18.冒涜

 一行は精霊の泉へ向けて昼夜を問わず、休息を摂らずに進み続ける。馬車を引く馬は体力を消耗し、今にも力尽きそうなほど荒々しい息づかいとなっている。


 王都を発って既に三日が過ぎようとしている。昼夜を問わず馬車の上で揺られ、いつしか平衡感覚も鈍磨し、健二は吐き気に襲われることもしばしばだった。この頃には、気丈にふるまっていたシューベンタルトも疲労の色が見え始めていた。


「いつになったら着くんだ。このままじゃ目的地に着く前に、こっちが疲労困憊になってしまうぞ」


 ジラルモが苛立った様子で悪態をつく。怒りが頂点に達し、いつ爆発してもおかしくない状況のジラルモにスノウが言う。


「もう見えているぞ――あそこだ」


 スノウが指し示した遙か向こうに、それはあった。見覚えのある景色。そう思ったが、それが以前と様相が違うことにすぐに気付いた。


 以前は、青々とした木々が永遠に広がる樹海があった場所は今や黒焦げ、炭と化した木々とその奥には赤々と燃え盛る業火に包まれた姿があった。


 上空には巨大な飛行船が浮かんでいる。その姿が、王都で目にしたものだと一目でわかった。飛行船の周りには、小さな飛行船団が展開し周囲を固めている。恐らく護衛船だろう。


 飛行船は、樹海の上空を微速で巡航しており、船体の下面にある膨らみが開放されると、そこから無数の何かが地上に向けて投下されていく。


 投下物は、地上に落下すると爆散して可燃性の物質を周囲に飛び散らせる。それらが火種になることで、樹海を火の海へと変貌させている。


 健二が唖然とし言葉を失っている横で、スノウは静かに言う。


「君が言っていた通りだな。信じられない。泉にこのような冒涜を働くなど、蛮行の極みだ。ハディは何を考えている」


 泉を放火するという暴挙に出たハディへの怒りと失望なのだろうか、スノウの表情は険しい。


 魔法使いからすれば、泉は精霊が生まれる聖地であり、そこへ害を加えることは、世界の崩壊を招くことになる。その行為に及ぶこと自体が狂気に等しい。それを一国の国主が知らなかったというのか。


 健二は逸物の違和感を覚えながら、スノウの横顔を見つめる。スノウの表情から、内心を激しく掻き乱されているのは容易に想像できた。


 スノウが激しく鞭打つと、馬は最後の力を振り絞り馬車を牽引する。


 激しく揺れる馬車から、健二は業火に呑まれる樹海を見つめる。白昼夢で見た景色と殆ど変わらない受戒の姿がそこにある。こんな状況になる前に、自分に何かできたのだろうか。こうなることを知っていたら、ハディを説得しこの事態を未然に防ぐことができたのだろうか。


 健二はそんな『もし』を考えて思い詰めてしまう。すると、シューベンタルトが静かに口を開く。


「こんな事態は誰もが予想していなかった事です。スノウですら、ハディの思惑を見抜くことはできませんでした。これは誰の責任でもないし、責められる者がいてはいけないのですよ。私たちは、自分ができる最大限の努力を怠らないことです」


 誰に語るわけでもなく、健二が思い詰めた様子をわかってか、諭すように呟く。


「何か様子が変だ。樹海の向こう側に何か不穏な空気を感じる」


 静かに樹海の様子に、目を向けていたスノウが何かを感じ取ったのか、遠くに広がる樹海の向こう側に目を凝らす。その視線が何かを捉えたのか、眉を顰めると呟く。


「――なるほど。そういうことか」


 そう言ったスノウの表情は、怒りと苦痛で満ちている。その表情の真意が理解できず、困惑した健二だったが、その理由は直ぐにわかった。『不穏な空気』の正体は、合戦の怒号と無数の兵士たちが蠢く大地の地響きだった。


 樹海を西側から回り込んだ中腹の辺りに、南北に細長く延びる平野が広がっている。東側を樹海が、西側には長々と連なった山脈が聳え立っている。その地で南北から迫るふたつの勢力が衝突しているのだ。言うまでもなく、北はカトラリア。南はスエーデンの軍勢だ。


