13.天神

「君はこの国のことをどんな国だと思う」


 王城に来てから既に半月が過ぎていた。一日中、何もすることもなく、ただだらだらと過ごしているだけの日々。そんなとき、突然スノウに誘われ、王城を出て街に連れ出されていた。


 街の雰囲気や散策を楽しみながら、昼時の活気が溢れた街並みを前に、昼食を口にしていると、突然スノウが健二に尋ねる。


「えっと……人間という種族を中心に成ってる国、だっていうことは知ってるけど」


 突然のスノウの言葉に、健二はたじろぐ。


 この国へ来てからというもの、日々の暇を持て余し何かをするわけでもなく、堕落したような生活を送っていた。こんなときに、少しでもこの国のことを学んでおくべきだったと後悔したが、今となっては遅すぎる。何かを言わなければ、という思いで言葉を詰まらせながらも、苦し紛れに言う。すると、スノウはふっと笑う。


「私は別に的確な答えを求めてなどいない。君がこの国に対して抱いている印象を尋ねているんだ」


 スノウの言葉で、健二はようやく問いの意図を理解した。スノウは、この国にとって異邦人である自分が何を感じているのか、ということを知りたいのだろう。だが、その問いに対し、正直に答えるべきか、スノウが望む答えを汲み取るべきか。

健二がスノウの腹の内を探っている間、なかなか返答しない健二の様子に、スノウは苛立たしげに脚を揺すっている。


「別に考える必要は無いんだぞ。私が言ったように、第一印象を聞いているんだ」


 健二は何となくスノウから漂う威圧感が気になりながらも、おもむろに答える。


「この国は、カトラリアと比べると産業や工業が発展してると思う。人口も大分多そうだけど、身分の格差は大きいと思う。街なんかを歩いてると、特に上流階級と平民の服装とか、街並みも大分違うし、生活水準も壁を隔てるだけで違う街にいるのか、っていうくらい違う。俺は、この街並みを見て言ってるだけだけど、大きな街は、大体こんな感じなんだろ」


 健二の言葉に、スノウは深く頷く。


「以前には、これほどの格差はなかったんだ。平民の生活自体はもっと豊かだったし、活気も今より良かった。しかし、カトラリアと戦争を始めてからは、国が軍備を整えたり敵地への攻撃や領土の防衛などへ食糧や人員をさかれ、若者や働き盛りの者たちが招集されている。そのせいで、街の経済も低迷している」


 カトラリアとの戦争で、この国にも大きな不況の波が押し寄せているのだということを知らされ、健二は複雑な気持ちになる。スエーデンとカトラリア。両国の姿を見ていて、どの街にも戦争の爪痕が見当たらないながらも、人々の生活を目の当たりにしていると、何となく戦争による疲弊のようなものが感じられる。


 自分が生活していた世界とは随分と掛け離れた生活に、この世界へ来た当初は、困惑しなじめる気がまるでしなかった。だが、いつしかその不安は、知らぬ間に払拭されていた。


 今、自分の目の前にある問題といえば、自分という存在が、両国の間で揺らいでいるということ。そもそも、自分がどちらの国にも思い入れがあるわけでもない。それだというのに、皆が忠誠心を試すような発言や思惑を向けてくる。それがストレスとなり、息をすることさえ苦しい。


「だからといって、結局は何が言いたいんだよ」


「君の中に敬い奉る存在があるかはわからないが、この国がどんな苦しい状況にあっても、人々の王に対する敬仰の念が揺るぐことはないだろう」


 スノウの言葉の意図がわからず、健二は首を傾げる。だが、この国の王に対する敬仰が揺るがない、というのはどういうことなのか。


「何でそんな事が言い切れるんだよ」


 健二の言葉に、スノウは含みがあるような表情で言う。


「この国の人々が何を崇めているかわかるか」


「……国王」


 一国の民が崇め、国内で最大の権威を有しているのは国王だ。つまりハディということになる。だが、スノウの含みのある発言を考えると、そうではない気もする。


「まあ、あながち間違いではないが。それよりも尊い存在だ」


「国王よりも偉い人間がいるっていうのか」


 健二の言葉に、スノウは面白がるようにして言う。


「いや、人ではない『天神』だ」


 初めて耳にする言葉に、健二は耳を疑う。天神とは、神という存在のことなのだろうか。この世界では、神が実在するというのか。なぜ天神という存在が、この国では崇められているのか。そもそも、この世界を構成しているのは精霊であるはず。精霊の存在無しには、全ての物質がこの世界に留まることさえできない理の世界で、その存在を差し置いて崇められる存在とは。世界の摂理から逸脱した存在なのだろうか。


