第四章 悪魔たちの事情

第18話

 レオナには今の状況がまったく理解できなかった。突然自分に襲い掛かってきた悪魔憑きを前にもう駄目だと諦めた瞬間、突如その魔の手から助け出そうと現れたのは、テレビでも見たことのある若手俳優のナル・バレンティア。

 まるで映画のワンシーンのように颯爽と助けに入るその姿はまさに主人公(ヒーロー)。誰もが憧れるシチュエーションであり、その堂々とした立ち振る舞いは流石は映画俳優というべきか、配役としてもぴったし嵌まっていた。さしずめレオナは悪に襲われるヒロインポジションか。


 自分を置いていきなり口論を始めた二人を前に、レオナはどうすればいいのかわからなくなっていた。逃げようにも、あの化け物から簡単に逃げられるとは思えず、さらに助けに来てくれたナルを置いていくわけにもいかない。

 だからと言って自分がいて何かが出来るわけではない。足手纏いでしかないのも理解していた。どうすればいいか、いい案が思い浮かばず、二人の様子を見る事しか出来ないでいる。そうしてわずかにばかりか心に余裕が生まれ、冷静に二人を観察することが出来た。


 終始余裕の態度を取っていたのがナル。そして焦りのようなものを感じさせていたのが悪魔憑きの男だ。

 恐らくナル・バレンティアは、ラクトやグリアと同じニードなのだろう。そうでなけでは、あの化け物と対峙して余裕を保てるはずがない。


 一度悪魔憑きの狂気を正面から受け止めたレオナだからこそ、あれが正真正銘の化け物だと言うことを理解していた。

 それに対抗できるのは、同じような力を持つ存在だけだ。堪忍袋の緒が切れたのか、口論から力尽くへと移行した悪魔憑きの男に対して、ナルはどこまでも自信満々で受け応えていた。


 つい、数分前までは――


「ハハハハハッ! なんだよお前! さっきまでの威勢はどうしたんだい! まるで歯ごたえがないじゃないか」

「うおぉ! きゅ、急にパワーアップするなんて卑怯だぞ! それは正義に味方側のイベントだろー!」

「卑怯最高! 僕は悪魔ですから! あっはっは、さあ逃げろ逃げろ。羽虫のように逃げ回れ!」


 今では完全に立場が逆転していた。さきほどまでの馬鹿にされたことが相当ムカついていたのか、悪魔憑きの男はナルをいたぶる様に爪を振るい、蹴りを加え、言葉で罵倒する。


「ノォォォォ!!」


 対するナルは悪魔憑きの攻撃から必死に逃げていた。逃げていたのだ。もう恥も外見もなく、涙を流し両手を上げて、泥に塗れるように転びながら情けない顔で逃げていた。もしこの姿を彼のファンが見たら、一瞬でファンを止めかねない。それほど情けない姿だった。


 助けに入ってもらったレオナですら、あれだけ格好つけておいてこれはないだろうと思う。


 悪魔憑きの男の爪がナルに掠る。ナルの体を覆い守っているはずの魔気は紙切れのように切り裂かれ、頬に浅い傷をつけ鮮血が噴水公園に飛び散った。


「僕の狩りを邪魔して! 僕のことを馬鹿にして! 僕を殴った君を、簡単には殺さないよ!」

「ひっ、ひぃぃぃ! なんだよ随分力の弱い悪魔だと思ったから出てきたのに、こんなの反則じゃないかぁ!」


 戦闘が始まった当初、素人のレオナの目から見てもナルが押し気味だった。それは間違いない。悪魔憑きの男の攻撃は何一つ通用せず、ナルが一発殴るだけで吹き飛ぶ姿は滑稽を通り越して失笑ものだった。

 魔気を使えるか使えないかの差は、それだけ大きかったのだ。ノリノリで悪人を倒そうとするナルの姿は輝いており、悪魔憑きの男は超常の力を手に入れたと思い込んでいた分、悔しそうに歯を食いしばっていた。

 それが変わったのは、ナルが悪魔憑きの男に止めを刺そうとした瞬間。死を直前に、悪魔憑きの力が急激に膨れ上がり、黒い魔気が体中を覆い始めてからだった。

 直後、ナルの拳が悪魔憑きの男に突き刺さるが、まるで虫に刺されたかのようなダメージしか負わなくなり、逆に悪魔憑きの攻撃をナルが防ぐことが出来なくなったのだ。


「死ね! 死ね! 僕の邪魔をする奴はみんな死んでしまえぇぇぇ!」 

「ギャアアアァァァ。駄目だってそれは不味い本当に死んじゃうからほら今私の乳首が掠ったって危ないストップ話し合おうやはり言葉は大切人間悪魔関係ない平和が一番私は戦いなど望んでいないんだからぁぁぁぁぁ!」


