14.愚者と賢者

「健二――目を覚ませ」


 誰かに声を掛けられ、閉じていた目を開くと、そこには見覚えのある一室があった。一瞬そう思ったが、健二自身、この場所に立つのは初めてだった。


 僅かに香木の甘い香りが漂う室内は、二十畳ほどの広さで、入り口のドアの両脇の壁に明かり取りの小さな窓が備え付けられている。外の天気が曇っているせいか、窓から十分な明かりを取り入れることができず、部屋の中は薄暗く、重たい空気を漂わせている。


 正面の壁には暖炉が据えられ、火の消えかけた薪が僅かに熱を放出している。肌寒い空気が肌を伝い、凍えるほどに室内は冷え切った空気で満たされている。暖炉の薪が燃え切り、ごとり、と音を立てて崩れるとそれを皮切りに、再び健二に声が掛かった。


「ここに立つのは初めてか……いや、私の記憶を介して目にしたことはあるか」


 健二の目の前に一人の女が立っていた。


 女は薄手の部屋着にゆったりとしたカーディガン羽織っており、部屋の隅に据えられている長椅子に深々と腰掛け、俯き加減でこちらを見据えている。


「――あなたは」


 健二はアンメイザの姿を目にして、何とも言えない気持ちになった。尋ねたい疑問が多すぎて、何から尋ねるべきなのかわからないほどだ。そんな健二の心中を察せずか、アンメイザは面白がるようにして頬を緩める。


「お前の力も大分安定してきているな。こうして、直に私と対面することができている」


「いや。俺は別に会おうと思ってこんな所には……これって夢なの」


 健二は改めて辺りを見回す。現実味があり過ぎて、これが夢だとは到底信じられない。


「夢、とは少し違う。私の記憶の中の風景を投影し、そこに立っているだけだ」


 アンメイザの言葉が理解できず、少し困惑しながらも、なぜこのタイミングでここに立つことになったのかを尋ねる。


「それで、何でこんなことに」


「スエーデンの建国に関して、重要な事を伝えておこうと思ってな。スノウには何度か話していたことはあったが、その後の真実については、教えることを失念していた。建国のあとは、関係が少し拗れてしまってな。それに、伝える前に私が死してしまったから、結局伝えきれないままだった。アイツにはもう少し利口であってほしかった。何せ、堅物だからな。自分の考えを柔軟に変えられない」


 アンメイザはそう言って力なく笑う。後悔の念なのか、スノウがスエーデンに加担していることに対する失望なのか。そんな言葉の意味を察しようとする健二を横目に、アンメイザは会話を進める。


「とにかく。お前にはスエーデン王国の建国後に埋もれた歴史の真実を伝えておく」


 アンメイザ曰く、建国後のスエーデンは史実とは大きく異なるらしい。この国で記されている歴史とは、何が違うというのだろうか。健二が考えるまでもなく、アンメイザがその真実を語ってくれた。




 スエーデン王国の建国から五年後。王都で事件が頻発した。


 建国から間もなくせずして、建国に携わった豪族や権力者が、街が寝静まった深夜に何者かによって暗殺されるという、国の根幹を揺るがしかねないという最悪の事態に陥っていた。


 主犯の目的や思想はおろか、不定期で前触れもなく起こる事件に、人々の心は恐怖と不安で疲弊していった。事件が起こり始めてから二年が経過しても、依然として犯人が見付からない王都では、互いが疑心暗鬼となっていた。中には憎み合う者同士が、事件の主犯だと互いを告発し合い、遂には啀み合っている者たちが、暗殺者を差し向けることさえもあった。そんな状況をバタルは悲観していた。そんなとき、ある噂が王都内で密かに囁かれることになった。それは、バタルが少年であったときから共に行動し、部族を率いていたときも惜しみない支援をしていた男と少女に関することだった。


 噂が囁かれるようになってから、二人に対する周りからの嫌がらせや非難が相次ぎ、バタル自身も臣下から二人に処罰を下すように、という進言があとを絶たなかった。だが、二人の犯行の証拠は何ひとつ見付かることはなかった。それでも人々の冷ややかな目は増すばかりだった。


 噂が広まった原因は、二人が魔法使いであったことだった。二人が怪しげな術でバタルを洗脳しており、裏から国を掌握することを企む一方で、障害になり得る者を暗殺しているのだ、という根拠のない確信や憶測が立ち、それを危機とした者たちの迫害の対象となったのだ。


 実際、二人にはそのような意図はなかったのだという。だが、拡散され定説化された噂の前には、反論など虚しいだけで、当人たちの言葉が正当であることを証明することは難しかった。それに加え、魔法使いである二人の存在は、初めて対面する者たちにとっては、未知の存在であり、このとき既に恐怖の対象として定着してしまっていた二人を排斥しようとする動きは、益々高まるばかりだった。


