21.目覚め

 天幕から出て東の空を見上げると、遙か向こうに小さな点が見えた。飛行船だとすぐにわかった。樹海の上空をゆっくりとした速度で弧を描くように巡航している。船体の腹部が大きく開き、そこから爆弾が投下されているのが見えた。


 爆破によって、樹海が燃え、赤々と吹き上がる炎と黒煙が立ち上り、西風に乗って棚引いている。あの白昼夢が真実なのであれば、守護者が言っていた通り、飛行船の目下に泉の姿が露わになっているはずだ。魔法によって隠蔽されていたはずが、結界の要となる周囲の木々が燃えたことによって、今となっては格好の標的だろう。


「あそこに泉が」


 スノウが飛行船を睨み付け、憎々しげに言う。一刻も早く飛行船を止めなければ、泉は破壊され、世界の破滅が始まる。だが、ここから見えているというのに、飛行船を止めることができないことに苛立ちを覚える。


「スノウ。お前が精霊王だというのなら、この状況を好転させる術を持っているはずだろう」


 ハディは平静さを保った面持ちだが、その口調から焦りと必死さが伝わってくる。確かに、泉の真実を聞かされてすぐに、世界が破滅の危機にあることを目の当たりにすれば当然だろう。


「残念ながら私にできることはない」


 その言葉を聞いたハディは、苛立たしげに唸ると足下にあった木の樽を蹴り飛ばす。


 この場にいる自分にも、出来る事はないのか。健二はもどかしい気持ちを抑えきれず、全身に力が入る。あまりにも強く握りしめた拳に痛みを感じながら、ばっこするがごとく空を横切る飛行船を見つめる。


『さあ、我を顕現せよ』


 唐突に、どこからともなく誰かの声が頭に響く。頭の内側からこだまする不思議な感覚に驚くが、すぐにそれが泉の守護者たちが、意思疎通を図るのと同様のものだと理解した。だが、複数人が共鳴するように語る守護者たちの『声』とは違い、通りの良い、低く落ち着きのある太い声だ。


 健二は声の主の正体が何者かが理解できず、困惑する。ふと、スノウに目を向けるが、スノウの様子は至って普通だ。この声が聞こえるのは、自分だけなのだと健二は理解した。それと同時に、なぜこの声が自分に向けられているのか、その意図を理解できずに、困惑する。


『ドライアドが申したように、汝には我を顕現する力がある。汝が望めば我は汝と共にある』


 言葉や口調から、声の主は健二に敵対心を向けていないことはわかる。だが、健二にとって謎の存在であり、唐突として頭の中で語り掛けられた圧力が、健二の不安を助長する。


 ふと、健二の中で『ドライアド』という存在と守護者と結びついた。守護者というのは役割であって、種族は森を守るドライアドという精霊なのだろう。だが、ドライアドと共にある、とはどういう意味なのだろうか。


 白昼夢の中で守護者が口にしていた、天神を顕現し使役しすることで、世界の平穏と秩序を守るという義務、という言葉を思い出した。声の正体が守護者のいう『天神』という存在なのだとすれば、以前にスノウから聞いたスエーデン王国の建国聖書に出てくる存在だということになる。だが、なぜ天神は自分との繋がりを求めるのだろうか。そもそも自分と何の関係があるのか。そんな事を思い巡らせてみたが、この状況で、余計な思考を巡らせている余裕はなかった。


 健二はとりあえず、と天神との繋がりを結ぼうとする。だが、どのように結ぶかわからず、ただ混乱する。早くしなければ泉が完全に破壊されてしまう。そう思って焦りは増すばかりだった。早く繋がりを確立せねば。そう思ったとき、頭の血の気が引くような感覚を覚える。


 すうっと、頭部から全身にかけて感覚が薄れていき、一瞬の意識喪失のあと、心地よい浮遊感の中にいた。気付いたときには地上は遙か眼下にあり、何かに引き寄せられるように健二の視点は上空へ駆け上がる。


 厚みのある雲を抜けると、視界の限りに広がる快晴が広がる。真っ青な空の眼下に、密集した雲の群れがある。飛行機に乗ったときに窓から目にしたのと同様の風景が、自分の足下に広がることで不思議な感覚に、違和感を覚える。


