第34話

「決定だな。ひひひ、おいジャン。最初はテメエに譲ってやるよ。散々いたぶられた借りはしっかり返してやんな」

「へいボス! ありがとうございます!」


 近づいてくるジャンと呼ばれた男は、先月ラクトがボコボコにした相手だ。正面から殴り合えば負けることは間違いないが、こうして枷を嵌められてしまった今、ラクトに出来るのは魔気を纏ってサンドバックになる事だけ。


「ひゃあ! それ! この間はよくもやってくれやがったな! 死ね! 死ね! 死ねぇ!」


 周囲からの通報も期待出来ない。この辺り一帯は元々人通りも少なく、なによりジェルファ達によってある程度の人払いは行われているのは間違いないからだ。都合よくグリアやクルール達が近くに来るとも思えず、ラクトはされるがままに拳や蹴りを受ける。

 幸い、魔気を使うことに関してジェルファは特に意見を入れてくることはなかった。どうせ殺す気でいるのだから、出来る限り長い時間いたぶるのに丁度いいと思ったのだろう。痛みがないわけではないが、この程度ならばいくらでも耐えられる。


「ラクトぉ! 私のことはいいから逃げて! 死んじゃうよぉ!」


 唯一の懸念は、後ろでラクトが殴られるのを見て泣いているリフォンのことだ。何故悪魔憑きだとわかった今も、こうして自分の事をこんなに心配してくれるのか。もしラクトがリフォンのことを無視して逃げたら、彼女は酷い目に合うどころの話ではないと言うのに逃げろと言う。

 全く世の中は分からないことだらけだと溜息を吐く。

 それが気に障ったのだろう。怒りの表情を浮かべたジャンは己の魔気を収束させてナイフを創りだすと、舌で舐めながら脅す様に声を出した。


「ひぇへへ、こいつでテメエの体を切り刻んでやるよ!」

「御託はいいからさっさとやれよ」

「いい覚悟じゃねえか! 死ねやおらぁ!」

「っ!?」


 いきなり心臓目がけて突き刺してくる。その行為を前にリフォンが息を飲み、これから発生するであろう惨状から目を逸らす様に瞳をぎゅっと閉じた。

 カキン、と金属同士がぶつかり合う甲高い音が聞こえたと思うと、金属の破片が宙を舞い、幻想の様に消え去った。


「へっ?」

「まっ、その程度の魔気じゃ俺は殺せねえけどな」


 ジャンが呆気にとられたような顔をする。ラクトはそれが当然と言わんばかりに、一切の動揺もなくジャンの持つナイフだった物を見た。

 ラクトの服を突き刺そうとし、その肌をわずかに傷付けただけでその役割を終えたナイフに残っているのは柄の部分だけ。先ほど消えた破片こそ、この男が創りだしたナイフの刃先だったのだ。あのナイフはジャンの切り札のようなものだったのだろう。戦慄した様子でラクトを見る。

 これでジャンがラクトを傷付ける方法はなくなったに等しい。それが分かったジェルファはジャンの肩に手を置くと、後ろに下がらせ自分が前に出る。ボキボキと指を鳴らし、醜悪な笑みは見るものを恐怖に陥れるだろう。


「噂通り結構やるじゃねえか。久しぶり楽しめそうだ……ぜ!」

「ぐっ!?」


 凶戦士(バーサーカー)の異名は伊達ではなく、高層ビルの柱でさえ吹き飛ばしかねない一撃がラクトを襲う。一発、二発、三発、四発と拳を振るうジェルファに、流石のラクトもは効いたのか、苦悶の表情を浮かべて口から空気が零れる。


「おらぁ!」


 今まで以上に振りかぶった一撃が、ラクトの腹部に突き刺さる。ボギッという嫌な音と共に、今まで耐えていたラクトだったが、ついに膝を着いてしまう。さらに顔面を蹴り飛ばされ、ラクトの体がサッカーボールのように吹き飛ばされた。


「けっ! 情けねえなぁ純粋悪魔(ピュア・ブラック)! たかだか人質一人程度で手も足も出さなくなるなんてよぉ! こんな軟弱野郎がこの俺様と肩を並べて噂にされてたと思うと泣けてくるぜ!」

「ぐっ……うっせえんだよ……この、屑野郎……うっ!」


 口から血を流すラクトが睨みつけるが、その瞳に覇気はない。痛みに顔をしかめながら、呼吸が荒くなる。

 一方ジェルファは余裕の笑みを崩さず、ラクトの髪の毛を掴むと、勢いよくビンタをする。信じられないほど大きく甲高い音が街中に広がり、ラクトの頬は真っ赤に染まっていた。


