第35話

「テメエら全員……皆殺しだ」

「えっ?」


 そして、あっという間の出来事だった。リフォンが気が付いたときにはジェルファやジャンだけでなく、その場にいた凄腕のニード全員が血溜まりの地面に倒れ死んでいる。誰一人ラクトの動きを知覚することなく、何が起きたのかすらわからないまま、この世を去ることとなった。

 ぽつぽつと空から雨が降り始める。黒雲がリングベルトの街を多い、重い風と共にその勢いを増し始めていた。まるで今の自分の心だ、とラクトは感傷に浸る。


「悪い……リフォン。俺のせいで、お前を悲しい思いさせた……」


 ボロボロのラクトが少し離れたところで力なく立ち、泣きそうな顔でリフォンを見ている。とてもこの惨状を生み出した元凶とは思えなかった。

 ラクトは自分の来ているジャケットを脱ぐと、そっとリフォンの体を包むように渡す。そして怖い物から離れようとしている子供の様に、怯えた表情を浮かべながらラクトはリフォンから体を離した。

 リフォンは何も言葉に出来なかった。完全に理解の外側の状況に追い込まれ、脳が思考を停止させてしまっていたのだ。その反応をラクトは当然のものだと思い込み、悲しみの中で一つの決意をする。


「俺はもう、お前達親子に二度と関わんねえ。やっぱり俺みたいな悪魔が人間と関わっちゃ駄目だったみたいだ……」


 普通の人間のように笑い合えたのは、間違いなく彼女のおかげだ。だからこそ、勘違いをしてしまった。両腕を血に染めた自分が、普通の人間の近くで幸せを手にしていいわけがなかったのだ。


「お前のとこで食べた飯……美味かった。生まれて初めて、自分と人間に違いなんてないんだって、思えた」


 グリアに引き取られてさえ、悪魔憑きは悪魔憑き、人間は人間として区別を図ってきた。人間は悪魔憑きを恐れ、ニードは人間を軽蔑し見下す。それが世界の常識で、誰もその垣根を超えることなど出来はしない。

 それでも、ラクトは心のどこかで人間でありたいと思う気持ちがあったようだ。リフォン達と過ごして、気付かない様にしてきた気持ちを、無理やり気付かされてしまった。それを後悔することはない。だが、それでも彼女の傍に居られない自分が歯がゆく思う。


「今までありがとう。お前といた一か月は、思ってた以上に楽しかったぜ……じゃあ、な」


 それだけ言って、ラクトはリフォンに背を向ける。精神肉体共にフラフラの状態で、力なくゆっくりと去ろうとしていた。


「駄目ぇ!」

「っ――!?」


 そんなラクトの背中に、リフォンが抱き付く。


「私のせいだ! 私のせいでこんなに傷付いたんだよね!」

「これは俺の自業自得だ。それより離れろ。俺といたらお前はまた不幸になるぞ」

「ううん、ラクトは私を守ってくれたもん! 不幸になんてならないもん! それより私のせいでこんなに傷付いて……ゴメン! 本当にごめんね!」


 振り払おうと思えば簡単に振り払える。いくら傷が深くとも、彼女程度の力ではラクトを止められるはずがなかった。だが、どうしてか体が動いてくれない。まるで見えない壁が存在しているかのように、その一歩を踏み出せないでいた。

 抱き付いてきたリフォンを通して体の芯から熱を帯びているように、胸が熱くなるのを感じる。


「俺は悪魔憑きだ」

「知ってるよ! でも、そんなの関係ないもん! ラクトはラクトで、毎日私の料理を美味しそうに食べてくれる人だよ!」

「純粋悪魔(ピュア・ブラック)。この国最悪のニード、それが俺の正体だ。何人もの悪魔憑きやニードを殺してきた」

「殺したくて殺してたんじゃないんでしょ! 今も凄く悲しそうな顔で後悔してるよ! 毎日ラクトを見てれば、分かるもん!」

「っ!?」


 それは、誰も知らないラクトの真実だった。この国で誰よりも多く殺しているラクトだが、本当はその手を血に染めることを良しとしていなかった。だが、そうしなければ彼の家族に被害が出るかもしれない。そう思うと、止められなかったのだ。そしていつも最後には後悔してしまう。また殺してしまった、と。

