪な術力によって、原型をとどめないほど粉微塵に崩れ落ちた夫の亡骸。
老いた親友は「彼女」には目もくれず、ひたすら夫の欠片を狂気のまま拾い集めていた。
「彼女」は、そんな親友と目を合わせられなかった。まだ自分が幼少期に仲良くしていた友達だと気づいてはいない様子だったが、それでも万が一気がつき、呪詛をぶつけられたらと想像すると、とても怖かった。
結果、「彼女」はその場から逃げ出すという最悪の選択をしてしまった。
翌朝、改めて親友の家を覗いてみると、彼女は一人床に横たわって事切れていた。香炉に残る燃えカスを見て、毒草を焚いたのだとすぐに気がついた。自殺である。
亡骸と化した親友の頭には、「いつかまた会おう」という願いを込めて自分が渡した、粗末な髪留めが付いたままだった。
——願いは叶った。この上なく最悪な形で。
「彼女」はようやく正気を取り戻した。
最強への妄執という憑き物が落ち、血色と灰色ばかりだった世界が色彩を取り戻す。
しかし、それは後悔と、決して逃れられぬ罪の意識を「彼女」に抱かせた。
自分は、失わないために力を欲した。
誰にも傷つけられない、奪われない、犯されない、殺されない。そんな強さを得るためにひたすら戦いに生きてきた。
だが、その結果がこれだ。
いつか会いたい、と思っていた親友を、鍛え抜いたこの力で失ってしまった。
力を得たからといって、失わないとは限らない。むしろ強すぎる力は、多くを失うための火種になりかねないのだ。
それに気づくには、あまりに遅すぎた。
自分は、力を求めることに依存していたのだ。そうすることで、過酷な運命に対する絶望を紛らわせていたのだ。神を盲信するがごとく、力を盲信していたのだ。つまるところ、現実逃避を数十年も続けていたのだ。
その末に、いったい何が生みだせただろう?
何もない。
【
「彼女」は泣いた。涙が枯れてもなお泣き続けた。三日はそこに膝をつき、親友の亡骸にひたすら謝り続けた。
それから泥のように寝た。酷い悪夢を見た。自分が今まで決闘で殺してきた武法士達の血塗られた手が無数に周囲から伸び、ひたすら己の体を蹂躙する夢。
「彼女」は死ぬことを考えた。自分の犯した罪は、一人の人生だけで償いきれるものではない。ならば、もう死んでしまおう。自分の死こそが彼らに対するせめてもの贖罪だと思った。
けれど、それはただ楽をしたいだけなのではないか。今度は力ではなく、死を盲信しようとしているのではないのか。
「彼女」は何度も自殺未遂を繰り返した。葛藤を繰り返した。生と死の間をたゆたい続けた。
やがて「彼女」は己に対する最大限の罰を思いついた。
それは——罪を背負いながら、醜く生きながらえること。
死は逃げである。ならば、生という地獄を朽ち果てるまで歩き続ける。その中で、自分にできる方法で世の中を助けよう。たとえ精算しきれぬ罪であったとしても、返すことをやめずに返し続けよう。
そのために「彼女」がまず思いついたことは、己の体に眠る凶悪な技を消し去ることだった。
知り合いに頼んで、技を抹消してもらった。かつて武法の世界を荒らしまわった不老の魔女は、すっかりただのヒトに戻った。
それから医術を学んだ。医術の師匠はとてつもなく厳しい人で、間違えるたびに折檻を食らった。しかしそれもまた報いと思って一途に医を学び、わずか四年で師匠から太鼓判を押されるほどの腕を手に入れた。師と別れたのち、その腕前でもって人を助け始めた。
「彼女」は、最後の名前である「
多くの人を助け、多くの人を治した。
だが、それでも罪の意識が薄れることはなかった。じっとしていると罪の意識に押しつぶされ、衝動的に自害したくなることが何度もあった。
だから、酒の力を頼った。酒に溺れれば、少しは気が楽になれる。悪夢も見ずに済んだ。
——やがてシンフォは、弟子を一人取り、育て始めた。
「英雄好漢になりたい」と言ったリンフーの幼い瞳に、シンフォはまるで太陽を間近で見つめているような眩しさを覚えた。
この子には素質がある。
自分が師を名乗れるような人間ではないことは自覚している。それを承知で、この英雄の原石を磨きたいと心の底から思った。
シンフォはリンフーを弟子にしてしまった。
リンフーは人間性が良いだけでなく、武法の才能にも恵まれていた。もしこのまま育てていけば、早いうちからかつての自分と同じ立ち位置に至れる。【
だが、「自分と同じ立ち位置」という言葉に、シンフォは嫌な胸の高鳴りを覚えた。
それはあの愚直で誠実な少年を、自分と同じ修羅の道へ導くことと同じなのではないか? あの美しい英雄の花を腐らせる悪徳なのではないか?
そんな考えがたびたび心中で渦巻き、シンフォは人知れず
しかし、違う可能性を信じている自分もまた、心の中にいた。
かつて闇の世界を歩んだ己の技で、光の世界を歩んでくれたとしたならば、それは自分にとってこれ以上ない救いになるだろう。
彼を立派な武法士にしたい。自分の持つ外道の技を、正しいことのために使って欲しい。
もう自分はリンフーを懐に入れてしまったのだ。ならば、最後まで面倒を見るのが師の責任だろう。
寝台を共にしている、そんな愛弟子の寝顔を見つめる。とても愛らしい寝顔。見ているだけで幸せな気分にさせられる。ほっぺたをつつくと「にゅー」と唸る。可愛い。
いつも以上に昔の事を思い出してしまい、心細くなったため、こっそり彼の寝台に潜り込ませてもらっていた。彼を抱きしめて寝ると、とても暖かくて良い匂いがして気持ちが良いのだ。
自分は、この子を必ず立派な武法士にしてみせる。
——けれど。
迷いと不安は、消えなかった。
夏であるはずなのに寂しい肌寒さを感じ、シンフォはリンフーの寝顔を胸の中に抱き寄せたのだった。
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