19.アンメイザ

 床一面を大理石で敷き詰められた広間に一人の女が佇んでいた。広間から外を一望できる大きな明かり取りの扉は開け放たたままだ。今にも遙か遠くの山々の向こうに沈みかけている日の明かりが、アンメイザの細長い影を落としている。


 アンメイザは、広間の至るところに掛けられている絵画をつぶさに観察しようと試みる。


 絵画などに関しては、嗜好を持ち合わせておらず、浅識で寡聞な自分の目に映る不可思議な絵を雄弁に評論、あるいは評価する気にもならず、価値の高いであろう絵画を一瞥するだけで、さして興味を引かれることはなかった。


 ここへ来たのは、数日前に送られてきた召集令状に従ってのことである。送り主は、数百年来の弟子であると同時に友人でもある、カトラリア王国の女王だ。


 女同士であるが故に、話が合い意気投合していた時代もあるが、出会って数百年という時が経ち、互いに立場というものができてしまった。立場という責任から逃れることは容易ではなく、お互いに忖度して軋轢が起きぬように、とここ数十年は顔を合わせることをしなかった。


 今回は、招集令状という国主の勅命に釣られてしまい、流されるようにここへ来てしまったが、今更になって少し後悔し始めていた。


 深い森の奥に小屋を建て、弟子との悠々自適な生活。決して人嫌いということではないが、人々が息づく街や村などの喧騒から遠く離れ、純然たる静けさが永遠とそこにある、という生活を求めて小屋に籠もったのだ。言ってしまえば、隠居生活ということになるのだろうか。だが、この時代において自分という存在が、何者にとっても大きなものであることを自覚しているが故に、今回の招集は少し躊躇した。


 自分が派閥に属してしまうことは、敵対している者にとっては、敗北を意味することに等しい。そんな重荷を背負うより、招集を無視して悠々自適な生活を謳歌し続けることもできるが、それもそれで気が引けてしまう。何とも難しい立場に立たされたものよ、とアンメイザは心の中で苦笑する。


 女王は国のために、奔走していると聞く。時間にゆとりがあるのは希であるから、少しでもその助けになるのでは、と時間を早めてやってきた。だが、あいにく謁見の時間をいつになれば設定できるのかも定かではないとの言伝があった。


 この広間へ通されてから、かれこれ三時間が経とうとしている。はじめは広間に据えられている長椅子に背を預け、ゆったりと待っていた。次第に退屈を紛らわすことが疎ましくなり、立ち上がって広間の中を歩き回ってみた。いつまでも姿を見せないので、飽き飽きしているとそれを見かねたかのように、広間の重厚な両扉が軋む。

開かれた扉の向こうに目を向けると目的の人物が立っていた。


「申し訳ありません。公務が立て続けとなってしまい、この時間までお待たせしてしまいました」


 女王は申し訳なさそうに頭を下げると、アンメイザに歩み寄る。


 アンメイザは、女王に微笑むと、別段気にしていない、と女王を気遣った。弟子に対して師匠が厚かましい態度をとるのは、粋ではない。そう思って強がって見せた。


「その……読んでいただけたのですね」


 女王はおもむろに切り出すが、その話題が慎重さを要するものだということを承知の上という様子だ。女王の表情には暗い影が見える。国主の勅命として、国中に属する魔法使いたちに召集令状を出しているのだろう。その中に、アンメイザの名も連なっている。


 アンメイザ自身、カトラリアでは多くの者に名が知られており、影響力も多大だ。いくら師匠であっても、国主の立場を利用しアンメイザだけを優遇する訳にはいかなかったのだろう。それがわかっているだけに、女王のことが気の毒に思えた。