 その瞬間、完全に形勢が逆転する。

 それまで物語の主人公のように悪役を攻撃していたナルは、力関係が逆転すると小悪党並に弱気になり、死を覚悟した悪魔憑きの男はより一層悪魔の力を受け入れることで逆襲に走る。

 もはやだれの目から見ても、ナルがこの悪魔憑きに勝てるビジョンなど見えてこないだろう。


 不味いと、レオナは思う。

 いかにナルが情けない姿を見せているとはいえ、彼自身の身体能力は明らかに普通の人間を上回っている。そこにはニードと人間という、生物として絶対的な壁がそこには存在した。そんな彼ですら、悪魔憑きの攻撃を避けるだけで精一杯なのだ。もしここでナルが負ければ、自分の未来に先はない。

 しかしレオナには出来る事が思い浮かばない。当たり前だ。悪魔憑きやニードというのは人間とは根本的にことなる生物で、今まで平和な日常を謳歌してきた女子高生でしかないレオナにどうにか出来る存在ではない。

 それでもレオナは諦めず、必死に頭の中で思考を巡らせる。自分が悪魔憑きだと言うなら、その力を使うことは出来ないか? そう思うも全く力の使い方などわからない。


 そうこうしているうちに、、ナルが地面に躓きコケてしまう。慌てて立ち上がろうとするが、その背中を蹴られてうつ伏せに倒されると、背中を踏みつけられているのが見えた。


「フシュゥゥ……逃げ足ばっかり早いやつだ。だけど、これで……終わりにしてあげるよ」

「あああああ!!」


 悪魔憑きの男はそう言うと、魔気から黒い靄のようなものを作り出した。霧は粘土を捏ねるかのように動きを増して、禍々しい鎌となって具現化した。

 背を向けているせいで何が起きているのか正確にはわからないのだろうが、膨れ上がった魔気に反応してナルが体をばたばたと暴れる。が、悪魔憑きの男はビクともしない。

 悪魔憑きの男は大鎌を振り上げると、醜悪な笑みを浮かべて口を開く。


「や、止めてくれ! 私にはまだ夢があるんだ。世界で誰よりも有名な俳優になって悪魔憑きと人間達の架け橋に――」

「煩いよ。死ぬときくらい静かにしてくれないかい? それじゃあ、さようなら」

「やめっ――!」


 その大鎌が振り下ろされる瞬間、レオナはあまりの恐怖に思わずぎゅっと目を閉じてしまう。これから起こりうる惨状に、精神が耐えられないと肉体が勝手に反応してしまったのだ。

 恐らく公園中に響き渡るだろうナルの断末魔は、いつまで経っても聞こえることはなかった。不思議に思い、レオナは恐る恐る目を開くと、悪魔憑きの鎌はナルの首に触れるか触れないかというところで停止していた。


「なっ――!?」


 驚愕に目を見開く悪魔憑きの男。全力で振り切ったはずの大鎌は、突如現れた一人の男によって受け止められていた。


「邪魔だ」

「ぐ、グオオオオオオ!?」


 新しく現れた男が悪魔憑きの男の顔面を殴り飛ばす。ナルのパンチなど蚊が刺した程度しか効いていなかったはずなのに、その拳を受けた瞬間、苦悶の声と共に数十メートルは吹き飛ばされていった。

 男はナルを見下ろすと、情けない顔をしている旧友に声をかける。


「おい泣き虫ナル。お前こんな雑魚になに殺されそうになってんだよ」

「あ、あああああ! ラクトー! 我が親友にして盟友のラクトー! 助けてくださいお願いします! 可愛い子の前だからってちょっと調子に乗ったら殺されそうなんです!」

「いつものことじゃねえか。まったくお前は基本的に弱いんだから大人しくしときゃあよかったのに。でもまあ、今回はお前のおかげで助かった。ありがとよ」


 いきなり現れたラクトの姿を見た瞬間、レオナの心が急激に暖かくなる。今まであった不安が一気に吹き飛び、暗闇の洞窟の中で、一筋の光を見つけたときのような安心感に包まれた。死の恐怖という極限の緊張していた体が、一気に力が抜けて地面に崩れ落ちてしまう。

 でも、大丈夫。彼なら絶対になんとかしてくれる。そう確信があったからこそ、動かない体でも怖くはない。ただ一言、彼の名前を呼ぶだけでいい。


「ラクト!」

「おう、悪いなレオナ。ちょっと遅くなった」


 そう言うラクトはいつも通り、飄々とした笑みを浮かべる。ただそれだけで、自分達は助かったのだと、心の底から理解することが出来た。

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