 地上の戦闘は、中央を歩兵の白兵戦。外側を騎馬隊が衝突している。戦況ほぼ互角のようだ。だが、空に目を向けると、地上戦と比べると様相が違う。制空権を制しようと、スエーデンの飛行船とカトラリアの無数の飛翔体が激しく争っている。目を凝らすと、飛翔体の正体が人だということがわかった。どのような原理で飛翔しているのかわからないが、恐らく魔法なのだろう。そこで、以前にも似たような状況を目にしたことを思い出した。この世界へ来た直後に、カトラリアの街で目にしたあの飛翔体だ。あの正体は魔法使いだったということだ。


 魔法使いが空中を滑空し、生身で機械仕掛けの兵器と戦闘を繰り広げる。この世界の戦闘が、自分がいた世界とは異なった様式なのだということを改めて認識した。


 互いが入り交じり、四方八方から敵の攻撃に晒される。必死に敵の射線から逃れても、次の敵が正面と後方にへばり付く。戦闘では機動性が高く、的が小さい魔王使いだが、劣勢を強いられているように感じる。どうやら、王都でも目にした鉄筒がこの合戦でも用いられているらしく、以前には感じなかった戦力差が顕著に窺える。


「戦闘だと。なぜこのような場所で」


 視界に入った戦場を目にし、スノウは困惑の色を隠せない様子だった。どうやら、スエーデンの侵攻に、カトラリアのこれほどまでに迅速な対応しているのが意外だったらしい。


「当然だ。陛下が敵国の領土侵犯をみすみす黙認するわけがない。以前から懸念していたスエーデンの侵攻が、実行されたことは由々しき事態ではあるが、やはり、陛下はハディの行動を読んでいたようだな」


 当然だ、とでも言いたげなジラルモの言葉に同調するように、シューベンタルトが何度も頷く。


「そうです、そうですとも。陛下に抜かりはありません。これもあなたが国防と後進の魔法使いの育成を重んじてきた成果ですよ、ジラルモ」


 そう言って嬉しそうに言うシューベンタルトが気にくわない、といった様子で、スノウが険しい表情を見せる。


「……何が言いたいんだ」


 スノウの言葉に、無自覚な様子でシューベンタルトは緩めた表情のまま言う。


「以前にもお話しした通り、ジラルモは情報戦を得意としています。実は、国境線にスパイ系の魔方陣を展開しているのです。その魔方陣の仕組みを考案したのは、ジラルモであり、それを展開し管理しているのは、ジラルモの弟子たちなのです。まあ、これ以上のことは、機密事項なので教えられませんが」


「そんなことを私に自慢して何になるんだ」


 スノウがシューベンタルトの言葉に、疑念を抱いた様子で尋ねる。


「この国は小さいのです。数より質を重視しなければ、この国の国防は薄ぺっらい壁も同然。専守防衛。これに尽きますね」


 そう答えたシューベンタルトの言葉は意味深だった。カトラリアとしては、専守防衛に徹しており、スエーデン国内に侵攻する気などない、と暗に示しているのだろうか。そんなシューベンタルトの真意を汲み取ったのか、不満を抱いた様子でスノウは言う。


「何を言っているんだ。カトラリアはスエーデンに何度も敵対行動をとっている。それは、今に始まった事ではない」


 そう言ったスノウの言葉を足蹴にするように、シューベンタルトは軽快に笑う。


「カトラリアが他国の領土を侵犯したことはありません」


「それは虚言だ。この国が建国以前にスエーデンの領地の一部を侵犯したことは間違いない。スエーデンの民を苦しめた。その罪は重たいぞ」


「それは真実ではありませんよ。この国の深い闇のひとつですね。自国にとって不利益になることをひた隠す。陛下は、スエーデン王国が魔法使いを有する一族を冷遇していたのを哀れみ、その地の人々を解放したに過ぎないのです。陛下がこの国を建国したのも、非道に扱われてきた魔法使いが、何者にも脅かされず、平穏に暮らせる場所を創りたい、という願いからなのです」


「スエーデンにそのように恥じるような事実はない。それに、女王にも黒い噂が幾つもある。実際、私の師匠に対しても裏切りの行為を働いている」


 そう言ったスノウの言葉を呆れたように鼻で笑うと、シューベンタルトはため息交じりに言う。


「女王に後ろめたい過去などありません。こちらも言わせてもらいますが、ハディはあなたにこの件を隠していました。あなたを信頼していれば、例えあなたが魔法使いであっても、何かしらの意見を求めたはずです。ハディが隠蔽体質であるならば、都合の悪い事実を隠蔽することが常習的になっていても驚きはしませんね」


