第19話

「さてっと、まだちゃんと状況が把握出来てないんだが、さっきのは殴り飛ばしてもよかったんだよな?」

「当然じゃないか! あいつはこの世界的大スター(予定)であるこの私を踏んづけていたんだよ!」

「いや、人を苛立たせる天才のお前の場合、自業自得の可能性もあったからよ。また勝手に出しゃばって挑発でもしたんだと思ってたんだけど、違うのか?」

「な、ななななな! そんなことあるわけないさ! あ、ちょっと体が痛いので手を貸してくれると助かるんだが」


 ラクトは倒れているナルに手を貸す事なく、彼の言葉を無視してレオナに近づく。

 レオナは緊張の糸が切れてしまったからか、その体には力が入らないようで、腰が抜けたようにへたり込んでいた。ダストボックスで暴漢に襲われている時でさえ、強い輝きを失わなかった瞳は涙で濡れ、体の震えは未だ止まっていない。

 ラクトは弱ったレオナを前に、どう声をかけていいものか悩む。


「大丈夫だったか?」

「……うん」

「悪い。ちょっと探すのに手間取った」


 ラクトが気まずそうに頭をかき、謝罪の言葉を口にする。守ると決めていたのに、こうしてレオナが危機に陥ってしまったのは自分のミスだと思っていたからだ。そのうえ、泣いているレオナを前に、この程度しか言えない自分が情けないと思う。


「…………」


 その言葉にレオナは無言で首を横に振る。彼女からすれば勝手に飛び出し、一人で悩み、それで襲われた。今回の出来事で誰に責任があるかと言われたら、当然自分に返ってくるもので、ラクトが責任を負う必要などないと思っていた。


 グリアから自分が悪魔憑きだと言う言葉を聞いたとき、ちゃんと事情を聞けばよかったのだ。冷静になって、彼女から自分の今の状態を教えて貰えばよかった。そうすればこんなに悩むことも、ラクトやグリアを怖がることも、ましてや自分を嫌いになることもなかっただろう。

 きっとラクト達にも迷惑をかけた。なのに、自分はラクトが現れた瞬間、嬉しい気持ちで一杯だったのだ。命の危機に助けてくれたことに、彼が自分を心配して追いかけてくれたことに、そして何より、再び名前を呼んでくれたことが嬉しく感じてしまった。


「ラクト……あの、私は……ぅっ」


 顔を上げてラクトを見れない。無意識のうちに彼らを化け物扱いしていた罪悪感がレオナを襲う。謝らなきゃと思っているのに上手く言葉が出て来ず、ただ下に俯くことしか出来なかった。


「いきなり自分が悪魔憑きだって言われて、怖かったんだろ? ほれ」


 ラクトが地面に座り込んでいるレオナに手を伸ばすが、レオナは動かない。この手を掴む資格など自分にはないのだと思い込んでいた。

 そんなレオナに、ラクトは珍しく心底困った顔をしてしまう。幼子の様に泣き崩れ、自己嫌悪に陥っている彼女にどういった言葉を紡げばいいのかわからなかったからだ。こんなとき、グリアが居てくれればと思うが、いないものは仕方がない。

 どうすればいいかと考えていると、もう十年以上も昔、まだ幼かった自分がグリアにどうされれば安心したかを思い出す。

 ラクトは伸ばした手を引き戻し、地面に膝をつけ、レオナと顔の高さを合わせた。そこまでしても、レオナは顔を上げない。ならばと両手をレオナの背中に回し、力強く抱きしめた。


「ぁ……」

「泣くな。お前が泣くと俺も悲しくなる。人だろうが悪魔憑きだろうが、みんな同じように感情のある生き物なんだ。一人でいるのは寂しいし、共に笑い合えば楽しい。レオナ、お前に涙は似合わない。綺麗な笑い顔を俺に見せてくれ」




 ラクトは己の両親がどんな人間だったのか覚えていない。


 ダストボックス内で生まれた彼の最も古い記憶は三歳のとき、両親の死体を見て笑っている男だった。その男がどうして両親を殺したのかは、未だにわからない。何が起きても可笑しくないダストボックスでは、意味のない殺人など日常茶飯事だし、理由を追及するには当時のラクトは幼すぎた。

 ただわかっていたのは、男がラクトも殺そうとしているということだけだ。最低限の人権もないよう場所で生まれたラクトは、当然満足な教育も受けずに育った。そんな彼が外の人間よりも敏感だったのは、身近に存在する死という現象だけ。


 死にたくない。まだ知識として死という概念すら知らない三歳の少年は、生物としての本能で死を理解していた。だからこそ願う。死に抗うための力を。力なきものにとって最悪の地獄を生き延びれるだけの、強い力を。

 そんな幼い少年の渇望を、悪魔は見逃しはしなかった。心の内側からの声にラクトは逆らうことはせず、急激に宿った力に身を任せ暴虐の限りを尽くす。


 気が付けばラクトの両親を殺した男やその仲間達は、全員物言わぬ屍となっていた。そうしてようやく、ラクトは自分が強者なのだと認識する。国も恐れる犯罪者達ですら手が付けられない小さな悪魔が、狭い箱庭の中で誕生した瞬間だった。

 それ以来、ラクトはゴミ箱の中をたった一人生きていた。まだ悪魔憑きの事もほとんど知らなかったが、それでも漏れる力だけで周囲の荒くれ者達を叩きのめし、従え、次第にゴミ箱の悪魔として知られるようになる。


