アミたちは再び歩き出す。トランの家は丘の上だった。他の人たちと同じように、木や竹、藁でできた家は、それまで見てきた家よりも少しだけ大きく見えた。

 囲いの扉を開き、その中に入る。囲いの内部は庭で、植物が植えられ、飛び石がある。

「なんだか古い日本の庭みたいですね」

「ああ、ちょっと近いかもね」

 だが、隙間だらけで風が通る家は、アミが知っている家のどれとも違った。昔のおばあちゃんの家だって、砂壁やふすまはあったとしても、こんなに隙間だらけではない。

「暑いからだよ。窓の代わりだと思えばいい。この地域には、冬がないんだ」

 トランはそう言った。家にはガラスの窓はない。

 靴を脱いで家に上がる習慣は、日本と変わらないらしい。バートはトランが靴を脱ぐのを手伝う。

 床こそ木で組まれていたものの、茣蓙が敷いてある。それも、アミが知っている茣蓙ではなく、部屋全体に敷く絨毯のような代物だ。その上にテーブルと座布団が置いてある。

「虫が入ってきそう」

「ああ、そう見えるかもしれないね。だけど、そういうところは薬でカバーするから、問題ない」

 船の棚で見た、妙な名前のラベルたちを思い出し、アミは肩をすくめる。そういえば、薬を持って来たんだった。

「さて、薬を片づけないとな。ああ、それと、アミには本だよね」

 トランが自分のリュックサックを持って、部屋を出ていく。ドアさえないらしく、部屋の仕切りに、ただ人が通る枠があるだけだった。

 トランはすぐに戻ってくる。手には本と杖。杖は片腕で持っているが、先が木なので、茣蓙を傷めそうだった。

「この床に杖じゃ、傷めそう」

 アミは思わず呟いた。

「そうだね。そこは確かに、難点だ。杖の先がもう少し柔らかいほうがいいかも」

「それか、床を日本の病院の床みたいな素材にしちゃうなんての、どうです?」

「暑いよ」

「そっか」

 提案に失敗したアミの脇で、バートが肩をすくめた。

 アミはバッグからノートとペンを取り出す。本の頭のほうをめくってみると、文字の一覧があった。あ、い、う、え、お、という日本の母音と同じ音以外に、子音の文字がある。

「発音を教えないとね」

 トランが子音の発音を教えてくれる。その子音は、ローマ字のアルファベットの組み合わせのように、その母音の文字とくっついて、一つずつ音をつくっていく。ただ、その中には、元来、日本語の音にはない、ヴぁ、のような音もあった。反面、ただ単に子音だけで終わる音は、「ん」以外ではなさそうだった。

 アミは対照表をつくり、いつでも文字を照合できるようにした。アルファベットに置き換えると、比較的わかりやすく整理できた。

「でたらめに文字を繋げて発音しないでね。何が起きても、責任取れないから」

「はい」

 日本語の文字列は大丈夫なんだろうか。アミは少し不安になる。

「まあ、偶発的に正しい<言葉>を繋げるっていうのは、かなり稀だと思うよ。<言葉>は一文字でも間違ったら、発動しないし」

「あれ? でもトランさん……」

「違う、あれは繋ぐ<言葉>そのものを間違ったんだ。自分を封印しないっていう要素を途中に挟まないといけなかったのに、うっかりして抜けてしまったんだよ」

 アミは苦笑するしかなかった。

「結構、ほら、長いから。うっかりすると抜けちゃうんだ」

「書いて、それを読むのじゃ、ダメなんですか?」

「いや、それでもいいんだけど、そのときはヴァーミアが攻めてきてて、慌ててたからさぁ」

 アミは黙って本を見つめる。文字の一覧は手に入ったが、見た印象では、かなり覚えづらそうな文字だった。ハングルほど画数はないが、日本語のひらがなのように、くねくねと曲がっているのだ。

「さ、そしたら今度は、情報収集だ。村の長老とか、権力者に話を聴きに行かないと」

 丘を下り、途中を流れる川にかかる、木の橋を渡る。ハイビスカスが咲いているあぜ道を通り、少し民家が増えてくると、その先に、いかにも他とは差がある大きさの家があった。

