第4章 トランが住む村

 目の前に現れた島は、一見するとよくある島のように見える。砂浜の先には緑色の草が生い茂り、少し奥には、ヤシのような木が群生している。砂漠のように暑いと言われていたが、見た目は決して砂漠ではなく、むしろ湿度が高い島のようにも見えた。九州か沖縄あたりの海岸にありそうな風景だ。

 船は砂浜に少しずつ近づいていく。あと数十メートルというところまで迫ったとき、唐突に強い風が吹き、船が大きく揺れた。

「わっ」

 アミは急いで縁につかまった。波が荒くなり、つかまらないで立っているのが難しかった。トランは座ったまま、目を細めて島をじっと見つめている。船は荒波に抵抗して、砂浜に近づく。普通なら、砂浜の近辺だけ海が荒れるのは不自然だ。

「あの、どうしてここで荒れるんでしょう?」

「ああ」

 トランは相変わらず島を見つめたままだ。その場にいるようでもあり、いないようでもある。

 アパラチカが外へ出てきた。

「相当、荒れてるね。ちょっと怖いくらい」

「ああ、そうか」

 トランは急にこの場に帰ってきた。海が荒れているにもかかわらず、杖を手に取ったので、アミは手伝おうとして手を放してしまう。ぐらり、と船が揺れ、アミはその場で倒れた。一方のトランはしっかりと立ち上がる。2本の杖と1本の足で、アミよりもしっかりと身体を支えている。

「大丈夫?」

「はい……」

 アミはどうにか立ち上がるが、つかまったまま、動けなかった。

「だれか僕たちを島に近づけたくないらしいな」

「魔法で遠ざけられてるんですか?」

 アミが尋ねると、トランはうなずく。

「だれかが追い払おうとしてるのでもなければ、この場所でこんなに海が荒れるはずがない」

 トランはキリっと表情を引き締めた。アミが見たことのない表情だ。普段は優しそうな丸顔が、その瞬間、真剣そのものになり、近寄りがたい印象さえ与えた。トランはその場で、長い<言葉>を唱え始める。アミが濡れたときの<言葉>の比ではなく、とても長かった。落ち着いた調子で唱えられた<言葉>は、鋭く力強い響きを持ち、さほど大きな声ではなかったにもかかわらず、海へ、そして島へも届きそうなエネルギーを秘めていた。

 波は相変わらず高く、一向に収まる気配はないが、どういうわけか、船の揺れはかなり緩やかになっていく。アミは、もう捕まらなくても立っていられた。

 トランの表情が穏やかになる。

「さあ、もう大丈夫」

 順調に島に近づき、碇を下ろす。

「バート、荷物の用意はできてる? 棚の薬品を全部、持ってきて。あと、そうだな。果物と野菜の残りがあったら、それも保冷魔法をかけて、持ってきて。傷んじゃうといけないから」

 トランの指示で、バートはトランの薬品の瓶をトランのリュックサックに詰め込んで、手渡す。果物と野菜は、バートの大きなリュックサックに詰め込まれた。

「アミは服を買わないといけないね。それから、僕の家で勉強に必要な本を用意しよう。文字の一覧と、初歩的な<言葉>が書いてある本があるんだ。僕たちが離れていた間に何か起きてないか、情報を集める必要もある。だけど、注意して。だれか僕たちをここに近づけたくない人物がいたみたいだから」

 草地を進み、ヤシが群生するあたりを通り抜けて、4人は民家や畑が見える場所へと入って行く。家は木や竹、藁などが材料になっている。隙間はありそうだが、玄関を開け放つほどオープンではないらしく、たいていの家の周りには、何かしらの囲いがつくられていた。

「ここって、治安、悪いのかな?」

 アミが少し不安そうに問いかけると、トランが肩をすくめた。

「ヴァーミアがいたからね。もともとは結構、みんな交流が盛んだったんだけど、ヴァーミアが暴れ出してから、こうなってきたらしい。少しずつ、ね。僕が生まれたときには、もう、こんな感じだった」

「ふぅん」

 アミは日本で放送していたニュースを思い出していた。

「そういえば、日本人が結構、入ってきてたと思うけれど」

「ああ、それは知ってる。僕たちも現代語を習ってたんだよ」

「あ、そうか」

 そういえば、それ以前は少し古い言葉を話していたようだった。

「トランさんは、すぐに話せるようになったんですよ」

「キミもじゃないか、バート」

「トランさんほどじゃないです」

「まあ、魔法には知性が必要だからね」

 アミは少し心配になった。アミ自身は大学で英文学を専攻していたが、特別、頭がいいわけではない。せいぜい中程度というところだ。トランはおそらく、この島でも、かなり頭脳派なのだろう。そう思うと、アミは自分が本当に魔法をマスターできるのかと気がかりになった。

