22.結末

 深い眠りから覚めゆっくりと目を開くと、薄暗い闇の中で白い天井が見えた。布団の中でもぞもぞとひとしきり悶えたあと、円形の模様が彫り込まれた正方形の天井板が敷き詰められた天井を呆然と眺めながら、健二は昨日のことを思い出した。




「それでは停戦は成り立ったのですね。いや、お見事です」


 カトラリアの王都であるフレテンスに入り王城へ足を踏み入れると、それを待ちわびていた様子でやってきたシューベンタルトは、高らかな笑いで満足げに何度も頷く。


 両手を広げ、抱きしめようと迫ってきたシューベンタルトを健二は緩やかに躱す。この男の性格から、何かしら耳障りな声を掛けてくると予感していたが故の結果だった。


 そんなシューベンタルトをスノウは、横目で苛立たしげに睨み付けている。どうにも、正反対のこの二人が仲良く団欒しているイメージが湧かない。二人が啀み合わずに、冷静に会話をするときは来るのだろうか。


 そんなことを漠然と考えていると、シューベンタルトが無邪気な笑顔を貼り付けて健二に顔を近づける。今にも裂けそうな、上気した笑顔の気圧され、健二は思わす後退る。


「それで、なぜこちらへ」


 満面な笑顔からすうっ、と真顔に戻ったシューベンタルトが、スノウに尋ねる。


 先日の停戦協定から数日が経過し、素案をもとに両国の代表が熟考し原案を作成しているのだという。数日もすれば原案を基に停戦協定が成立する。


「決まっている。私はハディの使節としてこの国にいるんだ。女王の許しも得ている。君にとやかく言われるいわれはない」


 苛立たしげな表情で吐き捨てるように言うスノウの言葉に、シューベンタルトは傷心したように、しゅんとした素振りを見せる。だが、それが無邪気に戯けていることは明らかで、スノウの感情を逆撫でする。


「君という奴は、いつもふざけているのか」


「まあ、笑いこそが私の信念ですからね」


「君の笑いは、相手を苛つかせるだけではないのか」


 スノウの言葉に、シューベンタルトは一瞬硬直したあと、疑心暗鬼になったのか、健二に何かを求める表情をする。どうやら、スノウの言葉を否定してほしいらしい。自分の信念で、笑いを誘った会話を心掛けている、というある種の使命感を抱いているようだ。だが、シューベンタルトとの会話は笑いを誘われる、というより疲労感と焦燥感が募るだけで、聞き手からすると迷惑以外の何ものでもない。


 健二はスノウに賛同するように、シューベンタルトに頭を振って見せた。すると、シューベンタルトは絶望したようにうなだれる。


 硬直したままのシューベンタルトの横を通り過ぎ、二人は広間を抜け廊下を歩く。


「スノウはこれからどうするの、何気なしにカトラリアの王都まで来ちゃったけど」


 平原から数日が経ち、何となしにスノウも同行する流れとなり、遂には王城に招かれるまでになってしまった。女王はスノウが王城に立ち入ることを気に留めず、意外にも歓迎している様子だった。


 女王の後ろ盾を得たスノウは、敵国の中枢で堂々たる足取りで進んでいく。ここまで自信ありげに廊下を進むスノウの姿を見た官吏たちも、敵国の者が侍女も連れ立たず、廊下を闊歩しているとは想像だにしないだろう。


 健二は用意された一室に入ると、ベッドに飛び込む。これまでの起きたことの全てが目まぐるしく、世界の運命を左右しかねない場面を自分の秘められた力が、傾きかけていた憐憫の重りを載せ替えたようにあっさりと変えてしまった。あの場面を思い出すと、自分の力が恐ろしくなり身震いする。


「これで、君はこの世界の救世主だ。どうだ、嬉しいか」


 ベッドに倒れ込んだ健二の背後から、スノウが呟くように語り掛ける。スノウも疲労からなのか、その言葉に活力を感じられない。更に、スノウは言葉を続ける。


「――それとも、君には荷が重すぎたか。この世界の運命を変えてしまうその力を君はどう扱う」


 スノウの言葉がなぜか嫌味に聞こえてしまい、健二はふて腐れる。


「俺はもうこの世界に未練なんてない。少しでも早く家に帰りたいんだよ」


 健二の言葉に、背後に立つスノウは鼻で笑う。


「――それはどうかな。君はきっとこの世界が恋しくてたまらなくなる。少しの間ではあったが、この世界で生き残るために奮闘した。この世界で経験したことは、君にとって大きな意味になっているはずだ。色んな意味で、この世界での繋がりもできたことだしな。きっと、数年もすればこの世界が懐かしくてたまらなくなるさ」


 そう言って戯けるように肩をすくめると部屋を出て行く。


「どこに行くんだよ」


「君を送り届けたから、一度スエーデンに戻る。ハディから色々聞きたいこともあるしな」


 そう言い残すと、足早に去ってしまった。健二はスノウの後ろ姿を見送ることもできず、脱力と共に暗闇へ落ちていった。




 スノウがハディのもとへ向かってから数日が経ち、日がな一日をだらけて過ごしたり、王城の周囲を散歩するだけの日々を送っている。今朝もベッドから這い出すと、遅めの朝食を口にする。