 そんな状況が半年ほど過ぎた頃、二人は忽然と姿を消した。人々が願って止まなかった二人の排斥が叶ったことで、王都は一時の平穏を得た。だが、事は単純ではなかった。時を経たずして、建国の王であるバタルが急死したのだ。


 急死の真相を突き止めるため、国の最高医がバタルの死因を探ったが、明らかにすることができなかったという。死因が不明のまま、バタルは多くの人々の悲しみと共に国葬された。突然の訃報に国中が悲しみに沈む中、次期国王へは、息子が推挙され国政を継ぐことになった。


 悲しみに暮れる中、人々の口々に囁かれたのは、魔法使いの二人の存在だった。消息を絶った後、密かに国の転覆を謀り、遂に国王であるバタルに手を掛けたという憶測が広まりつつあったのだ。それがバタルの死因と関係している、という根拠のない事実として語られるようになり、いつしか定説として語り継がれるようになった。こうして、スエーデン王国では、魔法使いは忌み嫌われる存在となった。




「今話したのが、建国後のスエーデンの史実だ」


 語り終えたアンメイザは、深いため息と共に長椅子に沈み込む。語り疲れたのか、しばらくは目を瞑り無言のままだ。


「――あの。その、スエーデンの事と俺の事で何が重要なの」


 健二はなかなか破られない沈黙に絶えかねアンメイザに尋ねる。


 アンメイザはおもむろに立ち上がると、目の前のテーブルにあった何かを手に取る。それは急須だった。いつの間にか現れた急須を手に取り、小さな器に注ぐ。紅茶なのか緑茶なのかわからないが、急須から注がれたそれは、芳しい香りとなり、焦る心を落ち着かせる。急須から器一杯にそれを注ぐと、アンメイザはゆっくりと持ち上げ、一口啜る。再び深いため息を吐くと、もといた長椅子に戻る。


「この事件。お前はどういった背景があると思う」


 アンメイザの問いに、健二は固まる。先日、スノウから建国の史実を聞かされた。そしてこの瞬間に、アンメイザから建国後の王国の闇とも言える事件のあらましを聞かされた直後だ。そんな事件の背景に関して、意見を求められたとしても、その意図を読み取ることができない。


「俺が聞いた限りでは、その二人が犯人なんじゃないのかな。話の内容もそんな感じだし」


 そう言った健二の言葉に、アンメイザは力なく笑う。


「だろうな……そのように聞こえても仕方がない」


 そう言ったアンメイザの表情は憎らしげではあったが、その口調から哀愁にも似た悲しさが見てとれた。


「真実は違ったりするの」


 アンメイザの言葉が気になり尋ねると、ああ、と頷く。


「あの事件の犯人とされてる二人の魔法使いというのは、私と師匠のことなんだ。まあ、聞いていて何となく察しは付いていたとは思うが」


 その言葉に、何となく疑いの目で見ていたものが確信となった。やはり、バタルとアンメイザには関わりがあったのだ。だが、アンメイザとその師匠がバタルと共に、スエーデンの建国に関わったのはなぜなのだろうか。


「でも、二人は結局のところ、スエーデンの人たちに恨まれることになったけど。そもそも、何でバタルに協力しようと思ったの」


 健二の問いに、アンメイザはふっ、と笑みを浮かべる。その笑みに何の意図があるのか理解できず首を傾げると、その口元を更に歪める。


「それは、バタルが真にこの世界の平和と平穏を願っていたからだよ。私の師匠も精霊王だった。あの人は、荒れ果てた世界を歩き回り、世界を良い方へ導く指導者を求めて旅を続けていた。そして、バタルに出会った。バタルこそが師匠が探していた者そのものだったんだよ」


 アンメイザの言葉に、健二は疑問を投げ掛ける。


「でもなぜ、バタルはあなたの師匠のもとで学んだの」


「実は、バタルも魔法使いなんだ。建国聖書では、その力を『覇者の威』などという族的な記述をしているがな。まあ、事後的に建国の父が魔法使いであったいう事実をひた隠しにしたかったんだろうな」


 アンメイザの言葉に、健二は唖然とした。確かに、バタルの力が常人の域ではないことは、スノウが語った建国聖書の話からもわかっていた。だが、バタル自身が魔法使いだったいう事実を受け、動揺を隠せない。この真実を知ってしまえば、魔王使いに対して嫌悪感を抱いているこの国の人々は、どんな感情を抱くのだろうか。