 健二の中で疑問だけが大きくなり、遂にはそれを考える事を諦めた。


「天神ってどんな存在なの。神様か何か」


「天神といっても君たちの世界でいう神、という存在とは少し違う」


 スノウの言葉に健二は、ただ言葉を呑み込むことしかできなかった。なるほど、と納得はできた。自分の世界でいう神、という存在とは別の存在なのだとすれば、この世界を見聞してきた経験から導き出される答え。それは、この世界で最上位の存在、ということになるのだろうか。


 だが、スノウから語られた言葉は、意外なものだった。


「ドラゴンだ」


 その言葉を聞いて、健二は思わず吹き出す。


「ドラゴン。何だよそれ。お伽話じゃあるまいし――」


 そこまで言って、健二ははっとした。この世界こそが、以前の自分では考えもしなかったお伽話の世界そのものだと。


「別に驚くことではないだろう。ドラゴンそのものが精霊という存在なんだ……以前に教えたはずだが」


「そうだっけ……」


 以前にスノウから聞いていたことを思い出し、健二は恥ずかしくなる。確かに、精霊の泉で会った守護者たちと同様に、この世界の開闢から存在し続け、事象でしかない精霊たちとは異なる、意思を持った存在なのだということを聞いていた。


「だけど、天神と国王に何の関係があるんだよ」


「それは――」


 スノウによると、天神はスエーデン王国の建国に深く関わっているのだという。




 ――千年前、一人の豪族の男がいた。その名はバタル・アハディル。


  豪族の子として八人兄弟の末弟として生を受けたバタルだったが、いつも家族の影に隠れ、目立たない存在だった。上の兄弟に世話を焼いてくれる者はおらず、家族の後ろから張り付くようにして歩くバタルが疎ましく思う兄たちからは、顔が腫れる程の暴力を震われることもあった。


 そんな環境下で幼少期を過ごし、家族に受け入れられず、爪弾きにされ、疎外感を抱きながら自立した生活をしなければ、生きていくことさえ難しい中で生活を送っていた。


 バタルが十歳になった年、他部族との間で小さな小競り合いが起きた。


 農耕に必要不可欠な小さな水源を巡っての小競り合いだった。たかが水源ひとつ。だが、水源は生活に大きな恵みを与える。部族に必要な生活用水から農業用水。生活をまかなうためには不可欠な水源が他部族の手に渡ることを容認できない両者が下した決断が、相手を殺してでも自部族が水源を独占することだった。


 部族間の争いは次第に拡大していき、それぞれの部族が友好関係にある部族が手を組み、敵対する部族を蹂躙する。それは際限なく広がり、一月も経たない間に三十を越える部族が争いの渦に巻き込まれていった。


 以前から敵対し小競り合いを続け均衡が崩れないまま膠着していた部族同士の争いに、他の部族の思惑が重なり、一方が他の部族の支援を受け、敵部族を蹂躙する。同胞を殺された者たちは、復讐に取り憑かれ、一人でも多くの敵を亡き者にしようと戦場で鬼人の如く敵を屠る。それが再現されるように、殺された者の家族が、殺した者に復讐を誓う、血で血を洗う負の連鎖が続いた。


 次第に人々の心は荒み、正に世界は暗黒の時代へと突き進んでいった。バタルの部族も例外ではなく、暗黒の時代の渦に巻き込まれていった。


 豪族であり、部族を率いるバタルの父は、上の兄弟と共に戦場に立ち、次々と戦果を挙げていった。占領した部族の生き残りは皆殺しにし、部族もろとも根絶やしにしていった。いつしか、部族は周囲の部族からも恨みを買うことになった。そんなとき、バタルの兄たちが率いた部族の部隊が敗れ、兄の部隊を救出しようとした父の、結託して連合を組んだ敵戦力の前に為す術もなく敗れた。


 残った兄弟たちと共に土地を追われることになったバタルは、収拾が付かなくなってしまったこの争いをどうすれば終結させることができるのか、と思案していた。以前から、父の考えが好きではなかった。他部族は敵。敵は根絶やしにしなければならず、共存することなどあり得ない、という考えが理解できなかった。


