15.協定

 日が昇らないうちに目が覚め、辺りが明るくなった頃。健二は、王城の一角にある展望台に立っていた。


 王城の南側に位置する外壁の縁に設けられた、見張り用の展望台からは、王都の南側の街を一望することができる。手前が上流階級、奥には庶民が暮らす街並みが見てとれる。


 早朝ということもあり、街の静けさは、薄暗い朝の闇に沈み、夜の闇を照らしていた街灯が、微かな弱々しい光を灯している。夜の間に冷やされた空気が、柔らかな風となり健二の顔に纏わり付く。


 ここから見える風景の全てが、平和と平穏を願った人々が築き上げてきたものだ。

何百年という年月を掛け、街を建築し広げてきたに違いない。人々が集まることで活気づき、経済、産業の面においても高い水準を築き上げてきた。人々が豊かさを望み、代々に街を築いては国を発展させてきた。


 国の豊かさを望む一方で、国土を広げるため他の地を開拓していく最中で、多くの争いが起こる。先住民と開拓民。両者が土地を巡り争うことで、無用な血が流れる。豊を願ったが故に起こる悲しい出来事。争いの種は、どこにでも芽生え、人々の心を侵食していく。争いに駆られ、不幸な道を辿ることがわかっていても、人は争いから逃れることができないのかもしれない。


 人の心は未熟であり愚かしい。そんな人間が支配する世界から戦争という惨たらしい不幸をなくすことはできるのだろうか。


 そんな考えに耽りながら風景を眺めていると、背後から声が掛かった。おもむろに振り返ると、スノウが立っていた。


 目覚めたばかりなのか、それとも夜更かしをしていたのか、その表情が少しばかり疲れているように見える。だるそうな様子で健二の隣に立つと、深々とため息を吐く。


「大丈夫。大分疲れてるみたいだけど」


 スノウの様子が気になり健二が尋ねると、スノウは面倒くさそうに言う。


「私はこの国で文官の役目を担っているんだが、君を向こうの世界から連れてくるのに本分を疎かにしていたせいで、仕事が溜まっていてな。何となくやり過ごしていたが、さすがに他の文官に示しが付かないから、昨夜は徹夜したんだよ。溜めていた仕事を一気に片付けたお陰で、今は絶妙に眠気が襲っている」


 だらしないスノウの様子に、健二は笑いを堪える。眠気と対峙していたスノウが、ふと何か思い出したように言う。


「そういえば、君に話をしておかなければならないことがある」


 スノウの言葉に健二は構える。早朝からこのような場所でする話とは一体何だというのか。自分にとってどんな影響をもたらすのか。


「先日、カトラリアの方から使者が来たらしく、どうやら今回の戦争の停戦協定を結びたいらしい」


 スノウの言葉に健二は思わず深くため息を吐く。その様子に、スノウは呆れたように言う。


「君にとっては嬉しいことのはずだぞ。囚われていたとはいえ、あの国の者たちには色々と世話になっていただろう。顔を合わせるだけならハディも許してくれるはずだ。ああ、それと、捕虜となっている二人。向こう側の捕虜と交換することになりそうだ。君から伝えると良い」


 それだけを言うと、スノウはそそくさと行ってしまった。


 健二は、とりあえずジラルモとイーリスに吉報を届けなければという思いで、二人のもとへ向かう。


 二人とは数日に一度は面会している。ここへ来てから、何度か二人の解放をスノウに交渉しているが、魔法使いであり、スエーデンの中でも高い戦力を有するジラルモを解放することはできないと断られた。


 イーリスに関しても魔法使いとしての戦力は、兵士の数十人にも及ぶため同様に却下された。


 二人のもとへ向かった健二が、スノウから聞いた事を伝えるとジラルモは低い声で凄む。


「また来たのか。スエーデンを裏切った外道めが」


 面会の度に同じような悪態を吐かれ、はじめは傷付いていた健二もいつしか、麻痺しジラルモの凄む言葉も聞き流すようになっていた。


「はいはい。俺のこと嫌いなんでしょ。わかってるよ」


 健二の素っ気ない対応に、ジラルモが更に苛立ちを募らせるのをイーリスが宥める、というのがいつものくだりとなっていた。正直、そんなジラルモを見ているのも爽快ではあるが、今回はそんな訳にもいかず、健二もジラルモを宥める。