「やめてくれ。お前が気まずい立場にあるのは重々承知だ。失礼――女王陛下」


 そう言ってふざけて見せたアンメイザの言葉に、女王は止めてください、と苦笑する。だが、そのすぐに真剣な面持ちとなり、アンメイザに座るように促す。


 促されるまま長椅子に深々と腰掛けると、女王も向かい側に腰掛けアンメイザと向き合う。


 女王が口を開こうとした瞬時に、アンメイザは女王の言葉を遮る。


「まあ、待て。はじめに言っておく」


 そう言って、勿体ぶって女王の反応を何となく気にしながらアンメイザは言葉を継ぐ。


「私は今度の戦争に参加する気は無い。今日ここに来たのは、お前にその意を告げるためだ」


 そう言ったアンメイザの言葉に、女王は一瞬厳しい表情を浮かべるが、肩を落として言う。


「そうなるのでは、と予感はしていました。やはり、お役目、ですか」


 そう言って、ふっと優しく微笑む女王に、アンメイザは深く頷く。


「それで……今後はどのように」


 女王の問いに、そうだな、とアンメイザは思案を巡らす。戦争に参加しないという意向を伝えたは良いが、今後については何も考えていなかった。精霊王として、この世界の均衡と平穏を保つために自分がすべきことは何なのか、と空に浮遊する雲のように掴みどころを見出せずにいる。自分が世界に対して出来る事は。


「なあ、お前はなぜこの戦争を――」


 アンメイザは何となしに女王に尋ねる。自分の中でふつふつ沸き上がる感情が、きっかけを欲している。女王の言葉を頼りに、自分の中で何かが生まれないかと期待した。


「私は精霊王として、世界の均衡を保つという役割を課されている。だが、それ以前に、戦争という行為が好きではない。人々が殺し合うなど、この世界で最も忌むべき行為だ」


 その言葉に、女王は同調する様子で深く頷く。そんな女王の反応に、戦争に加担している者がなぜ、とアンメイザは疑念を抱いた。


 そんなアンメイザの反応をめざとく読み取ったらしく、女王は苦笑する。まるで、自分でもその矛盾を感じており、それをどのように言い表せば良いのかわからず、もどかしいのだろう。女王は微笑みを保ったまま言う。


「私も戦争という行為を良いことだとは思っておりません。しかし――」


 そう言った女王は言葉を探るように、慎重な面持ちで続ける。


「人族は、この世界の覇権を狙ってこの戦争を起こしました。我々、魔法使いからのしがらみから脱却するため、などと訴えてはいますが……この世界は複雑でまた奇怪です。魔法使いは、この世界の仕組みを探求しその多くを永い時を掛けて理解してきました。世界の仕組みを知ることは、世界を支配することと同義ではありますが、その知識は人族の手に余ります。人族が知識をえてしまえば、それを自分たちの利益のために利用するでしょう。人族は愚かで未熟です。これは、人族の歴史を振り返れば明らかです」


 そう言った女王の表情からは、軽蔑の色は見えなかった。そうではなく、哀れみ、といった感情だろうか。生まれたばかりの無垢な赤子が、自身の身の回りの世界でのみ生き、欲望のまま駄々をこねている。それを遠巻きで、冷ややかに見つめる成熟した少年。そんなことを思わせる面持ちだ。女王は言葉を継ぐ。


「世界の平穏より自らの利益を優先する。これが人族の性です。私は戦争を好みはしませんが、だからといって、人族の手に余るこの世界と知識をみすみす委ねる気はありません。そうなれば、この世界の破滅を意味します……人族に覇権を握らせてはいけないのです」


 心の奥に、押し込んでいた気持ちだったのだろう。女王は、抑えられない感情を吐き出すように捲し立てた。


 一国の国主として相応しい振る舞い。自分の中での理想像。そして、この国の民からの信頼。それらを背負い、日々を、永遠とも思える年月を過ごしてきた。弱音を吐き、その弱々しくも、寄り添えるだけの甘えをさらけ出すことのできる者の存在。それを求めていたかのように、荒々しく肩で息をする女王は、まるで幼い少女のように、乱れた髪の隙間から覘く目尻を赤く染め悲しげな表情を浮かべていた。


「――すまない」


 アンメイザは、ここではじめて自分の過ちに気付いた。奈落の底を埋め尽くすかの如く深いため息が吐いて出る。これは自分の罪だ。そう思ってしまうと、自分を罰せずにはいられない。そんな後悔のあとに、深々と頭を下げる。