 空の風景を堪能する暇も無く、視線は急降下し雲を突き抜け、地上に向かって急速に落下する。


 風景の全てが霞み、視界が一点に絞られる。周りへ注意を向けられず、ただ目の前の一点に集中することしかできない。次第に地面が近付く。必死に上体を起こし、空気抵抗でブレーキを掛ける。大きく腕を広げると、思い通りに身体の体勢を変えることができる。


 地面すれすれで体勢を立て直し一気に上昇する。ここで樹海の上空に浮かぶ飛行船が目に入った。そのとたん、抑えきれない衝動が全身を駆け巡る。飛行船の前に躍り出ると、船体に足を掛け、横向きに引きずる。空中で船体の安定を失った飛行船は、大きく横殴りになる。


 飛行船を引きずる自分が、玩具を振り回す幼子になった気分になる。樹海の上空から平地まで引きずったあと、乱暴に地面へ叩き付ける。


 地面に衝突した衝撃で、動力を失った飛行船は完全に沈黙する。飛行船から乗組員らしき兵士たちが、這い出てくると、健二を見て怯えた様子で逃げていく。恐れをなして逃げ惑う兵士たちに優越感と高揚感を浸りながら、健二は再び上空に上がる。


 樹海の火の海にのみ込まれ、もんもんと立ち上る火柱と黒煙が立ち込めている。健二は樹海の真ん中へ移動する。考えるより先に身体動き、何をすべきかがわかっていた。深く息を吸い込み腹に力を込めると、一気に吐き出す。すると、口から靄のようなものが吐き出され、意思を持っているかのように、樹海を包み込むように広がる。


 靄が樹海を包み込むと霧が掛かったように視界が不良になる。すると、たちまち激しく燃え盛っていた炎は沈静化していく。炎が沈下しただけではなく、焼け焦げた木々や立ち込める焦げ臭さもまるで消え失せ、いつの間にか爆撃によって燃えたはずの樹海は、以前の荘厳で静寂な姿を取り戻していた。衝動はいつの間にか落ち着きを取り戻し、ふと我に返る。自分がどんな状況にあるかが気になり、健二は自分の身体を舐め回す。だが、そうすると、何かが割れたような甲高い音が頭の中で響くと、意識が飛んでしまう。最後に感じたのは、地面に吸い寄せられるような奇妙な感覚だった。


 意識が遠のき、はっと我に返ったとき、健二は地面に膝を突き、肩で荒く息を吐いていた。身体中から汗が噴き出し、熱が籠もった身体に身震いして立ち上がる。


 周りの者たちが、奇妙なものを目にするように、自分を訝しげに見つめているのがわかった。健二は助けを求めてスノウを見る。この状況でも、スノウなら何らかの説明ができるかもしれない。だが、その期待は即座に打ち砕かれた。スノウも驚きを隠せない様子で健二を凝視して言う。


「君は一体……何をしたんだ」


 その目が驚愕とも拒絶ともとれることを物語っていることに、健二は不安になる。あの瞬間に、自分に何が起こったのか。何とも言えない高揚感と優越感。何者にも侵害されない『力』を手にした気分なった。それを思い出すだけであの感覚が蘇る。


「俺もよくわからなくて。身体が軽くなって、空を飛んでる気分にはなったけど……俺に何が起きたの」


 状況を上手く理解できずに困惑していると、女王が口を開く。


「あなたは何かに引きずられたように無意識の状態になっていたのですよ。あなたは天神と同調していたのだと思います。そうでなければ、束の間ではありますが、あなたの魂が身体から不在になった理由の説明ができません」


 そう言った女王の口調から、抑えきれない興奮が伝わってきた。震えた声が、天神という存在に特別な感情を抱いていることがわかる。


 天神はスエーデンの初代国王であるバタルが、繋がりを持っていた以来、歴史上で存在が確認されていない。天神と繋がりを持つ者の出現。それが、どれだけの衝撃になるのか健二は理解していなかった。