「誰に言ってんだゴラァ! おらもういっぺん言ってみろや! オラ! オラ! オラ!」

「っ――――!?」


 さらに数発。銃声のような深い音と共にラクトの頬を叩く。その痛みは普通に殴られるものよりも圧倒的に体に響き、ラクトのような男でも瞳から涙を出さずにはいられなかった。


「いやぁラクト! お願い! 放して!」


 あまりの惨状にリフォンが駆けつけようとするが、ジェルファの部下によって羽交い絞めされていて近寄ることも出来ない。


「この、大人しくしやがれ!」

「あっ!」


 それでも必死にジタバタと振り切ろうとし、それに苛立った部下の男は軽くビンタする。その威力はジェルファの放ったものに比べれば幼子のような一撃だが、普通の人間でしかないリフォンにとってはとてつもない衝撃となった。

 それを見たラクトが、リフォンを叩いた男を恐ろしいほどの殺気と共に睨みつける。


「テメェっ!」

「ひっ!」


 もはや虫の息でしない筈のラクトを恐れ、男は腰が引けてしまう。が、その直後にジェルファが折れたあばらに向けて拳を振るい、ラクトを吹き飛ばす。


「ぐふぉ!」

「構うことねえ! どうせもう純粋悪魔(ピュア・ブラック)は満足に動けねえんだ。その人間はもう用済みだから、お前らの好きにしちまいな!」

「や、約束を破る気か!」

「あ? ずいぶんと甘いこと言うじゃねえか純粋悪魔(ピュア・ブラック)。俺達には悪魔が付いてるんだぜ! 自分の欲望以上に優先することなんてねえよ! なあお前ら!」

「へいボス! ぐへへ、よく見りゃ可愛いじゃねえか。たっぷり楽しませてもらぜ」

「えっ? やだ、止めて! いや、誰か助けて! やだやだやだ!」


 ジェルファの言葉を聞いた部下の数人がリフォンに群がり、下卑た笑みを浮かべながらその服に手をかけ始める。

 リフォンも必死に抗おうとするが、複数の男、それもニードの力に叶うはずもなく動きを封じられ、徐々にその肌がむき出しになり始める。


「止めろ! そいつは関係ねえ! だいたいニードが一般人に殺したらどうなるか、テメエも知らねえわけじゃねえだろ!」

「問題ねぇな。ここでのシナリオはこうだ。突如として暴れだした『純粋悪魔(ピュア・ブラック)』によって民間人が死亡。俺達は暴走したお前を止める為に戦い、何とか制圧に成功した。ってな」


 普通の事件なら信じられないことかもしれないが、こと悪魔憑きの場合、それが通る可能性は非常に高い。リフォンの死体を隠したところで、ラクトやジェルファならば人間の肉体の一つや二つ肉塊に変えることなど容易に可能で、死んだときの状態など一切わからなくなる。

 ラクトもリフォンも死んでしまい証人のいない現状では、ジェルファの言い分が全て正しい証言となり、それを覆すことの出来るものなど存在しないのだ。


「やだぁ! ラクト! ラクトぉ!」


 すでに肌のほとんどを露出したリフォンが、縋る様にラクトの名前を呼び続ける。もう状況がわかっておらず錯乱しているのか、助けを求めるというよりも、ただただラクトを求めているかのようだ。


「テメエを殺す前に、あの女を目の前で犯し尽してやるよ! 俺様のグループに手を出したことを死ぬほど後悔させてから、ゆっくりいたぶって殺してやる!」


 その言葉を聞いた瞬間、プツン、とラクトの頭の中で何かが切れた音がした。極寒の大陸に置き去りにされたような、恐ろしいまでの殺気が周囲を包む。


「あっ?」


 醜悪な笑みを浮かべていたジェルファも、リフォンに群がっていた男達も、嬲られるラクトをニヤニヤと見ていたジャンも、皆一斉に体を硬直させる。あまりにも常識を外れた尋常ならざる雰囲気に、誰もがその殺気の発生源――ラクトから視線を放せなくなる。

 両腕を黒くしたラクトが立ち上がる。その瞳に光はなく、意識がある様にも見えない。だがその口から発せられる言葉は、奈落の底に立ち込める業火の様に深く重いものだった。

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