 そんなアンメイザに、女王は慌てた様子だった。女王は何かを言い掛けたが、それを制して、アンメイザは言葉を継ぐ。


「私は、お前に全てを押しつけていたのかもしれない」


 女王がカトラリアの国主となったのには経緯がある。二百年ほど前。弟子として共に各地を転々としていた頃のことだ。


 旅をするのは、各地の情報を集め世界の現状を把握することが目的だった。世界の様子をつぶさに観察し、僅かな変化も見逃さない。そうすることで、世界の変化に対して早期に柔軟な対応することができる。各地の様々な街を巡っていたが、そこで目にする魔法使いたちの姿を前にし、落胆の色を隠せない女王の姿があったのを今でも覚えている。


 魔法使いは、長命であり他の種族と比べて数の少ない存在だ。その上、魔法使いとう存在が特殊な故、世間からは疎外されることは少なくはない。


 魔法使いは、この世界にある全ての種族の中から生まれる。その過程は未だ解明されてはいないが、ごく僅かな確率で魔法使いの素質を持つ者が現れる。青年期までは、普通の人々と何ら変わらず日々を過ごす。だが、いくつ年を重ねても老けない外見に、徐々に周りから好奇の目を向けられるようになる。中には自身で魔法の力を制御できず、周りの者たちを傷付ける者もあり、徐々に社会から疎外され孤立する。


 魔法使いの宿命である長命。一見すると良いことのように思えるが、その実は自分の周りが、年老い死んでいくのを何度も見送ることになる。歳を重ねるほどに人々からは、呪われた存在として忌避され、時には疎ましい存在として迫害の対象となることも少なくない。


 魔法使いであっても、もとは人である以上、永い時を社会から疎外され、孤独に生きれば、精神的に病でしまう。孤独に生きた末、自身の不遇を嘆き、自分の正体を知ることもなく、死を選ぶ者は多い。その一方で、自ら運命を切り開こうと足掻き、各地を放浪し、自分と似た境遇の者と出会った者は、自分が何者であるかを知る。


 魔法使いは数の少ない存在ではあるが、長命であることで、互いの絆は強い。人であれば、いつ再開するかもわからなくとも、長命であれば、各地を転々としていることで、再び相まみえることもある。アンメイザにもそんな友、と呼べる者たちの存在があった。


 いつ頃だっただろう。アンメイザに連れられ旅を続けていた女王が、魔法使いが冷遇されている現状を憂い、魔法使いの為の共同体を形成したいと言い出したことがあった。アンメイザはそんなことは夢物語だ、と相手にしなかったが、それでも女王はその信念を曲げなかった。


 数年後、アンメイザから独立した女王は、夢見た共同体を形成し、魔法使いが主体のカトラリア王国を作り上げた。そこから魔法使い、という存在が人々の間で認知されるようになり、いつしか孤立する魔法使いの存在も減っていった。


 そんな王国の存在を快く思わない者たちもいた。既得権益を有し、カトラリアと国境を接することになったスエーデン王国とグロリアス王国だ。特にスエーデン王国の嫌悪ぶりは凄まじく、何かにつけてはカトラリアと衝突するようになった。


 その頃も、気ままな旅を続けていたアンメイザだったが、各地で耳にする魔法使いと他種族が対立している、という話は、アンメイザの心を曇らせた。どこからともなく聞き伝えに語る人々が口にするのは、信じがたい事実だった。


 魔法使いによる一方的な暴力の数々や各地で小競り合いを起こし、隣国との摩擦を生んでいる、などと、どれも魔法使いへの恐怖心を煽るものばかりだった。この話が各地に広まると、アンメイザにも悪い影響を及ぼした。これまでは、世界の秩序を守りつつ他種族と良好な関係を保つことを心掛け、円滑に各地の調査をために、良好な関係を築いていた者たちからも忌避されるようになったのだ。世界全体が魔法使いという存在を嫌悪の対象としていた。


 次第に旅を続けることに疲れてしまい、山奥でひっそりと隠れて生活を送るようになった。この世界の移り変わりを色々見てきたが、この時代の人々の変革は目覚ましかった。だが、その変革が自分の存在を否定するかのように、魔法使いを排除しようとするばかり。自分の存在が、世界から必要とされていないのでは、と思えてしまった。そもそも、人々が自分のことを必要としたことなど一度も無い。ただ、自分が勝手に世界を支える一柱なのだ、と得意げになっていただけなのかもしれない。そう思うと全てがどうでも良くなってしまった。