「それじゃあ、この国もカトラリアみたいに魔法使いが建国した国ってことに……」


「まあ、言ってしまえばそうかもしれない。だが、バタルの血筋は、建国して間もなく途絶えている。今の王族は、バタルの血筋とは全く関係ない」


「でも、息子が王位を継いだんじゃないの」


「表向きはそういうことになっているが、バタルに実子はいなかった。王位を継いだのは、バタルの腹心であり、建国にも貢献した者の一人であるマラという男の息子だ」


 アンメイザの言葉を聞いて、健二ははっとした。バタルが建国へ向かう転機となり、連合結成の発端となった部族の長であった男だ。


 建国聖書では、小規模の部族を率い、自身も戦場で先頭に立ち、兵たちを指揮していた。その上、知略を持ち合わせ、最小限の兵で最大限の敵を討ち払い寄せ付けなかった男だ。そのマラ・アトという男が、バタルの死に何かしらの関わりを持っているのだろうか。


「私の勝手な見解にはなってしまうが、マラはしたたかであり、知恵も働く男だった。だが、連合結成後は、バタルに力が集中し、対等だったはずの関係は、いつしか計り知れないほどのものになっていた。あの男も野心家だった。そんな状況を喜んで静観していることなどできなかっただろうな。その上、建国後は、バタルの『腹心』という立場となってしまい益々地位の差は開くばかり。それに、私と師匠の存在は、あの男にとっては目の上のたんこぶそのものだった。私たちのこともあからさまに嫌っていたしな。事件のきっかけは、ただ単に、貴族が強盗に遭ってしまったとい不幸な出来事だったが、あの男はそれを利用し、自分に対して不都合になる豪族や貴族を次々と殺害した。それと同時に、私たちのあらぬ噂を広め、立場を狭くしていった。私たちが去った後は、バタルを亡き者にするだけ。こうして簒奪は成されたというわけだ」


 アンメイザの口から語られる真実に、健二は絶句した。これは国の歴史そのものの根幹を揺るがしかねない真実だ。代々国を統治し、王族として君臨していた者たちが、実は偽りの血族であり、つまりは天神の加護を受けていない、ということになる。真実を知った人々は、どんなことを思うのだろうか。


「そもそも、現在の国王。しいては王族に、この事実が代々語り継がれているかはわからないが、王室にとっては、何よりも重大な闇だろうな」


「でも、何で俺にこんな話をしたの」


 健二はふと疑問に思った。一国の歴史の真実を知ったところで、自分には関係のないことのように思える。それを差し置いても、アンメイザにとっては、歴史の真実を伝えることが重要だというのだろうか。


「お前はこの世界の全てを統べる者として、先祖代々の時代から子々孫々に至るまで、人々の移ろいを見守らなければならない。故に、どんな真実であっても、お前はそれらを正面から受け止めなければならない。それを覚えておけ」


 アンメイザとしては、精霊王としての責務を説きたい、というところだろうか。だが、一国の歴史を知ったとして何が変わるというのか。それに、精霊王という責務はスノウに譲渡している。自分に関わりがあるとは思えなかった。


「でも、俺には関係ないよ。精霊王としての役目は、スノウが担うって」


「スノウは頑固だ。故に、ひとつのことに真っ直ぐではあるが、周りが見えなくなるのが欠点でもある。アイツには、私の全てを与えてきたつもりではあるが、どうしても心配なんだ。間違えた視点でこの世界を見ていないか、とな。実際、今もスエーデンの口車に乗せられ、間違えた道を辿りかけているのでは、と心配で仕方がない」


 そう言ったアンメイザの表情は、悲しげだった。自分の力が及ばず、スノウを諭したくとも、言葉を掛けることもできない無力感に打ちひしがれているようにも見える。


 健二は少しばかり、スノウに言われるがまま、行動してきたことを後悔した。今までは、何の疑いもなく、盲目にスノウの言葉を信じてきた。今思えば、スノウの言葉は、過激な発言が多かった。魔法使いに対する嫌悪的な発言が目立つが、その発言に明確な根拠はなく、盲目的に自分が信じていることに疑念さえ持ち合わせていないようだった。以前はなぜ、そのような発言が多いのか考えたことはかなったが、もし、何者かに影響され、間違った信念を植え付けられているのだとしたら。そんなスノウの考えを改めさせることはできるのか。


 健二の中に言い知れぬ不安が渦巻く。思わずため息を零す健二の内心を察してか、


「まあ、お前がアイツを説き伏せようとしても、聞く耳など持たないだろうな。こればかりは運に任せるしかないだろう」


 そう言って、アンメイザは何かが吹っ切れたように高らかに笑う。


「でも、あなたの言葉ならスノウは耳を貸すんじゃないの」


「かもしれない。だが、私が直接アイツに語り掛ける術を持たない以上、どうすることもできない。人間というのは悲しく愚かしい生き物だ。自分の欲望に率直でしかも加減を知らない。未熟で幼い。だが、だからこそ失敗からも学ぶことができる。私は彼らが失敗から学び、過ちを繰り返さないように、と心底願うばかりだよ」

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