第17話

「あぁ……しまったな。これじゃまるで怪しい人みたいだ」

「あ、えっと、すみません。そんなつもりで言ったわけじゃ……」

「大丈夫、わかってるから。僕はもう去るよ。人間、誰だって一人になりたいときってあるもんね」

「……すみません。話しかけて貰って、正直嬉しかったです」

「そう、なら良かった。僕としても娘と同じくらいの君が泣いてるのは、なんとなく放っておけなかっただけだからさ。泣き止んでくれて、本当によかった」


 そう言って男はさらに一歩下がる。距離にしてみればおよそ一メートルも離れていない。別におかしな行動ではなかった筈だが、レオナはなにか違和感を感じてしまう。

 気が付けば夕日がほとんど沈んで、公園の街灯が点灯し始めた。周囲の人影も無くなり始め、公園内には二人しかいなくなる。周囲から音が一切無くなり、たまに街灯に虫が集まり、ぶつかって焼ける音が聞こえるくらいだ。


「一人で泣くなんて、もったいない事しちゃ駄目だろ?」

「……えっ?」


 男の言葉が理解できず、聞き返すように見上げた瞬間、言い様のない不安がレオナを襲う。夜ということに恐怖を覚えたわけではない。例え日が暮れようと、まだ人がいて当然の時間帯なのだ。なのに、公園の周囲には人一人いない。

 そんな中、先ほどまで優しそうに笑っていた男の口が醜悪に歪む。男の周囲が黒い霧のようなものに覆われ、ただ立っているだけだと言うのに猛獣を前にしたような気すら感じた。


「娘も凄くいい声で泣いていたんだ。お父さん止めてって言いながら、何度も何度も叫んでた。それが、それが愉快で仕方なかったんだよ。ああ、駄目だ抑えが効かないなぁ。君みたいな可愛い子がこんなところで一人で泣いてちゃ、誰も得しない。得しないよ。ちゃんと私の手で泣いてくれないと、何も興奮しないじゃあないか」


 違う。これは人じゃない。普通の人間はこんな禍々しい笑い方をしないし、こんな恐怖を撒き散らすような真似は決して出来ない。


「…………あ、悪魔?」

「正解だよ。ご褒美に美味しく食べてあげよう」

「い……いや……」


 恐怖が体を支配する。レオナは立ち上がることすら出来ず、体を震わしながらゆっくり近づいてくる男を見ている事しか出来なかった。

 人と相容れない存在。人類の敵。滅ぼされるべき者。ああそうだ、実物を見たら分かる。これは本当に存在してはいけない生き物だと思う。

 ただそこにいるだけで周囲に悪意を撒き散らす、生まれ付きの化け物。普通の人間が逆立ちしたって立ち向かうことの出来ない悪魔。


 こんなもの、こんなものとラクト達を一緒にしていたというのか。自分は馬鹿だ。彼らは優しかった。彼らは暖かかった。こんな化け物とは全然違ったではないか。彼らは人間だ。人とは違うかもしれない。でも、その在り方は確かに人間だった。

 だったら謝らなくてはならない。だというのに、それはもう叶わないだろう。謝りたいのに、ごめんなさいと言って、また隣で笑い合いたいのに、自分が確かにここで殺されるのだと、はっきりわかってしまった。


 ――こんな化け物に、ただの人間が勝てるはずがないのだから。


 悪魔の手が伸びる。ここからの出来事を思い浮かべたのか、気持ちの悪い笑みを浮かべる口元から涎が垂れ落ちた。

 レオナは襲い来る恐怖に身を竦めて、ただ一言、ごめんなさいと呟いた。


「そこまでだ!」


 悪魔憑きの蛮行は、その手がレオナに伸びようとした瞬間、噴水公園に響き渡った一つの声によって遮られることとなる。

 獲物を食べる行為を邪魔したのだ。当然、生きていたことを後悔させてやると悪魔憑きは瞳をぎらつかせた。突然の闖入者に不快な感情を抱きながら、声のした方へと振り向くと、そこにいる意外な人物に目を丸くする。


「貴様……か弱い女性を怯えさせ、さらには涙を流させるとは何事だ! そんな悪党はリングベルトが生み出した世界的大スター(予定)であるこの私が懲らしめてやる!」


 気高きハンター。華麗なるスパイ。スーパーファイヤーマン。通行人A。圧倒的な身体能力から繰り出されるバラエティ豊富な演技と甘いマスクによって現在お茶の間の話題を集めている人気俳優。