 そんな心持ちのまま数百年を過ごしてきた。いつしか、世界の移り変わりにさえ疎くなってしまい、文字通り自ら世界と自分という存在を隔絶した。この間にも、女王は魔法使いの権利を獲得しようと奔走してきたのだ。自らの使命から目を背け逃避していた自分とは違い、目の前の困難に立ち向かい乗り越えてきた女王。立場、という言葉では言い訳のできない現実が、自分を糾弾しているようだった。


「私は、この戦争に参加しない。だが、お前がこれまで積み上げてきたものをただ傍観するつもりもない。私は私なりに、この世界の平穏への道を探っていくつもりだ」


「それはどういう――」


「良いんだ、何も言うな。お前が口出しすることではない――これは私の贖罪だ」


 アンメイザの言葉に、女王は困惑の色を隠せない表情で凝視する。その表情は、かけがえのない友人の覚悟を後押ししたい一方で、自分にとって障害となるのか。それを必死に見極めようとしているようだった。穴が開きそうなほど見つめられ、アンメイザは気恥ずかしさに耐えきれなくなり、思わず視線を逸らす。


「お前が国のために奔走しているのは知っている。だが、私にも信念というものがある。お前たちの志は立派かもしれないが、他の種族のことを思案するのも私にとっては大切なことだ。魔法使いのことばかりを考えてはいられない」


 その言葉に、女王は悲しみの表情を浮かべる。自分の価値観を押しつけるわけにはいかず、その一方でそれを理解してほしいといった複雑な感情が、その表情から滲み出ている。


「そうですね……あなたは精霊王ですから」


 女王の声は沈んでいた。意思を固めた自分を説得できず、自身の不甲斐なさに落ち込んでいるのがわかる。


「すまない。お前は私にとって数少ない友の一人ではあるが、こればかりは、自分の志を貫くつもりだ。私は世界のために存在しなければならない。例えそうでなくとも、私はこの世界の平和を望む。一方の種族だけが権威を振い、他の種族が冷遇されるのは、私の望む世界の形ではない」


 その言葉に、女王はふっ、と笑う。


「あなたはいつもそうですね。弱い者に救いを、何者にも等しさを、ですか」


「――すまない」


「いえ、あなたのことは、私が一番理解しているつもりです。私がその志を阻めないのなら、何人もあなたを止めることなどできないでしょうね……その、アンメイザ。私たちは――どんなときでも友ですか」


 女王は念を押すように尋ねる。どうやら自分との友情が決別することに不安を抱いているようだ。


「もちろんだ。どんなときもお前の友であることに変わりはない」


 そう言って微笑んでみせると女王は安心したように頬を歪める。




 女王はアンメイザとの過去を詳細に語ってくれた。語っているときの女王は、唇を震わせていた。何を思ってのことなのだろうか。過去の懐かしい思い出を噛み締めているのか、それともアンメイザの言葉に、自分の試練を重ねているからなのか。


 女王と謁見したあとのアンメイザの行動は、多くの者の間で語られているらしく、それを知らないのは健二だけらしかった。


 アンメイザの姿が多く見られるようになったのは、六十年前からだという。二国間で争いが起きているにも拘わらず、人族の国であるスエーデンの王都に、魔法使いが住み着いたという噂は、瞬く間に各地に広がった。


 魔法使いの出現に、多くの者がその姿を目の当たりにしたが、その視線は冷ややかだったという。当然だろう。争いの直中にある敵国の民が、王都に住み着いたのだ。その姿を見た者の中には、罵声を浴びせる者も多くいたが、暴力を振るうことはなかった。このときには、戦場から帰還した者から語られていた魔法使いたちの印象が、まさに『鬼人』だったからだ。


 魔法使いが戦場に立てば、数人掛かりの兵士で挑んでも敵わない。中には、一人の魔法使いが、ひとつの戦局を動かすほどの実力差だ。報復を恐れ実力行使はなかったが、それでも王都に留まる上では肩身が狭い思いだっただろう。だが、状況はいつしか徐々にではあるが、変わっていった。