 シューベンタルトの言葉に、スノウは何かを言おうとしたが、堪えるようにして口を噤む。


「今更こんな事で言い争いをしても何の利益にもならない。止めておこう」


 スノウは開き直ったように言う。どうやらこの際、何があってもシューベンタルトと協力し、泉の破壊を阻止することを決意しているようだ。


「見つけたぞ……ハディの本陣だ」


 そう言ってスノウが指し示した方向に、本陣らしき場所が見えた。


 平野の端に大きな天幕が幾つを張られており、その周りを四百近くの兵士たちが固めている。最大級の守りの中心には、他の天幕とは一線を画す雰囲気を漂わせる天幕が建っている。豪華な飾りと装飾が施された天幕に、王旗を掲げていることで、ハディがいる天幕だということは遠くから見ても一目でわかった。


 スノウが鞭を入れると、馬車は本陣へ進路を向けて疾走する。


 本陣の周りを分厚い壁のように取り囲む兵士が立ち塞がる。突然出現した敵に、ざわつくも指揮官の号令で秩序を取り戻すと、馬車へ向けて矢の雨を降らせる。だが、疾走する馬車はスノウの魔法によって更に加速すると風のように空を切る。


 地面に砂塵を舞わせながら馬車は敵陣に突っ込むと、見えない壁が敵陣を分断し本陣への道ができる。馬車は勢いそのままに突き進むと、本陣の目の前で停車する。それと同時に、スノウは馬車から降り立つと、ハディがいるであろう天幕へ向かう。


「ちょっと、待ってよスノウ」


 足早に向かうスノウを追いかけ、健二はスノウを落ち着かせようと話し掛ける。


「いち早くハディから、事の真相を聞き出さなければならない。それに、泉を破壊する作戦を停められるのはハディしかいない。彼を説得できなければ世界が終わってしまう」


 その言葉を言い終える前に、スノウは天幕の前で控えていた衛兵を押し退け袖を潜る。


 突然の襲来者に、天幕内は混乱する。スノウの姿を目にした衛兵は、スノウの出現に困惑しながらも、ハディの安全を確保しようとスノウの前に立ちはだかる。


 衛兵たちを無力化しハディを攫うつもりなのか、と予想していた健二だったが、スノウは意外にも冷静だった。衛兵に自分に敵意がないことを示し警戒心を解かせると、天幕の奥に据えられた暗がりの玉座に鎮座しているハディを見据える。


 詰め寄ろうとするスノウを制止するように、一人の兵士が二人の間に立つ。恭しい態度で深々と頭を垂れたのはオーザンだった。


「スノウ殿。お待ちください。いくらあなたとはいえ、陛下の御前です。どうか……」


 その言葉に、スノウは懐疑的な表情を浮かべて言う。


「オーザン。なぜお前がここに」


「陛下の護衛です。主をお守りするのは私の責務ですので」


 そう言ったオーザンの言葉に、スノウの表情は更に深みを増す。


「――お前の主は私だと思っていたが」


「いえ……その、そういう意味で申し上げた訳ではなく……申し訳ありません」


 スノウに気圧され、歯切れが悪く苦しまぎれになるオーザンにスノウの表情が僅かに綻ぶ。


「冗談だ。気にするな」


 そう言うとスノウは、険しい表情で鋭い目つきをハディに向ける。


「ハディ。君は自分が何をしているか理解しているのか」


 スノウの言葉に、少しの沈黙のあと、ハディがおもむろに口を開く。


「これは我々人族が、魔法使い族のしがらみからから脱却するための戦いだ。お前とは旧知の仲ではあるが、お前は魔法使いだ。故に、お前の存在は私が思い描く国家繁栄への障害となる」


 そう言ったハディの言葉に、スノウは悲しげな表情を見せる。信頼し敬慕していた相手に、素気なくあしらわれ辛辣な言葉を浴びせられ、動揺しているようにも見えるが、それでもスノウは言葉を返す。


「君が魔法使いに、良くない感情を抱いていることは知っている。それに、私自身もこの世界における魔法使いの利権に対して疑問を抱いている部分もある。だから、君の思想も理解はできる。だが、今君がやろうとしていることは、人族の独立ではなく世界の破滅だ。精霊の泉は、確かに魔法使いにとって重要ではあるが、それ以上に、世界の秩序を守る為に必要なものでもあるんだ」