 グリアもクルールも、他の二人も、誰も気付いた者などいなかった。純粋悪魔(ピュア・ブラック)がこんなに繊細な心を持っているなんて、知っている者など一人とて存在しまい。だが彼女は気が付いた。それも、たった一度、ラクトの戦闘を見ただけで気付いたのだ。

 初めてその事実を指摘され、涙が出そうになるほど心が高ぶる。リフォンと離れようという決意が鈍るのがはっきりとわかった。彼女を傍に置いておきたい。家族以外の存在を、初めて愛しいと感じた。

 だからこそ、彼女を傷つける前に離れなければならない。


「悪い……」

「やっ――!?」


 力いっぱい抱きしめてくるリフォンを振り払う。ゆっくりと前を向き、彼女と視線を合わさないようにして歩き出した。今彼女はどんな顔をしているだろう。今後はもう他のニードから手を出されないだろうか。そんなことばかりを考えてしまう。


「――きなの!」


 リフォンが背後から何かを言っている。だが雨の音が大きすぎて聞き取れない。歩みを止めずにラクトは前を進む。その瞳に映る水滴は、雨だけが原因ではない。

 再びリフォンが叫ぶ。今度は豪雨にも負けない声で、ラクトにもはっきりと聞こえた。聞こえてしまった。


「貴方が好きなの! お願いラクト! 私と一緒に居てよ!」


 ある意味それは、呪いの言葉だったのだろう。決意を固めたラクトの足は一歩も動くことが出来なくなってしまったのだから。何よりも欲しかった言葉。自分にとって都合のいい幻聴が聞こえたのではないかと疑って、思わず振り向く。

 そこには涙ながらに必死の形相で駆け寄ってくるリフォンの姿があった。勢いよく抱き付いてくる彼女を避けるという選択肢はラクトにはなく、しっかりと受け止めた。


「好き! 貴方が大好き! 子供に怯えられて困った顔をする貴方が好き! 私やお父さんに振り回されて呆れた顔をする貴方が好き! 私の料理を食べて、美味しそうに顔を緩める貴方が好き! たった一か月だけど、貴方と一緒にいて本当に楽しかった。もっと貴方を知りたいの! だから、私から離れないで! ずっと、傍に居て!!」


 リフォンの言葉が、ラクトの胸に直接響き渡る。ずっと冷え切った心を、暖める様にその身に沁みついてきた。生まれた時から存在している、足元の暗闇が晴れ渡り、気が付いたときには、彼女を力強く抱きしめていた。


「俺は……お前の傍に居てもいいのか!?」

「当たり前だよ! ラクトは私のお客様第一号で、私の大好きな人なんだもん!」

「そうか……」


 まるで砂漠の中でオアシスを見つけた旅人のように、世界を旅している冒険家が新大陸を見つけたかのように、ラクトの心は満たされてた。初めてグリアに抱きしめられたとき同様、ラクトにとって何にも勝る感動の波が押し寄せてくる。


「俺も……お前のことが好きだ。俺から離れないでくれ!」

「うん! うん! ずっと傍にいるよラクト!」


 激しい豪雨はまるでなかったかのように、黒雲は去り晴れ晴れとした空と太陽が二人を包む。キラキラと水滴が周囲を輝かせ、まるで目に見えない妖精たちが二人を祝福しているようだ。

 しばらく二人は無言で抱き締め合っていたが、不意にリフォンが力を抜き一歩離れると、少しだけ照れた顔をした後、


「守ってくれて、ありがとう!」


 最高の笑顔でそう言った。

 そんなリフォンを、ラクトは一生を賭けて守ろうと決意し、もう一度抱きしめるとその唇に自らの唇を押し当てる。

 初めてのキスは血の味がしたが、二度と忘れられそうにない味がした。

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