 アンメイザが数年掛け忍耐強く王都に留まり、街のために忙しなく立ち回ったことで、冷ややかな目は、次第に興味へと変わっていった。その他にも、アンメイザが連れていた一人の愛弟子が街の人々の警戒心を解いた。愛嬌を振りまき、人々に優しく接する弟子を前に、人々の態度は穏和となり、いつしか二人は街の者たちに受け入れられるようになっていった。そんな二人の様子を密かに探っていて者がいた。数年前に先代から王位を継承したアイハム・アハディル。ハディの父であり、生前は賢君として民から慕われていた王だ。


 アイハムは二人の存在を警戒し、数年の間監視させていた。二人がなぜ王都に住み着いているのかを探っていたが、遂にそれを探り当てることができずにいた。そんな時、ある助言を受けた。実際に魔法使いを呼び出し問いただすべき、だと。命の危険を指摘する反論もあがったが、アイハムは恐れ知らずで、何事にも自信で考察し真意を見極めようとすることから『慧眼な男』、とも称されていた。粘り強く交渉した後、周囲を説得したアイハムはアンメイザと対面を果たした。


 初対面でありながらも物怖じせず、アンメイザに接するアイハムの様子は、周りの者たちの肝を冷やした。


 一国の王が、魔法使いという理解が不足している謎の存在に対して恐れ知らずに興味の赴くままに接近していった。その無警戒心は、アンメイザがその気になれば危害を加えることも容易だった。


 アイハムの行動は、周りの者たちを不安に駆らせた。だが、そんなことを気にしないアイハムは、初対面だというのにアンメイザと意気投合し、それからは何度もアンメイザを王城に呼び寄せるようになった。それからというもの、アンメイザは王都でよく知られた存在となり、周りの人々からも信頼されるようになっていった。


 アイハムが王位に就いてからも、各地でカトラリアとの戦闘は断続的に続いていた。それでも、戦闘は確実に減っていき、領地を巡る大きな戦闘や各地の情勢も沈静化しつつあった。それを後押しするかのように、アンメイザとの出会いがアイハムの政策を更に加速させた。数年後には、何十年も続いた戦争は終わりを迎えようとしていた。


 アンメイザが王都に住み着いて十年が経った頃、両国の首脳による対談が実現するという話が持ち上がった。


 アンメイザが女王と親交があることを知ったアイハムが、興味を示したのだ。アイハム自身、戦争を嫌悪しており、常に民を戦いへ送り出すことなく、両国が歩み寄る道を探っていた。これまで、何度もアンメイザと対面しその内面を知りつつあったアイハムは、両国の争いに終止符が打てるのであれば、と女王との対面を望んだ。


 両国の首脳が直接対面することで両国の争いが終わり、平和が訪れるはずだった。だが、事態は複雑になっていく。


 対面が実現したその日、アイハムは襲撃を受け死亡した。首謀者は、急速に接近しつつある両国の関係に反発したカトラリア内の派閥が、アイハムを亡き者にしようと謀ったと伝わっている。


 国王の訃報に、スエーデンは混乱に陥った。混乱は悲しみに。そして、スエーデンの全ての民が、魔法使いへの憎悪を再燃した瞬間だった。こうして両国は、再び戦果に溺れることになった。




「あの日以来、私は……」


 女王はそこまで言うと躊躇したのか、口を噤む。何かを考えているのか、その視線は宙を見つめている。しばらく思案する素振りを見せたあと、おもむろに言葉を続ける。


「私は戦争を終わらせるために最善を尽くしたのですが、それも虚しく現在にまで至るのです」


 すると、女王が言葉を聞いていたスノウが口を開いた。表情は荒々しく女王を睨み付け、口調は怒りに満ちていた。女王を責め立てたくて仕方がないのだろう。今にも斬り掛かりそうな憤慨ようだ。


「だが、先代の王を殺し戦乱へ導いたのはあなただ。あなたがいくら釈明しても、その事実に変わりはない」


 スノウの言葉に、女王は深々とため息を吐き、俯き加減になる。その姿が、釈明ではなく後悔の念に嘖まれているように見える。この一件には、一言では言い表すことができないほど複雑な事情があるらしい。言葉を口にしようとして。だが、告げる言葉を慎重に選ぶように探り探り、といったように言う。