「あそこだ」

 野生らしいパイナップルとサトウキビが生えている。長老の家の周りには、カカオの木が何本か生えていた。他にも、アミが知らない植物がたくさん生えている。少し離れたところには、川の水が溜まったのか、池になっているところもある。睡蓮がたくさん浮かび、その向こうには広葉樹が見える。

「ここって沖縄より南なんですか?」

「ああ、そうだよ。もう少し赤道寄りだね。それにほら、ずっと東のほうだ」

 村の長老は、女性だった。全体が白い髪の毛、細い目、少し色の黒い肌、日本から支給された車椅子に座っていたものの、その女性はまだまだ元気そうだった。アミはアパラチカの真名を探すため、妖精と一緒にここへ来たと伝えた。長老は耳が悪いらしく、大きめの声でゆっくりと話さないと、伝わらない。少し伝わりやすいように、硬めの言葉で話しかける。

「妖精の、資料を、探しております」

 だが、長老は知らないようだった。何度か言い方を変えても、資料は存在するらしいが在処は知らない、という返答だった。

「無駄だよ、行こう」

 トランに促されて仕方なく、お礼を述べてその場を後にする。手がかりにならなかった。存在するという事実は確かめられたけれども、アパラチカがそんな危険な資料の存在を認めているのだから、あるに決まっていた。

「まあ、こうなるってわかってたんだけどね」

 トランは肩をすくめている。

「知ってるわけないよ。もしあんな女性の長老が知ってたら、とっくにヴァーミアの餌食になってる」

「え?」

「あんな弱い人が知ってるわけないんだ」

「そ、そうなんですね」

 言われてみれば、当然だった。アミはどうして気づかなかったのかと不思議に思う。ヴァーミアが資料を手に入れれば、簡単にアパラチカを殺せるとわかっている。それなら、弱い人が知っていては、まずいに決まっている。

「もともと、その資料をつくったのは人間だけど、僕みたいな魔法使いだったらしい。もっと経験豊かな。それで、その魔法使いは島の人々だけじゃなくて、妖精たちにも恐れられるほどの存在だったっていう話だから、悪意を持った魔法使いも、手を出せなかったんだと思う」

 目の前を大きな蛇が横切り、アミは一瞬、息をのんだ。

「あ、あの……」

「静かに。音を聴いて近づいてくるから」

 トランが声にもならないような声で囁いてくる。蛇の動きは非常にゆったりとしていた。太さはだいたい10センチほどあり、体長が長い。毒がなくても、巻きついて絞め殺すタイプだ。

「僕に任せて」

 トランは前のほうへ手をかざす。小さな声で、アミはうまく聞き取れないが、<言葉>を唱えているのは明白だった。

 蛇はゆっくりと向きを変え、池の奥の広葉樹のほうへ向かっていく。

「どうしてあんなところにいるのか、不思議なくらいだ。普段は茂みのほうにいて、こっちには出てこないんだが」

「ヴァーミアね」

 アパラチカが言った。だが、ヴァーミアはトランが日本を出てから追ってきたという話ではなかっただろうかと、アミは疑問に思う。

「え? でも、まだ早いんじゃ……」

「いや。あの人なら、あり得るよ。さっきカイルも警戒してただろう」

 アミは肩を震わせた。

「そういえば、そうでしたね」

 もし既にヴァーミアが到着しているなら、のんびりしている場合ではない。

「昼食を済ませたら、政府の要人たちに会いに行こう。ヴァーミアの件だってわかれば、あの人たちだって、のんびり喋ってるわけにはいかないはずだ」

 日本の民間人たちが去ってしまったというのは、どうやら本当らしかった。民家と民家の間、脇道なんかに建てられた空っぽの小屋が、ところどころに散らばっている。潰れたカラフルなテントらしき物体が、村の中心地のはずれに、バラバラと置いてあった。

 屋台も見当たらないので、食事をするために、4人はいったん、トランの家まで戻らなければならなかった。出された食事は、トウモロコシや豆、果物やココナッツ、あとは魚介類の食事だった。