 バタルの価値観は、父や兄弟たちとは違っていた。多様性があり、様々な考えを持つ人々が共存する。一人の人間が、個として自身の信念を持ち、誰にも迫害されない社会で生きていく。そんな世界を願っていた。


 バタルの信念は、はある人物の影響を受けていた。


 バタルが家族から除け者にされても絶え続け、十三歳の誕生日を迎えたとき、転機が訪れた。


 食糧を調達するために森に入ったバタルだったが、誤って森に住み着く野犬の縄張りに入ってしまった。


 野犬の群れに襲われ、逃げ惑い、遂に命の危機を感じたとき、バタルを中に圧力が広がった。それは目に見える形ではなかったが、壁のように周囲に広がる。無形の圧力に、身の危険を感じたのは野犬の方だった。目に見えない敵に恐れをなし、野犬の群れは森の奥へ去っていった。


 命の危機から脱し、自分でも何が起こったのかが理解できないまま、森から抜け出したバタルは、家路の最中に一人の男に出会った。


 このときバタルが無自覚に発した圧力は、のちに聖なる力として後世に語り継がれることとなる『覇者の威』といわれるものだった。


 男はバタルに対して、不思議な力について教授することができる、と申し出た。少し怪しいような気もしたが、自分に起きていることが気になるのと、初めて他人が自分に対して悪意ではない感情を向けてきたことにバタルは、それが男の気まぐれの興味からの思惑であったとしても構わなかった。自分に興味を示してくれた。それだけで十分だった。


 バタルは男と連日顔を合わせては、日が暮れるまで力の制御を学んでいった。はじめは力の制御がままならず、混乱していたが、男の助言を糧に少しずつではあったが力を意のままに操ることができるようになった。


 バタルが男に力の制御を学んでいる間、部族同士の争いは絶えず続いていた。敵に殺され、残された者が敵を憎み、復讐するという負の連鎖は留まることなく、更に深刻さを増していった。


 日々、どこかで幾つもの命が消えていく。バタルはそんな現状に憤りを感じていた。なぜ、人々は殺し合いを止められないのか。もっと互いを尊敬し合い、助け合うことができる世界にならないのか。徐々にその憤りは、失望に変わっていった。そんなある日、一人の少女に声を掛けられた。


 男は絶えず少女を連れており、男にとって大切な存在だということは、少女に対する所作からもわかることだった。


 少女がバタルと会話をすることはなく、いつも男の背後に張り付き、こちらを窺ってはいるものの、バタルとは目を合わそうとはせず、いつも恥ずかしそうにしていた。そんな少女の様子に、嫌われているのでは、と思っていたバタルにとって、少女から声を掛けられたことは驚きだった。


 少女はバタルに尋ねた。なぜ、いつも悲しそうな顔をしているのか、と。そんな問いに、バタルは戸惑った。どんな思惑でそんな問いをぶつけたのだろうか。自分が悲しそうな顔をしているとはどういう意味なのか。


 バタルはそれが気になり少女に問いを返した。すると、少女は、いつも顔は笑っているように見える。しかし、心から笑っているようには見えない。あなたの中には、どんな憎悪が隠れているの、と言葉を返した。


 少女の言葉に、バタルは冷や汗が滲むのを感じた。いつも表面では、相手の望むような自分を演じてきた。所作、発言、態度。それらを駆使することが、自分が生き残るために必要なことだった。だが、いつしかそれらが、本物なのか偽りなのかを自分でも見分けが付かなくなっていた。少女は、そんなバタルの内面を見抜いたのだ。思い返してみれば、いつも不満や怒りが自分を支配していた。相手の望む自分で在り続ける。それがストレスとなるが、必死に押さえ込むことで、それさえもいつしか鈍化していった。自分が自分であることを諦めていた。バタルは少女の言葉に笑いが込み上げるのを抑えることができなかった。その日を境に、少女との会話が徐々に増えていった。


 少女の前では望む自分を演じなくても良い。それだけで居心地がよかった。いつしか、自然と自分らしい笑顔が溢れるようになった。


 男との修行が半年ほど過ぎた頃。突然、バタルは上の兄たちに呼び出された。何事かと不安を抱きながらも、兄たちの前に立つ。バタルの中には予感があった。


 今年で十三という成人の歳を迎えた。バタルにはそれを祝ってくれる者などいなかったが、通例なら、成人した男子を家族で祝うのが慣わしだ。その際に、男子は父親から剣を送られる。それは、立派な大人の男の仲間入りをすると同時に、部族を守る者として戦場へ出向かなければならない、という古からの慣わしでもあった。


