第36話

 ラクトがリフォンと知り合ってから、約二年の時が過ぎる。

 その間にも、様々な事があった。リフォンと付き合うようになり、ラクトはグリアの診療所を出ることとなる。理由は人間と付き合う事を仲間達が許してくれなかったからだ。

 特にクルールなどはその人間を殺すと息巻いて、グリアや他の仲間達に止められていた。ニードが人間を殺してしまうと、その瞬間から指名手配されてしまい生き延びることが難しくなることも原因の一つだが、それより早くにラクトに半殺しにされかねなかったからだ。


 ラクトの覚悟を知ったグリアは快く送り出し、他の仲間達は軽蔑の眼差しで追い出した。それからはフリーのニードとして活動を開始し、独自のパイプを作るために警察などにも顔を出した。ヴァイスと知り合ったのもこの時期だ。

 そして変わったことと言えば――


「ただいま」

「あ、お帰りー。よし、今日も怪我ないね。心配したんだよ!」

「怪我なんかするかよ。俺の強さは知ってるだろ?」

「でも心配はするに決まってるじゃん! ラクトはいっつも無茶ばっかするんだもん!」


 リングベルトの街角に小さなアパートを借りて、二人で同棲を始めたことだ。グリアの所に居た時の稼ぎならばもっと大きな家を建てることも可能だったが、フリーになり仕事を得る事が難しくなった今、節約することは何においても大切なことだった。

 二人で晩御飯を食べながら、その日あった出来事を話し合う。そんな些細な事でさえ幸せを感じるようになった自分が、ラクトは嫌いではなかった。


「それでね、今日お店でお客さんに可愛いね、なんて言われちゃった。後、今度一緒にお出掛けして欲しいって――」

「よし、ちょっとその客殺してくる」

「だ、駄目だよ! お客様は神様です!」

「神を殺してこそ、一人前の悪魔だと思うんだよな俺」

「ちゃんと恋人がいるからって断ったもん! それに二度と殺しはしないって約束したでしょ!」

「ははは、冗談冗談。俺が約束忘れるわけねえだろ?」

「本気の目だったし……まあ、それだけ愛してくれてるってことで喜んでおこっかな」

 昔は敵対する者は構わず皆殺しにしてきたラクトも今ではだいぶ丸くなり、リフォンの言葉通り完全に堕ちた悪魔憑きであろうと殺す事無く捕縛に努めている。


 ニードとしての仕事も昔の十分の一程度まで減ってしまい、常に死地に置いていた昔に比べるとだいぶ弱くなったかもしれない。だがそれでも今この時が幸せであるのは間違いないので、弱くなっていても構わないとラクトは思っていた。