 健二は奇妙な体験を思い出しながら、自分に何が起こっていたのかを徐々に理解し始めていた。


 空を飛んでいた感覚は確かに本物だった。予兆を告げる白昼夢などではなく、奇妙な体験ではあったが、風を切る感覚や自分の意思で自由に空を駆け、滑空することができる。何者にもその自由を犯されない鳥になった感覚だった。実際には、鳥よりも遙かに巨大な生物と感覚を共有していた。まさに、天神と同調していた。


 それを理解したとき、健二の中で驚愕と疑問が浮かんだ。自分のいた世界では、架空の生物として描かれるドラゴンが、本当に存在していたことに驚いた一方で、自分が天神と繋がりを持ったことに疑問が浮かんだ。自分はどういった理由で天神に選ばれたのだろうか。そもそも、この世界に連れられてきたのは、精霊王の候補、としてのはず。自分の存在が天神とどんな関わりを持っているのだろうか。


「なぜ君が天神と繋がりを持っているんだ」


 不可解な状況に困惑している他の者たちの痛いほどの視線に耐えきれず、健二は逃げるように身を屈める。


 無力であり、この世界に留まる理由さえなかった自分が、この世界の人々を脅かす存在に成り得るのか。驚異的な力を手にした自分に対して、人々はどんな反応を示すのだろうか。


「わかんないよ。気付いたときには、空を飛んでて。訳がわからないうちにあんなことに……」


 健二の言葉に、その場の者たちが沈黙する中、ハディがおもむろに口を開く。


「提案なのだが……先程の停戦の件に、追加の条件がある」


 その無表情の仮面の下で、何かしらの思惑が潜んでいるのは明らかだった。停戦はカトラリア側にとっては、何よりもの念願であり、要求を拒絶できないことを知っていながら、あえて提案、という体裁の良い形を取りたがるところに、ハディのしたたかさが垣間見える。


「追加の条件というのは、どういうことですか」


 ハディの言葉に、女王は眉根を寄せる。傲慢で威勢を張った態度に不満を抱いているのがわかる。自分が優位に立つことばかりに思案を傾け、不都合には目を覆う。


「健二――お前がなぜ天神と繋がりを持っているかを追求するつもりはないし、どうやって繋がりを得たかも興味が無い。だが、その代わりこの件は私の功績とすること。また、この場にいる者には、真相を口外しないことを確約してもらいたい」


 淡々とした口調で、まるで確約されることを信じて疑ってない、といった様子で語るハディの態度に、女王が食い下がる。


「待ってください。これは一方的な……」


「待て。話は終わっていない」


 ハディは苛立つ女王を宥めるように遮ると、言葉を継ぐ。


「女王よ。この条件を受け入れてもらえるなら、スエーデンにおける魔法使いへの弾圧や差別、あらゆる障害を取り除いてやるぞ。そちらにとっても有意義な提案になると思うが……どうだ」


 ハディはすまし顔で言うと、女王から視線を逸らすことなく、地面に置かれた物資にゆったりと腰を下ろす。


 この提案に選択肢などない。一見すると、公平な提案にも思われるが、その実は健二が天神と繋がりを持ち、世界の窮地から救ったことを我が功績にしたい。そして、真相を知る者には箝口を強要することで、偽りの事実を強固なものとし歴史にその名を不動のものとしたいのだろう。


 その一方で、ハディが言う魔法使いを抑圧から解放するというものは、国主がその意を示したからといって民の総意がハディの意を汲むとは思えない。


 永い間、魔法使いを憎み続けてきた感情は、その身を犠牲にし、人々と接したアンメイザのような人物が身近にいなければ融解されない。だからといってハディの提案を拒絶すれば、カトラリアは再びスエーデンと戦火を交えることは、火を見るより明らかだった。


 女王がどう答えるかを知っているが故に、ハディはおおらかにどっしりと構えているのだろう。この男、つくづくしたたかで傲慢だ。健二は目の前の男に吐き気をもようするのを必死に堪え、平静さを保つ。この男の前で、弱みを見せてしまえば一気に喰われる。