「それで、何の用なんだ。こんな所に来るのにお前が何の理由もなく来ることなんかないだろ」


「いや。定期的に来てるつもりなんだけど」


「嘘を吐くな。お前は、俺たちから情報を引き出そうとしているだけだろ」


 ジラルモの嫌味を聞き流し、健二はスノウから伝えられたことを説明する。すると、二人は意外な反応を見せた。


 健二は二人が停戦協定に、肯定的な反応を見せると思っていた。停戦協定の意向は、カトラリアの国主である女王の意向が反映されていることは明らかだ。それを知らないはずがない。それでも、否定的な意思を示す二人の様子が気になった。


「この停戦協定には、女王の意向が汲まれているはずだろ。何で反対なんかするんだよ」


 健二の言葉に、ジラルモは呆れた表情をする。さも、その考えが当然である、とでも言いたげな表情だ。だが、健二には、ジラルモの内心など推し量ることはできない。


 困惑した表情を浮かべる健二の様子に、ジラルモは仕方ない、という様子で言う。


「お前は陛下のことを何も知らない。陛下は、この地に囚われている俺たちの身を案じておられるのだ。陛下はお優しい方だ。こんな俺たちのことでさえお気に掛けてくださる」


 自分の身を案じている、と何の疑いもなく言い切るジラルモの言葉に、少しばかり冷ややかな感情を覚えた健二だったが、以前に女王と対面したとき、何者に対しても慈愛に満ちた空気を纏っていたことを思い出した。その上、ジラルモは女王の弟子でもある。弟子を窮地から救いたいと考えるのは、当然のことなのかもしれない。


「でも、停戦協定の締結のために、カトラリアから使者が来ることは決まってることらしいから、二人には何もできることはないだろ。良い方に向かうことを願うことしかできないだろ」


 健二の言葉に、ジラルモは俯く。


「そんなこと。お前に言われずともわかってる」




 カトラリアから使者が来るという報せを受けた翌日。突如、王都の上空に巨大な飛行船が現れた。


 飛行船の出現の噂を聞きつけ、健二もその様子を見守っていた。


 飛行船といえば、この世界に来た直後に一度だけその戦闘を目にした。戦争にとって制空権は、勝敗の行方事態を左右しかねないものだ。戦局を優位にするためにも、国々は戦闘機の開発に躍起になるものだ。


 飛行船は微速で上空を漂いながら、王城の真上で停滞すると沈黙を保ったまま微動だにしなくなった。


 突然の出来事に、人々は混乱している様子だったが、それぞれの口から語られるのは、グロリアス、という王国の名だった。


 グロリアス王国は、スエーデン王国との同盟国だ。特徴としては、工業技術や軍事技術の面が突出して発達しており、スエーデン王国と共にカトラリア王国に対抗すべく共闘関係にある。


 グロリアスはドワーフが国主として統治する国家であり、科学技術を主に主として国を発展させてきた。魔法で国を発展させてきたカトラリアとは対極の存在といえる。そんな事情もあるせいか、グロリアナではスエーデンとは別の理由で魔法使いは嫌悪されている。科学では証明することが不可能ともいえる精霊の力。しいては精霊そのものが世界と密接に関わっている、と説いている魔法使いの論説に対して、証明や実証ができないなどという冷ややかな目で見ている者も多い。グロリアナの人々からすれば、魔法という説明ができない法則の世界を説く、という行為は、愚の骨頂に等しいとも言えるのだろう。だが、そこで健二は、どこかで聞いたか見たか、誰かの言葉でこんな一文があったのを思い出して、心の中で呟く。


(高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない)


 その言葉の通り、この世界からすれば、自分がいた世界のテクノロジーもこの世界の人々からすれば、魔法と見分けがつかないのだろうか。


 暫く飛行船の様子を見守っていると、旅客部らしい入り口から王城へ降りていく人影が見えた。


 数人の人影は王城に降り立つと、出迎えの者たちに連れられていった。その者たちがドワーフという種族であることはひと目でわかった。明らかな低身長、がっしりとした体格だ。そして何よりも特徴的なのは、地面すれすれまで伸ばした長い顎髭が艶やかな光を発している。


 だが、スエーデンの同盟国であるグロリアスであったとしても、他国の上空を悠々と浮遊する巨大な建造物を、しかも王城の頭上で留まっていることを容認するなど、グロリアス王国という存在が、スエーデンにとってどれだけ大きな存在なのかを思い知らされる。