 女王から語られた言葉は、健二の心を憂鬱にさせるものだった。


 どんなときも、固い意志を砕く邪魔は現れるものだ。まるでそれが試練であるかのように、どん底に突き落とそうと躍起になって足を引っ張る。


 試練を与えるのが運命か神かなどはどうでも良い。ただただ嫌気が差す。世界の平和。人々の平穏を求めても、それを不服に思う者は必ずいる。世界が戦乱であり続けることで利益を得る者。人々の流す血に高揚し、更なる血多き戦場を求める者と様々だ。


 人間は業が深いとよく言うが、そうに違いない、と納得してしまう。




「今回は私の提案を受けてくれて嬉しいよ。私なりに色々考えてみたんだよ。この世界をより良くするためには、と。結論はすぐ出たが、人の心を動かすことはそう容易くないからな。こんなに時間が経ってしまった。これで、精霊王として役割を果たせてことになるだろうか」


 アンメイザは、目の前に立つ女王に向かって言葉を掛ける。少し気恥ずかしさを自覚しながらも、数年ぶりに再会した弟子であり友人である女王を見据える。


 アンメイザの言葉に、女王は柔らかな微笑みを浮かべる。その微笑みを認め、アンメイザはどこか安堵した。以前に会ったとき、女王の顔には不安や苦悩が色濃く滲んでいた。だが、今はその顔色は払拭され、希望を抱き晴れ晴れとしている。これで自分の努力が報われる。


「――そういえば。お前は共を連れていないのか」


 アンメイザは、女王が家臣を連れていないことに気付き姿を探す。だが、女王の他には馬がいるだけだ。どうやら短身でここへ赴いたようだ。


「弟子をはじめ、多くの者には叱られてしまいましたが、私は両国の為にはこれが良いと考え、となんとか諭して参ったのです。苦労はしましたが、これでスエーデン国王にも私の誠意が伝われば、と思っています」


 そう言って笑った女王につい釣られ、アンメイザも笑みを堪えずにはいられなかった。


 数十年もの間、互いに領地を奪い合ってきた。故に、ぎこちない雰囲気になるのでは、と気掛かりであったが、そんなアンメイザの不安をよそに、女王とアイハムの対面は意外なほど円滑に進んだ。


 女王の誠意が通じたかは定かでないが、アイハムに恐れの色は見られず、まるで無邪気な子供のように女王を質問攻めにする。その多くが、日頃から疑問を持っていることだった。


 魔法というものがどんなものであるのか。魔法の起源と歴史。魔法使いの寿命や死生観。生活様式や仕来りに至るまで、魔法使いという存在自体に興味を抱き、その全てを知りたいのだ、という熱意を感じる。


 その場面を見守っていたアンメイザは、内心は少し嫉妬していた。この日を迎える前に、自分とは何度もあってきたアイハムだ。自分も魔法使いであるから、今更になって初歩的な問いを一国の王にするアイハムの姿を見ていて、自分にも同じ質問ができたのではないか、と愚痴を零したくなる。


 二人の様子はまるで街で互いの顔を見知った者たちが、世間話をしているかのようだった。ごく自然に団欒している光景が、二国の将来を左右しかねない立場の者たちの会話だとは思えなかった。


 両国の国交について話が持ち上がったのは、暫くしてからだった。既に打ち解けている二人は、互いの意見を述べ合い、妥協案を探ろうと話し始める。今回は、両国の素案をとりまとめ互いの国で検討したのち、再度両国の主要な者たちが席を交え、今後の方針を示す流れとなっている。


 それぞれが、今後について語り終え、アイハムが席を立とうとしたとき、事は突然起きた。


 衝撃が身体を突き抜けると、次の瞬間には高圧の爆風に吹き飛ばされていた。

状況を理解する間もなく、身体がよじり地面に叩き付けられる。


 地面の衝撃で、意識が遠のきそうになる中で、アンメイザは悲惨な光景を目にした。


 辺りは爆風の衝撃で、先程まであった天幕は吹き飛んでしまっている。天幕の外で控えていたはずのスエーデン兵士たちの姿もそこになかった。


 朦朧とする意識の中で、アンメイザは必死に状況を把握しようと立ち上がる。全身に走る激痛と、今にも力が抜けそうになる足を持ち上げ、ふらつきながら、先程まで近くにいた女王とアイハムの姿を探す。