 暫くハディを静かに見据えていた女王が、決意したようにため息を吐く。


「わかりました。あなたの提案を受け入れましょう。ですが、こちらにも条件があります」


 ハディの無表情が、不服といったように引きつる。


「条件……まあ良いだろう。言ってみろ」


「健二の身柄はこちらで引き取ります」


 女王の言葉に、今まで悠然とした態度だったハディが慌てた様子で食い下がる。


「待て、どういうことだ。何を考えている」


「私はあなたの提案を受け入れたのです。そちらも提案を受け入れていただかないと……公平ではありません」


 ハディの目が大きく見開かれ、今にも噴き出しそうなほど顔が紅潮している。顔が小刻みに揺れ、今にも女王に襲い掛かりそうな勢いだ。そのとき、スノウが放った一言がハディを沈静化させる。


「健二は向こうの人間だ。この世界に留め置く必要は無いだろう」


 突然のスノウの発言に、その場の全員がスノウに視線を向ける。スノウは肩をすくめると落ち着き払った様子で、言葉を継ぐ。


「健二は私の都合でここへ連れてきた。私には連れ帰る責任がある」


 それに、とスノウは続ける。


「君もこのしがらみから解放されたいんじゃないのか」


 スノウは健二に視線を向け、賛同を促す。スノウの言葉は静かだったが、それが賛同ではなく、暗にこの状況を好転させるためには、私の言葉に従え、と言わんばかりに、健二に重くのし掛かる。言葉の真意を感じ取った健二は、力なく頷く。


「確かに。俺もずっと家に帰りたいとは思ってたよ……帰れるなら早く帰りたい」


 健二は何度も頷きながら声を上げる。自分の意思でこの場の全てが決まる。そう思うと、声が震え上手く言葉にならなかった。


 だが、健二の意は両者にはっきり伝わったらしく、女王はどうだ、と言わんばかりにハディに詰め寄る。


「あなたが言った通り、提案を受け入れたのです。これ以上はもう沢山です。我々は王都に帰還します。あなたも軍を引いてください」


 女王の言葉を聞いて、ハディはおもむろに立ち上がると、横目で女王を見据える。


「健二が向こうの世界に留まるというのであれば、その提案を受け入れよう。もし、それが偽りだとわかれば、即刻、我が軍の猛攻の餌食にしてやる。カトラリアの都が火の海と化すだろう」


 低く唸るような声で言い残すと、スノウに向き吐き捨てるように言う。


「こやつを確実に向こうへ送還しろ」


 ハディが足早にその場から立ち去ると、女王は安堵したのか力なく微笑む。


 今まで纏っていた気を張った重苦しい空気は払拭され、以前に会ったときの穏やかで明るい佇まいだった。


「今回はあなたの助力もあり、何とか停戦までこぎ着けることができました。今後のことはまだわかりませんが、今回のあなたが成し遂げた功績が、カトラリアの将来に大きく貢献したことは確かです。国を代表しお礼を申し上げます」


 そう言うと、女王は健二に頭を垂れる。突然の女王の行動に、健二は驚いて思わず小さく悲鳴を発してしまった。


「いえ、待ってください。俺は別に何も……」


「一国の王が一人の少年に頭など下げて良いのか」


 怪訝そうにスノウが、女王にぼやく。小国とはいえど、一国の王が一人の人間に頭を下げるなど、いくら民に寛容な王であっても、威厳を損ないかねない行為だ。


 女王は噛み締めるように呟く。


「この国の民は私だけです。それに、健二はカトラリアの恩人にも値します。誰も見ていないなら、プライドなど意味など持ち合わせません。素直に感謝の意を伝えたまでです」


 そう言った女王は、ほくそ笑んでスノウに言う。


「あなたもどうです。一度カトラリアに来てみては」


「なぜ私が行かなければならない」


 女王の言葉に、スノウは眉根を寄せる。王都へ招待されたことに不快感を覚えたのか、それとも疑念を抱いたのか。すると、女王は誤解を解こうと微笑んで見せる。


「大意はないんです。一度あなたとゆっくり話がしたいのです。気が向いたら良いので、王都でお会いましょう」

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