「ナル・バレンティア……どうして君がここにいるのかな?」

「ふっ愚問だな。ピンチあるところにスーパースターあり。世の中の常識だぞ」


 キラン、とすでに日が暮れ夕闇の時間になった今でも彼の白い歯が穢れを知らずに輝いている。そのイケメンフェイスから繰り出されるニヒルに笑いは、世の中の女性を虜にしてしまうに違いない。

 そんな余裕もの表情を崩さないナルに、悪魔憑きの男は苛立ちを感じる。


「そんな馬鹿な……ここは僕の力で人払いをしているはずだ。僕と僕が認めた者以外、自然と足が遠ざかる様になっているはずなのに……」

「おいおい、まさか君は人払いの力が自分の専売特許だとでも思っていたのかい? それは無知にもほどがあるよ。こんなもの悪魔の力の初歩も初歩、子供だましレベルの代物だと言うのに何を自信満々に言ってるんだ全く」

「なんだって?」

「ふぅむ……さては君、成り立ての悪魔だね。ふぅ、だからそんなに頭が悪そうなのか」


 ナルの発言に目を見開いて驚く。悪魔憑きの男にそんな知識はなかったからだ。

 それを見たナルは思案気な顔をした後、呆れた顔で首をやれやれと横に振る。一々人を馬鹿にしてくる仕草を見せるナルに、悪魔憑きの男の苛立ちはさらに増すことになった。


「お前っ! この僕を馬鹿にしているのか!?」

「おっと口調が乱れてるぜ。余裕がないんじゃないのかベイビーデビルちゃん?」

「このっ! 悪魔の力を得て人を超越したこの僕になんて口の利き方をしている!」


 ちっちっち、とナルは人差し指を左右に振る。どんな仕草も様になる、大スターだから許されたポーズだ。

 対して、悪魔憑きの男の心に余裕はなかった。どれだけ殺気を放ってもビクともしない目の前の男を前に、得体の知れない何かを感じ取っているのだ。

 何なのだこいつは! 何故怯えない! 普通の人間には悪魔の気配そのものが毒物のはずだ。ただ近くにいるだけで恐怖を感じるのが当たり前なのに、この男の余裕はいったい何なのだ!

 いくら考えても答えの出ない悪魔憑きの男は、短絡的な思考に陥る。すなわち、ごちゃごちゃ考えず、目の前の障害など殺して消してしまえばいい、というものだ。 


「もういい。たかが人間の相手なんか、いつまでもしてられるか……」

「たかが人間? はははっ、何を馬鹿な事を言っているんだい? というか、君は一体何度お馬鹿な事を言うつもりだよ。このままでは私はお腹が捩れて笑い死にしてしまうじゃないか。さあ、私の名前を言ってごらん?」


 悪魔憑きの男はレオナの傍から一歩離れると、一気にナルへ向けて飛び出す。二人の距離は約十メートル。普通なら数秒はかかるその距離を、悪魔憑きの男は一秒とかからず詰めた。

 ただの人間ならば、悪魔憑きの男は消えたように見えたかもしれない。腕を振り上げ、いつの間にか長く伸びた黒い爪でナルを切り裂こうと画策していた。


「死ね! ナル・バレンティア!」

「そう! 私の名前はナル・バレンティア! 誰もが認める世界的大スター(予定)のナル・バレンティアだ!」


 悪魔憑きの男の腕が振り下ろされる。

 瞬間、ナルの体を包むように赤いオーラが現れた。

 魔気――ラクトやグリアも使っていた、悪魔憑きやニードのみが扱うことの出来る、彼らの力の根源だ。その力は凄まじく、銃弾や爆撃を受けても傷一つ付かない出鱈目っぷり。

 事実、魔気を纏っていない悪魔憑きの爪は、ナルの体を傷付けることが出来ず、あっさり折れてしまった。

 その事実に驚愕の表情を浮かべる悪魔憑きの男。そして当たり前だと堂々としているのがナル。これだけで、どちらが優勢なのか一目でわかる光景だった。


「ふふふふふ。さあ、はぐれの悪魔憑きよ。覚悟はいいかい? こうして人に危害を加える以上、私は君に容赦はしないよ」


 そうしてナルは不敵に笑うと、悪魔憑きの男に向かって残酷な宣言をした。

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