 予感の通り、兄たちからは、バタルが十三の歳になったので戦力として戦場に立ってほしいとの旨を伝えられた。兄たちの態度は平然としており、今までのバタルへの扱いを省みることはおろか、目の上の瘤が目障りと言わんばかりに疎ましがっているようでさえあった。兄たちの態度は癪に障ったが、一方で部族の一人としての責務であることも否めない。どんな形であれ、この歳まで生きてこられたのも、部族の中で生活できていたからこそではあった。忌み嫌われ生きてきても、最低限のことはしてもらっていたのも事実。ここは、素直に申し出を受けるべきだ、と考えた。


 少し勿体ぶったあとに、渋々という形で承諾する、という体裁を整えた。バタルが申し出を受けたことに、安心した様子だった兄たちから十三という歳の祝福、言い難くも、祝辞を受けた。これが、バタルにとって家族から向けられた初めての好意だった。


 そんなバタルの決断に、意外にも男と少女は消極的な反応を示した。特に、少女が敏感に反応した。なぜ人同士の争いに荷担するのか。お前は一族から除け者として扱われてきた。都合が良くなったときに、掌を返す者たちに義理立てする必要はない、と憤りを露わにした。そんな少女の言葉に、バタルは言葉を返した。自分はどんな形であれ、部族の一人であり、そうである以上、部族の掟を遵守しなければならない。今まで除け者として扱われていたからといって、部族の掟を遵守しなければ、自分は本当の意味で部族の一人として生きる資格をなくしてしまう、と。バタルの言葉を聞いた少女は、反論することはなかった。


 バタルの決断に、男と少女も援助することを申し出た。部族同士の争いである以上、関係のない二人が争いに荷担することが、何らかの不遇な結果を招きかねない気がして、バタルは何度も断ったが、二人は頑なに受け入れることはなかった。


 結局二人の申し出を受け入れざるを得なかったバタルだったが、二人は強力な後押しで、何度バタルと共に戦場へ立っては、数多くの武功を挙げ続けた。ときには、上の兄の策により、勝ち目のない戦いに送られることが幾度もあったが、その度に戦況を覆し、戦いに勝利していった。いつしか、次第にバタルが率いる部隊が部族の中でも大きな影響力を持ち始め、部族の次期長として地位へ押し上げようとする一派と、部族の長であった兄との間で衝突が起きた。だが、功を焦った兄が無謀な策の末、自滅するように敵陣に突撃し討ち死にしたことで、幸いにも部族内での争いが深刻化することは免れた。


 バタルが部族の長となったことで、部族の快進撃が続いた。次第にバタルの部族と争おうとする敵はいなくなり、一時期の平穏を得ることになった。そんな中でも、バタルは思い悩んでいた。


 自分の部族は周りの敵を寄せ付けず、部族の者たちに一人として戦いで死ぬ者がいなくなったのは良いことだ。その一方で、争いを続けている部族は他にも多く存在している。自分の部族だけが争いとは無縁のまま、他の部族が争い続けている現状を傍観しているだけで良いはずがない。


 悩みを少女に相談すると、意外な答えが返ってきた。お前が部族の長となり、この地にある部族をまとめ上げ、一国の主になれば、人々の争いが続くことはなくなる。戦いに勝ち、平穏をもたらす者となれ、と。


 はじめは、戦いに出ることさえ嫌悪感を抱いていた少女が、全ての部族を統一する、という助言をしたことにバタルは驚きを隠せなかった。少女曰く、長続きする犠牲の数より、一瞬の犠牲のあとにある平穏こそが、人々の救いになると信じている、とのことだった。


 翌年。バタルは早速、全部族の統一に向けて動き出した。はじめに目を付けた部族があった。


 残っている部族の中では、最小の規模ではありながら他の部族が手をこまねくほどの大きな存在がいた。その者は、部族の長にして、自身も戦場で先頭に立ち、兵たちを指揮していた。その上、知略を持ち合わせ、最小限の兵で最大限の敵を討ち滅ぼすことから、どこの部族も手を出せずにいた。