 何の前触れもなく飛行船が飛来したことに、王都の人々が動揺することは必至だ。それでも、飛来を容認したハディの思惑とは何なのだろう。


 飛行船は二日後には王都を発ち、北の空に消えていった。王都へ飛来した目的はわからず、スノウにも尋ねたが、王都の高官にも、飛行船の飛来目的は明かされていない、とのことだった。スノウ自身も、理由を明かされていないらしく、その話題が上がると不服そうな表情で不機嫌になっていた。




 健二は自室に籠もり、暇を持て余していた。


 今朝の出来事を思い出し、これからの自分の立場がどうなるのかと不安に駆られていた。工業において、この世界でも突出したグロリアナ。国力において、最大の戦力を有するスエーデン。両国による連合の結成に対して、個々の戦力は高度ではあるが、国力が十分とは言えないカトラリア。


 短期的な戦争下では、カトラリアに優位が働くかもしれない。だが、国力を削り長期的に戦争を継続するのは、困難を極めるだろう。


 このタイミングで、カトラリアから提案された停戦協定に、スエーデンはどんな対応を取るのだろうか。スエーデンとグロリアナの連合。この二国が現状で拮抗している戦況を考察すれば、停戦協定の提案を受け入れるのは難しいだろう。連合を停戦協定の場に引きずり出すには、停戦協定の締結の場で、どれだけの要求を引き出し交渉できるかが重要になってくる。そうなれば、国主の意を汲み取り、即座に提案することができる人物がスエーデンを訪れるはずだ。


 女王の意を汲み取れる人物だとすれば、女王の弟子である、リック、ジラルモ、シューベンタルトのいずれかとなる。


 リックは世界の崩壊を防ぐため各地を巡り、儀式に関する伝承や記録を求めて世界を放浪している身だ。多忙な身の上、各地を駆けずり回っている。停戦協定のためとはいえ、その場に足を運ぶことはできないはずだ。


 ジラルモは囚われの身。停戦協定の席に着くことは難しい。


 残るのはシューベンタルトということになる。だが、カトラリアの戦力の中でも、最も力を持っているシューベンタルトを派遣することは、カトラリアにとっては大きなリスクを背負うことになる。それでも停戦協定を結ぼうとするのはなぜか。ジラルモの言っていたように、弟子の一人を救いたい一心でのことなのだろうか。




 数日後、カトラリアからの使節団が王都に到着したという知らせを聞き、健二は即座にその姿を目にしようと急ぐ。


 使節団は王城に姿を現すと、即座に王への謁見を申し出た。


 隠れた場所からその様子を窺っていた健二は、シューベンタルトの姿を探すが、認めることはできなかった。淡く期待を寄せていただけに、落胆を隠せなかった。


 使節団は十人ほどで構成されている。カトラリアでは、魔法使いは平民とは身分が区別されている。魔法使いが統治する国といっても、民の全てが魔法使いではなく、その数も極少数だ。魔法使いの中でも優劣がある、と以前にシューベンタルトが口にしていたことを思い出した。


 魔法使いは身分の違いを表すために、腕章を身につけなければならない。決して上級国民として扱われることはないが、制度内で優遇されることは幾つかあるのだという。


 一団の中には、魔法使いらしき人物が五人ほど含まれているようだ。だが、どちらを窺っても知らない顔ぶればかり。あちらも健二のことを認識していないようで、わざと目の前を歩いてみたが気に留める様子さえなかった。僅かに期待を抱いていたが、それが完全に失望へと変わった。


 自室へ戻ろうとしていた健二に声が掛かった。


「君も使節団の事が気になるんだろう」


 スノウは意味深な笑みを浮かべている。それが気にくわなかったが、協定の行く末が気になるのも事実だった。


「まあ、どんな結果になるかは気になるけど」


「それじゃあ、その内容をこっそり見てみたいと思わないか」


 そう言ったスノウの表情は悪戯を思いつき、想像力を巡らせて楽しんでいる者のそれだった。


 スノウに悪戯好きの一面があるとは思わなかったが、健二自身、協定がどんな行方を辿るかは気になるところだ。渋々、といった様子を装いスノウの言葉に頷く。


「わかったよ。それで、どんな方法で協定の内容を盗み聞きするんだよ」


「盗み聞くだけではない、間近に観察しようではないか」


 スノウはそう言って不敵な笑みで口元を歪める。

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