 必死に訴えるスノウに、ハディは嘲るように言う。


「この段階になって自分の身が可愛くなったか。お前も所詮は魔法使いなのだな。保身に走るとは、なんとも愚かなことよ」


 その言葉に、スノウは落胆したように肩を落とす。健二に目を向け、何かを求めるような仕草を見せるが、健二はその意図を読み取ることができなかった。


 諦めた様子で天幕をあとにするスノウを追いかけながら、健二は自分の不甲斐なさに呆れていた。この場にいるのは、自分に何かしらの役割を求められている故だ。世界が崩壊の危機にある今、自分ができることで崩壊を食い止めなければ。


「スノウ殿。お待ちください」


 スノウを追ってきたオーザンが声を掛ける。その言葉にスノウはため息交じりに振り返ると、


「お前が何者に忠を置くかは、私が決めることではない。お前の心のままにだ……」


 そう言い掛けたスノウの言葉を遮るように、オーザンが言う。


「あなたの教えは、私の人生の中で多くの知恵を与えてくれています。あなたの言葉は、真っ直ぐであり実直かつ容赦がない。故に、私はあなたの全てを肯定したいと思っています。ただ、今私が申したいのは、陛下のことなのです」


「ほう、ハディについて何か情報があるのか」


「いえ、情報というまでもいかないのですが。陛下は今回の件に関しては、少し気が進まない様子だったのです」


 オーザンの言葉を耳にしたスノウは、怪訝そうにオーザンに詰め寄る。


「それはどういうことなんだ」


 オーザンの説明では、精霊の泉の破壊工作の計画を発案したのは、ハディではないのだという。ハディが泉の存在を知ったのは、ここ数年でのことで、泉の情報はトッドとドリスからもたらされたものだという。また、今回の作戦のために運用されている飛行船の技術提供は、グロリアス王国からのものであり、グロリアスがこの戦争に肩入れしようと裏で手を回しているという情報があったらしく、実際に、グロリアスの外相が、何度もスエーデンを訪れていたらしい。


「では、ハディを焚きつけたのは誰なんだ」


「恐らくトッドやドリスなのでは」


「わからないが、それはここで議論することではないし、今は泉の破壊を阻止しなければならない」


「飛行船部隊の指揮を執っているのは、センドリクス殿です。陛下の勅命であれば、作戦を中止させることも叶いましょうが……今の陛下は、作戦のことで頭が一杯で、他の者の話に耳を傾けるだけの余裕があるようには思えません」


 オーザンの言葉に、スノウは考え込むように暫く立ち尽くす。そして、決心したように言う。


「仕方ない。二手に分かれるぞ」


 スノウはそう言って、考えるようにシューベンタルトを見据えると、シューベンタルトを呼ぶ。


 スノウから事情を聞かされたシューベンタルトは、得意げに言う。


「わかりました。私は他の者と共に、飛行船の足止めに向かいます……ああ、そうだ。健二。陛下によろしくお伝えください」


 シューベンタルトは意味深な言葉を残し、ジラルモ、イーリスと共に去ってしまった。


「それでは、再度ハディの説得を試みることにしよう。彼の意思を変えない限り、実力行使といった手段しか残らなくなる。そうなってしまえば、後世に遺恨を残しかねない。歴史の汚点にならないよう注意しなければ」


 スノウがそう言ったとき、陣の外が慌ただしくなる。何事かと状況を見守っていると、明らかにスエーデンの兵士とは装いが違う騎馬兵らしき人物の姿が見えた。


 兵士は陣の前で足止めされ、何やら事情の説明を求められている。


 自軍の兵士に連れられた兵士は、オーザンに引き継がれる。様子から察すると、どうやらカトラリアからの使者のようだ。


 オーザンが天幕の中に姿を消し、再び姿を現すまでに時間を要した。再び姿を現したオーザンは、兵士を中へ招き入れると、スノウと健二にも手招きをする。


「スノウ殿と健二殿にも同席していただきたいのでご一緒にどうぞ」


 再び天幕の袖を潜りハディの目の前に立つ。このとき、先程と同じく一寸たりとも動かず玉座に深々と鎮座しているはずのハディの雰囲気が、微かに違うのがわかった。


「呼び戻してすまんな。状況が変わった」


 何とも言えない違和感だが、それが確信となるほどに違いは明らかだった。先程と同じ無表情ではあっても、なぜかその雰囲気が二人に媚びているように見える。これまでのハディの言動を見ていればプライドが高いことは、言うまでもない。実際にスノウに謙ることはないはずだ。それよりも気になるのは、このタイミングで態度が変わったのはなぜか。その疑問も、ハディに招かれたことで、間もなく明かされることだろう。