 席に着くと、目の前には、一人では到底食べきることができない量の食べ物が、数多くの大皿に盛られて並んでいる。


 健二は深々とため息を吐く。これだけの量の食べ物を自分一人で口にするのは当然無理だが、それ以上に、人恋しさを感じていた。カトラリアの中枢である王城の中を探せば、女王やシューベンタルト、ジラルモの姿を目にすることはできるかもしれない。だが、どちらもこの国の重要な地位に就いている人物ばかりだ。


 幼児まがいに皆を食卓に誘い、団欒しながら食事を楽しむことを強要することはできなかった。だからといって、この退屈で無情な状況を黙って享受しているつもりもなかった。だが、健二の身柄はカトラリアとスエーデンのどちらにとっても最重要であり、その身柄の安全がこの世界の安全となり得る。万が一、健二が何者かに攫われでもすれば、両国の火種が再燃しかねない。故に、女王は王城の中で最大限にもてなす一方で、軟禁状態ともいえる扱いをしているのだ。王城から抜け出し、街から出歩くなど許されるわけがなかった。


 スノウがハディのもとから戻ってくるまで、つまり家に帰るまで、この状況を受け入れなければならない。日々の退屈さに辟易し、自分が籠の中の鳥である感覚覚え始めていた。


 ゆっくりと朝食を口に運んでいると、侍女が部屋の扉を叩く。それに応えると、勢いよく両開きの扉が開く。そこにスノウの姿があった。


 スノウは健二が座っている食卓の真正面に座ると、取り分けるために盛られた食べ物に手を伸ばしてひとつ摘まむと口に放り込む。


 食卓に置かれていた水桶から杯へ水をなみなみに注ぐと、ゆっくりと喉を鳴らして飲み干す。


「もしかして、不眠不休で戻ってきたの」


 よくよくスノウの姿を注視すると、普段から乱れている服装は不潔さを増し、顔にも疲労の色が顕著に表れている。うなだれた様子で椅子に全身を預けたスノウは、無言のままぞんざいな手つきで食べ物を手にすると次々と口に運ぶ。


 ひとしきり食べ続けたあと、再び水を杯に注ぎ食べ物と一緒に流し込むと、一息吐いて健二を見据える。


「別にそんなことはないが、ここ数日は満足に食べていなかったからな。少し腹が空いていただけだ」


 何となしに言うスノウだったが、スノウがスエーデンに発ってから戻ってくるまでに一週間ほどだった。馬でも二週間弱の道程をこの日数で駆け戻ってきたことからも、かなり急いで往来したことがわかる。


「それで……」


 休息を終え、再び食べ物を口に入れながらスノウは言葉を続ける。


 スノウによると、停戦協定の合意を受け、スエーデンの国内は慌ただしい様相を呈しているのだという。スエーデン国内に広がる各地対カトラリア戦線への伝令にはじまり、国内の官吏たちの説得。反対派への圧力など、一時は奔走したハディだったが、意外にも国内では大きな混乱はなかったのだという。ハディが天神を顕現したというねじ曲げられた事実を信じた官吏たちは、難色を示していた者たちも含め、ハディが持ち帰った停戦協定の素案を基に、今後は本格的にカトラリアと停戦に向けて動いていくという。


 スノウによると、ハディの思惑としては、天神が現世に出現し、それを顕現した自身への求心力を高めようとしたらしい。ハディの求心力が高まれば、それだけ発言力が高まる。反発する者たちの力を削ぎ自分の立場を優位にすることで、円滑な国政の方向転換を容易にしたのだ。


 スノウにはハディから勅命が下り、停戦協定の締結後に国内外へ赴き、スエーデンの現国主が天神の顕現をした布教することになったらしい。国内だけではなく、国外にも自身の影響力を高め、強国の印象を高めたいようだ。


 その一方で、ハディが気を揉んでいる一件があった。それは、先日の攻撃中止の命令を拒否した飛行船の一件だ。飛行船を指揮していた司令官は、健二も一度樹海で会っていた者だった。スノウとも犬猿の仲を思わせるあの男。センドリクスが指揮した飛行船が、攻撃中止の命令に従わず、樹海を延焼させた。


 飛行船が墜落したあと、センドリクスの捜索が行われたが、その姿は忽然と消え行方不明のままだという。スエーデンでは、センドリクスが反逆した可能性を視野に捜索を続行しているとのことだ。


 スノウはひとしきり食事を堪能したあと、暫く黙り込んで目を瞑っていたが、ゆっくりと目を開けると立ち上がる。乱れた服を整え健二に向き直ると、静かな笑みを浮かべて言う。


「準備できているか」


 スノウの言葉に、健二の浮ついた気持ちが高ぶる。この数日間、待ちわびていた時がようやく訪れたのだ。


(やっと、家に帰れる……)


 心の中で言葉を噛み締め、健二はスノウに真っ直ぐな視線を向ける。


「俺はいつでも大丈夫だ」


 健二の返答に、そうか、と軽く頷く。

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