「それで、今はどこに向かってるんです?」

「服屋だよ」

 トランが少し先を指さす。そこには、民家よりも少し大きめの建物があって、入口が大きく開いていた。外に2体のマネキンもある。

「最近は日本から、新しい種類の服を仕入れているみたいだよ。僕も少し違う服装に挑戦してみようかなぁ」

 トランは自分の服を軽くつまんだ。崩した和装のような服だ。

「そのほうが涼しいと思いますよ」

 アミは一応、そう言ったけれど、トランの洋服姿は悪くないのでは、と密かに思っていた。

 店内は日本仕様に見えた。棚、マネキン、男性用と女性用に分かれた服のコーナー。

「だいぶ変わったわね」

「ああ」

 アパラチカは少し驚いた顔をしているから、もともとは、こんな感じではなかったのだろう。アミは早く服が欲しくて、真っすぐ女性用の服のコーナーへ向かう。

「ああ、ちょっと待ってよ、アミさん。勝手にそっちに行っても、そんなにお金、持ってないんじゃない?」

 トランが追ってくる。

「クレジットなら……」

「しーっ! 黙って!」

 小声で制止される。

「ダメだよ、子どもの姿なんだ、使えるわけない」

「あ……」

 アミは肩を落とした。呪いが解けない限り、自分のお金さえ自由にならないと思うと、なんだか落ち着かなかった。

「それと、買うならカジュアルな服じゃないと。スーツで歩き回ったら、不審がられるよ。店員さんに頼んで、試着して、お金だけ払って、そのまま着て帰るんだ」

 アミはうなずくしかなかった。せっかく楽しいはずの服の買いものが、中学生ほどの年齢にしか見えない自分の姿のせいで、一気に憂鬱になる。ここへ来て、なぜかアパラチカの機嫌がよくなっていた。

「わたしも何か買おうかしら」

「アパラチカは細すぎて、合わないんじゃないか?」

 バートが脇から声をかけると、アパラチカは心外だというように顔をしかめる。

「デザインによっては、着られるわよ」

 適当なTシャツとスカートを選んで試着しようとすると、脇からアパラチカがアミをつついた。

「ちょっと、靴下が要るんじゃない? 中学生はナイロンのストッキングなんて履かないわよ。それに、スニーカーも」

 アミは固まった。ストッキングを履かないで生足を出せと言うのだろうか。でも、中学生のころは、それが当たり前だったはずだ。葛藤した挙句、アミはスカートを戻して長いジーパンを選ぶ。

「そのほうがいいの?」

「ストッキングが使えないなら」

 暑いのは、この際、仕方ない。

「仕方ないじゃない。中身は大人なんだから」

 アミはそう言ったけれども、外はジーパンには、暑そうだった。

「ここは季節なんて関係ないからね」

 アパラチカはそう言ったけれど、アミは無視する。

「下着も買わないといけないよ。アパラチカ、お金を預けるから、アミの服を買ってあげて」

「トラン!」

「僕やバートがアミの下着を見るのは、失礼だと思うから」

 アパラチカは不満そうに頬を膨らませる。

「レシートを忘れずにね」

 アパラチカは、どう見ても不満の表情だった。

「どうしたのさ」

 アパラチカは黙ったまま、拗ねたように横を向く。

「ねえ、だれか助けて。どうしたんだよ、アパラチカ。船からずっとこの調子じゃないか。アミに不満なのか? 僕にか?」

 トランは繰り返し問いかける。アパラチカは答えない。ただ表情だけが、少し悲しげになっている。

「うーん、困るんだよなぁ、そういうの。アミに大金を渡しちゃうと、不自然になっちゃうし」

「でも、そうするしかないんじゃないですか?」

 バートが横からそう言うと、アパラチカはトランが持っていた数枚のお札を、ひったくるように取った。

「わかったわよ」

 やはり機嫌は悪そうだ。アミはアパラチカと2人になりたくなかったが、状況を考えれば、他に方法はなさそうだった。

 黙ったまま、アミは必要な下着を次々と籠に放り込む。中学生のころの自分のサイズは把握していたから、服のサイズは問題ではなかった。中学生に戻ったつもりで選べばいい。そう思うものの、どう選んでいいかわからなかった。

 ふと、トランが着ていたような、和装が目に入る。

「あ」

 女性用の服で、いくらか華やかなその服は、いくつかの問題を解決してくれそうだった。

「それも手か」

 ただ、アミはこれまでに着物を着る経験なんてほとんどなかった。1人で着られるだろうか。試着室に持って行く。

「本当にそんなの、着るの?」

 アパラチカが少し不思議そうに尋ねる。アミは無視して着ようと試みる。思ったよりは簡単そうだった。後ろで締める帯のある服ではない。前に紐がついていて、それを結んで着るようになっている。