 その者の名はマラ・アト。マラが率いる部族は、専守防衛を常とし、敵部族を襲うことなく、平穏を望む部族でもあった。そんなマラの部族も、年々拡大する敵部族の脅威に、何とか立ち向かっているものの、近頃は負け戦が目立ちはじめているという噂を聞いていた。バタルはそんなマラの部族の地を訪れ、連合を組むことを申し出た。だが、マラはそれを拒否した。バタルの父の時代の戦いで、部族の多くを殺されたらしく、バタルに対する敵意は深刻なものだった。


 初めて顔を合わせた際に、怒りを露わにし、バタルを殺そうと暴れた。マラとの交渉は困難を極めたが、何度もマラのもとを訪問し、地道に交渉を継続した。一年という時間が経過し、徐々にマラとの部族とも良好な関係性を築くことができた頃、バタルは再度、連合についてマラに提案した。初対面では、心底バタルに対して憎悪の感情を向けていたマラも、この頃には、バタルの人間性を理解していた。考え方や性格も似ていたことから意気投合し、いつしか互いに心を許せる存在となっていた。両部族が連合を組むまでに時間は掛からなかった。


 連合を組んだ部族の動きに、他の敵部族はこれを静観することはなかった。連合が組まれて数日もしないうちに、平穏が脅かされることになった。だが、それはバタルの思惑の内だった。


 部族を倒そうと幾つもの部族が強襲するが、もとは専守防衛を貫いていたマラの部族と戦力を温存しつつ攻めを得意としたバタルの部族の相性もあり、攻守で圧倒的な戦力を見せつけた。それがかえって強力な部族に目を付けられる形となった。周辺の部族の中でも最大規模であり、近年では次々と他の部族を吸収し拡大している部族に強攻を受けることになった。


 幾つもあった各地の部族は、強力な部族に吸収され、今では数えるほどしかなくなっていた。


 他部族との戦いは半年にも及んだ。はじめは拮抗していたバタルの部族は次第に疲弊していき、敵部族に捕らえられた者たちは容赦なく無残に殺されていった。


 はじめのうちは、思惑通りにことが進むことに、自分の野望に近付いていることを嬉しく思っていたバタルだったが、意外にも敵の戦力が上回りつつあり内心では焦っていた。部族の者たちには、この状況を覆す秘策があると言い聞かせ、混乱と不安が高まるのを抑えていたが、方法など思いつくはずもなかった。


 部族は徐々に不利な戦況に陥っていった。何度も衝突を繰り返すが戦況は好転せず、ついにはバタル自身が戦場に立つことになった。できるだけ自分は部隊を指揮し、味方の被害を抑えようと努めたが、一向に好転しない状況にじっとはしていられなくなった。それが最悪な事態を招くことになった。これを待っていたとばかりに、敵はバタルが率いる部隊に強襲を掛けたのだ。


 一気に押し寄せる敵の軍勢に部隊は呑み込まれた。敵の猛攻に立ち向かうも圧倒的な数の差で部隊は全滅寸前まで追い詰められ、遂にはバタルを含む数人の兵が残るだけとなった。絶体絶命と諦めたとき、異変が起きた。


 戦場に響いていた怒号や鉄同士がぶつかる金属音が一瞬にして鳴り止み、辺りを漂う空気が静寂と共に一気に凍り付いた。空を見上げると快晴だった空は厚い雲に覆われる。昼間だというのに、日の光が届かなくなったことで、辺りは極夜を思わせるほど薄暗くなる。皆が突然起こった異変に立ち尽くす。次の瞬間、空の中心から稲妻が迸り地上へ落下した。


 劈く破裂音が鼓膜を激しく揺らし、一瞬の無音が訪れる。


 上空の何かが地面に暗い影を落とす。生物らしき影はとぐろを巻くように、空中で身体をくねらせて旋回してする。漆黒の巨大な両翼が羽ばたくと、周りの空気が対流し辺りに強烈な風を生む。その場の全ての者たちが、唖然とする中、それは優雅に地上に降り立つ。


 恐ろしく長い首の先にある小さな頭が、辺りを凝視するようにゆっくりと動く。恐ろしく鋭い目が、その場の全てを支配していた。


 未知の存在との遭遇に、恐怖で凍り付く者たちの中で、バタルだけがその姿に魅了されていた。足取りは自然と生物に向かっていた。バタルの姿を認めた生物は低く唸る。その顔が、少し笑っているように見えた。