「ふぁ……」

「最近欠伸が多いな。ちゃんと睡眠時間取ってるのか?」

「ちゃ、ちゃんと取ってるよ! って言うか一緒に寝てるんだから知ってるでしょ!?」

「お、おう……そんな勢いよく言わなくても……」

「あ、あはは。それもそうだね。ごめんごめん」

「でも本当に大丈夫か? この間夜中に吐いてたよな」

「うっ……気付いてたんだ……」

「当たり前だろ。あんまり体調が良くないなら親父にも言って休み貰え。そんで病院行ってこい。俺と違って普通に診察してもらえるんだからよ」

「……うん。心配かけてごめんね」



 翌日。 

 朝ご飯を食べ終えたラクトは、仕事に出ようと扉に手をかける。


「それじゃあ行ってくる。多分帰るの遅くなるから、先に飯食べてていいぞ」

「うん。わかった……あのね、ラクト」

「ん、なんだ?」

「今日、帰ってきたら話があるの。凄く、大事な話」


 ラクトは軽くお腹を抑えながら真剣な表情で見つめてくるリフォンの言葉に、一瞬どう反応したものかわからなかったが、素直に受け入れる。


「なんだよ今更改まって……まあわかった。出来るだけ早めに帰ってこれるように努力する」

「うん、待ってるね」


 いつもと違う態度のリフォンに困惑しながら、ラクトはアパートから出て仕事に向かって行った。


「ってことなんだけどよぉ、おっさん何か分かるか?」


 街中にある喫茶店でヴァイゼと打ち合わせを終えたラクトは、そのまま自分より人生経験の豊富なヴァイスに今朝の事を相談していた。

 相談を受けたヴァイゼはと言うと、非常に困った顔をしながらも納得する。


「そりゃあトイフェルお前……いや、俺の口から言えることじゃねえか」

「なんだよ、わかるなら教えてくれよ! もしかしてあれか? 別れましょうとかそんな話じゃねえよな!?」

「あー心配するなって。多分そういう話じゃなくて……ほら、だから、つまり……アレだって! 要は妊し――じゃなくて、ほらこの話はお仕舞!」

 ヴァイゼがばっさり話を打ち切ると、ラクトは机に突っ伏して行儀悪くコーヒーを啜る。

「あーあ。なんかやる気起きねぇなぁ……色々気になって全然手がつかねえや。もうこの仕事降りよっかなぁ……」

「て、テメエ……誰が苦労して仕事を拾ってきてやってると思ってんだ……」

「その代わり結構なマージン渡してるだろ? ばれたらクビだぜアンタ」


 ラクトがそう言い返すと、ヴァイゼは視線を忙しく動かしながらキョドリ始めた。不良警官はバレたら不味い事を結構やっているのだ。


「……そ、そんなことより、どうする? 早めに打ち合わせも終わったしさっそく狩りに行くか?」

「うーん……面倒臭せえなぁ。どうせC級の雑魚だろ……大したことも出来ないだろうしほっといてもいいんじゃね?」

「駄目だろそりゃ! ほらやる気出せって! こんな程度の仕事を長引かせてっと俺の評判が悪くなるんだから!」

「アンタが知ってること吐いてくれればやる気出す」

「…………ガキ」

「あ?」


 ぼそっと一言つぶやくヴァイゼに、一瞬悪態を吐かれたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。


「ガキが出来たんじゃねえの? お前の」

「……は?」

「欠伸が多くなって、時々吐いて、しまいにゃ腹をさすりながら大事な話があるって言うんだろ? 妊娠の症状だと思うぜ。うちのかみさんもそんな感じだったしよ」

「……マジ?」

「マジ」


 困惑した様子で聞き返すラクトに、はっきりとヴァイゼは答える。その瞬間、ラクトは喫茶店の椅子から立ち上がると、一言。


「悪いおっさん、ちょっと用事思い出したから帰るわ」

「っざっけんな! おらさっさと狩り行くぞ! もう場所も検討ついてるんだ。逃げられたらまた一からやり直しになるんだからな!」

「ちょ、わかった! わかったから引っ張るな!」  


 さっさと帰ろうとするラクトの首根っこを?まえて、ヴァイゼは店を出た。

 結局、見つけたまでは良かったが、犯人はすぐに逃げてしまい、再度補足するまでに時間を要した。その間ラクトは何度も逃げようとして、その度にヴァイゼに捕まり、終わったのはすでに日も暮れ八時を過ぎていた。


 ヴァイゼの言葉が気になり過ぎて中々集中できなかったが、それもようやく帰宅することが出来る。本当に子供が出来たなら、嬉しさしかなかった。貯金を下ろして色々用意もしなければならないな、などと考えたり、結婚式もした方がいいんだろうか、などと悩んだりもした。

 だがそれも相談して決める事だろうと、急ぎ足で家に帰宅した。


「ただいま! ……リフォン?」


 アパートの扉を開き中に入ると、電気の消えたままの家に違和感を感じる。リフォンの実家である店も軌道に乗り、アルバイトも雇う余裕が出来てからはリフォンのシフトは夕方までとなっていた。普段なら買い物も終えて晩御飯を食べている時間だ。

 可笑しいと思いリビングに行くが、どうも帰ってきた様子すらない。妙なざわめきを感じ、携帯に電話してみるも、着信はあれど一向に電話に出ない。

 不安がより一層大きくなる。慌ててリフォンの親父の店に電話するが、なぜか着信音すらしなかった。


「どうなってんだよ!」


 苛立ち混じりに家から飛び出し、全力で駆ける。目的地はもちろん、リフォンが働いている親父の店だ。風を切る様な速度にすれ違う人が驚くが関係ない。

 そうして店に辿り着くと、何故かクローズになった扉と消えた照明。今日は営業日であるのは間違いないのに、これでは他の客が入ってくることはない。乱暴に扉を蹴破り中に入る。


「う、そ……だろ?」


 照明をつけると目に入るのは、完膚なきまでに破壊された店内。中に居た客達であろう肉塊と、いつも笑顔で迎えてくれた親父の死体。それぞれが鋭利な刃物で切り裂かれ、首と体が二つに分かれて地面に落ちていた。そして壁に血で描かれた、ロンスキー広場で待っているという文字。


「リフォン!? リフォン!?」


 全力で声を上げるが反応はない。当然、死体となった親父も何の動きも見せなかった。


「おい……ふざけるな……なんだよこれ!?」


 死体は何とか顔がわかる。その中にリフォンはいなかった。見知らぬ他人はともかく、親父が殺されてるのは悲しいがそれ以上にリフォンの安否が心配となっている。

 この惨劇の首謀者はロンスキー広場にいるという。そこに彼女がいるかは分からないが、手掛かりがない以上、ラクトに出来る事はそこに向かうしかなかった。

 暗雲漂う空からぽつぽつと雨が降り始め、次第に地面を濡らし始める。息が切れる。全力で走っていることが原因ではない。すでに周囲に人はいない。雨によって屋内に入ったか、それとも他の要因があるのか。

 広場に辿り着く。誰もいない。周囲の店は何故かすべて店仕舞いしており、街灯の電気以外に光源は存在しなかった。


「おい! 誰だか知らねえがいるんだろ! 出てきやがれ!」

「ふふふ……久しぶりだねラクト。元気にしてたかな?」

「テメェ――」


 木の影から姿を現したのは、クルールだった。その手には気絶させられたのか、ぐったりとしたリフォンが首を掴まれている。

 その姿を見て感情が爆発する。すぐさま目の前のこいつを殺してやりたいという感情がラクトを襲うが、人質を取られている以上迂闊には動けなかった。

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