大死一番大活現成

 11月8日(日) 曇


 今日、ファミレスに行ってしまいました。返済の目処が付くまで彼女に会わないつもりでしたのに。


「いない」


 ちょっとがっかり。深夜勤だったみたいです。メールで「今日の勤務は何?」なんて訊けません。まるで「会いたい」と言っているみたいですからね。ランチセットを食べて帰宅しました。


 先週の反省。


 300万は予想以上に壁が厚いです。今のやり方だと数か月くらいかかってしまいそう。

 今週は勝負に出たいと思います。小さなポジで小さく利食いではらちがあきませんからね。大きなポジで大きな利食い、この方針でいきます。

 当然リスクは大きくなりますが大きなリターンのためならば仕方ありません。予想通りレンジブレイクしていればチャンスは十分あるはずです。


「やるぞ!」



 11月9日(月) 晴


 103円前半からスタート。円高の流れは健在。今日明日の重要指標はなし。大統領選はバイデン氏で確定のようですし、やはり100円割れが見えている感じです。


 円安に動いたところでショート売り増し。


 あまり動きがない中でジリジリ円安。先週末は急激な円高展開でしたから多少の戻りがあるのは仕方ないですね。


 昼食。


 んー、昼過ぎに103円半ばを超えてきました。直近のショートだけを損切ってロング。


 あー、やっぱり円高。さっきのロングを損切ってショート。ドテンの繰り返しなんて初心者のやることですよ。恥ずかしい。


 円安ジリジリ進行。104円行くつもり? いやいやここでドタバタしても仕方ありません。ドテンは禁じます。104円超えたらショートを大量にポジるべき。


 夕食。


 104円超えた。ショート。


 止まらない。まだ円安? まずいです。含み損が信じられないくらいに膨らんでいます。ドル円全てのポジションが真っ赤。


 104円半ばも超えました。大量のショートポジを抱えた状態でこの円安はツラい。


 反転しない。もう耐えられない。ショートポジそのままでロング。両建てはナンピンと並ぶ悪手ですが仕方ありません。


 ああ、円安が止まらない。損切ろうか……無理だ。損失が大きすぎる。このレートで損失を確定させたら3年間の利益が吹っ飛んでしまう。


 失敗です。ポジを大きくし過ぎました。身動きが取れません。


 ついに105円台に突入。ここは勝負どころと判断。両建てしたロングを利確。スワップポイント目的のトルコリラも売り飛ばして大量のショートで起死回生を図る。


 全ポジがドル円ショート!


 大丈夫。反転する。ここ数か月はずっとそうだった。105円台のショートはほぼ100%に近い成功率だったじゃないか。ああ、そうだよ。確かに10月は106円まで行ったよ。でもそれはほんの一瞬ですぐ反転したじゃないか。あれはダマシ。無視できるレベル。大丈夫。トレンドは円高なんだ。アメリカは民主党政権になるんだ。バイデン氏は円高なんだ。大丈夫。大丈夫。


 円安止まらないっ!


 自分を信じろ。3月には101円割れ寸前まで行っているんだ。流れは円高、円高で間違いないんだ。


 冗談でしょ。どうして105円超えてまだ上がるの?


 もうすぐ反転するはず。絶対反転する。


 どうしようどうしようどうしよう。


 まだ円安に行きたいって? どうかしてるよ。


 もしかしてこのチャート、壊れてるんじゃない。


 ウソだよ。おかしいよ。こんなことあるはずがないよ。もう3年もやってるんだよ。べてらんなんだよ。こんなミスをするはずがないじゃないか。私をだまそうとしているのは誰だ。


 頼む。止まってくれ。


 神様、お願いします。反転させてください。もう手の打ちようがないんです。お願いしますお願いしますお願いします。私に幸福を与えてください。不幸を与えないでください。神様、なにとぞなにとぞ。


 誰か、誰か助けて!


 あうあう。


 明日の夕食は牛肉にしましょうかね。たまにはぜいたくしたいから和牛がいいです。常温でしばらく置いてから水分を拭きとって包丁で筋を切り塩こしょうしてしばらく放置した後しみ出た水分を軽く拭き取ってアツアツのフライパンで片面1回ずつ焼いたら火を止めて蓋をして余熱で数分放置して美味しくいただくのですハフハフ。


 ウソだウソだウソだあああ!


 やめて。もう私をいじめないで。私のライフはとっくにゼロよ。許してください。勘弁してください。そして早く反転して103円台に戻ってください。


 戻って、早く戻って!


 いやあああー!


 だめえええー!


 ああああああああー!