「ご飯は食べないんですか?」

「食べないわけじゃないけど、ほとんど輸入品だね。ここは年中熱くて、寒暖差があまりないから、お米がおいしく育たないんだよ」

 政府の要人たちに会うには、長老の家へ行くのとはまた、違った道のりを通る。先ほどは南東へ向かったが、今度は北のほうだった。コーヒーとサトウキビの畑と民家のある道を抜けて、村のコンビニのような店の前を通り、魔法薬品と書いた看板の店の前を通ると、もう目の前だ。

 建物は大きな囲いに覆われ、相変わらず隙間の多い建物のようではあったが、声が筒抜けにならないような魔法でもかかっているのか、まったく声は漏れてこなかった。

「さて、交渉するか」

 トランは議会の真っ最中にもかかわらず、建物の中に入って行く。アミはバートと顔を見合わせた。

「追ったほうがいいよ」

 バートに言われて、アミは仕方なく建物に入る。議会の場だからか、さすがにドアがある。奥に議会場があり、その手前に、各種事務・受付をしているらしい男性が立っていた。

「……ですから、今は会議の真っ最中でして……」

「わかってる。だが、ヴァーミアの件で緊急の打ち合わせが必要なんだ。このままだと、ヴァーミアに世界を乗っ取られる」

「そ、それは……」

「議長に話を通してくれ」

「しょ、承知しました」

 受付のスタッフが戸惑いつつも、議会場に入って行くのを、アミたちは黙って見届けた。

「よく話を通せますね」

 アミはトランに声をかける。

「当たり前じゃないか。だれだって、ヴァーミアに乗っ取られるのは、ご免なんだ。この村で生きてきた人間なら、だれだって、あの女を鬼のようだと思ってる。あんなやつの好きになんか、させるものか」

「そ、そうなんですか」

 トランの言葉は過激だったが、冗談を言っているようには聞こえなかった。

 受付の男が戻ってくる。

「議会は中断するそうです。どうぞ、好きなだけお話しください」

「ほらね」

 トランはほんの一瞬だけ軽く微笑んで見せ、3人を促して中に入って行く。アミたちも一緒に入った。

 アミが想像していたような部屋ではなかった。日本の国会議事堂とはまったく異なるつくりだった。椅子と机こそ並んでいたが、椅子は竹を編んだような椅子で、人数もさほど多くはなかった。せいぜい20人程度だ。

 トランが忙しそうなので、アミはバートに問いかける。

「この村って、何人くらいいるの?」

「えっと、島全体で300人くらいってところかな」

 バートの返答に、アミは言葉を返せなかった。そんなに少人数では、戦争だって避けたくなるかもしれない。

「それでも独立国家なんだ」

「ああ、まあ、ね。一応、独立してる。ほら、例の妖精をも操った人がいたんだけど、その人が以前、島の長を務めていて、日本政府ともうまく交渉してたからね」

「すごい人なのね」

「実はトランさんのおじいちゃんって話だけどね」

「え?」

 アミはトランを振り返る。ただ、トランは政府の議長と話していて、アミとバートの会話は聞いていないようだった。

「……で、その場所を知りたいんですけど」

「いや、それは……たぶん、キミが把握してなかったら、だれも知らないと思うんだが」

「だれか、そういう場所を探し出せる魔法を知らないでしょうか?」

「さあ、そんな話は聞いたこともないね」

 トランの思惑どおりには進んでいなかった。議会を中断して全員に質問するようにトランが頼んでも、結局、だれも情報をつかんでいないとわかっただけだった。

「ダメだね」

 トランは肩をすくめた。

「なんとか探し出すしかない。だけど、どこをどう、探せばいいのか、僕にもさっぱりわからない。アパラチカ、何か聞いてないかい?」

「ごめんなさい、トラン。本当にわたし、知らないの。記録を残したのは覚えてるんだけど、それをどこに保管したかなんて……」

「ああ、いや。仕方ないよ。本当は僕が知っているべきだったんだ」

 アパラチカが笑顔を見せる。どういうわけか、アミは少しだけ落ち着かない気分になった。

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