 誰も彼には逆らえない。誰も彼を止められない。誰よりも幼い彼を、誰もが恐れた。

 そして一年も経つと、まだ五歳にもならないラクトを王と崇めた一つの国が出来上がった。ラクトにすり寄って甘い汁を吸う者と、ただただ毎日を苦しみながら生きる弱者という構図が生まれたのだ。もっとも、ラクトにとって王国がどうとか、そんなものどうでも良かった。

 ただ、王として君臨するのは悪い気はしなかった。一人は嫌いだったラクトにとって、例え打算しかなくとも、人が集まることに十分満足していたからだ。王になってからは自分の周囲に人が溢れ、誰もが自分を頼りにしてくるようになってきた。

 だから自分の近くで悪行を働こうが咎めはしなかったし、自分の力を利用しているだけだとしても構わなかった。幼いラクトにとって、孤独が無くなるのなら何でも良かったのだ。


 そんなゴミ箱内部の状況を、当時のサンタク政府は危惧した。国ですら手が付けられないほど犯罪者が溢れたダストボックスだが、だからと言って何もしていないわけではない。何度も調査員を派遣し、中の様子を伺うことはしていた。

 当時の派遣員は驚愕したことだろう。協調性のないはずの犯罪者達が一つに纏まり始め、独自のルールまで作り始めたのだ。このまま下手をすれば、犯罪者達によって大規模な反乱が起きる可能性がすら考えられた。


 ダストボックス内で犯罪者達を纏めているのが悪魔憑きだと言うことが分かったサンタク政府は、当時最強のニードと言われていたカログリア・レージェントにこの悪魔憑きの討伐を依頼する。

 そしてその依頼からわずか二日後、ダストボックス内の王国は崩壊することになる。

 どんなに優れた人間でも、悪魔憑きには適わない。悪魔憑きとはいえ、幼い子供にすら逆らえなかった犯罪者達がグリアに勝てるはずもなく、当然のように蹴散らされた。

 それはラクトにしても同じことだった。満足に力の使い方も知らないラクトは、当時最強のニードとまで言われたグリア相手に善戦することも叶わず、ただただ一方的に負けた。


 周囲で様子を伺っていた荒くれ者達は、負けたラクトを罵倒する。力がなければ、誰も付いてこない。信望があったわけでも、ラクトが好きだったわけでもなく、彼らはただラクトに力があったから付いて来ていただけだったのだから当然の結果だ。


 悔しかった。負けたことにではない。あれほど自分の事を王だと持ち上げ、一生付いていきますとまで言い続けていたくせに、一瞬で離れていったゴミ箱の住民達。張りぼての王でしかなかったことに気付かなかったという、その事実が幼いラクトにとって心の底から悔しかった。

 もしラクトがもう少し年齢を重ねていたら、しょせん力に縋ってきただけの烏合の衆でしかなかったということに気付けたかもしれない。だが、早期に両親を亡くし、誰も彼に何かを教えることのないまま進んできた幼子にそれを気付けというのは酷だろう。


 悪魔憑きになって初めて、ラクトは泣き叫ぶ。遠巻きに見ていたゴミ箱の住民達に呪詛を唱えながら、殺気の籠った視線を向けた。

 ラクトにとって最も許せなかったのは、自分の世界を壊したグリアではなく、何の力もないくせに自分に縋って偉そうに口を開き、そして立場が悪くなったらすぐに裏切るゴミ箱の住人達だった。

 その場にいた全員がラクトを恐れ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。当然だろう。例え瀕死だとしても、ラクトの強さと凶暴さは利用していた彼らが誰よりも知っていたのだから。万が一グリアが彼を逃したとき、報復に合うのは自分達だと理解していたゆえの行動だ。

 その場に残ったのは膝をつき動けないラクトと、それを見下ろすグリアの二人だけだ。


 殺される。両親を殺した男達を殺すことで克服したと思っていた死の恐怖が、再びラクトを襲った。今度は悪魔の力も通用しない、正真証明の強者だ。

 一人残されたラクトは泣いた。その姿は呪詛を撒き散らす悪魔ではなく、迷子になって両親を探す幼子にしか見えなかった。誰も助けてくれない。誰も自分を見ていない。縋るもののないラクトは、生まれて初めて無条件で自分を助けてくれる存在を求めた。

 グリアが一歩前に踏み出す。逃げようにも、ラクトの体は動かない。さらに一歩、二歩と距離を縮め、恐怖だけが増えていく。

 グリアはラクトの目の前で膝立ちになると、抱きしめて耳元でささやく。


『泣くな坊主。お主が泣くと儂も悲しくなる。人も悪魔も皆同じように感情があるのじゃ。一人でいると寂しい。共に笑えば楽しい。お主は泣き顔より不敵に笑っておるほうがよっぽど似合っとるよ。一人が寂しいなら儂と共に来るがええ。お主にはまだ未来があるのじゃから』


 裏切られたばかりのラクトにはその言葉を信じられなかったが、優しく背中を叩かれ、そのリズムに身を任せると心が穏やかになっていった。

 グリアの体は暖かった。自分の記憶の中に、両親との触れ合いというのは一つもなかったが、まるで母親に抱きしめられているように落ち着いていく。彼女から感じる、深い愛情を感じ取ったからだ。


 自分を利用してきたゴミ箱の住人達とは違う、本物の愛情を知り、ラクトの涙は止まらない。グリアに縋りつき、わんわんと泣いた。家族の愛情を知らずに育った彼にとって、この暖かさは何よりも手放したくないものだったのだ。

 それ以来、ラクトはゴミ箱の外に出てグリアの家に引き取られることになる。そこで似たような境遇の者達と共に過ごし、そして――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る