 アイハムは天幕の下敷きになっていた。それを認め駆け寄る。重たい瓦礫を必死に押し退け、下敷きになったアイハムを助け出す。


 拓けた場所へ背負っていき、目を閉じ微動だにしないアイハムに呼びかける。何度呼びかけてもアイハムが応えることはなく、脱力した身体がアンメイザの腕の中で、岩のようにずしりともたれ掛かるだけだった。


 理解するのに時間は掛かったが、何らかの襲撃が起きたことはわかった。だが、襲撃した者の正体が見当たらない。


 辺りは混乱と激痛にうなされる兵士たちの声が、呼応するかのようにそこかしこから聞こえる。まるで経文を唱える僧侶の読経を聞いているようだ。


「アンメイザ殿。一体何があったのですか」


 アンメイザの姿を認めた将校が駆け寄ってきた。そして、アンメイザの腕の中で横たわるアイハムの姿を認めると、血の気が引いたように顔が青ざめる。どうやら、状況を読み取ったようだ。


「襲撃した者の正体は突き止めたのですか」


「いや――突然のことで……王を守ることができなかった」


 そこまで言って、アンメイザははっとした。突然の襲撃ではあったが、衝撃の直前に精霊たちが、ざわついた感覚があった。それは、魔法が行使される際に、目に見えない事象として感じられるものだ。だが、その事象を知覚することができるのは自分だけ。つまり精霊王だけだ。それに気付いた自分だけが、この状況を理解している。


 襲撃犯が魔法使いなのであれば、それを知ったスエーデン側の使節団がどのような反応を見せるかは、火を見るより明らかだ。


「女王……女王はどこだ」


 ふと女王の姿が見当たらないのに、不安が過ぎる。女王はどこなのだ、と立ち上がろうとしたとき、腹部に激痛が走った。


 絶叫しそうになるのを必死に耐え、歯を食いしばる。腹部に目を向けると、自分の額から全身に掛けてすうっ、と冷たい感覚が迸る。腹部には腕の太さほどの破片が突き刺さっていた。


 破片を取り除こうと考えたが、このまま引き抜けば、傷口からの出血多量で死ぬことになる。


「ああ、私もここまでか――無念だな」


 アンメイザはふと言葉を漏らす。全身の感覚が徐々に薄れていく中で、アンメイザの脳裏ではある光景が思い出されていた。


 数日前、スノウと口論になってしまった。アイハムと共に女王に会談することに、スノウは不満を抱いていたのだ。両国の争いの火種は沈静化しつつあるも、互いの溝は未だ深い。会談の場には、仲間や家族を敵国の兵士に殺された者たちがいる。その者たちが抱いている憎しみを蔑ろにしてはいけないとわかっていても、この会談は将来の平和のためには必要だった。


 そう言ってスノウを諭そうとしたが、それでも、スノウはアンメイザが会談に参加することを嫌がった。互いが主張を曲げず、話は拗れていくばかりだった。最終的には、アンメイザがスノウの進言を無視するように飛び出した。


 今思い返してみると、スノウの発言は、スエーデンやカトラリアの感情的な対立という事よりも、アンメイザの身を案じていたことがわかる。こんなことになるのなら、互いが納得するまでとことん話し合うべきだった。だが、今後悔したところで既に手遅れだ。


 アンメイザは長々と深いため息を零す。荒々しかった呼吸は、浅く小さくなっていた。全身の力が抜け、既に座っていることも難しかった。


 身体を横たえ、ふと空を見上げると、自分の心情を嘲笑うかのように、晴天の空が嫌なほど清々しく無限に広がっている。


 目の前の景色が薄らぐ中で、アンメイザは愛弟子の姿を思い返した。


「私は本当に馬鹿だな。自分の使命にしか目が向かず、お前に良いようにしてやれなかった――本当にすまない」

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