「今しがた、向こう側から停戦協定の申し出があった。どうやら私に話があるらしい。こちらとしては、応える義理などないのだが。まあ聞いてやろうと思ってな。どうだ、お前たちも私と共に参らぬか。スノウ。お前には、魔法使いとしての助言がほしい」


 淡々とした口ぶりだが、先程の態度からその真意を理解できた気がした。


 この世界において魔法使いは、どの種族よりも優位の存在と言える。長命であることで博識高く、他の種族と比べ絶対的な数が少ないことからコミュニティーの密は深い。それ故に、様々な情報を持つ。故に魔法使いたちは、一国の王であるハディにとって目の上のたんこぶなのだろう。自分が一生を費やしても足りない時間を魔法使いは、優に持て余し博識であるが故に、対峙する自分という存在がいかに小さいものなのかを実感させられる。停戦協定が提案され、無防備で向かえば、自分の稚拙さが露呈しかねない。コンプレックスともいえる不利な状況を解決するには、自分の派閥に同じ存在を担ぎ上げれば良い。スノウは、以前からスエーデンに協力してきた。一度は決別したものの、情というものは移ろいやすく、易々と一所懸命を貫くことは困難だ。故に、こうしてハディはスノウに熱い視線を送っているのだろう。


 ハディの言葉に、スノウは険しい表情で立ち尽くす。目に見えない何かを宙で睨み付けるように、微動だにせずただ考え込んでいる。そして、ゆっくりと頷く。


「わかった。君の提案に従おう。だが、私も女王に幾つか聞きたいことがある」


「――良いだろう」




 会談の場は、戦場となっている平野の直中で行わることになった。スエーデン側は国主であるハディと側近の数人が共に参加することになり、健二もスノウに連れられ、側近の者たちと共に協定の行方を見守ることになった。


 先日の停戦協定は、スエーデン側に停戦の意思はなく会談は無に帰した。今回も同様の結果になるのでは、と内心で不安な健二をよそに、スノウは落ち着きを払った様子で沈黙したままカトラリア側の到着を待っている。


 カトラリア側もほぼ時を同じくして到着した。十数人の近衛兵を従えた女王は、全身を甲冑で包み、馬上から優雅に降り立つ。


 窶れているように見えるその姿は、甲冑のへたれ具合からも明らかだ。女王自身が先頭に立ち、戦闘の指揮を執っていることがわかる。それでも、悠然とした女王が醸し出す雰囲気は、一国の主たる姿そのものだ。


 女王は健二の姿を認めると、口元を緩め微笑みかける。このような緊迫した状況でも、落ち着き払った上、表情に穏やかさを保っていられるのは、長命の魔法使いが故に、様々な修羅場を潜ってきた証しなのだろうか。


 両者が席に着くと、女王が口を開く。


「この度は私の申し出を快諾していただき、誠に感謝しております」


 慇懃な女王に対して、ハディは無言で頷く。堂々たる態度、と言いたいところだが、なぜか緊張しているように見えるのは気のせいだろうか。無表情というより、表情が固いといった方が良いのかもしれない。


「早速ではありますが、本題へ――」


 女王はその言葉の後に深々と息を吸い、じっとハディを見据える。その眼差しは、一点を見つめており、遂には穴が開いてしまうのではないか、と思ってしまうほどだ。


「私は一刻も早く、この戦争を終わらせたいのです。スエーデン王国とは、是非にも停戦協定を締結したいと思っています」


「なぜ、我々がお前たちの停戦協定を受け入れなければならない。お前たち魔法使いは、今まで好きなように自分たちの権威を振りかざし、我々人族を冷遇してきた。我々はそんなお前たちのしがらみから脱するために、この戦争を始めたのだ。お前たちの言葉など聞く耳を持たん」


「それなら、せめてあなたが指揮している飛行船の攻撃中止命令をお願いしたいのです。これは、私たち魔法使い族の問題ではなく、この世界の全ての者にとっての問題なのです……どうか聞き入れてはもらえませんか」


 女王の口調は静かで穏やかだったが、その表情から必死さが伝わってくる。


「この戦争は泉の破壊をもって成功といえる。戦いの心髄を易々と諦められるものか……そもそも、なぜ、泉にこだわるのだ」


 ハディは女王の言葉に面倒くさそうに、だらけた様子で言う。この話題を引きずることに嫌気が差しているようだ。泉の破壊を強行しようとしているハディではあるが、今までの会話や言動から、目的の一貫性のなさに一抹の違和感を覚える。まるで、誰かが語った信念をただ盲目に模倣する愚者のように思えてならない。ハディの言動は、受け売りの言論をやみくもに掲げ、感情的になっているように見える。