 生物はバタルが自身の眼前に立つと長い首を降ろす。バタルを見据える鋭い目が、バタルの視線と交差する。突如、バタルの頭に言葉が流れ込んできた。汝……汝こそ、この世界を導くに相応しい。その声が、眼前の生物の声だと即座に理解したバタルは問いかける。お前は何者だ。何が目的でここに現れた。その言葉に生物は、全身が震えるほどの低い声で笑う。余は世界を見守る者――。ドラゴン、とでも呼ぶが良い。ドラゴンと名乗った生物は、バタルに頭を垂れる。余の力を使い、この世界を統一しろ。この世界を平穏で満たすことこそ、汝の使命だ。その言葉を残すと、ドラゴンの姿は靄が掛かるようにして消えてしまった。


 その後、バタルの部隊は窮地を脱し、帰還することができた。その日、バタルが苦悩する姿を見た者が多くあり、表情は苦痛で満ちていたという。


 ドラゴンとの遭遇から数日が経ち、再び戦いが起きた。だが、その戦いは戦闘ではなく一方的な蹂躙でしかなかった。


 数十騎の騎馬隊で出撃したバタルの部隊が、敵本拠地にまっしぐらに向かう。誰もが無謀と嘆く中、敵部隊を薙ぎ払い、突き進むバタルの部隊を止める者はおらず、敵部族は一気に劣勢となる。そこから敵部族の長を討ち取るまでに、時間は掛からなかった。


 バタルと共に先陣を切った兵士たちは、バタルの力を目の前にしても、何が起こったのかを口にしようとする者はいなかった。味方の者にさえ恐れを抱かせるバタルの力は、敵の無条件降伏を促すことになった。


 敵部族の者たちが口々にしたのは、バタルによって呼び出された未知の生物が、大地を揺らし全てを呑み込んだのだという。抵抗することを許されず、一瞬のうちに敗北を認めざるを得なかったのだという。


 半年と経たないうちに、周辺の全ての部族がバタルのもとに統一された。その年、バタルを国主として、スエーデン王国が建国された。以来、アハディル家が、ドラゴンの加護を受ける一族として現在まで国を統治している。




「私が知っているこの国の建国に関わる話は以上だ」


 そう言って、スノウは目の前に置かれた分厚い書物を示す。


「――これは」


 健二はそれが気になり手に取る。思った以上に重厚な造りに太い背表紙。本を開いて文章に目を通す。文章は読めなかったが、ページには文字がぎっしりと綴られており、スエーデン王国の建国にまつわる物語が紡がれているのがわかった。黄ばんだページが時代の経過を物語っており、一ページごとの紙自体が分厚い。パルプではなく羊皮紙でできているようだ。


「この国の建国聖書だ。君には、この書物を読んでもらおうと思ったんだが、君にこの世界の文字は読めない。だから、こうして言葉で伝えた」


 スノウはそう言って、深いため息を吐く。長時間に渡り、スエーデンの建国の歴史を語ったせいか、口渇感に苛まれているようだ。水を満たした杯を一気に飲み干す。


「でも、ドラゴンと天神って何が違うんだよ」


「ドラゴンと呼ぶのは畏れ多い故だ。だから、天神様と呼ぶ。この国は戦争で疲弊しているが、人々からは暗い雰囲気は感じられない。それは、天神という存在が大きく関わっている。この国は、天神の庇護下にあり、王が天神の加護を受け、敵国を打ち払うと信じているんだ」


 スノウの言葉に、健二は辺りを見渡す。街は女子供が殆どで、市に出回っている食糧が不足しているのを見ると、生活難に陥っているのがひしひしと伝わってくる。だが、それでも人々の表情は決して暗いわけではない。


「でも、そんなことを本気で信じてるのかな」


 健二は呆れた。実際にドラゴンが姿を現したのは、千年も前のことだ。スノウからもそれ以降、ドラゴンが姿を現した、ということが語られていないということは、そういうことだ。それでも、盲目にドラゴンの存在を信じ続けることが理解できなかった。


 そんな健二の言葉に、スノウはふっ、と笑う。


「この世界の外からきた君には、理解できないだろうな。だが、それがこの世界の理だ。運命というものは、かくして繋がっているものなのかもしれない。偶然と思えることも、この世界の開闢以来、見守り続けてきた天神の意図によるものなのかもしれない。私たちは、そんな天神の僕として下界に生を受けてはいるが、天神の意図など知るよしもない。私たちは、ただ天神が敷いた理の基に生かされているに過ぎないんだ」

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