「帯なしの浴衣?」

 少し違うらしい。紐は腰のあたりで結ぶけれども、胸の下の部分で、細い飾り紐を結ぶようになっているようだった。

「あ、うん。このほうが安全かも」

 それを着て帰ることにした。

「こういう服のほうが、涼しいかと思って」

 アミがそう言うと、合流したトランとバートもうなずいた。

「それだとストッキングとか必要ないね」

「そう」

 そこがポイントだ。それに、大人も子どもも、そんなに大きく違って見えない。

「ジーパンも買ったの? 戦うかもしれないから、動きやすい服も要るかもしれないよ」

「戦う?」

 ジーパンとTシャツは買っていたが、トランの言葉に、アミは急に不安になる。

「ほら、ヴァーミアの件があるから。この島で何をするのか、忘れたわけじゃないでしょ?」

 アミはうなずいた。そう。元の姿を取り戻さないといけない。それから、アパラチカの名前を探さないといけない。

「大丈夫です、ちゃんと買ってあります」

「アパラチカ、レシートとお釣りを」

 アパラチカは黙ってポーチをさし出す。トランが立ち止まったので、アミたちも止まった。トランはポーチからお金を取り出す。ざっとレシートとお釣りを確認すると、ポーチをアパラチカに返した。

「ありがとう」

「いいえ。お礼を言うべきなのは、あなたじゃないわ、トラン」

「ありがとうございます」

 アミはそう言ったが、どこか理不尽な感じもしていた。

 4人はトランの家に向かって歩き出す。民家が立ち並ぶあたりを通り、少し丘になっている道を登っていたとき、近くの民家から男性が1人、姿を現す。

「あれ、トランじゃないか!」

「やあ、カイル。もしかして、船を近づけないように、何かした?」

「ああ、悪かった。あれは俺だよ。ヴァーミアかと思ったんだ」

「ヴァーミアがどうしたって?」

「ん、知らないのか? 日本からこっちに向かってるって話だ。お前を追ってきたのかもな」

「ああ、なるほど。そういうわけか」

 トランは少し考えるような素振りを見せる。

「最近、このあたりで他に何か起きなかった?」

「ん、いや、特には。ヴァーミアがいなかったから、平和だったよ」

「そうか」

「しいて言うなら、日本人の取材班が来たり、なんか家をもう少し住みやすくしようって計画してる人たちが来たり、いろいろ忙しくしてたけどね。あとほら、空港を整備しようとか。村の人たちは反対してたけど。昨日の夜、ヴァーミアがこっちに向かったって聞いて、民間の人たちは、慌てて帰って行ったよ」

「そうか」

 トランはうなずいた。

「情報をありがとう」

「いやぁ、お前のお陰でおもしろい経験させてもらってっからな」

「何の話だ?」

「ほら、島を封印しただろ。あれがなかったら、この時代を生きるなんて、無理だったから」

「ああ」

 トランはどこか居心地悪そうに視線を逸らす。

「ほら、近代的な建物をつくろうとしてるだろ、あのへん」

 アミは指さされたほうへ視線を向ける。その視線の先には、商業施設の工事中らしい看板や、アパートを建てようとしているらしい囲いなんかがある。

 民家の工事はほとんど進んでいない。まだまだ時間がかかりそうだ。

「俺たちのだれかが魔法で助けられれば、もっと早く進むんだろうけど、いかんせん、だれもそんな建物、見たこともないんで、なんて<言葉>で話していいか、わからないんだよ」

「だろうな」

 トランも同意する。

「自動車なんかは入ってきたのか?」

「自動車? ああ、あのテレビによく映ってる機械か。いや、テレビや冷蔵庫は入ってきたけどな。道路もまだ、ほら、十分な舗装じゃないし。それに、この島自体が、そんなにバカでかいわけでもないしな」

 アミもうなずいた。畑やなんかはあるものの、これまで見てきた村の住宅は数えるほどで、あとは家畜が少しいるかもしれないが、それ以上ではない。

「その<言葉>っていうのは、だれでも扱えるんですか?」

 アミが訊いてみると、カイルはうなずいた。

「人によってレベルの差はあるけど、<言葉>はだれでも知ってるさ。お嬢ちゃん、いくつ?」

 アミは戸惑った。

「ああ、その、ちょっと事情があってさ。この子の年齢は訊かないでやってくれる?」

 トランが割って入った。

「それと、大人だと思って話していいから」

「え、じゃあ、ヴァーミアか?」

「まあ、そんなとこだよ」

「お気の毒に」

 憐れむような視線を向けられ、アミは居心地悪く感じた。

「ところで、妖精資料の隠し場所なんて、知らないよな?」

「ああ、例のやつか。いや、知らない。必要なのか?」

「そうなんだ。ヴァーミアに見つかる前に、手に入れないといけない」

「悪いけど、俺は知らないよ。だれが知ってるかも、わからない」

「まあ、だよな」

 トランは特に疑問も持たない様子でうなずく。

 アミは荷物の重みがそろそろ手に負担をかけていたので、早くどこかにそれを置いてしまいたかった。片脚のトランには頼めない。バートのほうをちらと見ると、それに気づいてか、バートが脇から手を出した。

「手伝ったほうがいい?」

「できれば」

「もちろん」

 バートはあっさり荷物を引き受けてくれる。アミは重みから解放されて、軽く肩をほぐした。

「ありがとう」

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