「あなたは、精霊という存在をどれだけ理解していますか」


 ハディの言葉に女王は悲しげな表情を浮かべながらも、理解を求めようと必死に訴える。


「さあな――この世界の、我々の目に見えない存在。ただそこにあるだけで、我々人族にとっては何の変哲も無いが、世界にとっても特に重要な存在ではない。お前たち魔法使いは、それを尊んでいるようだが、それこそが我々にとって驚異となる根源なのだろう。泉は精霊の源だと聞く。我々人族が覇権を握るには、精霊は邪魔な存在でしかないのだ」


 そう言ったハディは、憎しみの表情で女王を睨み付ける。ハディの魔法使いに対する憎悪の深さは、何が原因になっているだろう。人族が魔法使いを嫌悪しているのは、今までの見聞からわかっているが、嫌悪といっても程度は人それぞれだろう。その中でも、ハディほど魔法使いに憎しみを抱くのは希だろう。ハディの過去にどんなトラウマがあるというのか。


「いいえ。そうではありません。精霊という存在は……」


 ハディの言葉に、女王はため息交じりに言う。失望なのだろうか、それとも無知に対しての落胆なのだろうか。女王は精霊の存在意義と世界との関わりについて語る。


 はじめは嫌々という表情で聞いていたハディだったが、精霊が世界の秩序や均衡を保つために重要な因子であること、精霊の存在が世界にどのような影響を及ぼしているかを語っていくと表情が次第に険しく、重苦しいものになっていく。


 女王が話し終えたとき、ハディは深々とため息を吐くと暫くの間、一点を睨み付け沈黙する。


 いつまでも続くのでは、とも思える沈黙の後、ハディがおもむろに口を開いた。


「もし、それが真実なのだとすれば、私は何をすれば良いのだ」


「直ちに攻撃命令の取り消しをしていただきたいのです」


 その言葉を待っていたとばかりに、女王は即答する。何とか希望の光が見えたとばかりに、その表情は希望の色が見え隠れしている。


「森の大半は、既に燃やしてしまっている故、場所の検討はある程度付いてしまっているが、私の命でいつでも作戦を中止させることは可能だ。だが、忘れるな。私はそちらの請願に譲歩したまでだ。何か企むような様子を見せれば、次は徹底的に潰す」


 ハディは伝令に攻撃の中止命令を下す。命は即座に告げられた。


 その場に設けられた狼煙に火が焚かれると、一時にして一面に煙たい激臭が漂う。焚かれた狼煙は、一条細い煙となり天に昇り始める。不安定にゆらゆらと上っていた狼煙は、次第に太く安定した煙となり遠くからでもわかりやすい伝達となるだろう。


 一通りの交渉を終え、すべきことが無くなってしまった両者は、手持ちぶさたとなり無用な時間を過ごすことになった。そんな中、スノウだけが落ち着かない様子でハディに何かを言いたげな様子でいる。そんなスノウの様子に気付いたハディは、思い出したかのようにそうだ、と言う。


 ハディに促され、スノウはおもむろに立ち上がると女王の前に立つ。


 スノウの突然の行動に、女王は虚を衝かれたように、はっとした表情をする。だが、スノウに敵意がないことがわかると、落ち着いた様子で居座りを直す。


 スノウはじっと女王を見据える。何を考えているかを窺い知る術はないが、その瞳が女王に真っ直ぐと向けられている。


「師匠は――アンメイザは生前、この戦争が起こることを危惧し嘆いていた。それだというのに、あなたは彼女を戦争に召集し彼女の意思に反して罪のない者も含め、多くの人の命を奪わせた。あなたは一国の王であり、魔法使いにとっては威厳の高みに立つ。だが、王である前に彼女の弟子でもあったはずだ。なぜ、争いを好まない彼女を戦争に参加させたんだ。弟子であるなら師匠の意を汲み取ることは容易にできたはずだ」


 荒々しく肩で息をして、吐き捨てるように捲し立てるスノウの言葉に、女王は静かに目を瞑る。何かを語ろうとする。だが、口を噤み語りかけた言葉を留める。


「別に私を気遣って言葉を選ばなくても良い。私は全てを知りたいんだ。私自身に不都合があっても構わない。精霊王としてその資格にたり得る存在になりたいんだ」


 スノウは絞り出すように、女王に語り掛ける。


「――わかりました。それでは、お話ししましょう」

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