 11月10日(火) 晴


 青空が広がっていますね。

 太陽の光がまぶしい。

 涙はもう乾きました。


 昔の日記を読み返していました。ずいぶんとエラそうなことを書いていますね。大きく儲けて小さく損する、そんなことができればみんな大金持ちです。自分が全然見えていなかったのですね。


 神様は意地悪です。FXを始めたとき、私は儲けようなんて考えていませんでした。大嫌いな自分を苦しめたい、一文無しになって泣き叫ぶ自分を見下したい、そんな自虐的な思いから始めたのです。

 それなのに神様は逆の運命を与えました。ビギナーズラックと呼ぶには出来過ぎな勝率。始まった投資生活。増えていく口座残高。3年目に出会った彼女。何もかも順調でした。あと少しでバラ色の未来がつかめる、幸福の頂点に到達できる、その寸前で神様はまた逆の運命を与えたのです。一文無しになりたいと願う者には金を与え、もっと金が欲しいと願う者からは全てを奪う、神とはなんと残酷な存在なのでしょう。


「読みは間違っていなかったと思う」


 105円前半の大量ショート。結果的にこれが致命傷になりましたが、非難されるようなポジションではないはずです。円高の読みも間違っていないはず。恐らく来月には102円台まで行っているでしょう。月単位で見れば正しいポジションなのです。けれどもリスクを取り過ぎました。短期の利益にこだわるあまりリスク管理ができなかった、これが敗因だと思います。


「3年間やってきて初めての強制決済」


 全てを失ったわけではありません。私が利用している業者のロスカットルールでは時価評価総額が証拠金の20%を下回ったときに強制決済が発動します。相場の変動は大きくなかったのでルール通りに決済されました。まだ数十万の金が口座に残っています。FXならここから300万稼ぎ出すのも不可能ではないでしょう。


「疲れました」


 でも、私はもう燃え尽きました。そうです。まだ資金は残っています。これまでの3年間のようにコツコツ取引を続けていけばいつか300万貯まるでしょう、しかし借金の金利は15%。それを上回る利益をFXで稼がなくては借金の元金すら減りません。生活費やアパートの家賃を考えるともはや絶望的な数字です。


「私もまた落伍者の仲間入り」


 そしてようやく悟ったのです。どうしてFXにこれほど多くの投資家の悲鳴が満ちあふれているのか。初めての強制決済を食らってその理由がなんとなく飲み込ました。

 負けるまで続けてしまうからです。人は勝っているときはやめません。当たり前です。儲かっているのですからね。少し負けた時もやめません。次は儲かるかもしれないのですからね。やめるのはこうして強制的に退場を余儀なくされたときなのです。悲鳴をあげるまで投資をやめられないのです。だからFXには阿鼻叫喚の嵐が吹き荒れるのです。死ぬまで生きるのをやめられないのと同じです。これもまた投資家の業のようなものなのでしょう。たとえ100戦100勝でも次の1戦で大負けすれば全てを失う、FXとはそのようなものだったのです。


「働こう」


 この年では良い条件の職には就けないでしょうが、結局それが一番堅実で真っ当な稼ぎ方ではないでしょうか。会社を辞めてから今日までの私は本当にクズでした。だからと言ってこの3年間が無意味だとは思いません。ようやく普通の社会人として生きていく気になれたのですから。


「母か」


 生活費の負担を考えると田舎に戻るのもひとつの手ですね。家賃や食費や光熱費が不要になるのは大きいし、選り好みしなければ働き口はなんとかなるでしょう。母はどんな顔をするでしょう。金持ちになって嫁を連れて帰ってくると思っていた息子が、借金を背負ってひとりだけで帰って来るのですから。


「おまえの好きにすればいいよ」


 きっとこう言って笑顔で迎えてくれるはずです。本当に母の愛は海よりも深し、ですね。これからは親孝行に励みたいと思います。


「彼女?」


 全てを話すつもりです。そして別れようと思います。無一文同然で無職の男が彼女にふさわしいはずがありませんからね。働いて借金を完済するには何年もかかるでしょう。

 彼女なら「一緒に返そう」と言ってくれるかもしれませんが、それは彼女を不幸にするだけです。私の望みは彼女に幸せになってもらうこと。そのためには身を引いたほうがよいのです。彼女ならもっと素敵な男性を見つけられるでしょう。


 ああ、いい天気です。久しぶりに自転車で遠出をしてみるのも悪くないですね。山の紅葉は今が見ごろ。ご飯を炊いておにぎりを作って水筒にお茶を入れて、目にも鮮やかな山の景色を眺めながら青空の下で食べるのです。


 そうだ、彼女を誘ってみようかな。今日は休日のはず。ひとつくらいは彼女との楽しい思い出を作っておきたいですからね。


 メールを打ちました。返信はまだありませんがこれから自転車で彼女のアパートに向かいます。


 おにぎりの具は明太子と梅干。玉子焼きも作りました。彼女、喜んでくれるといいのですけど。


 そう言えば彼女、自転車を持っていましたかね。まあ、もしなければ電車で出掛けましょう。


 また涙が出てきました。

 どうしてかな。涙が止まらない。

 今日のお日様はまぶしすぎますね。


 大死一番大活現成。不死鳥は燃え盛る炎に我が身を投じてよみがえります。死に切るからこそ強く大きく生きることができるのです。今日、私は死にました。これからは死んだつもりで生きていこうと思います。







 ※以降更新なし




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