第27話

 無心で学校から出された課題をやっていた。

 国語も、数学も、社会も、理科も、英語も。数ページやっては手が止まり、ぼーっとする時間が増えていた。勉強をすれば何も考えなくていいと思っていた。思った通り、確かに無心になれた。けれどなんとなく、心の靄が晴れなくて居心地の悪い時間が続いていた。


 ふと、辺りが静かなことに気がつく。


 掛け時計がカチ、カチ、カチと音を鳴らしているだけ。窓の外から、木々を揺らす風の音が聞こえる。

 普段は聞こえないはずの、静かな場所でしか聞こえないはずの小さな音たちが、動き出す。こんな音、俺はしばらく聞いたことがなかった。聞いたことがあるとすれば、それは学校のテストの時間だ。自分の部屋がこんなに静かだったことは一度もない。


 今更だった。何かがおかしいと感じた。


 周りを見渡しても、違和感のようなものが俺の心を掻き立てる。部屋自体は何も変わっていないはずなのに。


 ――声がしない。


 いつもなら、俺が勉強をしているとき、ウミ姉が一緒に考えてくれる。ハナもかまってくる。

 いつもなら、環境音を聞く暇もなく二人が話しかけてくれる。

 いつもなら、俺が無心になれる瞬間なんてない。なにも考えない時間なんてない。

そんなの、寝るときくらいだ。


 全身から血の気が引いていくのを感じる。

 今日の夕方くらいから、毎日うるさいくらい話しかけてくるハナとウミ姉の声が一度もしない。

 公園も通ったはずだが、考え事に集中していて公園をいつ通ったのかもわからない。ダイチにも会っていない。


「嘘だろ……? おい、ハナ、いるんだろ!」


 ウミ姉も、からかうなよ。

 冗談にもならない冗談は、嫌いなんだよ。


「……っ!」


 俺は急いで部屋から出た。

 とにかく、外に出ないと。

 公園に行かないと。

 あそこが唯一、俺にとって一番イマフレと居られる場所だから……!


「空、どこかにいくのか?」

「も、森子さん……ちょっと、コンビニに」

「財布すら持ってないように見えるけどね?」

「……あ」

「ちょっと来なさい」


 落ち着いたトーンで、だけど張り詰めた声で。

 森子さんは俺を自分の部屋に呼び出した。



「空、私は家族として、嘘はついてほしくないよ」


 少しだけ、厳しめの口調で森子さんは言った。


「……ごめん」


 俺は、それ以上言えなかった。

 イマジナリーフレンドのことは、言えない。

 結果的に嘘をついているのはわかっている。だけど森子さんにイマフレのことを行ってしまえば、俺に友達がいないことや、現実ではずっと孤立してきた事実を伝えることになる。イマフレが消える消えない以前に、森子さんに、責任を感じてほしくない。


「まあ、空がまだ私に心を開いていいと思えるところまで、私が導いてないのも悪いのだろうけどね」

「違う! 決して森子さんに心を開いていないわけじゃ……!」

「そうか。それはよかった。変な心配してすまない」


 森子さんは、不安そうながらも、微笑んだ。

 俺はこの人のことを本当の親以上に親だと思っている。それは確かなんだ。

 なのに、最近の俺は、というかイマフレが発覚してからの俺は、ずっと森子さんに嘘をつき続けている。


「まあ、話せないことがあるのなら無理に話せとは言わないさ。でも、もっとうまいはぐらかし方をしないと、この先やっていけないよ」

「森子さん、話せないことが多くて、本当にごめん。コンビニに行くっていうのは、嘘で……ただ単に、その、友達に会いたいんだ」


 こんな曖昧な言い方じゃ、心配されるのもわかる。

 今のは嘘ではない……はずだ。

 俺は馬鹿だな。いつの間にか、簡単に嘘をつくようになってしまった。無邪気にハナのことを話していた頃が懐かしい。


「そうか……。はは、それはいいはぐらかし方だ」

「うっ」

「話せないことなんだろ。誰とかは聞かないし、別に気にしないさ。その人に会うのは、今日中じゃないといけないのか?」

「それは……ううん」


 今日じゃなくてもいいはずだ。家の中で呼びかければ、急に出てくるかもしれないし、第一、公園にしか現れないダイチならともかく、ハナたちまで公園に行ったら現れるかは不明だ。

 ただの賭けで、ただの希望。

 俺が行おうとしているのは、それだけのものだ。

 だから……。


「森子さん、やっぱり俺、部屋に」

「九時までだよ」

「え?」


 森子さんは、自分のベッドの枕元に置いてある、置時計に目線を向けた。

 今は、八時三〇分。


「九時までに戻ってこなかったら、家には入れない。早く行ってきな」


 そう冷たく言う森子さんの表情は、「待っているよ」と言っているようだった。

 どこかしら安心した自分がいた。

 もしかしたら、心のどこかでは森子さんを信用しきってなかったのかもしれない。

 申し訳なく思いながらも、伝えたいことは言葉に伝える。


「森子さん……ありがとう!」


 俺は、感謝の気持ちを込めて礼をすると、一目散に公園へ向かった。



 まったく。三〇分で戻れなんて、森子さんは優しいけど、厳しいんだよな。

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